十字架

 いつの間にか眠り込んでいたことに気付いてぎくりとした。

 だが、あわてて覗き込んだ航宙時計データウォッチの夜光デジタル表示は、それがほんの十分程度であったことを示している。

 湊は壁からゆっくりと体を起こすと何度も深呼吸し、息苦しさがちっとも解消しないことを確認して事態の深刻さを悟った。

 同時に、ほんの子供だましのトリックにまんまと乗せられた自分を悔やんだ。

 あの時そばにいた香帆に一言伝えておけばこんな事にはならなかったはずだ。

 だが、彼はそうしなかった。

 何でもかんでも聞きたがる香帆にこれ以上うるさく突かれたくはなかったし、下手に話せば彼女は自分も絶対についてくると言い張っただろう。

 それに、まさかここトロイスで命を狙われるなんて考えもしなかった。自分をここで始末して、一体誰が得をするというのだろう?

 閉じ込められてそろそろ十二時間になる。

 狭い密閉された漆黒の空間で、残された酸素もかなり薄くなっているらしい。息苦しさが次第に深刻なものとなり、なんとなく体を動かすのもおっくうになってきた。

 そうするうち、壁にもたれている事すらつらくなり、そのままずるずると床に寝転がる。

「どうしたもんかな?」

 もちろん、考え付くすべての手段で外と連絡を取ろうとしたが、インターホンにはすでに電源が来ておらず、宇宙服ロッカーは空、さらにエアロックの外部側ドアは完全に溶接されていた。

 外部から侵入のために封鎖が破られていたわけではなく、最初から湊をここにおびき寄せ、閉じ込めるための芝居だったのだ。

 エアロックの両側にあるチタニウムコートのドアパネルはいくら殴る蹴るの暴行を加えてもびくともしなかった。エアロックだけにとにかく頑丈さが取り柄らしく、へこむどころか傷の一つもついた形跡がない。こぶしが腫れ上がり、あげくにへとへとに疲れただけだった。

「古いくせにこんなところだけは変に頑丈に造りやがって・・」

 思わずグチも出る。

 普段のパイロットスーツと違って支給品の派手なツナギを着ていたため、航海中なら肌身はなさず持ってる緊急用の工具類は何一つ身に付けていなかった。せめてアーミーナイフの一丁でもあれば事態はもう少し違っていたかも知れないが、手元にあるのは再生プラスチック外装のやわなデータパッドと腕の航宙時計(データウォッチ)のみ。

 データパッドは通信のためのキャリア信号をつかめず、何度もリトライを繰り返したあげく、勝手に休止状態に移行して沈黙ブラックアウトしている。まさか基地内で圏外状態になるとは想像もできなかった。

 まさに絶対絶命の危機だった。

 湊はごろりと仰向けになり、床に大の字になって真っ暗な天井をぼんやり見上げた。息苦しさは今や耐えがたいほど。

 だが、その瞬間、視界の端でかすかに光るものがあった。

「ん?」

 目をこすり、あらためて暗闇を凝視する。

「何だ。あれ?」

 見まちがいではない。天井には小さな緑色の瞬き。

 何かのパイロットランプだろうか。少なくともあれはまだ生きている。

「一体何だっけ? あれは」

 前にどこかで見たような気がして必死に記憶をたどるが、酸素不足の脳みそは容易に回転しない。

 腹たちまぎれに手もとのデータパッドを光点めがけてフリスビーのように投げてみるが、天井は思ったより高かったらしく、パッドはそこまで達することなく落ちてきた。

 カツン!

 パッドが床に落ちて乾いた音を立てる。その瞬間、湊の脳裏にひらめくものがあった。

「環境センサー!」

 やっと思いだした。どこでも見かける極めてありふれた装置。

 彼は小学生の頃のいたずらを思い出していた。

 あれは確か二年生、いや三年生の時か。理科の授業、配られた小さな鏡で日光を反射させる実験の最中に、教諭の目を盗んでクラスの男子全員が示し合わせ、天井の火災センサーに光を集めた。

