プレ・ドライブ

Reboot

 ドックへ戻った私達に、休息の時間は与えられなかった。

 もしかしたらこれも、陶子さんのことを思い出させないための、辻本司令なりの思いやりだったかも知れないけれど。

 ともかく、この日から怒涛の出港準備が始まった。

 エンジニアスタッフ総出で慌ただしく潜航艇がアルディオーネに連結だっこされ、連絡艇ランチで続々と持ち込まれる補給物資の積み込み作業にも湊と手分けして立ち会う。

 その間にも、私たちは鷹野さんの差し向けた取材クルーのカメラに連日付きまとわれた。

 さらにその上、サルベージ作業の完了後にじっくり行う予定だった潜航艇の耐宙性能データ収集までもが、なぜかこの時期に前倒しされた。

 潜航艇はプロジェクト終了後にファインセラムで製品化される予定なので、一品物の宇宙機とは違って量産開始前に耐宙証明の取得義務がある。

 それはまあ、わかる。

 義父ちちだってそのくらいの見返りがなければこんな大バクチに投資してくれる事もなかっただろうし。

 ただ、このクソ忙しいタイミングでなぜ司令がそれを言い出すのか。スタッフ一同呆れて開いた口がふさがらなかった事も事実だ。

 意外にも湊は「ああ、また…」とため息をついただけで済ませたけど、エンジニア連中はそう簡単におさまらない。そろって文句たらたらだった。

 私? 目的は理解できるし、テストで性能を確認しておく事で間違いなく私自身の生存確率が何パーセントか上積みされるのは個人的にうれしい。

 あるいはチェックリストを上から潰すので精一杯、考える余裕はなかっただけだったかもしれないけど。

 それでも、ひとつどうしても気にかかる事がある。

「ねえ、最近、司令はなんだか焦ってない?」

 項目が多すぎて無限ループ臭がプンプン漂うシステムチェックをこなしながら、隣で作業に付き合ってくれている湊にグチる。

「そうだなあ」

 湊は手を止めて首をひねり、眉がしらをつまむようにマッサージしながらドックの高い天井を睨む。

「確かにね。ヤトゥーガの一件が片付いたら多少落ち着くと思ったんだけど、むしろ加速しているような気がする…」

 そのまま思案げな表情を見せる。

 このところ、忙しさにかまけてほとんどニュースに目を通せていないけど、陶子さんの一件に端を発した大激震で、今回の事件の主犯だったミクラス社だけでなく、実質親会社のヤトゥーガコンツェルンの解体までもがほとんど確定的と聞く。事件に関わった疑いで経営陣のほとんどが逮捕、起訴されただけでなく、これまで永年にわたって太陽系のあちこちでやらかしてきた不法行為が一気に表面化したのが大きかった。

 逆に言うと、これまではそのほとんどが闇から闇に葬られていたわけだ。世界中の宇宙開発機関にどこまでも深く食い込んでいたヤトゥーガの計り知れない影響力に思わず身震いがする。

「ヤトゥーガが本格的に犯罪行為に手を染めたのは、ちょうど司令が火星に赴任した頃かららしいね。その後一度はおとなしくなったらしいけど、司令曰く、いつの間にかより深く各国の上層部に食い込んでいった」

「どうやって?」

「さあ? どうしてなんだろう。すぐに思いつくのは金の力だけど、成り上がりのベンチャー企業ならともかく、会社が大きくなるにつれて、普通その手の荒技はだんだんと使わなくなるもんなんだよね」

「どうして?」

「社会的な影響力が増せばまっとうな方法でも十分目的を果たせるようになるし、身ぎれいにしておかないと何かあったときのダメージが大きすぎる。おまけに組織の成長は頭打ちになる」

「それってつまり…」

「そう。世の中には思ったより善良な人が多いって事。自分から進んでいかがわしい噂のある組織に身を投じようとする人はいないだろ」

「その割にヤトゥーガの上層部には狂信的な人が多かったみたいだけど?」

「うーん。それなんだよなあ」

 湊はそのまま黙り込んだ。

 ネット配信されているニュース映像で何度も見た光景を思い出す。逮捕前、インタビューに応じたヤトゥーガ幹部達の口ぶりは恐ろしいほど似通っていた。しかも、犯罪に手を染めていることを恥じるどころか、自分たちのやっていることは正義だと完全に信じ込んでいて、なぜ非難されるのか理解が出来ないといった驚きの表情を見せるところまでそっくりだった。

