決意

「香帆君の指摘であらためて観測記録を精査してみたが、やはりトラブルと直接の因果関係はないという結果になった」

 二日後、恒例の連絡調整会議の席上、司令はまずそう宣言した。

「データを精査した結果、確かに、高度二千メートルあたりで右舷側のカメラ画像に一瞬閃光が入る。だが、これだけで人工物だとの断定は難しい」

 言葉と共に、背後のスクリーンには金星の地上でチカリと光る映像が再生された。何度か同じ映像がプレイバックされ、続いてズーム再生されるが、前後の映像をいくら詳しく確認しても、やはりその場所には特別な物は何もないように見える。

「えー、でも、まるでカメラのフラッシュみたいな感じでしたよ」

 私の反論に、

「現場に金属鉱石の結晶が露出していた可能性もある。TMはサーチライトに加えてターゲットマーカー用のストロボライトを点灯しながら降下しているから、その光を鏡のように反射したんだろう。ごく小さな結晶でも角度さえ合えば驚くほど明るく光を反射することがある」

「そうかなあ」

「それに、TMが機能不全に陥ったタイミングはこの映像が撮影されたよりもずっと後だ。むしろ、湊が指摘した不正コマンドの受信が直接の原因だと考えた方が自然だ」

「うーん」

 そこまで言われては引き下がるしかない。

「ところで、問題は誰が、何の目的でコマンドを潜り込ませたか、なんだが…」

 そこまで司令が言ったところで湊が立ち上がり、後を引き継いだ。

「解析の結果、TMに搭載されている操船支援AIがコマンドを発信した痕跡はありませんでした。一方、AIと一対一で通信していたアルディオーネのレシーバーには、はっきりと受信記録が残っています。都合二回。高度に暗号化されパケット化されたデータストリームに、これまた絶妙なタイミングで外部からコマンドを放り込むなんてことが一体誰に可能なのか、正直言って見当がつきません」

「この前言っていたように、ヤトゥーガの妨害工作である可能性は?」

 鷹野さんが、居並ぶメンバーが等しく思い浮かべたであろう問いをぶつける。

「監視チームは特に新しい動きを察知していません。恐らく今回に関しては無関係だと思われます」

 久美子さんが言葉を挟む。

「ええ、でも一応、その可能性を前提に現状考えられる限りの方法で再現実験をしてみましたが、うまくいきませんでした」

 湊は眉をしかめた表情のまま続ける。

「二隻の間で絶え間なくやり取りされている秒間2ゼタバイトの超高速データストリームには時系列的にまったく余地がありません。そこに外から強引にコマンドを割り込ませると、どうしてもその部分だけもともとのデータが上書きされて情報が欠けてしまう。ですが、実際のログに情報欠損はただの1バイトもありませんでした。最初から、コマンドも含めた一連のデータストリームとして生成されたようにしか見えないんです」

「じゃあさ、逆に、TMのログからコマンドの発信記録だけが消されているとか?」

「その場合は潜航艇のログデータに不自然な空きスペースが生まれる事になるはず。ですが、そんな痕跡もないんです」

「うーむ、謎だねえ」

 鷹野さんが降参といったように両手を挙げて椅子にもたれこんだ。

「謎は謎として、再発防止策は講じないわけに行きません。そこで、感覚フィードバックは以前のように潜航艇のローカルシステム内だけで完結させ、外部からの遠隔制御は一切受け付けない仕様に変更しました」

「つまり、潜航艇を操縦するためには人が直接耐圧殻に乗り込むしかない?」

「はい。潜航艇とアルディオーネはお互いパイロットにより自律機動し、データストリーム上に流すのは観測データと艇体のステータス、あとはパイロット同士の音声、映像通信のやり取りに限定します」

