喪失

『敵の人数が確定できてよかった。テロリストは六名! ドローンの定員が五名ですから、危うく読み違える所でした』

 久美子さんの声が静まりかえったコクピットに響く。

『となると、人質は恐らく一階の応接室か食堂にまとめて監禁されているのでしょう。犯人側は屋上の一人、陶子さんの部屋前の一名が既に確認済みです。加えて、人質の見張りに一名、そして会議室ここに三名』

『武装は?』

『メインアームは恐らくAKMのレプリカ、パルスガンなどの現代銃は見当たりませんね。サブアームは不明。腰にあるのは手榴弾でしょうか。 無線は…これもまたえらく旧式ですね。多分二十世紀末のアナログタイプです。ざっと映像を見る限り、ですが』

『で、どうする?』

 辻本司令の問いに少しだけ沈黙した久美子さんは、指折り数えるように言葉を区切りながら突入プランを説明する。

『まず、ダミーの突入部隊を会議室スクリーンに出現させます。敵の応戦を誘って地上の包囲部隊が威嚇発砲。隙をついて空挺部隊が屋上から進入、屋上と四階の見張りを無力化しながら下に向かいます』

『君は?』

『湊さんと合流し、敵が3Dディスプレイのからくりに気付いて気を抜いた瞬間に突入します。恐らくこの三人が司令塔コントロールタワーでしょう。包囲部隊の銃撃を受けて各部の見張りが指示を仰ぐはずです。できれば呼び寄せて、無力化します』

『成功確率は?』

『内部の状況を逐一こうして確認できますからね。十分行けると思います』

 張り詰めていた空気がその言葉で少しだけ緩んだ。

 だけど、私はそれよりも、モニターされたテロリストの話し声の向こうから切れ切れに聞こえるかすかな電子音が妙に気になった。

「あの!」

 解決の糸口が見えて、スクリーンの向こうにも同様に弛緩した空気が感じられる。そんな中で一人、異議を唱えるのにはかなり勇気が必要だった。

「ちょっといいですか!」

 全員の視線がさっと私に集まった。う~気後れする。

「かすかに聞こえませんか? 何かのアラームの様な…」

 背後で息をのむ気配。慌てて振り向くと真っ青な顔をして、両手で口を押さえている陶子さんの姿。

「どうしました?」

「パルスオキシメータ!」

「は?」

「酸素、血中酸素濃度のアラーム! 酸欠警報です!」



『突入準備を急がせます』

 久美子さんは固い声でそれだけ言い残すとスクリーンから姿を消した。

「陶子さん、体調は大丈夫ですか?」

「多少だるいような気はしますが、私は普段から自分の体の状態をほとんど感じることができないので…」

「アラームの原因は?」

「わかりません。いつもは看護師資格を持ったうちのメイドが見てくれるので」

「いずれにしても血中酸素が低い状態が長く続くのは良くない。脳に回復不可能なダメージが残る。最悪の場合、死を招くわ」

 鷹野さんの言葉に私は大きく頷いた。

 潜水艇パイロットの資格講習で、酸欠の危険は嫌になるほど何度も何度も叩き込まれた。最初に来るのは気だるさや眠気。次に来るのは激しい頭痛や吐き気。だけど、急速に進行する酸欠には自覚症状のないことも多い。いつの間にか意識を失い、そのまま死に至るケースもないわけではない。

「久美子! いつになったら突入できるの?」

 鷹野さんが厳しい表情でスクリーンを睨む。と、その最下部に文字が流れ始めた。

“湊:愛宕二尉と合流。発話できず。チャットモード。空挺部隊、間もなくスタンバイ。スクリーン投映用のダミー映像生成に時間が必要”

『香帆、シータです。ダミー映像は私が生成しますから、今すぐに突入の指示を出して下さい』

(生成に必要な情報は?)

