トロイス・レポート
「こんにちは!トロイス・レポートのお時間です。皆さん、今週もちゃんと見てくれていますか〜?」
鷹野さんがニコニコと笑顔でレンズを覗き込み、片手で器用にクルリとカメラの向きを変えると、マイク片手、カメラ片手に格納庫の中を歩き始める。
「プロジェクトのスタートから四か月、木星大赤斑にダイブするスペシャルメイドの潜航艇がついに姿を現しましたよ〜」
TM102潜航艇から移植されたタングステンの耐圧殻を純白のセラミックボディで包んだグラマラスなボディ。
深海潜航艇時代には寸足らずのシロイルカのようにずんぐりとしたデザインだったが、ジュピターダイバーに生まれ変わった今では、無理やりスイカをくわえこんだマンタというか、ちょっと一言で表現しにくい平べったいデザインに変更されている。
湊曰く、”空力を考えると航空機に近くなる”らしいけど、私は少なくともこんな不思議な形の航空機を見た事はない。
鷹野さんもその辺りが気になったようで、湊にカメラとマイクを向けてしきりに突っ込み始めた。
「エアハートさん、今回の潜航艇はずいぶん変わった形をしてますねぇ。どうしてですか?」
「あ、ああ」
湊が仏頂面のまま答え始める。
もう少し愛想良くてもいいのでは。一瞬思ったけど、ヘラヘラした湊は逆に嫌だなあと思い直す。
「……ダイバーは上空から支援船のサポートを受ける。ただ、木星は激しい電磁波を放出していて重要な通信が阻害されかねない。乗員の安全を考えてアンテナを出来るだけ大型に、合わせて空力的に問題のない設置方法を考えると自然とこうなる」
ほう、そうだったのか。
「大赤斑はご存知の通り巨大な台風だ。当然予想される乱気流を受け流す必要から、ボディはなるだけ薄くしたかった。滑らかに風を受け流し、かつ強度を保つ事を考え、このような生物的なデザインになった」
考えてみると、私も彼の設計ポリシーを詳しく聞いたのは初めてだったりする。なるほど。
「ところで、エアハートさんのお作りになる船は異星船とのデザインの類似性が以前から指摘されていますが、何か理由があるのですか?」
うわ、際どいなあ。そこまで聞いちゃうんだ。
「特に何かを参考にして設計した覚えはない」
あ、やっぱり怒った。わかりやすい。
目つきがすっと鋭くなり、辛抱強く質問には答えているけど、頬のあたりがぴくぴくしているのがここからでもわかる。
無理、してるよね?
それでも、目的のやり取りはどうにか撮り終わったらしく、カメラを構えるのをやめた鷹野さんがねぎらうように湊の肩を叩く。
「はい、お疲れ様。今日はこれで終わりね。後は司令のパートだから」
身を翻してひらひらと手を振り、こっちに向かってずんずん歩いて来る。
「来週は香帆ちゃんの回だから心構えしといてね。あと、あの怒りんぼさんをちゃんとなだめといて。よろしくね〜」
すれ違いざまにとんでもない事を言い残し、鷹野さんは格納庫から姿を消した。
鷹野さん、絶対に確信犯だ。まったく勘弁してほしい。
「ええと、あのー、湊?」
「ああ、香帆か」
あれ?
