魔術師たちの帰還

 次に案内された部屋は、中央に大きな楕円形の会議机が置かれた広い部屋だった。

 一見するとあるシンプルな会議室なのだけど、普通じゃないのは部屋の真ん中に天井まで届く、継ぎ目のない一枚もののガラスの仕切りがあり、部屋だけではなくムクのウォールナット材でつくられた楕円形の分厚いテーブルまでも綺麗に二等分しているところ。

 まるで壁一面に鏡が貼ってあり、その向こうに鏡写しされた部屋が続いているようにも見える。

 いや、そのたとえは正確じゃない。

 よく見ると、ガラスの仕切りに見えたのは超高解像度の3Dモニタスクリーンで、その向こうにあるのは電子的に構築されたバーチャルな会議室だった。

 すでに部屋のこちら側にも向こう側にも何人かが着席していて、私はドアを開けた瞬間に全員の視線を一斉に浴びて思わずたじろいだ。

 ちょうど同じタイミングで、部屋の対面にあるもう一枚のドアからは陶子さんが現れた。

 たった今会話を交わしたばかりの現実リアルではなく、アルディオーネでも対面した成熟した大人の姿。

 不幸な事故に遭遇せず、普通に成長していたらそうなっていたであろう、彼女にとっての理想の姿なのだろう。

 彼女は私と同じように全員の視線を浴びて一瞬立ち止まったものの、部屋の中央、スクリーンの際まで優雅な歩きで滑るように移動し、こちら側に座る会議のホストとおぼしき初老の男性の隣にふんわりと腰を下ろす。

 ホストの正面近くに陣取った湊がテーブルの下で私を手招きしている。私はフカフカのじゅうたんを踏んで足早に彼の隣にたどり着くと、陶子さんを見習って、それなりに品良く腰を下ろした。

「さあ、これで全員かな」

 私の着席を待ってホストの男性が口火を切った。

「初参加のメンバーもいるので自己紹介しておきましょう。私はファインセラム代表取締役社長、安曇健一郎です。以後よろしく。そしてあなたが……」

「あ、はい、安曇香帆です。初めまして、お義父とうさん」

 私は慌てて立ち上がるとペコリと頭を下げる。

「親子で初対面というのも何だか変な感じだが、よろしく、香帆さん」

 安曇社長はニッコリと微笑むと私に向かって頭を下げた。

「あとのメンバーは全員すでに顔見知りかな」

 言われて改めて見渡してみる。こちら側には安曇社長、湊、私。そして向こう側には陶子さん、久美子さん、辻本司令、そしてもう一人。

「鷹野さん?」

 呼びかけた途端に彼女はイタズラが見つかった子供みたいに首をすくめて舌を出した。

「あっちゃー、やっぱりバレてたのか。ごめんね〜、香帆ちゃん」

 鷹野さんは悪びれもせずペコッと頭を下げた。

「やっぱり鋭いわね。頼もしいわ」

「あの、みなさんMMIを?」

「いやいや、こっち側で装備してるのは陶子さんと久美子だけ。ほらほら、お肌のキメが全然違うでしょ」

 おどけながら隣の久美子さんとくっついてみせる。

 確かに、バーチャル再生された久美子さんとビデオインサートの鷹野さんではテクスチャが違う。それでもそれほど違和感がないのはカメラがすごいのか、会議システムがすごいのか。

 一方、久美子さんは鷹野さんを鬱陶しそうに押し退けると、一番奥にのほーんと座る辻本司令をちらりと見やる。

「うん、では発言いいかな、安曇社長」

 頷く安曇社長に気安く右手を上げて謝意を見せると、小さく咳払いする。

「まずは軽く概況から。標準時昨夜遅く、ヤトゥーガは本プロジェクトからの完全撤退を宣言した。これに追従したのがNASA、北中国、ロシア。狙いはもちろん、プロジェクトを故意に遅延させ、より有利な条件を引き出すためだろうな。

 一方、これまでプロジェクトから排除されていた我々NaRDO、ヨーロッパESA、台湾、インドが新しいプロジェクトの立ち上げを共同で宣言した。民間ではエルフガンド・ジャパンとユーロが全面支援を表明、AI大手のアミトラが各種メインフレームの無償提供を申し出た。あとは」

