テロル

「一体どういう事ですか! 状況を!」

 湊が、多分本能的にアルディオーネの発進手順を開始しながら怒鳴った。

『監視チームからの報告です。サンライズ7コロニー内に有人ドローンが侵入、侵入経路不明、人数不明、再開発エリアの資材置場から突然浮上したそうです。武装の可能性大、現在安曇本家から八キロ地点!』

「迎撃は!?」

『安曇家は正直盲点でした。NaRDOの駐留部隊と共に向かっていますが、とても間に合いそうにありませんっ!』

 装甲エレカの甲高いモーター音に負けないように声を張りあげる久美子さん。その声には隠しきれない悔しさがにじんでいる。

「香帆」

「はい!」

 突然呼ばれて私も思わずぐっと背筋を伸ばす。静かな声だけど、硬く、こわばっていて、いつもの湊より迫力があるというか…。

 なんだか、怖い。

「ドック内に減圧警報を出して!」

「あ、はい!」

「陶子」

「え、ええ?」

「とりあえず座って。本家には今誰が?」

「はい、あの、あの…」

 陶子さんのふらつく体を素早く支え、シートに横たえると、湊はさっきよりいくらか優しい声で元気づける。

「大丈夫。必ず助けるから。家には今、誰がいる?」

「ええ、あの」

 ようやく一息ついた陶子さんは大きくつばを飲み込みながら胸に手を添えた。

「両親は不在です。地球で急なご葬儀があるとかでつい今しがた外出しました。後は使用人が数名と、私だけです」

「君も、今のうちどこかに隠れられないか?」

「無理ですよっ!」

 陶子さんは悲鳴を上げた。

「私は部屋から出られません! そんな事よくご存知じゃないですかっ!」

 そうなのだ。

 バーチャル環境で水を得た魚のように生き生きと仕事をする陶子さんを見ているとつい忘れそうになるけど、現実世界リアルの彼女は生命維持装置なしには息をすることすら困難で、MMインターフェースがなければ意志の疎通も出来ない。

 隠れるどころか、自力ではベッドからただの一歩だって離れる事は出来ないだろう。

「悪い。何か備えがあるかと思っただけなんだ」

 湊がしゅんと頭を下げた。

「ところで家の皆はこの事を?」

「知らせました。でも…」

 ようやく落ち着きを取り戻した陶子さんはそれきり俯いた。

「…最後まで家を守ると。無理しないで欲しいのですが…」

 気がつくとアクセス要求ランプが点滅していた。外部からの通信だ。

『あー、辻本だ。アルディオーネはすぐに出られるのか?』

 司令は詳細をすっ飛ばしていきなりそう聞いてきた。

「はい。ドック内のスタッフが退避でき次第、出港します」

 湊はドック内のカメラ映像を手早く切り替えて確認しながらきびきびと答える。

 オレンジ色のパトライトがまばゆく点滅を繰り返す中、最後まで爆睡していた艤装担当の男性エンジニアが飛び起き、慌ててエアロックに飛び込んで行く後ろ姿を最後に、ドック内は無人になった。

『敵は四名から五名。全員が武装している模様だ。警察にも協力を依頼したが…』

「湊! ドック内オールクリア! 全員退避完了したよ!」

「司令、アルディオーネ出します! ゲート開放!」

「了解」

 いつもなら、大事な空気はきちんと真空になるまで回収するのがセオリーだけど、今はそれどころじゃない。

 時間の方がその何倍も貴重だ。

 ゲートが開き始めた途端、まるでセイレーンの歌声のような甲高いうなりと共に残っていた空気が吸い出され、突風となってドック内を吹き抜ける。作業台やボードに置きっぱなしになっていたメモ用紙の類が紙吹雪のように暗い宇宙空間に舞い、ドック内の照明を受けてキラキラと輝く。

「ロック解除、アルディオーネ離床、微速前進!」

 ガチャリと激しい音を立てて固定フックが解除されると、アルディオーネの真っ白い船体は音もなくフワリと浮き上がる。船尾スラスターが一瞬ぱっと閃き、船体はゆっくりと前進を始めた。

