感染疑惑

「はー、どうにか間に合ったなー」

 夜明け前、いまだ薄暗い整備ドック。

 画面にOKマークのずらりと並んだチェックリストを傷だらけの作業台に投げ出しながら、湊は魂まで抜け落ちそうな大きなため息をついた。そのまま傍らのパイプ椅子にどっかりと腰をおろす。

 ここ数日はほとんど完徹の状況で、彼と一緒に潜航艇の最終仕上げを担当した艤装担当のエンジニアたちは、広いドックのあちこちに倒れ込んだまま眠りこけている。ほとんど死屍累々といった状態だ。

「で、どうだろう、新しいシートは? 座り心地はそこそこ良くなっていると思うけど」

「前のはフワフワし過ぎで体が沈み気味だったから、このくらいフィット感がある方がいいかもね」

「うーん、やっぱり狭いかあ」

 湊は天を仰ぎ、私がコメントの裏に込めた感想まで正確に解釈してそうぼやく。確かに、前後左右を搭載機器にサンドイッチされた非人間的な搭乗スペースはどう好意的に解釈しても”隙間”としか言いようがなく、相変わらずチビで薄っぺらな私以外の搭乗を物理的に拒否している。

「欲張って追加のサプライやら極超広帯域レシーバーやら詰め込んじゃったから、殻内の余剰スペースは結局ほとんど増えなかったな。ごめん」

「大丈夫。感覚フィードバックさえあれば」

 私は苦笑いでそれに応える。

 考えてみれば、寝返りも困難なほど狭いのに、私はこの空間に違和感なく適応している。むしろ、この狭さにホッとする。

「多分、香帆は必要なパーソナルスペースが人より広いんだ」

「え? 狭いよ」

「いや、物理的な空間の広さじゃなくて、他人との相対的な距離のこと。満員電車とか、人混みとか苦手じゃないか?」

「あ、言われて見ればそうかも」

「問題は他人との距離感だな。野生のオオカミみたいに、自分の縄張りによそ者が踏み込むのを本能的に嫌うんだ。こうやってタングステンの殻にこもれば誰も近づけない。だからホッとするんじゃないか?」

「えー、それはなんだか嫌だな」

 私って、そこまで人嫌いに見えるだろうか?

「どちらかというと、そのイメージは湊のほうがしっくりくるような気がするけど。一人っきりで無人の宇宙を放浪していた世捨て人に言われたくないなぁ」

 拗ねるように文句を言うと、湊も苦笑しながら頷いた。

「ああ、そうだ。自覚はある。俺はもともと臆病者なんだ」

 だから、なんだろうか?

「ねえ、臆病だから、なの?」

 思い切って聞いてみる。

「何が?」

「湊、なかなか踏み込んで来ない」

 私をとても大切にしてくれているのは判る。

「私の気持ちは、もう言ったよ」

 彼もまた、好意を持ってくれている。そう感じる時もある。

 でも、それ以上決して近づいては来ない。一瞬心が通じ合ったと思っても、またすぐに離れてしまう。

 手が届くほど近くにいるのに、でもはっきりと壁を感じる。

「いや…かけがえのないパートナーだと思ってるよ」

 ほら、こんなにも歯切れの悪い答え。

「でも、俺は人を不幸にするから」

 ああ、やっぱりそこなんだ。

 私は内心歯噛みをしながら俯いた。

 多分彼は、美和さんや彼の宇宙機で命を落としたパイロット達、もしかしたらESAを追われた私も含めて、自分のせいで不幸になったという思いにいまだに囚われている。

 まるで解けない呪いのように。

「一体どうすればいいんだろう…」

 私の掠れたつぶやきは、たぶん彼の心には届かない。



「そういえば、俺も香帆に聞きたいことがあるんだ」

 長い沈黙の後、彼はぼそりとそう切り出した。

「さっき、久しぶりにアルディオーネのストレージを整理してたんだけど、何だか妙にでかいファイルがある。タイムスタンプを見ると金星ダイブの日だから間違いなくそれ関係だと思うけど」

「…全波長スキャンのデータじゃないの」

 心の中でため息をつきながらぶっきらぼうに答える。

「俺もそう思ったけど、標準のデータフォーマットじゃない。どんなアプローチをしても必ず香帆の脳活動パターン認証を要求してくるし、圧縮・暗号化されてて構造がまったくつかめない。香帆、何かしたか?」