『愛宕二尉の視覚情報にあった隊員の映像をベースにします』

(いいわ。じゃあ任せたわよ)

 シータとの内緒話はそこで切り上げ、大きく息を吸う。

「湊、久美子さん、スクリーンの方は私に任せて下さい! 一刻も速く突入を!」

“愛宕:了解。空挺部隊ドローン、目標到着次第、直接降下せよ”

 スクリーンには上空から見たコロニー内の様子がインサートカットで映し出された。もうすぐ安曇邸上空だ。

“湊:空挺ドローン到着と同時に作戦開始だ。香帆、任せた”

 湊も、久美子さんも、何のためらいも見せずに信じてくれた。それがちょっとだけ嬉しい。

 その間にも、空挺ドローンは安曇邸に接近する。ちょうど真上だ。

“愛宕:香帆ちゃん、ダミー突入! 空挺、降下せよ!”

 久美子さんの合図に合わせてシータに指示を出す。画面には何を見たのか、驚愕の表情を浮かべて銃を掴むテロリストの姿が映し出された。

 次の瞬間、テロリストのマシンガンが相次いで火を噴き、部屋中が硝煙で白く煙る。内装やスクリーンの破片らしき物体が火花と共に激しく飛び散り、ガンガンと轟音がとどろき渡る。だが、カメラもマイクも部屋中の壁に複数あるので、こちらの視界はほとんど失われずに済んだ。

 意味不明の叫び声を上げてひたすら銃を撃ちまくるテロリスト。

「何?」

『クルド語の様です。翻訳します』

 シータが介入し、すぐに日本語の合成音声に切り替わった。顔中髭面のリーダーらしき男が他の二人に怒鳴っている。

『やめろ! ただの映像だ! それより外の奴らに…』

 言葉を遮るように、地響きのような爆音が響き渡る。包囲部隊の放ったグレネードランチャーがガラスを突き破って邸内に着弾したらしい。爆風ではじけるようにドアが開き、全員が雷に打たれたようにビクリと体を震わせる。リーダーが怒鳴る。

『馬鹿野郎! 単純な陽動だ! ここはいい、人質を敵の前に引きずり出して、殺せ!』

 その言葉を受けて弾かれるように飛び出していく二人。直後にズンズンという衝撃音が響く。屋上に空挺部隊が降下したらしい。下半身に緩衝ダンパーを装着し、数百メートル上空からパラシュートなしで直接飛び降りてきたのだ。

『屋上制圧、了解!』

 辻本司令が誰かの報告を復唱してこちらに知らせてくれる。と、粉々になった3Dスクリーンの残骸を蹴破って、数人の兵士が会議室になだれ込んできた。湊たちだ。

 全員がヘルメットと防弾マスク姿で顔はまったくわからない。一人だけ戦闘服の代わりに真っ黒な与圧インナーと防弾ベストを身につけているのが湊だろう。彼は突入の勢いのままタタタッと三連射、一人残っていたリーダーらしき男の手からマシンガンがはじけ飛ぶ。次の瞬間、大柄な兵士の体当たりを受けたリーダーは壁に激突し、抵抗らしい抵抗も見せないままがっくりと崩れ落ちた。

『ここは任せて上に!』

 久美子さんの鋭い声。湊ともう一人、小柄な戦闘服姿が会議室を飛び出して行った。

 リーダーは残った隊員の手で後ろ手に拘束され、正座するような姿勢で脚も縛られ、その場に転がされた。

『会議室制圧!』

 一人その場に残った兵士はそう報告すると、正確にカメラの方向を向いてサムズアップした。

『湊だ。四階に、向かってる。人質は、包囲部隊が、確保したそうだ!』

 切れ切れの台詞と激しい息づかい。スクリーンは激しく揺れる湊の視覚映像に切り替わる。階段を駆け上がり、廊下を曲がるとそこにもテロリストが転がされ、ロボットのような空挺戦闘服姿の兵士が二名、のしかかるように捕縛していた。そのうちの一人が無言のまま小さく頷き、廊下の先を指さす。

