それぞれの決意

 それから十六時間後。

 私たちは、まだ朝の澄んだ空気が漂うサンライズ宙港に降り立ち、港の一角にあるちょっとオシャレなカフェレストランで、こってり生クリームの載った三段重ねのパンケーキに挑戦中だった。

 コロニーはどの国もGMT(国際標準時)で運用されている。

 だから、日本時間の深夜にベッドにようやく入った私は、延々十二時間以上爆睡し、それでもサンライズ時間でちょうど夜明けに目覚める事ができた。

 湊にはからかわれたけど、昨日は慣れないアクションの連続だったし、やっぱり疲れていたんだと思う。

 もちろん空腹感も半端ではなかった。考えてみたら、昨日のお昼に退院してからほとんど何も食べていない。

 そんなわけで、いつか挑戦してやろうと狙っていたスペシャルパンケーキを意気揚々とオーダーしたのが一時間ほど前。

「これさ、一皿あたり千二百カロリーって書いてあるぞ!」

 食後のコーヒーをすすりながら何気なくメニューをのぞき込んでいた湊が、今ごろになって目を剥いている。

「全部食べちゃってから気にしてもしょうがないでしょ」

「いや、確かにそうなんだけど、最近、食べ過ぎると確実に横に育つからな」

「何おじさんみたいな事言ってんの?」

「もうおじさんだよ、俺は」

 湊はふっと真顔になる。

「そういえば、香帆は二十歳になったんだな。おめでとう」

「そう! そうなの。プレゼントは?」

 ねだってみると露骨に嫌そうな顔になる。

「もうあげたじゃないか」

「え? 何を」

「全長四千メートルのカーボンナノチューブワイヤー」

「ちがーう! 確かにあれは嬉しかったし、おかげで命が助かったけど、そういうのじゃない方がいい」

「まったく贅沢だな」

「贅沢って言いますか!」

 他愛のない言い合いをしながら、こんな平和な時間はきっと長く続かないだろうな、と、どこか冷めている自分が悲しい。

「ね、私達、この先どうなるんだろう。いつか普通の生活に戻れると思う?」

 流れで、ふと、そんな事を聞いてみる。

 湊はその質問にむっつりと考え込んだ。予想外の反応。

「なあ、香帆」

「はい?」

「君の考える普通の生活って何だろう? ここ数年の地上での暮らし? それとも……」

「いえ、ええっと」

 何だかとても大事な事を聞かれている気がする。

「普通のって言うか、あくまでも今の私の理想という意味なんだけど……」

「うん」

 湊はコーヒーをぐいと飲み干し、私の顔を正面からじっと見つめてきた。

「そんなじっと見ないでよ。照れくさいな」

 顔が火照るのが自分でもわかる。気になってパタパタと手で顔をあおぐ。

「いつ来るかわからない敵に怯えながら暮らすのは嫌」

「そりゃそうだ」

「でも、その事だけ別にすると、あなたと一緒に異星船を追っかけている時はとても楽しかった」

「……うん」

「昨日までの地上での暮らしも嫌いじゃなかった。仲間と一緒に何かを一から創り出すって仕事も結構気に入ってたよ。でもね」

 大きく息を吸い、自分の想いの向いている方向を慎重に確かめる。

「それだけじゃつまらない。その先がないと嫌なの。自分達の持てる力のすべてを尽くして、大きな謎にチャレンジしたい。そして、その時、隣にあなたが居てくれると、その、とっても、嬉しいんだけど……」

 言ったよ。言っちゃったよ。

 多分、私は今、耳まで真っ赤だと思う。恥ずかしい。思わず顔を伏せる。

 よくよく考えてみると私、凄い事言ってない? 取り方によっては、これって、あの……。

 いや、大丈夫か。この人鈍いし。

 そんな事をぐるぐる考えている私のそばで、湊は無言のままじっと身動きもしない。

 あの? そんな黙ったままでいられると私、針のムシロなんですけど。

 居たたまれなくなってふと顔を上げると、目の前、予想外に近い場所に湊の顔があった。

「あ!」

 湊はそのままさらに顔を近づけると、耳のそばでささやくように言う。

「そのまま、振り向かずに。店を出るぞ」

 えー、今言う事はそれですか?