恐る恐る声をかけてみると、それほど機嫌悪くない。
「怒ってないの?」
聞いてみる。
「何を? さっきの収録なら仕事のうちだ。フレンドリーに対応したつもりなんだけど」
うーん。どう返事すべきか悩み、結局それ以上は触れないことにする。
「乗ってみていい?」
「ああ、もちろん」
答えながらさり気なくタラップを支えてくれる。
うん。本質的に優しくていい人なんだけどな。
あんな受け答えだときっと視聴者には誤解されるだろう。嫌だなあ。しかも、本人はそれでもいいと割り切っている。
ダメだ。何だかモヤモヤする。
私は以前よりさらに窮屈さを増した耐圧殻に滑り込み、雑念を頭から追い払おうとシステムチェックにのめり込んだ。
その日の夕方。
人気のない職員食堂で相変わらずトンカツ定食を頬張る辻本司令を発見した私は、彼の向かいに低重力マグをガツンと荒っぽく置いて腰掛ける。
「んあ? ああ、香帆か」
千切りキャベツをムシャムシャと咀嚼しながら司令はとぼけた声を出す。
「司令、お聞きしたいことがあります」
精一杯とんがった声を出したつもりなのだけど、まったく通じた感じがしない。
「おお、なんだ?」
ほら、やっぱりいつものようにのほほんと返される。おまえはのんびり父さんか。
「あの……」
さて、いざとなるとどう切り出したらいいのやら。
「いつもトンカツ定食を食べていらっしゃいますね」
よりによって何言ってるんだ私は。
だけど、司令は意外にも、それを聞いた瞬間さっと表情を引き締めた。
「何か言いたい事がありそうだな」
そのまま味噌汁で口の中のもろもろを強制退去させると、
「さて、聞こうか」
そう言いながら、ぐいっと身をのり出して私の目をのぞき込んでくる。
この人、もしかしたらすっとぼけているのは全部演技で、本当は鋭いのかしら? いや、まさか。
「鷹野さんの取材です。毎週毎週、あれ、本当に必要なんですか?」
「薫に何か粗相があったかな」
「いえ、決してそんな事はないんですけど、湊がかなりストレスを感じています。それに……」
「それに?」
「彼が視聴者に誤解されるのを見たくありません」
色々考えた末、直球勝負で本音をぶつけてみる。
「ほう、君達やっぱり似たもの同士だな。先日湊も似たような事を言ってきたよ。君をこれ以上見世物にしたくないからやめてくれと」
びっくりした。
まさかそこまで気を使われているとは思わなかった。
「まあ、気持ちはわかる。とはいえやめるつもりはないがね」
「どうしてですか?」
「君達の安全のためだ」
そうやってぐいっと芝居がかったジェスチャーで指を差されるが、全く意味がわからない。
「理解できません」
「そっかぁ」
司令はがしがしと頭をかくと、小さくため息をついた。
「これは湊に口止めされてたんだけどな」
つぶやくように言うと、湯呑みに残ったお茶を飲み干して立ち上がる。
「司令室においで。そこで話そう」
そのままお盆を取り上げて返却口に向かうと、
「オバちゃん、ごちそーさん」
そのままスタスタと食堂を出て行ってしまう。
「ちょ、ちょっと待って下さい」
私は慌てて後を追った。
「君がESAを出る直前の事だから二年ほど前になる。湊は航行中突然正体不明の海賊に襲われた」
「え!」
司令室のソファに腰を落ち着けてすぐ、司令は衝撃的な事実をいきなり口にした。
「当時彼が乗務していたのはアローラムⅡ、君達の思い出の船だな」
「はあ。それよりも一体何が!?」
「慌てるなよ、話は長いんだ」
司令は愛用のマグカップになみなみとコーヒーを注ぎ、手のひらを暖めるように持って向かいのソファに腰掛ける。
「海賊と言っても相手は某国の退役駆逐艦だ。廃艦手続きのミスで艦砲などの武装もそのまま払い下げられ、海賊の手に渡った」
「……って、そんなわけないじゃないですか!」
「もちろんあり得ない話だ。ともかく、アローラムは砲撃を受けて航行不能に陥り、彼が文明社会に戻ってこれるまでに二か月もかかった」
「無事だったんですか? けがとかは?」
「……うん」
曖昧に頷いたまま、口ごもる司令の様子にただならぬものを感じて思わず両手を握りしめる。
「船は大破し自力航行は不可能。電力も大半が失われて航法AIは機能停止。遠距離通信もできない。食料も不足し、我々が漂流同然の彼をようやく発見した時には危うく自分の足を食べる寸前だったと笑ってたよ」
それを聞いて思わずぞくりと全身に鳥肌が立った。
「そこで我々は彼の救助を公表せず行方不明として扱い、君の身柄も徹底的に隠して密かに地球に送ったんだ」
司令はそこでコーヒーを口に含み、苦々しげに表情を歪ませた。
「だが、それでも君達の所在はバレた。どんなに隠してもいずれ必ず情報は漏れる。ならば、いっその事最初からすべてをおおっぴらにしようと発想を変えたんだ」
それがあの意味もなく派手で重武装な記者発表の目的だったのか。私はようやく理解した。
「とはいえ、辺境の小惑星に無制限に報道陣を受け入れるのは、セキュリティ以前に食料や居住空間などサプライの供給上も問題がある。今回はスタッフも多いからな。というわけで薫の起用だ」
司令は空になった低重力マグをコトリとテーブルに置き、背もたれに体を預けた。