 一つ一つは手のひらに納まるような小さな鏡だったが、晴天の反射光がいくつも集まるとそれなりに温度が上がったらしい。いきなり学校中の火災警報が作動したのだ。

 首謀者として職員室に連行され、こってり絞られた事もついでに思いだした。

 センサーが生きているという事は、配線がどこかにつながっているはず。これを反応させればどこかで警報が鳴るはずだ。

 願わくば誰かがそれに気付いてくれん事を。できるだけ早く。

 息苦しさから考えて、おそらく残り時間はほとんどないはずだ。

 湊は慌ただしく暗闇を手探りして床に転がったデータパッドを探し出すと、再起動させながら脳みそを振り絞って考える。

「明るさ、熱、あとは何だ、音?」

 高い天井に張り付いたセンサーを誤動作させるほどダイナミックな環境の変化をどうやったら起こせるだろう。

「パッドのディスプレイの明るさくらいじゃ全然だめだよな。熱だってほんのり暖かい程度だし、俺の体温は全然検知されていないっぽいし。さて、どうする?」

 データパッドがこりずに始めたキャリア信号の探索シーケンスを眺めながら、ふと、気づく。

「電波か。センサーの配線がむき出しなら、波長を合わせればいけるか?」

 一般的なキャリア探索シーケンスを中止させ、遭難モードに切り替える。

 こうすると、太陽圏で使われている通信周波数を上から下までスキャンしながら、各周波数でバースト的に遭難信号メーデーを発信するようになる。通話どころか数文字のテキストコードを送信するのが精一杯だが、瞬間的には結構な大出力だ。

「うまくいってくれるといいんだけど」

 狙っているのは、岩肌を這ってセンサーに伸びている配線がどこかの周波数帯でアンテナとして機能し、センサーを誤作動させることだ。一度だけならセンサーノイズで片付けられてしまうだろうが、周期的にノイズが検知されればそのうち気にして調べる人間も出てくるだろう。

 だが、データパッドに表示されている酸素濃度が気になる。すでに18パーセントを割り込んでおり、ゆっくりとだが確実にその値は減少している。

 この数字がどこまで減ったら手遅れになるんだったっけ? だんだんぼんやりしてくる思考の中、必死で記憶をたどる。10パーセント、いや15パーセントだったか?

「頼む! だれか気づいてくれ!」

 湊は残り時間を少しでも延ばそうと、わずかな身じろぎすら堪えて酸素消費を抑える。だが、その間にも、濃度表示は止まることなく減り続ける。



 トロイス通信管制の女性スタッフ、宮迫は、夜明け頃からポツポツと飛び込んでくる不正規信号に頭を悩ませていた。

 基地の外、北側方向から飛び込んでくる微弱な信号は、正式なプロトコルを踏んでおらず、しかもすぐに途絶えてしまう。だが、平文に戻して無理にヘッダー部分だけ取り出して見ると国際救難機構が定める遭難信号に似ていなくもない。

 そのことに気づいた彼女は驚いて基地のデータベースを照会したが、現在、外で作業をしているスタッフは一人もいないことになっている。かといって近隣を航行中の宇宙船に行方不明情報も無く、誰が発信しているのかまったく正体不明なのだ。

「気になるわね。よし!」

 一度気になると放っておけない彼女は、ディスプレイをタッチし、インターフォンで施設管理課に連絡を取る。

「こちら通信管制の宮迫です。現在施設課で外部営繕作業はされてます?」

『おー、みやっちか? こちらの予定にはないぞー。調査班の連中じゃないか?』

「だれ? タナモト? ウチになんだか変な信号が入ってきてちょっと気になったものだから…」

『変な信号…そういえば昨晩からこっちでもセンサーの誤作動が続いててさ。班長は気にすんなって言ってるんだけど。一体何だろうな』

 宮迫の脳裏で何かがひらめいた。

「ねえ、タナモト、それって基地の北側? 外からじゃない?」

『いいや、ウチのは基地の中。第三エアロックだな。お化けエアロック』

「ちょっと、それって基地の最北でしょ!」

『そうそう、三角山の向かい側』

 宮迫は沈黙する。回線の向こうで棚本も何か感じるところがあったらしく、宮迫のディスプレイに添付付きメッセージが届く。開封してみると、センサー誤作動(ノイズ)の時系列グラフだった。