「どうするの? 普通に宇宙港に入っても追い付けないよね?」

 私は浮かんだ疑問をそのまま声に出す。

「ああ、入港待ちの時間が惜しい」

 湊も同じ考えだったらしい。

「他の進入経路は?」

 サンライズ7のマップをスクリーンに表示しながら司令に尋ねている。

『ああ、残念ながら安曇本家のある街区は宇宙港からじゃ距離がありすぎる。コロニーの外殻から直接内部にアクセス可能なルートを薫が探ってる』

「って、何で鷹野さんがそんな事ご存知…」

「どーも~!」

 噂をすれば何とやら、困惑する私たちの目の前に、鷹野さんが飛び込むようにログインしてきた。

「前にねぇ、ちょっとした因縁でコロニーの地下空間に詳しくなっちゃったのよ」

「地下って? 確かコロニーの地面の下には何重もの分厚い宇宙線防御層があって…」

「ま、その辺の事情は知らない方がいいかもねー」

 ニヤニヤしながら右手の人差し指を立てて左右に振る。

「それより湊くん、サンライズ7の回転速度に同期、第二区第三シリンダーの外殻に取り付いてちょうだい」

「…ずいぶん簡単にむちゃを言いますね」

 難しいオペレーションを、まるでファミレスでオーダーでもするように軽ーく口にする鷹野さんに顔をしかめながら、湊は隣接するサンライズ7コロニーに向かって全速で突進する。

 ほどなく、漆黒の宇宙空間にはバドミントンのシャトルにも似た、銀色に輝く物体が見えてきた。

 宇宙空間では空気によるかすみがないので距離感が掴みづらく、その巨大さはなかなか実感しにくい。

 でも、実際のサンライズ7コロニーは、直径約二キロ、長さは二〇キロにも及ぶ巨大な円筒建造物だ。

 超巨大な金属円筒の内壁に陸地が設けられ、それぞれの陸地は太陽光を取り入れる窓で縦に三分割されている。

 また、宇宙港は常に太陽方向に向いていて、それぞれの窓に取り付けられた反射鏡もそちらの方向に、まるで花びらのように開いている。

「ドローンが屋上に着陸したみたい。外から銃の音が聞こえる!」

 陶子さんが叫ぶ。

 安曇家の屋上は小型の有人ドローン程度なら十分着陸できるだけの広さがある。

 でも今回はそれが災いした。

 地上からなら防犯を意識した丈夫な塀が多少は侵入の妨げになっただろうけど、まさかいきなり屋上から突入されるなんて、普通の人は考えない。

 屋上扉が突破され、賊の侵入を許すのも時間の問題だろう。

「湊!まだ着かないの?」

「今やってる!」

 正面には、巨大な絶壁のようにコロニーの外殻が迫っている。

 遠くからではごくゆっくりした動きにしか見えないけど、直径で二キロを超える巨大な円筒が一時間に三十六回転という猛スピードで回っているのだ。対地速度は時速二五〇キロに迫る。

 さすがにここまで近づくと、その速度は誰もが恐怖を覚えるほど速い。刃物のように鈍く輝く太陽反射鏡が目の前をリニアトレイン並の猛スピードで音もなく横切り、思わず全身に鳥肌が立つ。

 そんな状況で、三分ごとに車両が行き来する地下鉄モノトラックの軌道までも慎重に避けながら、アルディオーネはゆっくりと相対速度をゼロに近づけていく。

「いや、さすがだね〜。私じゃこう、うまくは行かない」

 湊の繊細なスラスター操作を見守っていた鷹野さんが感心したように口笛を吹く。

「鷹野さん、前にもこんなムチャをやった経験があるんですか?」

 私は不思議に感じて思わず尋ねる。

「確か、宇宙港へのアプローチラインを逸脱したコロニーへの接近行為は法律違反ですよね?」

「乙女の秘密! 若気の至りってのは私にもあるのだよ」

 鷹野さんは一瞬だけ照れくさそうな笑みを浮かべると、次の瞬間には再びきりりと表情を引き締める。

「…と、湊くん、”0203A”という表記の作業用ハッチを探して!」

「作業ハッチ、ですか?」

「七号規格のメンテナンス用ハッチだからそれほど大きくはないはずだけど」

「了解」

 マルチスクリーンを睨んだままの湊が短く答える。その額には汗の粒がいくつも浮かんでいる。

「回転同期! さらに接近します」

 反射鏡の回転半径を超えて、アルディオーネはコロニーの外壁にさらに近づく。

 ここから先は、スラスターのほんのひと噴きのミスが即、命に関わる。

 何千トンという巨大な質量を持った回転鏡がまるでギロチンのようにアルディオーネの船体を断ち斬る瞬間を想像し、背中のゾクゾクがさっきから止まらない。

「鷹野さん、あれですかね?」

 湊の声と共に正面スクリーンに望遠画像が表示された。

 ミクロサイズの宇宙塵に叩かれてかすれた赤いペイント文字が、かろうじて”0203A”と読み取れた。そばには、一辺が一メートルほどの四角い作業用ハッチらしき物が見える。

