押しかけクルー
「で、どうしてこの船を選んだ?」
一時間後、コックピットのすぐ後方のクライアントルーム。
苦虫をまとめて十匹噛み潰したような顔で、湊はぼそりと尋ねた。
「承知してるかどうか知らないが、この船はド辺境の小惑星に土木機械を運ぶミッション中だ。女の子が訪ねて楽しい場所とは思わないが?」
トゲトゲが目に見えるような嫌み交じりの質問を受けて、小柄な密航者はホットココアの入ったマグパックを両手で包み込むようにして持ち、どう答えようかと考えあぐねているように見えた。
見つけたときは凍るように冷たく、まるで人形のように青白かった頬の色も、ようやく人らしい赤みを取り戻していた。
実際、湊の前に姿を現してすぐに、彼女は安心のあまりか気を失ってしまったほどだ。
無理もない。氷点下の船倉に標準船内服っきりで長時間座り込んでいたのだから。
「君なあ、もう少し遅ければ凍死してたぞ」
湊は向かいのシートで呆れ果てた。
今回は〝たまたま〟貨物区の空気を抜かなかったが、自分がもう少し
湊は到着地でミイラになったこの娘を発見してうろたえる自分の姿を脳裏に思い描き、次の瞬間あわてて振り払った。
「それにしても――」
「ごめんなさい!」
非難の言葉を続けようとした湊を遮り、その娘はぺこりと頭を下げた。
そして次の瞬間、まるで跳ね返るようにがばっと顔を上げ、大きな瞳をきらきらさせながら言葉を継いだ。
「私、この船の中が見たかったんですっ!」
その勢いのままぐいと身を乗り出してくる。
「は?」
「船の中が一体どうなっているのか、すっごく興味があったんです。この船、あなたが設計したんでしょ?」
「ど、どうして知ってる? 宇宙港にビジネスで出入りするには若すぎるようだけど?」
湊は困惑し、眉をしかめた。
確かに、宇宙船舶設計士の数は多くない。
養成している学校も日本にはただ一つ。日系コロニー、サンライズ5と7にキャンパスを持つ高校・大学一貫校、サンライズ技術工科大だけだ。
グローバルネットに公開されている卒業生名簿を見れば設計士の名前を知ることは難しくない。だが、誰がどの船を設計したかなんて情報が外部の目に触れる事は普通ない。
かつての湊と同様、設計士のほとんどが大手の宇宙船舶メーカーか、さもなくばNaRDOに所属しているためでもある。
作品に個人名が添えられるのは、彼の知る限り、伝説的な車イスのシップビルダー、光二郎&和美・ホリエ夫妻ぐらいだろう。
「私、サンライズ技工大付属の学生なんです。船舶設計科、高等部二年です!」
「ああ、それで……って、おまえ、ホントに高校生か?」
どう見ても中学生にしか見えない彼女を、湊は改めて上から下までまじまじと見つめた。
身長は恐らく百五十センチをいくらも越えていない。ショートカットの髪にきゃしゃな体型。細いうなじとわずかな胸のふくらみがなければ、まるで少年のようにさえ見える。
「エッチ! 見た目は関係無いでしょ! これでも成績は良い方なんですよ!」
彼女は湊の無遠慮な視線に抗議するように、とがったあごをつんと突き出した。
「むぅ、失礼。それにしてもまいったな……」
湊は頭を抱えた。よりによって自分の後輩だとは。
「設計実習で、あなたの大学卒業課題がサンプルに出たんです。私、一目見た瞬間に、きれいな船だって思いました」
「お、おう」
「だから、おととい、宇宙港のカフェでバイトしている友達から、よく似た形の船が入港してるって聞いて、どうしても見たくなって……」
「へえ、あのレーシングボートの設計データ、まだ学校に残ってるのか?」
もう八年以上も前になる。
湊は卒業設計に、当時構想だけが持ち上がっていた「月~火星間ラリー」に参加する設定で、小型レーシングボートの図面を描き上げた。
だが、性能最優先で選んだ素材と船体デザインは、船体の有効空間効率がうんぬんとか、姿勢安定性がどうだとか、経済性がどうこうなどなど、重要ないくつかの項目を満たしていないという理由で担当教授に酷評された。
現に、彼はあの課題で、単位認定ぎりぎりのCプラスの評点しかもらっていない。
「あれは山菱准教授にボロっくそにけなされたぞ。どうしてそんなものがいまさら実習サンプルになるんだ?」
湊は思わずシートから上体を乗り出して尋ねる。
彼女はふわっと顔をほころばせると、急にいたずらっぽい目つきになって答えた。
「今は山菱教授、ですよ」
「ほー、それはそれは。ずいぶん出世したな」
彼女は湊の棒読み口調にクスリと笑うと、
「悪い見本ですって。〝デザインに走りすぎて船舶設計の基本をことごとく無視した悪例だ〟ってコメント付き」
「くっ! あの石頭!」