『みやっち、悪いけど今送ったタイムチャートをそっちの信号と付け合わせてくんない?』

 言われるまでもない。宮迫はタイムスケールをあわせて信号の受信チャートをその上に重ねてみる。回数と間隔はだいたいあうものの、時間はわずかにずれている。だが…。

「違うわね。そっちでノイズが観測されて数秒遅れでこっちに信号が入ってる。まったく同じ発信源じゃない、けど…」

『その方が変だろ! 発信源が基地の内外にそれぞれあって、反応しあってるってことじゃないのか?』

「…」

『…』

 宮迫は決断した。何が起きているのかは分からない。だが、少なくとも普通じゃないことは確かだ。施設課との回線を切ると、すぐに別のチャンネルにつなぎ直す。

「司令室? お忙しいところすいません。辻本司令はいらっしゃいますか?」



 データパッドに表示される酸素濃度が12パーセントを下回ったで湊は究極の決断を迫られていた。

 しばらく前からどうやら熱も出てきたらしい。体中の力が入らなくなってきた。遭難信号は結局誰にも見つけてもらえていないらしい。

 待てば待つほどヤバい状態になるのは確かで、多少でも動けるうちに別の方法を考える必要があった。ここに人がいることを確実に知らせるためには、しょぼいノイズ程度ではなく、もっと確実にセンサーを反応させなくては。

「あー、だるい」

 ひっきりなしに襲ってくる吐き気を抑えようと生唾を飲み込みながら、ぼやける意識をどうにか保とうと自分のアイディア声に出す。

「パッドを分解し、バッテリーをスパークさせる」

 だが、その先が思いつかない。

 小さくてもいいからそこから炎を起こし、環境センサーに火事を認識させたい。

 だが、今着ている派手な作業服を含め、宇宙空間で用いられている物に簡単に火がつく物は何もない。すべてに完璧なほどの難燃処理が施されている。電気火花を起こしたところで、そこから先が続かない。

 それに、データパッドを破壊してしまえば、そこから先、他の手段はとれなくなる。酸素濃度、イコール自分の残り寿命を知ることもかなわなくなる。

「まあ、自分の寿命は今さら知りたくもないけど…」

 真っ暗闇の中、エアロックの四隅の床をもぞもぞと手探りし、わずかな綿ぼこりをかき集める。これだって難燃素材には違いないが、これだけ細かい繊維状であれば多少は燃えるだろう。少しでも炎が続けばそれでいい。

「あ、あとは髪の毛があるか…」

 痛みをこらえて髪の毛をぶちぶちと引きむしる。

「あとでハゲないだろうな」

 思わずそんな心配をした自分に苦笑した。今をどうにか生き延びなくては、その後なんて心配しても仕方ない。痛みに涙をにじませながらさらにひとつかみむしり取ると綿ぼこりの上に積み上げる。

「よし」

 覚悟を決めた。

 データパッドの再生プラの外装を両手で力任せに折り曲げる。薄っぺらい樹脂版はわずかな抵抗の後パカリと剥がれ、その下から手探りで薄くパックされたバッテリーを引き出すと、プラスとマイナスの端子部分を指で確認する。

「よし」

 思ったよりしっかりと金属部分が露出している。

 航宙時計を腕から外し、チタニウムのバンド部分を両方の端子にまたがるように押しつける。

 バチッ!

 想像よりはるかに大きな火花が出た。これなら行けそうだ。

 バッテリーパックをほこりと髪の毛の塊の下に敷き、再びバッテリーを小刻みにショートさせる。

 バチバチとスパークがはじけ、綿ぼこりに引火して線香花火のような小さな炎を起こす。

「よっし!」

 その上に慎重に髪の毛をかぶせる。タンパク質の焦げるいやなにおいがエアロックに充満し、炎はメラリと大きく燃え上がった。

 湊はすかさず天井の環境センサーを見上げる。

 見つめる間にそれまでグリーンだった光点が不安定に瞬き、間もなく赤色に変化した。

「やった!」

 だが、次の瞬間、四方の壁の天井付近に仕込まれていた噴射ヘッドから湊めがけて猛烈な勢いでガスが噴出してきた。

「なっ! 何だ?」

 混乱する湊。エアロックのドアには削り取られた文字の他に何か書かれてなかったか? いけない、確かあれは…

〈イナージン・NN2300系IGS 酸素希釈型消火設備〉

「しまった! イナートガスだ!」

 彼の記憶はそれっきり途絶えた。



「みなと!」

 呼びかけられて振り向くと、目の前に懐かしい顔があった。

「美和!」

 呼びかけに応えるように小さく首をかしげでほほえむ仕草。間違いなく美和だ。

「ど、どうして?」

 そう問いかけながらも、頭の別の部分は妙に醒めていて、これが単なる夢であることを告げていた。

(またいつもの夢か…)

