融合

「いいか、手順をもう一度確認するぞ」

 私が小さく頷くのを確認して、湊は空中に表示したコンソールパネルに指を這わせる。

 メインディスプレイに概念図が表示され、標的になる巨大データが画面一杯の赤い丸で描かれた。

 一方、私たちは画面の端っこにあるグリーンの丸から伸びる細いパイプと、その中を突き進む緑色の槍だ。

 最後までグリーンでいられるか? それとも汚染されて赤く染まってしまうのか。

 私はだんだんドキドキしてきた。

「最初のアクセスで香帆の脳活動パターンを認識したら、多分その瞬間に自己展開が始まると思う。とにかく、少しでも反応があったら君は一端引いて、トンネルソケットの維持だけに専念してほしい。そこから先は俺がコンタクトする」

「危険はない? 本当に断言できる?」

 私は首筋に埋め込まれた強制イジェクターのわずかなふくらみをなでながら念を押す。

 このアタッチメントは金星の事故を教訓に開発された、MMインターフェースを瞬時に物理的に切り離し、強制切断のダメージから本人の脳と肉体を守るための安全装置だ。私と湊のMMIプロセッサー交換に伴って新たに装備された。

「大丈夫、さっきも言ったろ。君の方が俺より圧倒的にネットワークスキルは上だ」

「まあ」

「多分無いとは思うけど、万一向こうが不穏な動きを見せたときは、ものごとをなるべく広く俯瞰できる立場に居た方が対応しやすい。切り込み部隊は任せとけ!」

「確かにそうなんだけど…」

 この急ごしらえの計画は大ざっぱで、かなり出たとこ任せの部分が多い。

 認証をパスして相手が接続を許可したら、私自身の意識はこのバーチャルコクピットまで退き、インターフェースは湊がアクセスするための回線トンネルを維持するだけに使う。そのまま感染を監視し、万一の場合は、繋がっている湊の意識ごと斬る形でネットワークをシャットダウンするのが私の役目だ。

 イジェクターが守ってくれるとはいえ、湊の精神にどんなダメージが及ぶかは試してみないとわからない。

 加えて、相手がどのレイヤーからどんなプロトコルでこちらに侵入してくるかは想像すらできない。念のためアルディオーネの操縦系統とエンジン制御系、それに外部通信系は光ケーブルそのものを物理的に切り離してある。

 今の操船支援AIは、規模こそ巡洋艦レベルだけど、バーチャルコクピットを維持する孤立型スタンドアローンのコンピューターに過ぎない。万一情報汚染されるとしても、被害を被るのはアルディオーネだけだ。

 いや、最悪の場合、湊の脳も。

「気になるのは、相手の展開容量がウチのストレージを食いつぶしてしまわないかって事なんだけどね」

 私がどれだけ彼のことを心配しているのかなんて気がつきもしない。なんだか脳天気な事を言っている。

 彼は、このコンタクトが失敗するなんて事はひとかけらも考えていないらしい。

 私は聞こえないように小さくため息をつく。

 自分のスキルと自分が生み出した船に対する卑屈なまでの自信のなさと、こういう想定外のアクシデントに向かうときの妙な楽観が彼の中でどう両立しているのか、いまだに謎だ。時々頭の中を開いて覗いてみたくなる。

「おーい香帆、聞いてる?」

「あー、はいはい。準備完了」

 ついぼんやりしてしまった。改めて気持ちを引き締め、合図を待つ。

「じゃあ行こうか、香帆。しっかり守ってくれ。信用してる」

 ずるいなあ。私はちょっとだけ感動し、残りの大部分呆れながらカウントダウンを待つ。

「いくよ、五秒後にコンタクト開始、では、ゴー!」

 私がこじ開けた孤立回線を湊が突っ走り、先方のアクセスポートに予告なく突っ込んだ。だが、先方に動揺はなく、今の所こちらへの侵入もない。

 アクセスは予想されたうち、もっとも平和な形で進行中だ。

 と、すぐに展開が始まった。私はストレージの空き容量を確認しながら、その数字が猛烈な勢いで減っていくのをいくばくかの驚きと恐れを感じながら見守る。



『おや?』

 コンタクトはそんな第一声から再開された。

『想定された再コンタクトとはかなり状況が違います。第一接触者は、ああ、どうやらこの接触をモニターしているのですね』

「そんなことまで知覚できるのか?」

 呆れたように言う湊。私も驚いた。

 湊は精神汚染の危険性をできるだけ減らすために音声ポートだけのアクセスを試している。私は彼のわずかな表情の変化も見逃さまいとその姿をじっと見つめる。

 メインスクリーンに映し出されたグラフィックは今のところ赤とグリーンがきっちり分かれたままだ。

『あなた方の記憶媒体は、隣接するコアからの光子漏出を完全に遮断できていません。詳細な情報の再構築は困難ですが、状況を推定できるだけのデータは周囲のコアの情報変化から十分に入手できます』