「場違いなスーツの二人組がこっちを見張ってる。胸元が膨らんでる。多分武器を持ってるな」

 私はさっと緊張した。

「さっきレシーバーでタクシーを呼んだ。二十秒後に店の目の前に着く。ここを出たら真っ直ぐ飛び込め。いいね」

 私は無言でコクコクと頷く。

「よし、立て!」

 私は弾かれるように立ち上がると一直線に出口に向かう。背後では湊が手近の椅子を蹴り飛ばして追手の足止めを始める。

 その時、タクシーの黄色い派手なボディが正面に滑り込んで来た。

「来たよ!」

 もう後ろは見なかった。全速力で店の中を走り抜ける。目の前ではガラス製の自動ドアが開きかけた所でガクリと止まる。見上げてみるとドアコントローラーが撃ち抜かれていた。

「待て! 動くな!」

 そんな事を言われてはいはいと黙って従う人がいたら見てみたい。

 私はガラス扉のすき間に両手を差し込み、体がどうにか通る幅まで強引に開くと外に転げ出た。目の前ではタクシーのスライドドアがしずしずと開き始める。

「出して! 行き先はえーっと、安曇本家、分かる?」

 叫びながら後部座席に飛び込む。

『ファインセラム会長、安曇雄一郎様のお名前でご登録があります。こちらでよろしいですか?』

「OK! 出して!」

『後部ドアが開いています。お客様の安全のため……』

 私は有無を言わせずドライバーAIをインターセプト、ドアセンサーの欺瞞信号を送る。ドアが閉まったと思い込んだタクシーは低いモーター音を立ててゆっくりと走り始め、背後ではレストランのガラス扉が銃弾を受けて粉々に崩れ落ちた。

「湊! 早く!」

 湊が飛び散ったガラスの破片を跨いで飛び出してくる。

 タクシーは次第にスピードを上げ始める。

「手を!」

 私はシートから体をのり出し、駆け寄ってくる湊に手を伸ばした。指先が触れあい、手首をぎゅっと握られた所で私は渾身の力を振り絞って湊を引き寄せる。タイミング良くタクシーは本線に向けてカーブし始め、湊の体はまるで飛び込むようにスポンと後部座席におさまった。

「伏せろ!」

 スライドドアを力一杯引き閉じ、湊はその勢いのまま私の頭を抱きかかえてシートに倒れ込む。

 途端にリアウインドウがポンと爆発したようにはじけ飛んだ。

「あぶねっ!」

 湊は降り注ぐガラスの破片から私を守ろうと、さらにきつく私を抱きしめる。

 だけど、さすがにそれ以上追いすがってくる者はいなかった。



「湊、重いよ」

「お、悪い」

 もぞもぞ身動きする私に気づいて慌てて飛び起きる湊。

 平穏を取り戻した車内で、私たちはどちらも赤い顔のまま、無言で居ずまいを正す。

「こういう状況にだんだん慣れ始めてる自分が怖いよ」

 私は照れ隠しにそう言い、ニヒヒと苦笑いする。一方、対照的に湊の表情は硬かった。

「やっぱり、このままじゃ駄目だよな」

 湊は呟くように言うと、真剣な目つきで私に向き直る。

「言おうかどうかずっと悩んでたんだけど、まず香帆の意見が聞きたい」

「はい」

「実は今、アルディオーネでは乗組員を募集している」

「はい!」

「待遇は多分そんなに悪くない。太っ腹なスポンサーがいるし、近々大きなプロジェクトに参加する予定もある。普通の船に就職するよりきっと何倍も、いや、下手したら一流エアラインのパイロットよりも稼げるだろうね」

 いい話じゃないか。今すぐ応募したい。

「……それで?」

「ただ、採用条件がとても厳しい。MMインターフェイス保持者、ワイドバンドに適合できて、ニューロAIと航法に卓越したスキルを持ち、おまけに超高圧、何十万ヘクトパスカルもの環境下でも冷静にオペレーションできる技術と精神力が必要になる」

「へえ、それは大変だ」

「報酬がいいだけあって仕事は相当過酷だよ。間違いなく生命の危険も考えられる」

「そう聞くと、とってもブラックな職場みたい」

「そう。で、俺の知り合いに、条件に合いそうな人間が一人だけいるんだけど」

「うん」

「その人にこの話を持ちかけるべきかどうか、かなり悩んでる」

「……そうだったの」

「ああ、俺はできればその人をこれ以上危険にさらしたくない。彼女にはいつも自由で、もっと幸せになって欲しいと願ってる。自分が近くにいるとどうしても面倒に巻き込んじゃうし、彼女のためなら、二度と会えなくても構わない。ずっとそう思ってたんだけど、な」