「またえらく後退したわね」

「仕方ありません。今回のように制御を乗っ取られないようにするには、それ以上クリティカルなデータを流せません」

「もし、パイロットに不測のトラブルが起きて操縦が出来なくなったら? 今度は操縦を代わってあげることはできないのよ」

 鷹野さんの問いに湊ははっとした様に表情を変え、すぐには答えなかった。

「…緊急浮上装置があります。スイッチを入れるだけで潜航艇は木星の表面まで自動的に浮上して救難信号を発信します」

「そうじゃなくて、もし、パイロットがそのスイッチすら押せない時はどうするの?」

「自動的にオペレーションが中止されます」

 湊は言葉を切ると唇をなめ、曖昧な表現でそれに答えた。

「AIが異常を感知して自動的に緊急モードに移行させることはできます。でも、一体何をもって異常とするか」

 湊の視線が一瞬だけチラリと私を捉える。

「今の所、耐圧殻内部の環境、あるいは乗組員のバイタルサインが著しく悪化した時点をもって異常事態と判断します」

「それってつまり、香帆ちゃんが気を失うとか、生命に重大な危機が及ばない限りは止めないって事?」

「…そう、なりますね」

「ちょっと!」

 鷹野さんが抗議の声を上げた。

「それってどうかと思うけど! あまりにも人命軽視が過ぎるんじゃないですか?」

 鷹野さんの指摘はもっともだ。

 前回の捕獲プロジェクトに比べたらこれでもずいぶん人間的ホワイトになったなあと感心していた私の感性はちょっとおかしいらしい。

「誰も言わないみたいだから私が言うけど、香帆ちゃんを木星に下ろすという方針は絶対に間違いだと思います。あんな高温、高圧、高重力、高放射線の地獄の一丁目みたいな場所に!」

「ちょっと薫!」

 隣に座る久美子さんが突っ走る鷹野さんを抑えようと肘をつかむ。それでも鷹野さんは一切ひるむ様子もない。

「おいおい、言っとくけど、高重力って言ってもせいぜい2.5G程度だし、潜航艇の放射線遮蔽は下手な定期連絡船よりはるかに厳重だぞ」

 そう反論する司令を冷たい視線で一瞥し、

「そんな事を言っているんじゃない! あんな事のあった後で、貴方たちは香帆ちゃんが心配じゃないの?」

 ああ、そうか。鷹野さんは私の代わりに怒ってくれているんだ。

「鷹野さん、違うんです」

「香帆ちゃんも遠慮することなんかないわ。こんな無茶を言い出したのはどっち? 湊くん? それとも辻本司令あのおっさん?」

「私です」

「でしょう。そうだと思った…え?」

「あの、私がどうしても行かせて欲しいって二人に頼みました」

「ちょっと…」

 鷹野さんは呆れたというように腰に手を当て、私の顔をねめつけた。

「自分の言っていること解ってる? これまでとは状況が違う。下手したら今度こそ無事には戻れないかもしれないのよ」

「はい。でも、やっぱり生身で潜航艇に乗り込んで、直接この目で異星船を見てみたいんです」

「あのねえ」

 目の前の低重力マグの水をぐいと飲み干し、空のマグカップを握りしめたまま、右手の人差し指を私に向ける。

「知ってると思うけど、木星を取り巻く高放射線帯の実態はきちんと解明されていない。一生ものの深刻な障害が出るかも知れないし、下手したらあなた、子供を産めなくなるかも知れないのよ。いずれ湊くんの子を産むつもりはあるんでしょ?」

「な、な! なんでそんな話になるんですか!」

 私は真っ赤になった。

「あれ? 違うの?」

 きょとんとした表情で固まる鷹野さんに、私は耳まで真っ赤になったまま、すがるような視線を向けた。

「え? 今さら恥ずかしがる話でもないでしょう?」

「ですから、まだそんな話には…」

「え! まさかまだはっきり告白してないの? それともはぐらかされてるの?」

「鷹野さーん!」

 私は悲鳴を上げた。

 この人はやはり確信犯なのか、それとも単に天然なのか?

「薫、香帆、悪いがガールズトークは後にしてくれないか」

 司令が苦り切った表情で釘を刺してきた。

 ペロッと舌を出して、

「怒られちゃったね」

 そう言う鷹野さんに邪気は感じられないけど、この場でそれを持ち出しますか?

 やっぱりこの人、相当にただ者じゃない。

「あー、さて、香帆、何か言うことはあるか?」

「ちゃんと無事に戻ってきます。湊が約束してくれました。私は、それを信じます」

「恋は盲目よねえ」

 鷹野さんが呆れたような表情で小さくため息をついた。

「当人がそこまで言うならこれ以上反対しても意味ないわ。湊くん、ガッチリ頼むわよ」

「最初からそのつもりです」

 湊はいつも通りの無愛想な表情で、頷きながら短く答える。でも、彼の耳が赤く染まっているように見えたのは気のせいだったろうか。


 会議はかなりグダグダな感じで終わったが、それでも極めて重要なことが一つ決まった。

 大赤斑にダイブする日程だ。

 Xディは、今からちょうど二カ月後。

 司令は一ヶ月後を主張したけど、私を診察した脳神経科の医師から異論が出た。事故の後遺症はなしと太鼓判を押してくれたけど、来週に予定されてるMMインターフェース最大負荷試験と、その後の神経系回復には時間的な余裕が必要らしい。

