密航者

 ナード。正式名、JASNaRDO〈国立特殊研究開発法人・日本宇宙資源開発機構〉

 二十一世紀初頭から始まった太陽系資源の本格的開発は、民間の宇宙旅行が解禁され、大手旅行会社やハイテクベンチャーが参入するようになった二〇二〇年代以降、急激にその規模を拡大しはじめる。

 そんな中、天然資源にとぼしい日本も、それまでのJAXA(宇宙航空研究開発機構)を発展的に解消、その十数倍の規模を持つ国立の特殊法人を発足させた。

 その後の世界大戦を経て、現在では六つのスペースコロニーを軌道に浮かべ、NASAや南中国国家航天局、拡大ESAなどと互角に肩を並べる世界屈指の宇宙開発組織にまで成長している。

 ハイセラミック・カーボン傾斜材宇宙船という日本独自の特殊な造船技術ハイテクに加え、お家芸の極限ロボット技術を駆使するのがそのスタイルだ。

 水星の灼熱半球から海王星軌道に至るまであまねく進出、大量の無人探査・採掘ペネトレーターをがんがん打ち込む独特かつ精力的な開発活動は、今や太陽系中でいくばくかの脅威と称賛をもって広く知られている。

 そして、これから湊が向かうトロイスは木星軌道付近に浮かぶ大型の小惑星であり、NaRDOの辺境開発における最重要拠点の一つだった。



 湊は渋い顔で船を誘導ラインに乗せると、誰に向けたわけでもないかすかな苛立ちと共にスロットルをいきなり半分以上押し込んだ。メインエンジンは俊敏に反応し、心地よい加速度で体が耐Gシートに押し付けられる。

「まったく、もう少し愛想がよくても罰はあたらないと思うけどなぁ」

 柔らかなクッションのシートにめり込んだまま彼がつぶやいた時、日系スペースコロニー、サンライズ5はすでにはるか後方で瞬く光点の一つにすぎなくなっていた。

「あれ?」

 繰船をオートに切り替え、出港時に省略した与圧貨物区画の脱気を始めようとサブコンソールに向きなおった湊は、左脇の3Dディスプレイに表示されているグラフを見て首をひねった。

「変だな」

 画面には、設定された航路から微妙に外れた航跡が示されている。今の所わずかな誤差だが、この速度で原因不明のまま放っておけば、明日の朝には予定の航路から数千キロは外れてしまうだろう。

 緩やかな放物線を描き、あげく画面から大きくはみ出している予想航跡のオレンジ色のラインが、それをはっきりと予言している。

 湊は、税関で受け取ったままの通関書類が入ったコアメモリを探し出すと、あわててコンソールのスロットに差し込んだ。生体認証のアイコンが一瞬ひらめき、パッキングリストが自動的に表示された。

(航路計算プログラムに貨物の重量を間違えて入力した?)

 だが、何度見直しても数値は正確だった。

(じゃあ、先週いじったメインエンジンの出力が暴れてる?)

 しかし、エンジン出力センサーの値は、すぐ上にブルーで表示されている設定値とコンマ以下五桁まで完全に一致していた。三基とも変動のほとんどない理想的な出力だ。

(となれば……)

 どうやら、一番厄介な事態らしい。

 湊は舌打ちをしながら予定と実際の航跡のずれを航法コンピュータに入力する。加速誤差から船の重量変位が算出できるはずだ。

 はじき出された数値は四十二キログラム、プラスマイナス二キログラム。

「密航者か!」

 変位量からするとまだ子供のようだ。

「ちっ!」

 湊は毒づいた。

 問答無用でとっととエアロックから蹴り出そうと思っていたのだが、相手が子供だとそう簡単にはいかないから頭が痛い。

 別に博愛主義者を気取ったつもりはない。

「子供を泣かすとうるさいし、後で親がもっとうるさいからなあ」

 このご時世、下手に騒がれようものなら商売にまで響くからいけない。

 こういう仕事は何より〝信用〟が大切なのだ。

 彼は大きくため息をつきながら立ち上がると、シートの背もたれから防寒ジャケットを取り上げて貨物区画に向かった。

 エアロックを開くと、重たい白い霧と共に冷気がどっと吹き出してくる。貨物区画は与圧されていたが、空調は出航前から切ったままだ。

 おそらく、室温は零下十度台に落ちているはずだ。

 湊は思わず身ぶるいすると、扉の脇の照明のスイッチを手で探りながら貨物区画に大きく一歩踏み出す。

「そこにいるのは判っている。出てきなさいぃ」

 反応はなかった。

 船の大きさの割に結構な広さの貨物区画だが、今はNaRDOに依頼された鉱石採掘ローダーと、その付属機器一式で満載に近い。

 だだっ広い区画に湊の声がぼわんと反響する。吐く息が瞬く間に白く凍り、超高輝度LEDの寒々しい光を受けてきらきらと舞う。

「もう一度言うぞ。両手をあげておとなしく出てきなさいぃ」

 効果なし。

 心の底で密航者に悪態をつきながら、それでも努めてやさしく話しかける。

「なあ、こんな寒いところにいても風邪をひくだけだ。つまんないぞ。今なら怒んないから素直に出てこいぃぃ!」

 エコーがむなしく響く。だが動きはない。

「クソっ、もうやめた!」

 湊は吐き捨てる。強情な密航者クソガキにこれ以上のんびり付き合う義理はない。

「あくまで出てこないなら俺は別にかまわないが、今からこの区画の与圧を抜くからな。寒いのは我慢できても、空気がなくちゃ窒息死だぞ。じゃあなっ!」

 それだけ言い放つとくるりとまわれ右して、靴音も高らかに貨物区を出ようとしたその時、背後で何かが動いた。彼はすばやく振り向き、そして。

「あらら~!」

 意外な光景に思わず気の抜けた声をあげてしまう。

 上目使いに彼をにらむようにしながら、震える肩を両腕で抱え、霜まみれでよろめくように現れた密航者。

 それはかなりの美人……と言うより、まだまだ美少女という形容の方がふさわしい小柄な女の子だった。


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