 湊はそれだけ言うと黙り込んだ。

 なるほど。プロジェクトの解散以来、一度も連絡がなかったのはそういうわけか。

 まったく、気を使いすぎだよ。

「そういえば、私の知り合いにも、条件に合いそうな人が一人だけいるわね」

「ん?」

「その人は最近リストラされたばかりで、早く仕事が見つかんないと何かと困るの。それに、今さら少しくらい危険が増える事なんて気にしないと思う」

「そうなのか?」

「だって」 

 私はそこで言葉を切り、ガラスが吹き飛んで妙に風通しのいいリアウインドウを指差す。

「ほら、こんな日常だもん」

 そうして、なるべく想いが伝わるよう、ゆっくりとした口調で付け加える。

「さっきも言ったけど、敵がいつ来るかってビクビクしながら暮らすのは嫌。相手をきちんと見極めて、できればイニシアチブはこっちが握りたい」

「……まあ、それは同感」

「二人なら十分立ち向かえると思うよ。バラバラでいるより、きっと何倍も強くいられると思う」

 湊は答えない。

「それに、どこかの船長さんと同じで、その人も相棒は慎重に選ぶタイプなの」

「うん?」

「信頼して背中を任せられる人は、そう簡単には見つからないよ。わかる?」

「そうだな」

 湊はようやく頷いた。

 伝わったかな。伝わっているといいけど。

 ちょうどその瞬間、タクシーは目的地に到着した。



 空間スペースの持つ意味が地上とは比べものにならないほど重いスペースコロニーでは、どのくらいの空間を占有できるか、ただそれだけでその人のステータスを何より雄弁に物語る。

 そういう意味では、安曇家は紛れもなく、ウルトラスーパーお金持ちの部類だった。

「ふわあ、聞いてないよ!」

 私は重厚な門扉に驚き、その奥に庭があるのにまた驚いた。

 さすがに奥に見える屋敷は五階建ての機能的な外見だけど、そこまでたどり着くのに何でこんなに距離があるんだ。多分、この庭だけで私がユーロコロニーに借りていた部屋なら二、三十室は楽に収まるだろう。

「地球の不動産は会長の代でほとんど売り払ったらしい。浄化プロジェクトが始まって移民が増えた今じゃ、もうこれだけのエリアは手に入んないだろうな」

「そんな昔によく決断したよね」

「そういう意味じゃ相当な目利きだ」

 なるほど。気を見るに敏、それまで陶器製造を営んでいた安曇家が二代でセラミック船殻宇宙機のトップメーカーになったのは単なる偶然じゃなかったんだ。

「お待ち申し上げておりました」

 屋敷の前ではまるで映画に出てきそうな完璧な老執事が私達を待っていた。

「湊様、お久しぶりでございます。それに香帆お嬢様も。お初にお目にかかります」

「あ! はい。あの、初めまして」

 慌てる私を見て湊がクスリと笑う。

「仕方ないでしょ。こんなの初めてなんだから」

 さらに玄関を入った所で私達を迎えたのは、エプロンドレスをきっちりと着こなした、これまた完璧なメイド達。

「凄い!」

 メイドなんて伝説上の存在かと思っていたけど、いるところにはいるものなんだ。私はもはや驚きを通り越して感動してしまった。

「湊様、皆様がお待ちです」

「分かりました。じゃあ、香帆、後で」

 そう答えて軽く手を振った湊は、長身のメイドに伴われて左の廊下へと消える。

「お嬢様はこちらへ」

 それを見送ったところで、背後に控えていた背の低い方のメイドが私を促した。

「あの、香帆って呼び捨てにしてもらえませんか? お嬢様なんて柄じゃないし」

「では、香帆様」

 慇懃な対応を少しも崩さず、彼女は先に立って階段を登り始めた。

「あれ、なんとなく身体が軽い?」

 何度か折り返し、最上階まで到達したところで思わず漏れたつぶやきに、彼女は小さくうなずいた。

「ええ、ここでは上の階ほど重力が弱くなります。何でも、遠心力の関係だとか」

 回転する事で擬似重力を生み出しているコロニーでは、中心軸に近いほどその力も弱くなる。でも、わずか数フロア移動しただけで体感できるほど身体が軽くなるなんて。この屋敷は一体どれだけ天井が高いんだろうと半分呆れながら天井を見上げた。