「えぇ? おかしいな」

 いつまでもむくれている場合でもない。とりあえず気持ちを仕事モードに切り替えて、あの時の状況をもう一度細かく思い返してみる。

 システムがロックされてログアウト出来なくなったときも全波長探査は続いていた。

 いや、止めることができなかった。

 取得された大量のデータは私のMMIを経由してアルディオーネに送られ、ストレージに溜まりっぱなしだったはず。

 何かするどころか、一体いつ探査シーケンスが止まって、その後データがどうなったのすら私は知らない。それどころか、考えてみればアルディオーネのバーチャルコクピットには事故以降一度もリンクしていない。

 もしかして…

 心当たりはある。だけど…

 喋っちゃって大丈夫だろうか?

 私はしばらくためらい、結局すべてを打ち明けることにした。

 こっちから思い切り壁を壊していかないと、多分、この距離は永久に埋まらない。そう思うから。

「ちょっと、話しておきたいことがあるの」

 私は周りを見渡し、その先を言いよどんだ。周りにエンジニアがごろごろ転がっているこの状況で口に出来る内容でもない。私は身振りで湊を誘うと、先に立ってドックの片隅に停泊しているアルディオーネのエアロックをくぐった。

「あ、あのね、笑わないで聞いてほしいんだけど」

 エアロックを密封し、プラネタリウムのようなコクピットに腰を落ち着けた所で、私は意を決してそう切り出した。

「うん? ああ」

 状況がつかめないまま、それでも頷いてくれた湊を信じて、私はあの日、ログアウトできなくなってからの体験を最初から話した。あの不思議な声のことも含めてすべて。

 湊は、行きつ戻りつする私のたどたどしい説明を最後まで無言で聞き終わると、天井を睨んでそのまま長いこと黙り込んだ。

 ああ、やっぱり引かれたよ。

 背中に冷たい汗が流れるのが自分でもわかる。

 頭のおかしい小娘にトラの子の潜航艇を任すなんて危なすぎる。そう思われたに違いない。

 私はどうにかこの場をごまかそうと立ち上がりかけ、

「ちょっと待って」

 制止されて凍り付く。

 どうしよう。どうしたらいい?

「いいから座って。会話の内容は一語一句間違いない?」

 私はカクカクと頷く。

 ヤバい。これじゃまるで針のムシロだ。

 私は糸の切れたマリオネットみたいにすとんとシートに腰を落とし、湊の視線を避けようと深く俯いた。

 そのまま膝の上に両手をそろえてぐっと握りしめる。

 ああ、やっぱり言わなきゃ良かった。

 ほとんど半泣きでそう後悔し始めた頃になって、それまで宙をさまよっていた湊の視線が再び私にぴたりと据えられる。

「…あのさ」

「ごめん! やっぱり今のナシ。忘れて!」

「なんで?」

「だって、おかしいでしょ? 何億年も前の宇宙人の探査機だなんて一体誰が信じるんだって話で…」

「いや、それはいいんだ」

「へ?」

 まるで当然のことのように肯定されて逆に驚く。

「どうして香帆の話を疑う必要がある? 逆に、今の話でようやくここ最近の出来事が腑に落ちたよ」

「どういうこと?」

 湊は無精ひげでじゃりじゃりするあごをこすりながら首をひねると、

「金星での発熱の原因はこの前と同じ、MMIプロセッサーの過負荷だったんだな。想定をはるかに超えた大量のデータが君のMMIを経由して流れ込んだんだ。無理もない」そう、一人で勝手に納得してうんうんと頷く。

「不正コマンドも、最初から流入したデータとワンセットだったと考えた方が無理がない。全体の転送が終わるまで接続が切れないように保険をかけたんだろうな」

「え? え?」

 話が全然見えない。

「そうか-。しかし参ったな。あのデータの塊は異星の監視装置に憑依していた超古代のAI、いや、人工人格って言うべきか。それがアルディオーネのストレージに…」

「湊?」

 首をかしげる私に、湊は苦笑しながら言う。

「香帆、君は風化して崩壊寸前だった異星のマシンから情報体をサルベージしたんだよ!」

「私、そんな事やってないよ!」

「ああ、もちろん君が意図したわけじゃなくて、間違いなく向こうの仕込みだと思うけどね」

 言いながらデータパッドにサラサラと箇条書きのメモを書き留め、こちらに向けて一番上の行を指差した。

「まず最初、ここは俺の想像だけど、ヤツは我々の通信を傍受して、我々に高速のネットワークと自分が収まるサイズのストレージがある事を知ったんだ」

「うん?」

「次に、接近してきた潜航艇に向けて発光信号を送る。そうやってこっちが全波長センサーを展開するように仕向けると、赤外線から電波帯域まで、あらゆる波長帯にコンバートした自分自身のデータを潜航艇の感覚フィードバックシステムに送りつける」