 ぼんやりとそう、思う。

 いつもそうだった。こちらがいくら問いかけても、美和は一言も発することなく、少し寂しげに見える表情で微笑んでいるだけ。

 だが、この日は違っていた。

「久しぶりに会ったのにいきなり“お前”はないわ。それよりも、また優子いじめてるでしょ」

 驚いた。

 夢の中の美和とこうして会話が成立したことはこれまで一度もなかったからだ。

「別にいじめてなんかいない。ただ…」

 少しでも長く話がしたくて、慎重に探りながら答える。

「ただ?」

 湊は言いよどんだ。

 どう言えばこの気持ちを判ってもらえるのだろう?

「あのね、いつまでもずっと忘れないでいてくれる、その気持ちはうれしい。これは本当よ」

 美和は湊の葛藤に気づいているのかいないのか、湊の瞳をまっすぐに見つめながら、そう言う。

「でも、事故は避けられないものだったのよ。優子のせいでも、もちろんあなたのせいでもない」

「そんなはずはない。誰にも責任がないのなら、なぜ君は死んだ?」

 もっと理論的に反論しようとしたが、のどがひりついてうまく言葉が出ない。

「…運命ってのはやっぱりあるのよ」

 美和は肩をすくめて視線を落すと、小さくため息をついた。

「ねえ、いつまでも過去に縛られてるのは良くないわ。前を見なさいよ。せっかくの才能を自ら封じて、この五年間、あなたはあの実証船かんおけに閉じこもって一体何をやってたの?」

「君は相変わらずストレートな物言いするなあ」

 違う。そんなことが言いたいんじゃない。

「あたりまえよ。現実から目をそむけて、一人で殻に閉じこもってるなんて、死んでるのとたいして変わらないわ。もうどこにもいない私の事なんか早く忘れて、いい加減に前を見て欲しいわね」

「違う、そうじゃない。忘れたくないんだ! 現実に関わり合っているうちに、次第に君の記憶が薄れていくのが耐えきれないんだ!」

 だが、彼女はそれには答えない。

「…まだあなたを必要としてる人達がいるわ。本気で心配してくれる人も、ね。だから」

 美和はそう勝手に話を締めくくると、にっこり微笑んだ。その姿が次第にぼやけ始める。

「おい、待てよ」

 引き留める間もなく美和の姿はさらにぼやけ、次の瞬間、まばゆい光の中で粉々に飛び散った。

 あの時と同じ、音も現実感もない一瞬の爆発。

「行くなーっ!!」

 視界一面が白に染まる。湊はその光に向けて絶叫した。



「あ、気が付いた?」

 高圧チャンバーの小さな窓から覗きこんでいた幼さの残る顔が急にほころんだ。

 その顔が引っ込んだかと思うと、耳元で気密の破れるプシュッという音が響き、続いて全身を蔽っていた高圧酸素チャンバーのカバーがゆっくりと開かれた。

 湊はリアルすぎる夢のショックから今ださめきれていなかった。看護師がチャンバーカバーをベッドから取り外し、部屋から運び出すのをぼんやりと眺めながらただ呆然としていた。

「湊先輩! 私が判ります?」

 香帆が再び湊の顔を覗き込むように身を乗り出してくる。

「ああ」

 ため息のようなかすれ声しか出なかったが、それでも香帆は十分満足したらしい。ベッドの背もたれをゆっくりと起こし、湯気の立ち上る低重力マグを無造作に差し出した。

「はい、これ」

「何? もしかしてホットジェラートか?」

「…ばか」

 そう言いながらも、香帆の目尻にはうっすらと涙がにじんでいた。

「よかった。このままずっと目覚めなかったらどうしようって思ってた」

「って、俺、そんなに危なかったのか?」

 その問いに無言でうなずいた香帆の目から大粒の涙がぽとりと落ちた。

「ごめんなさい。私、先輩がこんな大変な目にあってるなんて知らなくて…」

 そのままぐしぐしと濡れた目をこする。

「別に香帆の責任じゃないだろう。謝るな」

「でも私…」

 香帆はそこで言葉を切ると、濡れた瞳で無理に笑顔をつくって勢いよく立ち上がった。

「司令を呼んでくる。ちょっと待ってて」

 そう言い残すと、返事も待たずにさっさと病室を飛びだしていった。

「おい!」

 湊は彼女の後ろ姿をあっけにとられたまま見送ると、受け取ってそのままになっていたマグを思いだし、両手で包み込むようにしながら中のココアをすすった。暖かい甘い液体がのどを心地よく滑り落ち、二口、三口と口にするうちにゆっくりと全身が温まる。おかげでようやく五官がよみがえってきた。