「辻本さん、うちも大丈夫だ。すでに役員会の承諾は取った」

「……ファインセラムが参加っと。これで規模的には相手チームとほぼ互角だな、よもや実現性を疑問視されることもない。薫、ただ今から報道解禁だ」

「りょーかい。派手に書くわよ」

「久美子」

「わかってます。スタッフの安全確保に全力を尽くします」

「で、湊、香帆、どうするか、気持ちは固まったかな?」

 湊が私を見る。私は無言で大きく頷いた。

「アルディオーネ号、乗員三名、参加させて下さい」

 湊は迷いなく答えた。

 陶子さんの表情が途端に華やいだのがわかる。心なしか安曇社長の表情も嬉しそうだ。

「本プロジェクトの前線は前回同様、トロイスに置く事にしたい。不肖この私、辻本雅樹が取りまとめを拝命した。プロジェクトメンバーは本日ただ今をもって辞令発令、可及的かつ速やかに本コロニー内、NaRDO本部に出頭していただきたい。と私からはこんなところで。では社長」

「辻本さん、ありがとう。そして湊君、香帆さん、二人にもありがとう。心から感謝するよ」

「いえ、俺もようやく踏ん切りがつきました。こちらからもよろしくお願いします。……香帆」

「もちろん。その言葉を待ってたよ」

 そう返しながら、ここ数年感じていた焦燥感がすっかり消えていることに気づいて私自身驚いた。

 それどころか、逆にわくわくしてきた。

「では社長、ご提供いただきたい機材と人員についてはすぐにリストを送ります。後ほど本部で正式に記者発表を行いますからご参加を」

 辻本司令が早口に言うと左腕のスマートウォッチをちらりと見やる。

「了解しました」

「では、すぐに体制を整えます。また後ほど……」

 その言葉が合図だったように久美子さんと鷹野さんも立ち上がった。鷹野さんが私に小さく手を振り、三人は連れ立って部屋を出ていった。

 残されたのは、湊を除けば全員安曇ファミリー。

 次に集まるときには私もスクリーンの向こう側から参加かなと思っていると、安曇社長と陶子さんが揃って私たちに頭を下げた。

「湊君、よく決心してくれた。それに香帆さんも、改めて礼を言う。君たち二人には、この安曇家と会社が何度も救われた」

「いえ、俺だってここに拾ってもらわなければどこかで引きこもっていただけでしょうし……」

「私も、安曇家に寄せてもらえなかったら、今ごろ命すら危なかったかも」

 そう言い合って双方頭を下げ、顔を見合わせて思わず笑ってしまう。

「とりあえずお互い様ということかな。じゃあ、これまでの話はここで止めにして、先の話をしようか」

 安曇社長はそう言うと、脇に置いていたタブレットを持ち上げる。陶子さんを残してバーチャル会議室は消え去り、代わりに現れたスクリーンには私には妙になじみのある設計図が現れる。

「あれ!

 これはTM102?」

「そう、今回うちで買い取った深海潜水艇プロトタイプの一つだ」

「ええ! プロジェクトを買い取った会社って、ファインセラムだったんですか!」

 私は思わず大声を出してしまい、そばで湊が迷惑そうに耳を塞ぐ。

「ああ、君がどうしてもこっちに来てくれないときはこいつを餌に使おうと思ってね」

 安曇社長は、まるで野良猫の餌付けでもするような気安さでそう告げる。

「まさか! 本気ですか?」

「いや、冗談だ」

 崩れ落ちる私を見て笑いながら、社長は続ける。

「辻本さんの話では、大赤斑に沈んだ異星船は、現在木星表面から千キロほど潜ったあたりに浮いているらしい。今後相手がどう動くかは予断できないが、いずれにしても高温、高圧下の作業になる。海に潜る前提のTM102をそのまま使うことはもちろん出来ないが、耐圧殻周りの設計と資材はかなりの割合で流用できるだろう?」

 私は思わず膝を打った。

 確かに、あの無駄に頑丈な耐圧殻は中のAIや操縦系統ごと流用できる。開発期間の大幅な短縮とそこで節約できる様々なコストを考えたら、確かにお買い得だったかも知れない。

「でも、102は壊れちゃいましたけど」

「ああ、それなら大丈夫。どうせ既存の機関部は宇宙空間では意味をなさない。新規設計になるだろうし、耐圧殻さえ無事なら湊君がどうにかするだろう?」

 湊が無言で頷く。

「そんな話になるんならついでに持ってくれば良かったですね。あのスクラップ」

「持ってきたぞ」

 あっさりと言う湊。

「いつの間に、誰が?」

「なんだ、自分の乗った船アルディオーネの積み荷が何だか知らなかったのか?