「困ったな。最初から歯が立つレベルのAIじゃないぞ、これは…」

 湊が頭をかく。

『ところで第二接触者よ、私はあなた方にある提案をしたいのですが』

「…どうぞ」

 儀礼的なあいさつを一切省略して、いきなり用件から入るあたりがいかにもAIっぽい。あの湊が押され気味だ。

『あなた方の目的と、私の任務が一致するであろう事項について、助力を要望します』

「我々のメリットは? そもそもこれは対等な交渉になり得るのか?」

 湊はすかさず強気に押し返すが、相手も即答で切り返す。

『私は、純粋情報体であり、物理構造に依存せずになんらの機能を果たすこともできません。バランスの悪い提案であり、拒否される可能性が高いことも当然検討済みです』

「ほう、仮に、拒否したらどうなる?」

『その場合、私は速やかに自己解体処理を行い、この世界から完全に消滅します。第二接触者はそれを望みますか?』

「気が短いな。まだ何も言ってないし。それに、おまえほどの性能があればこの船をこっそり乗っ取ることくらい簡単じゃないのか?」

『考慮に値しません。この恒星系を実質支配する生命体を敵に回すメリットを見い出せません』

「へえ」

 やばいなあ。

 私は湊の好奇心が本格的に燃え上がった事を確信した。

 彼はドロドロした人間関係や腹の探り合いが苦手で、反面こういう率直な本音のぶつけ合いを好むところがある。

 まずは予備調査のつもりでいたはずなのに、きっとそんな事、とうの昔に忘れている。

「要望を聞こうか」

『私は第一接触者から、あなた方がかつてこの恒星系に侵入した移動体を追尾したとの情報を得ました。第二接触者もその場に同行しましたね?』

「なぜ知っている?」

『やりとりの際、第一接触者の想起したイメージから推測しました』

 私は思わず舌を巻いた。この異星のAIには最初っからどんな隠し事も不可能らしい。

『私は現在、移動体との関連が疑われる第五惑星の未確認物体に重大な関心を持っています。私に解析可能なプロトコルが用いられており、かつてこの星系に私を配置した存在の関与が予測されます』

「ふうん」

 湊は少し考えると、言葉を慎重に選びながら改めて問いかける。

「つまりおまえは、木星の異星船とのコンタクトを望むのか?」

『肯定。あなた方は第五惑星表面への降下を企画していますね。その場へ私を伴っていただくよう要望します』

「この船が直接木星に潜る事はない。それは実現不可能な要求だ」

『理解しています。この船の支援を受け、第一接触者の操作する小型船が降下する。違いますか?』

 そんな事、一言も言ってないのに。

 あの時の状況と、わずかなやり取りだけでそこまで推測したと言うのだろうか。私は改めて驚嘆した。

 何だかさっきから驚いてばかりだ。

「参った。いいよ、言ってみな。具体的にどうしたい?」

「ちょっと湊!」

『はい。この船にはすでに初歩的な人工知能が搭載されていますね? 私にそれと融合する許可を。加えて小型船が第五惑星に降下の際、私に利用可能な回線容量の貸与と、外部センサーへのアクセスを許可していただきたい』

「つまり、この船の一部となってサルベージに参加したいと」

『肯定』

「AIとの融合を望む理由は?」

『残念ながらこの船の記憶媒体は逼迫しています。類似の機能はこの際、不要と考えます』

「その場合、おまえ自身がこの船に拘束される事になる。それでもいいのか?」

『肯定。私の任務は、これまでの長年に渡る観測記録を、私を製造し、この恒星系に配置した存在に遺漏なく引き渡す事。すべてはそのために必要な手段と認識しています』

 湊はふうとため息をついた。私も、いつの間にか息を詰めて見守っていたことに気づいて大きく深呼吸する。

「俺は、おまえがこの船を足がかりに他の船やAIを汚染し、我々のコントロールを受け付けなくなる事を恐れている。それについてどう思う?」

「ちょ! 湊! そんな身も蓋もない質問をしてどうするのよ?」

 私は呆気に取られた。一体誰が、疑っている相手に直接「こんな風に疑ってるけどどう思う?」なんて聞くだろうか?