「ビンゴ! なぜだか判んないけど、あのハッチはロックもされてないし、出入りしても気づかれないんだよね」

「何でそんなことまで…」

 あきれる私を無視して、鷹野さんは湊の座るシートの背もたれにかけた手にぐいと力を入れる。

「どこまで接近できる?」

「真上に着けますよ」

 張り詰めた表情とは裏腹に、自信たっぷりに請け合う湊。

 だが、その様子をすがるように見つめていた陶子さんが、突然絶望的な叫び声をあげる。

「船長! 侵入者が部屋に!」

 結局、軍も警察も間に合わなかったのだ。



『立てこもり犯の要求は次の通りだ。一つ、潜航艇とパイロットの即時引き渡し。二つ、NaRDOチームの異星船プロジェクトからの完全撤退。要求が聞き入れられない場合、残る人質三人を順に殺害する。回答期限は二十四時間』

 臨時の対策本部と化したアルディオーネのコクピット。

 メモを読み上げる辻本司令の顔色はひたすら冴えない。それもそのはず、つい今しがた安曇家の正門前には、以前私を案内してくれた小柄で柔らかな物腰のメイドさんが血まみれの物言わぬ姿で見せしめのように放り出されたばかりだ。

 要求文が太字の黒色マーカーで大書された便箋はエプロンドレスの胸ポケットに無造作に差し込まれていたらしい。

 死体はすぐ収容されたけど、要求文は黒く変色した血にぐっしょり染まり、文字の読み取りには数分を要したと聞く。

 今、安曇邸に捕らわれているのは陶子さんに加えてあのダンディな老執事と、クールな雰囲気をまとっていた長身のメイドさんのはずだ。

 だが、陶子さんの部屋を引っかき回していた犯人グループの男はすでに室外に去ったそうで、館の中がどうなっているのか、現時点ではまったく見当がつかない。

『外部に面した窓はすべて耐爆・防弾スクリーンでびっしり目張りされてしまいました。可視光はもちろん、赤外線スコープによる観測も、レーザー盗聴も不可能です』

「音響探査はどうです?」

『相手が動かないと解像度が極端に落ちるのよ。とりあえず、四階の陶子さんの部屋前に見張りらしき影が一名、後は一階に固まっていて人質の安否はもちろんテロリストの正確な人員配置もわからないわ』

「そっか、うーん」

 黙り込む湊の背後では、陶子さんがとめどなく涙をこぼし、声を立てずに泣き続けている。

 本当にいたたまれない。

 自分自身が人質であるだけでなく、こうして手詰まりの状況を嫌というほど見せつけられて。しかも、一番の当事者である彼女自身は、目の前で起きている事態に何一つ関与する事ができないのだ。

 ああ、そうか。

 私は今頃になってようやく悟った。

 これは…辛い。

 湊が、美和さんを失った時もきっとそうだったんだ。

「で、どうするんですか?」

『無論テロリストとは交渉しない。これは鉄則だ』

 司令は悩む素振りも見せず断言した。

 その言葉に陶子さんがビクリと肩をふるわせる。

「で、でも…」

『おい、テロリストが要求しているのは潜航艇と君の身柄だぞ? 君も当事者だという意識を持ってくれ』

 司令が私達にここまで厳しい表情を見せたのは初めてのような気がする。でも。

「心配するな、どうにかするから」

 エンジンを余熱状態アイドリングに設定した湊は、細かい制御をAIに委譲しながら私達に笑顔を見せた。

「さて、愛宕二尉、俺も合流します」

「えっ!」

 思わず大声が出た。

「当たり前だろ、どうにかするって言うのはそういうことだ」

「で、でも、相手は武器を持ってるし、ためらいなく人を…」

「大丈夫、これでもここ数年、射撃訓練は欠かしたことがない」

「って、湊、銃なんて撃てるの?」

 驚いた。

 湊と、武器のイメージがあまりにもかけ離れていたから。

「一応ね。外航船の船長には管轄する船内での警察権、司法権がある。加えて自衛のための武器所有は場所を問わず認められている」

「…今まで持っているのを見たことない」

「このあたりじゃあんまり必要性を感じなかったからな。でも、どうやらそうも行かなくなってきた。」

『大丈夫ですよ、香帆さん。湊さんは私達の訓練にも定期的に参加しています。射撃のセンスも悪くはありませんよ』

「でも…」

「香帆、俺はね、二度と失敗を繰り返したくない。トロイスで襲われたときも、俺が変なこだわりを持たずにちゃんと銃を携帯してれば君を危険な目に遭わせずに済んだ。この前のパンケーキ屋の時もそうだ。実は後でかなり後悔した」

 言いながら耐Gシートから立ち上がると、私の頭をくしゃりと撫でた。

「香帆、陶子、船を頼む。それから…シータ!」

『はい』

「あらゆる方法で二人を守れ、手段は問わない」

『了解しました』

 湊はその返事に満足そうに頷くと、次の瞬間その場からかき消えた。ログオフしたのだ。

 私は撫でられた頭に手をやる。バーチャルなのに、彼の手の暖かい感触は不思議といつまでも残った。


---To be continued---

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