湊は落胆してどさりとシートに倒れ込んだ。彼女は大げさな反応がおかしかったらしく、小さく笑い声をたてると、両手を温めながら抱えていたマグの中身を飲み干して言葉を続けた。
「でもね、私は違う感想をもったの。聞きたい?」
「えっ?」
「まるで鳥のような、とってもとっても美しい船だと思ったわ」
「おおぅ!」
予想外の高評価に戸惑う湊。
「だから、先輩の設計ほとんどそのまま、3Dシミュレートモデルをプログラムして――」
「へえ、今はそんなことまでやるのか?」
「もちろん授業じゃないんですよ。学園祭のエキシビションです」
「へえぇ」
「学生や教官が設計した船体のデータを集めて、大学のスーパーコンピュータを借りて、仮想の太陽系空間で月~火星ラリーのシミュレーションを走らせたんです。優勝者に賞品を出すことにしたら、もう大人気! イギリスの
「何だ、賭レースかよ。……で、結果は?」
いつのまにか湊は再びテーブルの上に身を乗り出していた。
「聞きたいですか?」
「ああ」
大きくかぶりをふる湊。
「じゃあ、この船に黙って入り込んだことは許してくれますよね? 出航前に私を発見できなかったのは先輩のミスでもあるんでしょ」
「む~っ!」
かわいらしい顔に似合わぬえげつない交換条件に、彼は思わずうなり声を上げた。
だが、確かに、出航前のチェックをさぼらなければこんな事にはならなかったはずである。いずれ港湾局に報告するにしても、まずはつじつまを合わせておく必要があった。
「仕方ない……、許す」
彼女はもったいぶるようにえへんと咳払いすると、急に改まった口調で続けた。
「パンパカパーン、それでは発表しまーす。結果は、先輩の船がダントツの一位でーす。しかも、賭けていたのは私一人。大儲けしましたよ~!」
「へえー」
「うれしくないんですか? うちの教官は絶対に信じられないって怒り狂ってましたけど」
「いや、それはそれで痛快だけど……」
すっかり冷えてしまったコーヒーを飲み干して、湊。
「それ以来、シミュレーションレースが流行ったんですよ。中でも一番すごかったのは、昨年のパリ・ダカール星間ラリーの設定で、フランスの〈コロニエ・パリ〉から、火星の〈ニューダカール国際宙港〉までのコースを
「そんな大がかりにやったのか?」
「ええ、ネットでニュースにもなったんですよ。見てないんですか?」
「いや、年末からこっち長距離の仕事が多かったからな。俺が土星航路あたりを飛んでた頃だろ」
「あら、残念」
さして残念とも思っていない口調で彼女は言った。話に熱中してほほが赤く染まっている。
「参加六百十三台中、先輩の船はイタリア宇宙工科大と最後の最後までトップを争ってデッドヒートを繰り広げたんですよ。〝手に汗握る〟ってまさにこの事だって思いました。それはもう本当にすごかったんだから!」
「……で、結果は?」
「最終のスペシャルステージでほんのわずかに出遅れて、結局タッチの差で二位でした」
「あ~!」
いつの間にか話に引き込まれていた湊は、思わず大きなため息をついた。
「でも、私、本当に感動しました。向こうは最新のテクノロジーをふんだんにつぎ込んだ設計データだったし、実際、今年の星間ラリーで優勝したソノートエアロクラフトの現役エンジニアがこっそり設計を手伝ったって噂もあります。五年以上前の
彼女はまるで夢見るような表情で両手を組んだ。
「この船はあのボートの設計を元にして造ったんでしょ? 大きさはかなり違うけど、船体のプロポーションは良く似てるもの」
「まあな」
「でも、何で先輩は大手やNaRDOに勤めないんですか? これほどの才能なら、いくらでも腕をふるえるでしょ?」
「俺はのんびりやるのが好きなんだ。勤め人には向かないよ」
「だから、たった一人で運び屋なんてやってるんですか?」
「いや、だからそれは……」
湊はそこで言葉を失った。
(何かが変だ)
理由はわからない。だが、唐突にそう感じたのだ。
彼女の話がすべて真実だとして、他人の事情にあまりにも詳しすぎやしないだろうか。それに……。
無言のまま立ち上がると、彼女に背を向け、空の無重力マグにコーヒーを継ぎ足しながら考えた。
今すぐUターンして彼女をサンライズ港湾局に引き渡すのがもっとも正しい選択だ。だが、再入港の手続きや公安の事情聴取などで、どんなに短く見積っても二日は足止めを食う。
それだけは避けたかった。
余計な出費を避けたいのはもちろんだが、今回の貨物はチャーターで、この手の荷にしては珍しくトリプルAの急配指定がついているのだ。
サンライズ所属の運送業者中、最高速の船足を買われての依頼だけに、その期待を裏切りたくはなかった。
さて、どうすればいい?