「へ?」

「外部からのクラッキングじゃないことは愛宕一尉のチームが確認済みだ。となれば、別の手段で我々のネットワークに入り込まないといけないだろ。まさか環境センサーを使うとはなあ。偽装されたら疑いようがないよ」

 湊はあきれたように言うとシートにドサリと倒れ込んだ。だけど、その言葉とは裏腹に表情は妙に嬉しそうだ。

「でもって、データが途中で分断しないようにシステム全体をロックすると、自分の本体データを君のMMインターフェース経由でアルディオーネのストレージに猛スピードで転送した。君がアルディオーネとやり取りする細々としたデータは転送の邪魔なんだろうな。だから君は一時的に眠らされた」

「ええっ? ちょ、ちょっと待って」

 常識を超えた湊の説明に、私の理解力はまったく追いつかない。

「だって、ヤツは”間に合って良かった”って言ったんだろ?」

「うん、言った」

「自分の物理構造が崩壊寸前だとも」

「確かに、それらしい事は言ってたね」

「じゃあ、何が間に合ったんだ? それに、コンタクトの成立する相手と巡り会えて幸運だと喜んだくせに、その後なんの呼びかけもない。言ってることが変じゃないか」

「確かに、考えてみればそうね」

「ヤツはコンタクトを継続したくても出来ない状況にある。恐らくオリジナルの監視装置は言ったとおり崩壊したんだろうな。では、ヤツは一体どこに逃げ込んだ?」

 首をひねる私に、湊は身を乗り出してまくし立てる

「さて、ところで、今ここに正体不明の巨大なデータがあり、香帆のMMI経由以外のアクセスはすべて拒否されている。では、君の脳活動パターンが鍵に使われている理由は何だ? 当然何らかの方法でスキャンされたと考えるしかない。でも君はあの事故以来ネットワークにもアルディオーネにもアクセスしていない。チャンスはあの時しかなかったはずだ」

「あー!」

「まあ、かなり飛躍した推測だけど、当たらずとも遠からずだと思うよ。人工人格が丸ごとコピーされているかどうかはともかく、君のアクセスをじっと待っている」

「どうしよう?」

 予想だにしない事態に巻き込まれてうろたえる私。

「どうするかなあ」

 一方、難問を突きつけられたくせに湊は妙に生き生きとしている。

「司令に話した方がいい? ずいぶん悩んだんだけど答えが出なくて…」

「いや、香帆が不用意に話さなかったのは正解だよ。プロジェクトチームはすべての情報を一般に開示する方針だ。せめて、きちんと確認が取れるまでこの話は外に出したくない」

「でも、もし本当に異星のAIとのコンタクトだとすれば、いつまでも黙っておくのは…」

「そうだな。確かに早いほうがいい。香帆、今時間あるか?」

「え?」

 慌てて左腕のスマートウォッチを確認する。時刻はコロニー時間午前六時五分前。

「日勤のスタッフが出てくるまでもう少しある。今のうちにデータの展開だけでも試してみようか」

「えー、危険じゃないかな?」

「なぜ? 危害を加えるならチャンスはいくらでもあった。ヤツがその気なら、今頃香帆はとっくに精神を乗っ取られてゾンビになっているよ」

 私は背筋に氷を入れられたようにぞっとした。

「大丈夫。俺がサポートする。香帆は鍵だけ開けたらさっさとログアウトしろ」

「どうだろう、出来るかな?」

「それに、今回のヤツのやり方はこれまでの異星船のやり口と共通した印象がある」

「共通って、どんな?」

 湊はMMインターフェースを起動しながらニヤリと笑う。

「ああ、やり口が回りくどくてふざけてる。辻本司令がいかにもやりそうな事ってことさ」



---To be continued---

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