「陶子様がお待ちです」

 どうやら目的地に着いたらしい。彼女は軽くノックすると、返事を待たずドアを押し開いて私を促す。

「お邪魔しま~す」

 だが、アルディオーネのコックピットと同様、にこやかに迎えてもらえるものと思い込んでいた私は、室内の光景に思わず息を呑んで立ち尽くした。

 大病院の集中治療室と言ってもおかしくない大量の医療機器に取り囲まれ、全身に繋がれた何十本ものチューブやケーブルで中央のベッドに縛り付けられているのは、痩せ衰えた小さな女性だった。

 心電図や呼吸パルスのモニターに照らし出された表情はとても大人びている。そして、思慮深げな表情に似つかわしくない一メートルそこそこの矮躯。

 その、あまりにアンバランスな姿は、まるで妖精のように現実感を欠いていた。

〈香帆ちゃん、来てくれたのね〉

 眠り続ける彼女の枕元で、小さなモニターにカタカタとテキストが並ぶ。よく見れば、モニターの上では小型の3Dカメラがこちらをにらんでいる。

「おはようございます。あの……」

〈驚いたでしょう? これが現実リアルの私。二十年前からずっと、小指一つ、瞬き一つできないままこうして横たわっているの〉

「一体、何が……」

 そんな疑問を口にするだけで精一杯だった。

〈子供の頃、たまたまお父様にくっついて火星近傍小惑星の視察に行ったの。そこでヤトゥーガの奇襲に遭遇して……〉

 喉がカラカラに乾いて唾液がうまく飲み込めない。

〈それ以来、私は身体の一切の自由を失った。かろうじて意識はあったのだけど、それを知らせることもできないまま暗闇の中に十数年。叫びたくても叫べない、死にたくても死ねないまま、ただ無限に近い時間だけが過ぎて行く。本当に気が狂いそうだったわ〉

 テキストはそこで途切れた。

「陶子さん、それをなぜ、私に……」

〈あなた達が私の恩人だから〉

 太いゴシック体がモニターの中央に表示される。

「え、でも、私は何も……」

〈あなた達が実験に志願して、しかも素晴らしい運用実績を叩き出してくれたのがきっかけで、MMインターフェイスが一気に実用化フェイズに入った事は知ってる?〉

「いえ、今、初めて知りました」

 くそう、辻本司令め〜。やっぱりあれは人体実験だったのか。

〈それを知ったお父様はすぐさま私にもMMIの装着手術を受けさせたの。周りは無駄だって反対したらしいけど、もしかしたらお父様には何か予感があったのかも知れない〉

「ああ、それで」

 確かに、彼女の剃りあげられた側頭部に張り付いているコネクターは私達のうなじにあるそれとほとんど同じ物だ。

〈十数年ぶりに暗闇の牢獄から解き放たれた瞬間の感動は多分一生忘れない。あの日、私はこの世界にもう一度生まれ直したのよ〉

 私はいつの間にか息を止めて彼女の紡ぐテキストに見入っていた。息苦しくなって初めてその事に気づき、大きく深呼吸をする。

「……私達のやった事が少しでも陶子さんのお役に立ったのなら、なによりです」

 そんな月並みのセリフしか出てこない。

〈それに、エアハート船長にはもう一つ感謝しているの。彼は私の事をお父様から聞いてすぐ、世間知らずの私を秘書に任命してくれました〉

「まあ、あの人は書類仕事全般が苦手だしね」

 何だかとっても腹立たしいけど、同じ立場だったら自分でも同じ事をしただろうなと思うと文句も言えない。

〈……私の身体は、多分死ぬまで一歩たりともこの部屋を離れる事はできないでしょう〉

 確かに。

 私は唇を噛む。

〈でも、船長は私にこう言いました。君は誰よりも速く、自由に太陽圏を駆け回る事ができるじゃないか。アルディオーネが君の身体だと思えばいい……と〉

 く、何てことを言うんだウチのボスは。思わず泣きそうになるじゃないか。

〈ですから、私は決意しました。この命の続く限り、あなた方を支え続けます。これが私の出来る唯一の恩返しです〉



---To be continued---

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