「なんだか、カルト宗教の信者みたいに見えなかったか?」

「う、うーん」

 今度は私が唸る番だった。

 確かに、彼らの様子は新興宗教の信者のようにも見える。でも…

「その場合、強烈なカリスマを持つ教祖リーダーが必要だよね? でもヤトゥーガの意思決定はグループ各社幹部の合議制で、突出したリーダーはいないって…」

「それ、本当なのかな?」

 湊は疑わしげに眉をしかめた。

「これは俺の個人的な印象だけど…」

 そう前置きをして湊はささやくような声で続ける。

「本当のリーダーはどこかに潜んている、かも知れない。太陽系は広い。その気になればいくらでも姿を隠せる」

「…やだなあ」

 私はきゅっと眉をしかめた。

「その言い方だとこの先まだボスキャラが控えているように聞こえるけど」

 茶化す私に湊はひどく真面目な表情を向ける。

「俺はその可能性もあり得ると思う。案外どこか辺境の小惑星に秘密のアジトがあるのかも」

 いやいや、まさか。私は顔の前で右手をパタパタと振ってみせる。

「さすがにそれはネットドラマの見過ぎじゃない?」

「取り越し苦労だといいんだけど」

「いやいや、そんなまどろっこしいやり方じゃあトップの指示がきちんと末端まで行き届かないでしょ?。これが犯罪集団ならなおさら、時には無理矢理に言うことを聞かせる必要も…」

「異星人のオーバーテクノロジーがあるだろう」

 湊は事もなげに答える。

「我々が発掘して原理もわからず使っている通信デバイスだって、距離に関係なくタイムラグはゼロに近い。初期のヤトゥーガは辺境の資源開発に特化した組織だったって聞いているし、過去にどこかで大量のオーパーツを発掘した可能性だってあるんじゃないか?」

「!」

 そこまでは思いつかなかった。というか、何でそんな変な事を思いつくの?

「まさか、司令が焦っているのはボス戦の可能性を見越しているから?」

 湊は手を止めると、小さく首をひねりながら首筋をポリポリと掻く。

「さあ、あの人の本音はわからないけど、余計な横槍が入らないうちに一気に事を進めようとしている感はあるな」

「え~」

 私は不平の声をあげる。これ以上事態が複雑になったらさすがについて行けない。でも、湊はなんだか確信を深めたように小さく頷くと私に向き直った。

「俺、元々は辺境専門の運び屋だったろう?」

「うん?」

「実は、外惑星航路で何度か不思議な光景を目撃したことがあるんだ。どう計算してもどこにもたどり着けないはずの航路を、正体不明の大船団が整然と航行して行くのを…」

「何それ? もしかして幽霊艦隊!?」

 私も聞いたことだけはある。宇宙船ふな乗りの間でまことしやかに噂される怪談話のたぐいだと思っていた。

「そう、こちらがいくら呼びかけても一切何も答えない。真っ黒に塗り込められた船体には義務づけられているはずの標識灯や船名表示もなく、トランスポンダも発信されていない。それどころか、港に戻ってその事を報告した船乗りは、その後決まって行方不明になるという…」

 背筋に冷たいものが走る。もし、その話がただの怪談話じゃなかったとすれば、目撃した船乗り達は…

 湊は無言で頷いた。

「もう少しだけ妄想を膨らませば、俺達が便利に使っているMMインターフェースだって、もし悪用されればこれほど洗脳に最適な仕組みはないと思うよ。頭の中に直接自分の声を届けることが出来るんだ。しかも、生命維持に欠かせない脳幹にだって回路は通じている。一度アクセスコードを握られてしまえば、どこにいても命令を拒む事なんてできない。拒んだ瞬間に抹殺される危険性すら…」

「まさか!」

 私は叫んだ。

 ニュース映像で見る限り、ヤトゥーガの幹部達のうなじにMMインターフェースは見当たらなかった。でも、私達が知らないだけで別の仕組みがあるのかも。確かめようはないけど。

「最先端テクノロジーって言うヤツは常に二つの側面があるって事。彼らの側からしてみれば、我々だって悪しきコンピュータ技術テクノロジーに染まって人間性を放棄したサイボーグ。いや、もっと極端にコンピューターに操られたゾンビだと思っているかも知れない」