 空のマグをサイドボードに戻し、枕元に置かれていた傷だらけの航宙時計をつまんで表示を確認する。あれだけ無茶な扱いをした時計がまだちゃんと動いていることにまず驚いた。

 暗闇で最後に確認してから丸二日が過ぎていた。

 左腕に点滴されている栄養剤のためか空腹感はさほど感じなかったが、けっこう長時間意識不明だったらしい。

「どうだ~? 危うく死にそこなった気分は?」

 辻本が笑えない冗談を飛ばしながら病室に入ってきた。背後に香帆と優子の姿も見える。三人共、同じように真っ赤に充血した目をしていた。

「すいません。どうも寝坊が過ぎたようですね」

 辻本は湊の返事に表情をきっと引き締めると大きくうなずき、ベッドサイドのパイプ椅子にどっかりと腰を下ろした。

「実際、あぶなかったぞ。酸欠気味になっていた所に窒素ガスなんて浴びたから、血中の窒素濃度が一気に危険値を超えたんだ。深海作業者がかかる潜水病によく似た症状が出てたな」

 言いながら辻本は大あくびをかみ殺す。どうやら三人ともほとんど眠っていないらしい。

「あのエアロックの近くにたまたま、まだ生きている監視カメラがあってね、そこに犯行の一部始終が映っていた」

 神妙な顔をして言う。

「だが、映像記録の存在に気付いたのは君が救出された後だったんで、惜しい事に犯人はすでに逃亡した後だったよ」

 そのまま首を横に振る。

「実は君の救出と前後して基地内で別の騒ぎも起きていてね。アローラムに直接関わっていないスタッフが基地の北側に集中していたタイミングで、正面から堂々と出て行ったらしい。行き掛けの駄賃にうちの実験用小型艇まで持って行きやがった」

 肩をすくめ、情けない表情で続ける。

「そうですか…」

「ただ、一つだけいい話がある。あれにはたまたま試験中の超小型ビーコン発振器が装備されててね。うちの試作品なんでまだ奴も気付いてないようだ。うまく行けば連中のアジトまで追尾できる可能性があるんで、追跡の船はあえて出してない」

 そこまで話すと、急に改まった態度で背筋を伸ばし、神妙な口調で続けた。

「君には詫びないとな。まさかこんな身内にまでスパイが紛れ込んでいるとは気付かなかったよ。まったくもって申し訳ない…」

 そのまま深々と頭を下げた。

「いえ、あの、そんな事よりアローラムは無事ですか?」

「…ああ、大丈夫だ。事態が発覚して徹底的に再確認した。船はいじられてない」

 慌てて問いかけた湊の言葉に、辻本はいくらかほっとしたように頭を上げた。

「修理改修作業の方はもう九割がた終わってる。君がここにいる間に窯出しした新しい船殻の組みつけも終わらせた。あとは航法システムのデバッグと全体のバランス調整、それに実航試験だな。できれば君にも明朝までには復帰してもらいたいが、いけそうか?」

「大丈夫です。ほんとにご迷惑をおかけしました」

「いや…。それから、スパイの所属がたとえどこだったにせよ、我々の計画はすでにライバルに筒抜けと考えた方がいいな。この先はスピードこそが勝負を分ける鍵になる」

 湊も無言で頷く。

「アローラムは明朝未明出港。残りの作業は実航試験と並行しながらでもいけると思う。もちろん艤装作業完了まではうちの多目的船も並走させるつもりだ。多目的船はその後、君達の支援母船になる」