 地上にワイヤースプールを運んだ後、空いたスペースに放り込んでもらったんだ。香帆がチャンバーで昼寝している間に中の片付けも通関も終わらせたよ」

「はあぁ~」

 私は脱力感に襲われてへたりこんだ。

「湊~、最初から私を巻き込む気満々だったんじゃ」

「いや、それはまた別の話」

 湊はひょうひょうと言い放つ。

「それに、君を神戸あそこに送り込む手配をしたのは辻本司令だ。司令は後々この方面の技術と運用ノウハウが必要になることをずいぶん前から確信していたんだろうな」

 もしもそれが事実なら、それはそれでちょっと怖い。司令は何年も前に、ヤトゥーガのサルベージ計画が失敗することを予見していた事になる。

 人間離れした、恐るべき洞察力だ。

「辻本さんはこうもおっしゃっていた。かつて我々をあれだけ振り回した異星文明の産物が、木星の表面で吊り上げられるのをただぼんやり待っているわけがない、と。今回その読みが正しかったことが証明された。うわさによると相当暴れたらしい」

 そりゃあそうだろうな。と思う。湊の設計思想が異星船のそれと近しいように、あのふざけた行動パターンは司令のスタイルにそっくりだ。

 ところで。私は重大な事に気づいて冷や汗をかく。

「湊、今、中の片付けを終わらせたって……」

「ああ、言ったよ」

「まさか、あの、その……湊がやったの?」

 私の下着入りポーチと、使用済みのトイレユニットは?

 もしかしてコクピットの隅に適当に放り出してはいなかったか?

「ああ、まあ、気にすんな」

 顔からサーッと血の気が引き、次の瞬間恥ずかしさにカッと火照る。

「湊、最低!」



 その日の午後、合流したエルフガンドの日岡さんと共にNaRDO本部の門をくぐった所で、私たちは待ち構えていたメディア記者から大量のフラッシュを浴びる事になった。その後NaRDOのロビーでインタビューに答える私達の映像は、太陽圏の全メディアに特ダネとして配信された。

“トロイスの魔術師、帰還す!!”

 といった派手なキャッチコピーはおそらく鷹野さんの仕込み。

 周囲に物々しい警護が付き、これが過去、“正体不明の勢力”に襲われた末のやむを得ない措置であることなども付け加えられて、かなりセンセーショナルに取り上げられたらしい。

 当初はこの様子を批判していた一部メディアの報道も、ここ数年にわたるテロの内容と回数、おまけに記録映像までが詳しく公表されて以降は沙汰止みになった。高規格のMMIには装着者の視野情報を記録して映像化する機能がある。つまり、私がこの目で見たものは何にせよデータ化できるのだ。

 これ以上騒ぐと、では誰が何のために襲ったのだという犯人捜しになる。実際ネットではアマチュア探偵達の推理合戦が大いに盛り上がり、結構いい線まで迫ったところで突然沙汰止みになった。

 それ以上の追求を嫌った誰かがメディアにこっそり手を回したらしい。

 辻本司令の発案になる、この逆アピール戦略は予想以上にうまくいった。

 どこに行くにも派手な警護がついて来る生活は確かにうっとうしいものの、警備要員には基本的に年の近い同性をあてがってもらえたし、自分の仕事が急に忙しくなった事もあってそのうち気にする余裕もなくなった。

 ここまであからさまにやられると相手もさすがに動きにくいらしく、久美子さんの話によれば周辺の怪しい影は最近すっかり姿を消したらしい。

 うん、命を狙われないことはとっても素晴らしい。



 というわけで、私はサンライズ宇宙港の敷地にあるNaRDOの整備施設にこもり、耐圧殻の精密点検を監督しながらTM102のAIに今回のプロジェクトに合わせた機能を追加する作業に追われていた。