 私は、ヤトゥーガかれらが私たちを畸形ミュータントと呼ぶ意味を初めて真に理解した。彼らにとっては、私たちこそが悪しき怪物なんだ。



 なんだかテンションだだ下がりのまま本日の作業はお開きになった。

 湊は辻本司令に急ぎの用件だとかで呼びだされ、サンライズ7のNaRDO本部まで出かけていった。

 アルディオーネが改装中のため、ドックを離れるエンジニア向けに差し向けられたアローラムタイプの小型連絡艇ランチに同乗するらしい。

「そういえば、ここも寂しくなったなあ」

 一人きり、目の前の広々としたドックの様子を眺めながら思わずつぶやく。

 色んな作業が一気に押し寄せたおかげで一時はここもラッシュ時の地下鉄ホーム並に混雑していたけど、異星のAI、シータの処理能力はこんな所でも大いに役立った。

 無秩序に押し寄せるサプライの受け入れを整然とこなし、辻本司令に押しつけられた膨大な機能試験を的確にサポートしてくれた。

 テストの目的と測定器のパラメータを伝えるだけで、装置の校正、膨大な測定データの記録、集計からログの解析作業までほとんどフルオートでこなしてくれる。試験員は再テストの必要性がほとんど生じない美しいログデータを絶賛し、あまりにも作業がサクサク進むので逆に心配になるほどだった。

 何日もしないうちに、実際に潜ってみなくては分からない機能を除き、試験項目の大部分でそれなりに信頼できるデータが揃い始め、混乱の極みにあったドックは熱が冷めるようにすうっと落ち着きを取り戻した。



「安曇さん、今、よろしいですか?」

 不意に背後から声をかけられて慌てて振り向いてみると、田村製作所の中津氏が立っていた。

「あ、はい。湊なら今ちょっと出かけ…」

 慌てて返事を返す。

「いえ、あなたにです。お別れのご挨拶を、と思いまして」

 そう言いながら、名残惜しそうな表情を浮かべつつ右手を差し出す。

「私も明日の船でいよいよ地球に戻る事になりました」

 彼はまぶしそうに私を見つめながら言った。

「ご一緒にプロジェクトに参加できて本当に良かった。あとは皆さんが首尾良く異星船を捕まえられることを祈ってます」

 中津氏は そのまま思いがけない力強さでぐいと私の右手を握りしめ、照れくさそうに笑う。

「実を言うと、私、宇宙造船業界で今や伝説の“トロイスの魔女”と貴女あなたが同一人物だなんて全く知らずにここに来たんですよ。単身ウチを訪ねて来られた時の貴女はまるで駆け出しのエンジニアみたいで、実際に一緒に仕事させてもらうまではちょっと信じられませんでした」

「…ええ、よく言われます」

 私は引きつった苦笑いを浮かべながら頷いた。メリハリに欠ける体つきと低い身長のせいで、実際の年齢以上に若く見られるのはしょっちゅうだ。

「でも、さすがですね。シータ、でしたか? あのAIは本当にすばらしい! 傑作です!」

「あー、あのですね~」

「これからも引き続き頑張って下さいね。名残は惜しいですが、私も準備がありますので」

 最後まで激しく誤解したまま、慌ただしく彼は去って行った。



「困ったな、やっぱりちゃんと説明した方が良かったんじゃないかな~」

 中津氏が去り、いよいよガランとした無人のドックが心細くなった私は、逃げ込むようにアルディオーネのコクピットに入った。ここといい、潜航艇のコクピットといい、私はほとんど身動きすらできないような狭っ苦しい空間が何より落ち着くのだ。つくづく貧乏性だなあと自分でも思う。

 考えてみればここに入るのは何日ぶりだろう。一週間? あるいはもっと。

 知らない間に元々据え付けられていた耐Gシートは取り払われ、超高加速度にも耐えられる卵型の特殊シートに取り替えられていた。

 そう、かつてアローラムで私達を守った、単独で脱出シェルターにもなる優れものの進化形だ。

 あの頃よりもっと洗練された、まるで超音速機のように滑らかなフォルム。真っ白いつややかな筐体は、手のひらで撫でてみてもどこに継ぎ目があるのか全く分からない。

「すごいな、これ」

 話には聞いていたけど、いかにも試作機といった見た目だった以前のシートと比べ、ほんの数年でまるで別物のように進化していた。もしかしたらそのうち単独で空でも飛べるんじゃないかと思わせるくらい。

(さすがに、それは言い過ぎかな?)