「彼女以上に辺境開発に精通したジャーナリストは多分いない。それは君も同意するだろ?」
私は頷いた。
「大手メディアもその辺りを踏まえ、全メディア公平に映像を出すという条件付で単独代表取材に同意した。彼女は全メディアの注文をなるべく公平に受け付け、我々があまり聞かれたくない下世話な話題でもあえて突っ込む。辛い立場だよ。わかってやってくれ」
ずるいな。そんな言い方をされたら反論できないじゃない。
「それにだ。世の中の人は見ず知らずの人間より少しでも知っている人に関心を持つ。遠い街で起きた列車事故よりも、知り合いの巻き込まれた小さなトラブルの方がずっと気になるもんだ」
「と、いうことは、私達を出来るだけ身近な存在にするために?」
「そう。湊の頑固な性格はともかくとして、あれでも一定のファンはいるんだぞ。そんな風に薫が画を作ってる。香帆、君は実際に放送されているトロイス・レポートを見たことあるか?」
「いえ、鷹野さんが撮影したビデオの確認はしましたけど……」
「今日の収録分は明日の朝には公開だ。一度見て見るといい。結構面白いぞ」
そう言って司令は打ち明け話を締めくくった。私は結局一言も反論できなかった。
翌日、私は一日中オフだった。
休みとはいえやることは多い。一番の大仕事は洗濯。
溜め込んだ洗濯物をランドリーマシンに放り込んでただ待つだけなんだけど、その場を離れるのも何だか不用心だし、中途半端な拘束時間なので他にまとまった用事も片付けにくい。結局eブックを流し読みするか、データパッドを持ち込んでメディアをザッピングするかくらいしかやる事がない。
「そう言えば……」
私は動画サイトからトロイス・レポートのチャンネルを開き、最新版が公開されている事を確認して何気なく再生アイコンをクリックする。
基本的に伝えられている内容は知っている事ばかりだし、登場人物だって身近な人ばかりだ。それほど期待もしていなかった。
ところが、これが面白かった。
ランドリーマシンが乾燥完了のアラームを響かせて我に返るまで、私は画面から一瞬たりとも目を放すことができなかった。
「湊が、ヒーローしてる……」
驚いた。
豊富なインサートカットが彼の難解になりがちな話をわかりやすく補足説明し、今更私が言うのも変だけど、孤高のエンジニアの一匹狼な仕事っぷりがものすごく格好いい。
暗い部屋で三次元CADを操作するシーンがヘルメットをかぶって鋭い目で何事か指示を飛ばしているカットに繋がり、その次のシーンはコクピットで複雑な六点シートベルトを装着する場面。
こんなシーン、いつ撮っていたんだろう?
“彼は試作機のコクピットに誰一人の同席も許さない。かつて同僚のテストパイロットを開発中の事故で失った苦い経験から、安全が完全に保証されるまで、頑なまでに他人を拒絶する。それが、彼の、極限宇宙機エンジニアとしての矜持”
ナレーションにかぶるように、彼がよく口にしているセリフがインサートされる。BGMが雰囲気を盛り上げる。
『極限状態であればあるほど、船は信頼できるものでなければならない。俺は自分の船を全面的に信頼し、命を任せてくれるパイロット達を絶対に裏切りたくないんだ』
最後はアローラムⅡが異星船を捕らえたカットだった。
「こんな映像、残ってたんだ」
映像は陽炎のようにゆらゆらと揺らぎ、相当な遠距離から望遠撮影されたであろうことがわかる。赤熱したアローラムⅡの船体に引き寄せられた異星船がみるみる縮んで消えるのを、私は初めて客観的に見た。
あの瞬間を思い出して、何だか涙が出てきた。
“予想外の結末から四年。今回、我々は人類史上初めて、荒れ狂う木星、大赤斑にダイブする。この極限に挑むのは、孤高のエンジニアが命を賭けて作り上げたこの潜航艇にしかなし得ないだろう。そして、単身この危険なダイブに挑むパイロットは!”
ついで「来週、乞うご期待!」のクレジットと共に私が新開発のパイロットスーツを試着した時のカットがドーンと映し出される。
「うっひゃー!」
私は恥ずかしさのあまりデータパッドを放り出した。
と、間の悪い事に湊がひょいとランドリー室に顔を出す。
「お、何だ今の声? どうかしたか?」
「どうもしない! いいから出ていってよ! スケべ!」
「何がスケベなんだよ?」
わけもわからずブツブツ文句を言う湊を追い出し、私は火照る頬を押さえながらデータパッドを拾い上げる。
画面はすでに移り、後はエンドクレジットが表示されているばかりだった。
「あーびっくりした」
やばいなあ。こんな煽り方をされると収録時に変に緊張しそうだ。だとしてもうまく編集されちゃうんだろうけど。
それにしても。
格好いいな、湊。
これだと誤解はされないだろうけど、何だか別の心配が必要みたいでモヤモヤする。
司令の狙いもなんとなくわかった。
出来るだけ派手に世間の注目を集め、敵が手を出しにくくするつもりなんだろう。相変わらず食えない人だ。
だが、
---To be continued---
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