覚醒

「心の準備はいいですか?」

 白衣姿の女性技師に念を押され、私は小さく頷いた。

 私の横たわるインターフェースベッドをびっしりと取り囲むのは、大小様々なディスプレイ、そして、大病院の集中治療室を彷彿とさせる生体モニター機器の数々。そこから生えた色とりどり、何百本ものセンサーケーブルは両手両足はおろか全身にくまなく貼り付けられ、まるで縛りつけられたようにほとんど身動きができない。巨大蜘蛛の巣に捕らえられた哀れな小動物みたいになっている。

「いいですね、辛くなったらすぐに知らせて下さい。限界まで頑張ってはいけませんよ」

 声と共に右手のひらにイジェクトスイッチを握らされた。ひんやりとした感触が心地良い。

 次いで頭の大半を覆うヘルメット型のギアが降りてきて視界を奪う。

「では始めます。この先の指示はインターフェース経由で」

 再び小さく頷く私。足音が次第に遠ざかり、防音ドアの閉まる鈍い音と共に、周囲は静寂に満たされた。

『安曇さん、聞こえていますか?』

「はい」

『これから行うMMI最大負荷試験は、ブリーフィングでもご説明差し上げたとおり、あなたのMMIの処理スペックを測定するためのもので、処理能力や耐久力を測る試験ではありません。こちらから入力されたデータをイメージングして返していただきますが、追いつけないと思ったらすぐにスイッチを押すこと。絶対に無理は禁物です。所要時間はおおむね三時間ほどの予定です。いいですね』

「わかりました」

『では始めます。入力を一旦ゼロクリアして、その一分後にカウントダウンが表示されますから、慌てずに』

 それきり声は途絶える。

 私はゆっくりと深呼吸すると、カウントダウンに備えて軽く目を閉じた。

 今回の負荷試験は、金星での事故後に受けた精密検査がきっかけだった。

 私のMMインターフェースは世界でも十数名しか適合者のいないワイドバンド・フル規格スペック仕様だ。ところが、精密検査のためマッチングを受けた時点でエラーが生じ、その規格ではマルチテスターに接続することができなかった。

 調査の結果、私のインターフェースは現用の規格に忠実に造られたテスターのマッチング範囲を大幅に逸脱している事が判明した。

 アルディオーネと潜航艇のインターフェースは私と湊がそれぞれ自分の使いやすいようにカスタムした特別仕様なので、厳密な意味で仕様に沿っていない。発見が遅れたのはそのせいだ。

 そこで、専門医から改めて正確なスループット測定が求められた、というわけ。

 言うまでもなく、私と湊は、司令の悪だくみのおかげでMMインターフェースと反応昂進薬のモルモット代わりに使われた過去がある。

 過去…いや、現在進行形か?

 結果的に、個人では絶対に手に入れられない超高級なインターフェースを支給され、今も最優先でバージョンアップされるため恨んではいない。でも、私達の叩き出す最長の運用ログはそこそこ貴重らしく、技師陣は隙あらば私たちの脳からデータを吸い出そうと手ぐすね引いて待ち構えている。

 まあ、湊も同じように狙われているのだけど、潜航艇の改修が終わってもいないのに構ってられるかとこてんぱんに断られたらしい。

 一方、私はESAを退職して以来、大分長いこと測定していなかった事もあって先にお鉢が回ってきた。

 今回の測定結果はいずれMMインターフェースの仕様が改訂される際のたたき台に反映される。他の適合者が私と同じ性能スペックに適合できるかどうかは置いても、仕様設計上、想定しておくべき先行事例にはなる、らしい。

『入力初期化。では行きます!』

 途端に目の前が暗くなり、まるで耳に何か詰められたような完全な無音状態に置かれる。その中に十二桁の真っ赤なデジタル数字が浮かび、猛烈な速度でカウントダウンを始めた。

 数字がゼロになった瞬間、私の意識は一気に拡大され、いつの間にか地球を丸ごと眺められる宇宙空間に浮いていることに気付く。

 なるほど、今回は空間認識力を測定するテストから始まるらしい。

 私は自分の視野をどんどんと広げるようにイメージする。月が視界に入り、次いで火星が、さらに金星、水星、最後に猛烈に大きな燃えさかる光球、太陽までを視界に納めたところで一旦ストップし、余力を探る。

『まだ行けそうですか?』

「はい、思い切りやってみていいですか?」

 技師の同意を得て、太陽系から超高速で遠ざかる自分をイメージする。視界の中心に大量の光の点が集中し、一瞬の後、私は銀河系をはるかに俯瞰する所まで遠ざかった。

 このイメージは一体どこから得ているのかしら?