 湊も、潜航艇の改修、調整にもう少し時間が欲しいと強く要望し、結局、司令が折れた。

「では、それでいこう。湊は潜航艇を、香帆は心身のコンディションを、それぞれ最高の状態に仕上げてくれ」

 司令はそう締めくくると、プレスリリースの詳細を打ち合わせるからと鷹野さんを引き連れて部屋を出て行った。

 ネットワーク経由で参加していたメンバーが全員ログアウトし、途端にがらんと静まりかえったミーティングルーム。

 二人きりになった所で、湊はぽつりとつぶやくように言った。

「ありがとう」

「え? 別にお礼を言われるようなことはしてないよ?」

「そうじゃない。俺を信じると言ってくれて嬉しかった。大失態をさらしたから、見限られてもしょうがないって思ってた」

「どういうこと? 失敗したのは私…」

「潜航艇の不具合はエンジニアの責任だ。その上、君の命まで危険にさらしたんだ」

 はっとした私は、返す言葉を失ったまま、今日初めて湊の顔をじっと見つめた。

 目の下に隈が浮かび、あごには無精ひげが伸び始めている。

 よく見れば着ているつなぎの作業服はよれよれで、襟元にはうっすらと汚れが浮いている。多分、何日もシャワーすら浴びてないに違いない。

 ずっと事故の原因解析と対策にかかり切りだったんだ。

 どうりでここ数日、妙に素っ気なかった訳だ。

 私はてっきり、湊が私のドジに呆れているのだとばかり思っていた。まさか、彼がこれほど責任を感じ、思い詰めている事なんて気付きもしなかった。

「前に話したこと、あっただろ」

 微妙に目をそらしたまま、彼は独り言のように続ける。

「俺は、自分の設計した宇宙機で有能な飛行士が命を落とすのが耐えられなくて一度は宇宙船舶設計士このしごとをやめた。もう一度挑戦してみようと思えたのは、香帆、君のおかげだ」

 私は何と返してよいかわからず、無言でコクリと頷いた。

「それなのに、よりにもよって香帆が乗る船でこんな致命的な事故を起こすなんて。もし君が無事に戻って来なかったら…」

 語尾が震え、そのまま黙り込む湊。

 湊がかつての恋人、美和さんを失ったのは新型エンジン実証実験中の事故だった。しかも、湊はすぐそばの観測船の窓から、自身が設計した実験機テストベッドが為すすべもなく月面に墜落する一部始終を目撃したのだ。

「…似てるんだよ。あの時と」

 ぐっと両手の拳を握りしめ、喉から絞り出すように言葉を紡ぐ湊。

「君が戻るまで、本当に怖かった。また自分のミスが原因で一番大事な人を失うのかと思ったら、もうそれだけで気が狂いそうだった」

 ああ、そうだったんだ。

 普段はそんな素振りを微塵も見せないから忘れていたけど、彼は未だに事故のトラウマに囚われたままなんだ。

 親しい人を失う事が怖いから、他人を容易に近づけず、間違っても親しくならないように距離を置く。でも、それじゃ寂しすぎる。

「遠隔制御を封じられてミッションの危険度は格段に上がった。前にも言ったけど、本当は君をTMに乗せたくはない。できることなら無理やりにでも引き止めたい。でも」

 言葉を切ると、まるで表情を隠すように背中を向ける。

「気づいてるか? TMに乗るたびに、君は目をキラキラさせて本当に楽しそうな顔をするんだ。そんな所まであいつとそっくりで、とても止めろなんて言えない…」

 不意に彼がとても愛おしくなり、彼の背中に額をこつんとぶつけながら言う。

「大丈夫だよ。私はちゃんと帰ってくるから」

 そのまま、彼の体を抱きしめるように腕をまわし、胸の前で両手を絡めた。

「湊、私、本当にあなたが好き。大好き」

 ぎゅっと抱きしめながら、初めて、はっきり宣言した。

 心臓がバクバクして、顔から火が出そうだ。

 でも、ちゃんと言葉にしておきたかった。

「あなたが味方でいてくれるから、私はどんな所にでも行ける。あなたが待っててくれるから、私は戻って来れる。だから…お願い」

 湊の背中が小さく震えるのがわかる。

「もう、これ以上、怖がらないで」

 私は、ようやく自分のやるべき事を見出した。

 もう迷わない。

 どんな高重力の井戸の底からだって、私は絶対に、もう一度ここに帰ってくるんだ。


---To be continued---

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