「はい」

「じゃあ、せめて今晩くらいはゆっくり休んでくれ。俺も少し寝る」

 辻本はのっそり立ち上がると、背後に隠れるように立っていた二人の肩に両手を乗せ、湊の前に押しだすようにしながらゆっくりと病室を出ていった。

「あ、そうそう、私もデバッグがあるんだった…先輩、後でね」

 湊と優子の顔を交互に見比べた後、香帆はいかにもとってつけた様な用事を思いつくと、司令の後を追うようにあたふたと部屋を駈けだしていった。

 病室には二人だけが残された。

 優子は黙りこくったままその場に立ちすくんで動かない。張り詰めた、鉛のように重い空気がその場を支配する。

「座れば」

 重苦しい雰囲気に耐えかねて湊は口を開いた。優子はその声にびくっと顔を上げると、おずおずとうなずいてベッドサイドの椅子に腰掛けた。再び気まずい沈黙が流れる。

「「…あの」」

 二人の声がダブる。

「ああ、日岡から」

「主任からどうぞ」

「「…それじゃあ」」

 二人は思わず顔を見あわせ、どちらからともなくクスリと笑う。だが、おかげで張り詰めていた部屋の空気はようやく緩んだ。

「あの…」

「何?」

「体、もう大丈夫?」

「ああ、ちょっとだるい気がするだけで」

「こんな大事な時に災難だったわね」

「でも、現にこうしてぴんぴんしてるしね。実際にミッションが始まってから内部で破壊工作をされるよりよっぽどよかったと思うよ」

「まあ…確かにそうね」

 優子はうなずいて再び黙り込んだ。と思うと不意に顔を上げ、またすぐに俯いてしまう。

 何かを言いだそうとして、ひどくためらっているように見えた。

「あのさ」

 そんな優子の姿を目にした途端、湊は衝動的に思わず話し始めていた。

「美和に逢ってきた」

 優子の体がぴくりと硬直する。

「俺、あいつに叱られたよ。いつまで過去の事を引きずってるんだってね」

「え? でもあれは私が…」

「あの事故は誰のせいでもないって。あいつが自分ではっきりそう言ったよ」

 都合のいい、自分の願望が生み出した幻。だが。

「だから、俺もそう思う事にした。いや、いい加減そう考えなきゃいけないって思った。だから…」

 そこまで一気に吐きだした湊は、優子の目に光る涙を見て言葉を飲み込んだ。涙はたちまち溢れ出し、両の瞳からポロポロと落ちた大粒の涙は膝の上できつく握りしめた両手を濡らしていく。

 あの事故の時も、優子は気丈にも人前で涙一つ見せず、淡々と事故の処理にあたっていた。

 その彼女が今、無言のまま、まるで子どものようにポロポロと涙をこぼしている。それが湊にはなぜかひどくショックだった。

「だから…頼む。頼むから俺に謝ったりしないで欲しい。そんな事されると俺は君を責めてしまうかも知れない。辛いのは君も同じはずだ。君がこれ以上責任を感じる必要はないんだ。だから…」

 そのうち自分でも何を話してるのか判らなくなって口をつぐむ。

「…ずるい」

 優子が俯いたまま、まるで吐き捨てるようにつぶやいた。

「そうやって他人は許して、また自分だけですべてを背負いこむつもりなんですか?」

「えっ?」

 優子は湊の顔を睨むように、涙を一杯にたたえた赤い瞳でぐっと迫ってきた。

「それじゃあ私はどうしたらいいんです! 私の罪は一体誰が裁くの? 私だってバカじゃないわ。自分の犯した過ちがどれほど重大なことかぐらいちゃんと判ってる。なのに、なのに、誰も私を責めないなんておかしいわ! そんなんじゃ、私はいつまでたっても許されない!!」

 普段の物静かなイメージとは対照的な激しい物腰でヒステリックに叫ぶと、彼女はそのままわっと泣き伏した。

 罪の意識。

 彼女が感じているのは強烈な罪の意識なのだ。

 誰にも責められないことが、逆に責任感の強い彼女の心をひどく苦しめている。

 だが、たとえここでだれかが感情のままに彼女を口汚く罵り、彼女の責任をとことん追及したところで、また逆にすべて許すと言ったとして、それで果たして彼女の魂は救われるだろうか。

 湊にはなんとなく理解できた。彼女の感じている果てしない重圧。それは自分があの日以来常に背負っているそれとたぶん同じだから。

 同時に彼は理解していた。恐らく彼女も気付いているはずだと思いながら。

 いくら誰がなんと言おうと、どんなに自分に都合のいい夢を見ようとも…。

 この十字架は、死ぬまで、背負い続けるしかない。


---To be continued---

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