 苦笑いしながら何気なく筐体の表面に光るブルーのインジケーターを指で突くと、プシュッと気密の破れる音がして上半分がゆっくりと持ち上がった。

「おー」

 思わず声が出た。

 どうやら辻本司令、今回の任務は単なる異星船のサルベージでは終わらないと考えているらしい。

 栄養補給システムから各種生理的欲求を処理するための機器類までがコンパクトに収められている。実際に体を預ける真っ白いシートの表面を指で撫ぜてみると、まるでマシュマロのようにしっとりふわふわ柔らかい。実際に腰を下ろしてみると適度な弾力もあり、ずぶずぶ沈み込んでいくような頼りなさは感じない。実によく出来ている。

「…さて」

 私はそのまましばらくためらう。

 だが、いつまでもこうしていても仕方がない。私は小さくため息をついて意を決すると、シートに滑り込んで筐体の閉鎖ボタンに手を触れた。



「ああ」

 思わず声を上げた。

 しばらくぶりに訪れるアルディオーネのバーチャルコクピットは、パイロットとナビゲーター席の後ろに陶子さんの席が残されたままだった。急に忙しくなって設定変更をする余裕が湊になかったのか、それとも、バーチャルとはいえ故人の席を消し去ることに抵抗があったのか。でも、コクピットがそのままだった事に私は安堵した。

『ここにお見えになるのはずいぶん久しぶりですね』

 AIシータに呼びかけられてはっとする。シータのインターフェースが船の外まで拡張されたため、 ほとんどのやり取りはわざわざ船に乗り込まなくてもできた。その便利さに甘え、あの出来事以来、無意識にこの場所を避けていたような気がする。

「そうね。まだちょっと辛いかな」

 答えながら改めて後席を見る。今にも「あー遅刻遅刻~!」とか言いながら実体化しゅっきんしてくる陶子さんの姿が見えそうで、鼻の奥がツンと熱くなった。

 鼻をすすりながらたった一人でナビゲーター席に座る。

 システムのほとんどはサスペンド状態で、インジケーターが輝いているのは私が管轄する航法機器の一部だけ。なのに、なぜだか暖かな人の気配が感じられて、なんだか不思議な気分だった。



 イルミネーションのようにきらめくインジケーターをぼんやり眺めているうちにいつのまにか日付が変わっていた。はっと気付いて慌ててログオフし、耐Gシートのカバーを押し開けた私の目の前に、クッションほどの大きさの包みを抱えた湊が立っていた。

「ちょうど良かった。これ、君のだ」

 言うなりポンと放り投げてくる。慌てて受け止めてみると、見た目よりずいぶん重い。

「何?」

「ああ、新型のパイロットスーツだ。このシート使うときは着用してくれって。潜航艇でも同じ物を使うらしいから」

 言いながら自身の体を指差し、上に羽織っていたエンジニアブルゾンの前を開いてみせる。

「ちょっと恥ずかしいよな、これ」

 確かに。デザインはそれほど悪くないけど、これ一枚で街に出ようとはとても思えない。

 まるでスピードスケートのユニフォームのように体のラインがまともに出る薄い仕立てで、あごの下からくるぶしまですっぽりと覆うデザインだ。うなじにはハイカラーに似せたMMインターフェースを覆うフラップがあり、腰の両側には大腿に沿って、何種類ものバルブが取り付けられたポーチのようなゴツい出っ張りがある。

「これ、船外活動用の与圧服を兼ねてるんだ。おかげで例のアレ、穿かなくても良くなったのはいいんだけど。見た目はともかく、ちょっとねぇ…」

 珍しく語尾を濁す湊。

 例のアレというのは多分あれ。深海でもお世話になった大人用の紙おむつ。極限作業にはつきものの、一般人にはあんまり知られたくないちょっとした秘密だ。

「じゃあ、長時間活動時にはどうするの?」

「…ああ、マニュアルも一緒に入っている」

 はっきりとは答えてくれず、個室の方を指さす。

「着替えてくればわかる。この後フィッティングテストやるらしいから」

 どうやら自分で確かめてみるほかないらしい。私は首をひねりながら自分の部屋に入り、パッケージを開いて転がり出てきた図解入りのマニュアルを拾い上げてざっと目を通す。

「ええっ!」

 大声が出た。なるほど。湊が言いたくないのもよくわかる。

 確かにこれなら何日でも生理現象を気にせず活動できるだろうけど、個人の尊厳というか、何というか。今回も色んなモノを諦めることになりそうな予感にげんなりした。


---To be continued---

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