 当たり前だけど人類はまだ太陽系すら飛び出してはいない。

 誰も見たことのない銀河系外部からの風景を当たり前のようにイメージできている自分に困惑しつつ、さらに一段遠ざかる。

 いつの間にか背後には隣の銀河系、アンドロメダ銀河が迫っていた。

 一兆個の恒星が形作る直径二十万光年星の大集団、それらが放射する暖かな熱を確かに感じた気がした。

『安曇さん、問題が生じました! 脳幹温度が急上昇しています! テスト中断します!』

「えっ!」

 私は焦る。まだテスト開始から何分もたっていない。

 だが、答える間すら与えられず、視界は突然暗黒に包まれた。


 目が覚めると、冷たいウォータージャケットに全身が包まれた状態でベッドに横たわっていた。周りにあれだけあった生体モニターは乱雑に壁際に押し退けられ、心電図計と脳波計、体温センサーだけが枕元で規則的な信号音を発している。右手に点滴されている透明な液体は生理食塩水だろうか。

「ああ、お目覚めになりましたね!」

 声と共に女性技師とナースが部屋に飛び込んできた。

「私、どうなったんですか?」

「それはこちらが聞きたいくらいです。安曇さん、あなた、差し渡し二百五十万光年、一兆個の恒星位置情報をリアルタイム演算する空間識なんて一体いつの間に身につけたんです? まるで頭の中にスーパーコンピューターを飼っているみたいですよ」

 技師が興奮気味に喚き立てるそばで、ナースは私の左手首で脈を取り、首筋に指先を当てて柔らかな笑みを浮かべる。

「もう平熱に落ち着きましたね」

 言いながらウォータージャケットの設定温度を切り替え、ベッドの背もたれを起こしてくれる。

「ちょっとチクッとしますよ」

 慣れた手つきで点滴針を抜き、小指の先ほどの小さな絆創膏を貼り付けながら、

「急激に脳を酷使したせいでお体がビックリしちゃったみたいですよ」となんでもないことのように言う。

「高熱と大量の発汗で脱水症状を起こされていました。ところで、表に司令と湊さんがお見えになってますが」

 もしかしてまた余計な心配をかけてしまっただろうか? 思わず胸を押さえ、半透明のウォータージャケットの下が上半身裸であることに気付く。

「あ! その前に何か着る物をいただけませんか?」

 さすがに男性の前にこの姿を晒すのは恥ずかしい。

「では、ジャケットも脱いじゃいましょうか? ごわごわして嫌でしょ?」

 ワゴンから薄いグリーンの検査着とブラウンのカーディガンを取り出してベッドの足下に置くと、

「ほら、技師さんも一端出てくださいな」

 と追い出しにかかる。

「準備が出来たらナースコールを押してくださいね。では」

 パタンと音を立ててドアが閉まった。


「どう考えればいいのか、正直判断に苦しむが」

 脳天気な辻本司令らしくもないしかめ面。

「間違いなく言えるのは、君のMMIプロセッサーはもはや君の脳活動に追いついていない。想定を超えた猛烈な演算を強いられて過熱、近くにある深部体温受容器を狂わせ、体温中枢の働きをおかしくしてしまう。それがここ最近の君の急な発熱の原因だろう」

「ということは、私、取り上げられちゃうんですか? MMインターフェース」

 それは、困る。とっても。

「いや、幸か不幸か、新型プロセッサーの開発はほぼ終わっている。これまでの三万二千七百倍の性能で大きさはほとんど同じ。問題なく置き換えは可能だろう、が」

「何か問題ですか?」

「新型はシミュレータ試験こそ終わったけど、臨床試験がまったく済んでいない。アカゲザルを使った動物実験もようやく始まったばかりという段階だと」

 司令の後ろに憮然とした表情でつっ立ったままの湊が答える。

「動作保証がないことはリスク要因になる。でも、このままアンバランスな状態だと君がいつ倒れるか。ちょっとでもMMIに負荷をかけすぎるとまた同じ事の繰り返しだ。そっちの方が何倍も怖い」