 一方湊は、TM102の新しい機関部の設計に加えてアルディオーネの改修、ファインセラムやエルフガンドとの打ち合わせにほとんど出ずっぱりでコロニーにはなかなか帰って来ない。だけど、安曇家に戻れば、スクリーン越しではあるものの例の会議室で逢える。寂しくはなかった。

 深夜、NaRDO差し回しのハイヤーで帰宅する頃にはほとんどヘトヘトだけど、どんなに遅く帰っても必ず用意されている手作りの温かい夕食が何よりありがたい。

 夜更けの会議室に食事を運んでもらい、湊や、時には陶子さんと顔を合わせながら取る夕食が今や貴重な情報交換とストレス発散の場だった。

「ところで湊、前に聞きそびれていたんだけど、この通信システムってどういう仕組みなの?」

 食後のコーヒーを注いでもらいながら、スクリーンの向こうでワークステーションの画面に向かう湊に問いかける。

「距離が離れてても遅延がないって言うことは、信号波が光の速度を超えているんだよね?」

「俺も仕組みを理解しているわけじゃない。異星のガジェットを見よう見真似でまるごと複製コピーして、とりあえず動くからありがたく使っているというレベルなんだ」

「だいたい、こういう遺物って太陽圏にどれほど散らばってるものなの?」

「うーん」

 湊はそう唸り声を上げながら言いながら大きく伸びをすると、

「異星人の遺物には二種類あるんだ」

 と、いきなり切り出した。

「太陽圏のあちこちにばら撒かれている遺物は、それぞれとんでもないオーバーテクノロジーだけど、基本的には単機能で、他の遺物との関連性を持たない。ほら、前にアローラムがレーザーで焼かれた事があっただろ?」

「あ、うん」

 ずいぶん前の事だった気がするけど、考えてみれば、まだ四年もたっていないのだ。

「超遠距離から光の速度を超えたレスポンスで精密観測と照準ができる。あれは、今、俺たちが使ってる超光速通信の技術と基本的には同じ原理だと思う」

「確かに」

「けど、今の俺たちにはその根っこの理屈がわからない。だからそれぞれ単独の装置として扱うしかない。応用は難しいんだ」

「ブラックボックスというわけね」

「そう」

 湊はそこまで言うとワークステーションのモニタをパタンと伏せた。

「一方で、もう少し大がかりに、ひとつの発見が次の発見の引き金になるケースがある。鷹野さんが発見した通信施設が異星船を呼び寄せ、異星船を捕獲したら今度は大赤斑から大型異星船が出た。これは明らかに狙いのある仕掛けだ」

「まるでゲームみたいだね」

「うん、辻本司令もそう言ってた。パーティーを組み、アイテムを集め、ダンジョンに挑む。モンスターを倒してレアなアイテムを手に入れ、クエストを達成すればより大きな見返りがある」

「じゃあ、遺物はアイテム、異星船はクエスト?」

「うん。だから、アイテムは同じ種類がいくつも隠されていると司令は予測した。俺がここ数年太陽系中をうろついてやってた事はその実証。言ってみればレベル上げのための必須アイテム集めだ」

「とっても地味ね」

「まあね。ただ、このクエストは達成条件がよくわからない。異星船はボスキャラかも。倒し方を間違えたパーティは全滅だ」

「ああ……」

 プロジェクトが始まってすぐのブリーフィングで見せられた映像を思い出した。異星船はまるで身じろぎするように大きく動き、戒めのワイヤーを振りほどくと巨大なサルベージ船を巻き添えに豪快に沈んでいった。

 確かにフォルムといい、動きといい、なんとなく生き物めいている。

「ただ、ヤトゥーガもあきらめたわけじゃないと思う。俺たちに困難なモンスター退治をやらせて、横からドロップアイテムを掠め取っていく腹づもりだろうね」

 という事は、まだ決着したわけじゃないのか。

 私は眉をしかめて小さくため息をつく。

「そんな顔すんな。来週からは香帆もトロイスに移る事になる。ゲームはいよいよ本番だぞ」



---To be continued---

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