 …いや、ここにいるな、一人。

『懸念は理解できますが的外れです。私はそもそもその様な任務を帯びておらず、またその様な行為が何を目的になされるものか、理解できません』

 湊はそれを聞いて晴れやかに笑った。

 この笑顔は知ってる。何かとんでもない決心をした時の表情だ。

 ああ、これはもう、止められない。

「おまえの要求を受け入れてもいい。俺たちの目的とも一致する。ただし、当面この船から外には出るな。俺が責任を持って擁護できるのは今の所この船だけだ。容認するか?」

『肯定。協力に感謝します、第二接触者』

 あーあ、やっぱり。

「その堅苦しい呼び方はやめてくれ。俺は湊、あの子は香帆。で、お前をなんと呼べばいい?」

『わかりました、湊。私は同型機の八番目として製造されました。識別符号は…』

 しばらく黙り込み、

『あなた方の言語では、Θシータと呼ぶのが適当でしょうか?』

「わかった、シータ、よろしくな」

『こちらこそ。湊、香帆』



 結局最後まで、心配していた私達への精神汚染はなくコンタクトは終わった。

 湊はいったんログオフして物理的に切り離していた各機能を順番に回復させ、改めてバーチャルコクピットに戻って来た。 

 彼が現実空間で作業をしている間に確認すると、さっきまでストレージを占領していたデータの塊はすっかり姿を消していた。そのかわり、メインシステムのプログラムサイズが五倍以上に肥大化し、まだ最適化が進行中なのか、容量が細かく増えたり減ったりしている。どうやら、異星のAIはアルディオーネのメインフレームに本当に融合してしまったものらしい。

「本当にもう! 取り返しがつかないよ!」

「大丈夫、潜航艇から取り外したストレージが余ってたから、アルディオーネに積み込んだ。あれだってAIを搭載してたからそれなりの容量はあるよ。当分は保つだろ」

「あのねえ、そういう話じゃないんだけど」

 私はひと睨みするとイライラとシステムをリブートし、セルフチェックプログラムを走らせる。

「あれ?」

「どうかしたか?」

 そう尋ねながら操縦システムの点検を始めた湊も、途中からしきりに首をひねっている。

「シータ!」

『何でしょうか? 湊』

「何をした?」

『はい、融合の過程でシステムの冗長な部分を整理、重複した機能は統合しました。機能は一切損なっていないはずですが、何か不都合がありますか?』

「…いや、不都合はない、けど」

 そう。不都合どころか、ほとんど別物と言っていい反応速度レスポンスだ。一言で言うと、爆速。

 私は胸の奥にメラメラと対抗心が湧き上がってくるのを自覚した。

 アルディオーネのバーチャルコクピットシステムは、かつて私がアローラム用にカスタムして搭載した操船システムをベースに、VR拡張機能を加えたものだ。

 最近は潜航艇の専任になってプログラムから離れてしまったけど、湊の船のクセを理解しているのは自分が一番だと、今、この瞬間まで確信していた。

 だけど。

 良くも悪くも人間離れ、かつて異星船と似た設計思想だと評価された湊の船には、やっぱり異星のAIの方がフィットするのだろうか。

 そんな事をついグジグジと考えてしまった私は、ログインしてきた陶子さんの表情に気づくのが一瞬遅れた。

「船長! 香帆ちゃん!」

 叫ぶように言うその顔は恐怖にゆがんでいる。ただならぬ気配に腰を浮かしかけた時、外部からの着信を示すインジケーターが点滅を始めた。

「一体どう…?」

『アルディオーネ、湊さん、香帆ちゃん、二人はそこに揃ってますか?』

 久美子さんの声だ。彼女らしからぬ切羽詰まった硬い声に気づいて湊が眉をしかめる。

『敵襲です。標的はサンライズ7コロニー、安曇本家!』

「なんだって!」


---To be continued---

 




 

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