「なんだ」

 私はほっと胸をなで下ろした。

「じゃあ、早速取り替えて下さいよ。まともに働けないのは嫌です」

「そう簡単に決めるなよ」

 湊は言う。でも、私の気持ちは一瞬で決まった。

「モルモット扱いは今に始まった事じゃないでしょう?」

 うれしそうな司令と渋い顔の湊。二人は対照的な表情で顔を見合わせると、再び私に向き直った。

「それよりも、私の頭、一体どうなっちゃってるんですか?」

「ああ」

 湊が頷く。

「今回、負荷テストに使われたのはESAの位置天文衛星”GAIA7”の観測データだ」

「ガイア?」

「そう。地球を中心にあらゆる天体の位置と明るさ、固有運動をリスト化したもので、銀河系とその周辺の天体二兆個ほどをほぼ網羅した、現時点で最も高精度なスターマップだ」

「でも、それがどうして問題になるの?」

「計画では段階的にMMインターフェースへの入力データ数を増やして、じっくり演算限界値を探る予定だったんだよ。ところが、君はこのデータを猛烈な勢いで一気に吸い込んで、一瞬でイメージ化した上でドカンと送り返して見せた」

「私、やり過ぎたのかな?」

「いやいや、それ自体はむしろとっても喜ばしいぞ。おかげで潜航艇の支援AIが失業の危機だ」

 司令は相変わらず回りくどい言い方をする。

「どういう事ですか?」

「君は理論思考が得意で空間認識はどちらかと言うと苦手だったな」

「はい」

 確かにそれは自覚がある。

 なんでもいちいち計算したくなる私とは対照的に、船のベクトルや姿勢をろくに確認もせず、そのくせ的確な操船する湊が羨ましかった。

「地上での経験が生きたのか、感覚フィードバックとの相性が良かったのか、今の君は湊に匹敵する空間識を有している。三次元空間を移動する大量の物体の位置と動きを同時にイメージ化できる。恐らく精密な未来位置の予測すら可能だろう」

「はぁ」

「湊の空間識が野生のカンだとしたら、君のそれは逆にどこまでも計算の産物みたいだけど」

「人をサルか何かみたいに言わないでくださいよ」

 司令はにっこり笑うと、湊の抗議を平然と無視する。

「本来、そういう細々とした演算は全部、操船支援AIの役目なんだがね。人が把握しきれない大量の数値情報をわかりやすくイメージ化してMMIに送り込む。でも、今の君は支援AIの鈍重さがむしろストレスになるだろうな。全部自前でやった方が恐らくはるかに早い」

「なるほど、それで失業…」

 私はようやく司令の言葉の意味を理解して大きく頷いた。

「ちなみに、潜航艇の操船支援AIを丸ごと取り除いた場合、質量で約五百キロちょっと、軽くできる」

 湊が手元のデータパッドを眺めながら言う。湊は湊で、早速潜航艇の改修計画に反映するつもりらしい。

「その分、耐圧殻内に生命維持用のサプライを多く積める。耐放射線シールドももう一層厚く出来るし、浮上用の燃料も多くできる」

「なんだ、良いことづくめじゃないですか」

「まあ、あくまで設計上は、って事」

 予想に反してあまり気が進まない様子の湊。

「艇の性能が搭乗者かほのスペックに寄りかかりすぎだ。長時間の操船は今よりかなりしんどくなるだろうな」

「でも、四十八時間以上の潜航はしないはずでしょ? 大丈夫だよ」

 湊は答えない。一方で司令はうれしそうな表情。

「まあ、安全マージンが上がるのは良いことだよ。NaRDO本部のマザーAIは、君が操船支援AIを兼ねることで成功確率がゼロコンマ八パーセント上がると予測した」

 ほう。それは素直にうれしい。

「ちなみに、現時点での成功確率って何パーセントなんですか?」

「八十…」

 何気なく発した質問に、司令はなぜかわずかに言いよどむ。湊の表情はさらに渋くなる。

「八十九パーセント、だ」

 うーん。高いのか低いのかわからない数字だ。

「じゃあ、前回の捕獲作戦の時の数字はどうだったんです?」

「六十…」

「ろくじゅう?」

「当初、六十一パーセント、だった」

 ほとんど五分五分、ひどい博打だったんだ。

「…司令、鬼ですね」

 私はある意味、心から感動した。

 正体不明の異星船や列強の宇宙開発組織相手にそれだけの大博打を打つ強心臓と、それに他人を容赦なく巻き込むずうずうしさ。やはりただ者じゃない。

「前回も無事に戻って来れたんだし、大丈夫だ…きっとな」

 司令はそう言ってニヤリといかにも悪そうな笑みを浮かべ、

「じゃあ、あとは若い二人で」

 たいしておもしろくもない軽口を飛ばすと、湊の肩をポンと叩いてテストルームを出て行った。


---To be continued---

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