 何種類ものアラームが競い合うように鳴り響いているのがはっきり聞こえる。

「お願い! 間に合って!」

 私は思わず両手を合わせる。湊は躊躇なくドアを蹴り破った。

 だが、最初に私達の目に入ったのは、まっすぐな線を描く心拍・心電モニターの画面だった。



『まだ間に合う!』

 湊はかぶっていた防弾マスクをむしり取り、サイドテーブルに置かれていた四角いトレイを裏返すと、陶子さんの体の下に強引にねじ込みながら叫ぶ。

『救急を手配して下さい!』

 久美子さんらしき兵士が頷くのを視界の端で確認しながら、陶子さんの体にかけられていたブランケットを剥ぎ取ってベッドの上に飛び乗り、身体の上に馬乗りになった。

『勝手に死ぬな!』

 叫びながら両手を重ね、陶子さんの胸の真ん中に叩きつけるように置くと全体重をかけてグイグイと圧迫し始めた。

『香帆! そっちの陶子は?!』

 リズミカルな動きは止めず、叫ぶように尋ねる湊。慌てて振り返ってみると、陶子さんはシートにくずおれるような姿勢で目を閉じていた。

「気を失っているみたい」

『呼びかけてくれ! まだ逝かせるな!』

「わかった!」

 私はナビシートを蹴って陶子さんの元に向かう。まるでちょっと居眠りをしているかのように柔らかな表情を浮かべた陶子さん。頬にはわずかに赤みがさし、一声かけさえすればすぐに目覚めそうにすら思える。

「陶子さん! 陶子さん! 起きて!」

 しかしどれだけ呼びかけても、彼女が再び目を開けることはなかった。



 駆けつけた救急隊の手によって汗だくの湊から心臓マッサージが引き継がれ、そのまま陶子さんはサンライズ7総合医療センターに運ばれた。でも、容態は改善することなく、同日夜、医師によって死亡が確認された。

 享年二十六歳。MMインターフェース装着者初の死亡例となった。



 事情を知り、地球から急遽引き返してきたご両親は、霊安室で陶子さんに付き添っていた湊に深々と頭を下げると、後は任せてくれと言って湊を開放した。

 その頃には事件を嗅ぎつけた記者たちが病院にも殺到していたけど、コロニー不正侵入の上に一般人が軍と一緒に突入作戦に参加したなどもってのほかで、もちろん絶対に見つかる訳には行かない。

 湊は救急隊の制服を借りると消防署に戻る救急車に便乗して病院を抜け出したそうで、アルディオーネに戻って来たのはもう夜明けが近い頃だった。

 それから再び、今度は正規に宇宙港に入港し、すぐそばのロングステイホテルに落ち着いた頃にはすっかり夜が明けていた。

 通夜が営まれるのは夕方からなのでまだ時間はある。本当なら少しでも睡眠を取るべきなのだけど、神経が昂ぶってしまって全く寝付けなかった。

 試しに湊を呼び出してみたらやっぱり同じ状態だったらしく、今はこうして宇宙港を見下ろすカフェで向かい合い、コーヒーを飲んでいる。



「陶子にとって、人生って何だったんだろうな」

 湊はいかにもまずそうなしかめっ面をしてコーヒーを流し込むと、ポツリとそう呟いた。

 小学生になったばかりでヤトゥーガのテロの犠牲となり、十数年を真っ暗な世界で孤独に暮らし、再び光のあたる世界に復帰したのもほんの束の間、またもヤトゥーガのテロのあおりで命を落とした。確かに、理不尽としか表現のしようがない。

 はあーっと大きなため息をつく湊。

 その目は寝不足のせいか、それとも別の理由からか、痛々しいほど真っ赤に充血している。

「もう誰も不幸にしない。そう誓ったはずなのにな」

 湊の言葉に、私まで胸が潰れそうな気持ちになる。

 彼の中では、これもまた、自分が招いた悲劇に分類されるのだろうか。そう思うと、キューっと切ない気持ちになった。

「陶子さんの寝顔はとても穏やかだったよ」

 私は、何とか彼を慰めようと、最後の瞬間を思い出しながら言う。

「まるで、ひなたぼっこをしながらうっかり居眠りをしちゃったみたいに、最後まで体は暖かくて、なんだかふんわり優しい感じで…」

 ああ、ちゃんと仲直りできないままになっちゃったな。

「…きっと、苦しまなかったと思う。せめて、最後は安らかに眠れたことを、幸いに思いたい…」

 私の手の中で、七色のピクセルに分解されてすうっと消えていった彼女の表情は、ひどく満ち足りているように見えた。

「香帆、泣くな」

 気がつくと、正面に座る湊の顔が滲み、頬が熱かった。

 湊が私の隣に移り、肩を抱かれた瞬間、涙がポロポロと溢れるのをどうしても抑えることができなかった。



---To be continued---

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