「で、おまえ、これからどうするつもりだ?」
結論が出ないまま、湊は空になったマグに再びココアを注いで彼女に手渡した。
「どうするって……?」
湯気の立つ無重力マグを受け取りながら、彼女は質問の意味が解からないといった様子で小さく首をかしげてみせた。
その仕草を目にした途端、心の隅がちくりと痛んだ。
「あ、あのな」
気持ちを落ち着けるために言葉を切り、コーヒーを一口すすって顔をしかめた。
長年愛飲しているブランドだが、気のせいか年々不味くなっているような気がする。
「国際宇宙船舶運行法ってものがあって、その中に密航者の扱いについての条項がある。密航者を発見した場合、船長は、そいつに即時船外退去を命じることができる。宇宙のど真ん中だろうが関係なく、だ」
彼女はしかめっ面をしてみせた湊の言葉に、びくっと首をすくめた。
「予定外の人間が酸素や燃料を無駄に消費するからだ。蓄えの少ない船なら、たちまち全員が生命の危機を迎える。それは君もわかるだろ?」
肩をすくめ、しおらしくうなずいた姿が妙に哀れみをそそる。
「ま、実際にその条項が適用された例は聞いたことがないが……」
一言で彼女の表情がぱっと明るくなる。こんなにも表情の振れ幅が豊かな人間も珍しい。
そんな様子を横目に、彼は冷め切った残りのコーヒーを一気にのどの奥に流し込んだ。
こいつはこんなに苦かったか?
「だが、密航は重犯罪なんだ。未成年であろうとなかろうと、君はコロニーに戻った瞬間に逮捕され、恐らく執行猶予なしで収監される」
「本当ですか?」
「残念ながら。だけどまあ、実はひとつだけそうならないで済む方法があるといえば、ある」
「えっ?」
うなだれていた彼女が弾かれるように顔を上げた。表情が再び晴れる。
心なしか、照明までもが急に明るさを増したような感じさえした。
「とりあえず、俺が君を臨時のアルバイトクルーに雇った事にする。そうすれば君は捕まる事もないわけで――」
「ほんとに! 本当に助けてくれるんですか?」
勢いよく立ち上がった彼女が、テーブル越しに湊の両手をぎゅっと握りしめた。あたたかく、柔らかな感触。
「ただし、条件がある」
その手をさりげなく引きはがしながら湊はきっぱりと宣言した。
「はい! 聞きます! なんでも言ってください」
彼女はおおきくかぶりを振った。
「今回の貨物は超特急の依頼だ。だから、今から戻って君を降ろす時間はない。悪いが、このまま目的地のトロイスまで付き合ってもらう」
「それだけ?」
まるで拍子抜けしたような表情で彼女は湊の目をのぞき込んだ。
「まだある。食料は十分だが、一日に使える水量は限られている。だからシャワーは二日に一回、五分間だけ。それから、ベッドも見てのとおり一つしかない。だから――」
「うっ、も、もしかして……」
彼女の表情がわずかにひきつった。
「誤解するな。俺はコクピットで寝る。ベッドは君が使え」
「え?でも、それじゃ悪いよ」
彼女は心なしか顔を赤くしてうつむき加減に答えた。
「実を言うと、ここ、使ってないんだ。法規上、荷主のための部屋なんだけど、俺はそもそも他人を乗せない。何かと便利だから、俺は眠るのもほとんどコクピットの耐Gシートだ。別に問題はない」
湊は立ち上がりながらそう答え、部屋を出ようとしてふと振り返った。
「そういえば、まだ名前も聞いてないな」
「あ、私、
彼女はぴょこんと頭を下げた。
「俺は――」
「知ってます! エアハートさんでしょ? 湊・エアハート船長」
「いや、船長はやめてくれ」
「じゃあ、先輩。ミナト先輩って呼んでいいですか?」
若干の気恥ずかしさを感じながら湊はうなずいた。
「……ええと、じゃあ、徳留さん」
「そんな……。私も香帆って呼び捨てしてくださいよ」
「えーっと、それじゃ、香帆」
「はい?」
「航海中、ひとつよろしく」
「え? あはは、こちらこそよろしく、ミナト先輩」
そう答えながら、香帆は何がおかしいのか明るい笑い声をあげた。
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