難航

 番組の反響は凄まじかった。

 司令がジュピターダイビングの見通しをおよそ一年半後と報告し、合わせてファンドの設立を宣言すると、間髪入れずプロジェクトのアカウントには大量のお金がうなりを上げて流れ込み始めた。

 特に多かったのがアメリカと中国からの入金で、どうやらヤトゥーガに付き合わされる形で撤退した自国の宇宙機関をふがいなく思っている人達が想像以上に多かったらしい。

 アメリカも中国も、前回の捕獲作戦では結構いい見せ場があったし、ヤトゥーガのサルベージ計画に加わったのだって、間違いなく柳の下の二匹目を期待していたはずだ。

 ところがどっこい、蓋を開けてみると犯罪の片棒を担がされていた訳で、まんまと騙されたという怒りの反動からか、私達に対する期待度はこちらが怖くなるほどに高い。

 明らかに個人とは思えないほど高額の振り込みも多かったし、クラウドファンドではなく正式にプロジェクトに加わりたいという大手企業からの申し出も相次いだらしい。

「ここまで大変な話になるとわかってたら絶対に引き受けなかったわ」

 成り行きでファンドの取りまとめを担当することになった陶子さんが大げさにため息をつきながら苦笑する。

 さすがにプロジェクトへの参加はNaRDOの判断に任せる事になったものの、ファンドの窓口には現在の進行状況に関する細かい問い合わせやトロイス・レポート宛のリクエストまで寄せられ、それらをさばくだけでも毎日大変な業務量だ。

 挙句に私や日岡さん宛の見合い写真まで送られてきたらしく、なんだかもう、カオスとしか言いようがない。

 ちなみに、日岡さんは見合い写真を眺め「結構いい男ねぇ」なんて、まんざらでもない様子。

 さすがに私はそんな気にもなれず、開封しないまま丁重に送り返してもらった。

「金額の大小ではなく、支援者の数の多さが嬉しいな」

 その晩の打ち合わせで、辻本司令は届けられた報告書を見ながらニンマリと笑った。

「どういう事ですか?」

 まさにその数の多さに一番参っている陶子さんが少しイラつき気味にたずねる。

「支援者の多さがそのまま君達の鎧になる。誰だって自分の応援するプロジェクトを妨害されたくはないはずだ」

 司令の見方は私とはだいぶ違う。

「言ったろ、資金が足りない訳じゃないんだ。このファンドのもう一つの目的は、一人でも多く巻き込む事。味方を増やし、敵を少しでも牽制できれば、それだけ君達は安全になる。トロイス・レポートと考え方は同じだ」

 司令の表情は大真面目だった。

「では、今後も敵の攻撃はあると?」

「ある、だろうな」

 湊の問いに司令は即答した。

「今回の件でヤトゥーガの中枢がすべて壊滅した訳じゃない。相手は国家並みに巨大な企業複合体だぞ。そう簡単に諦めるものか。派手な動きはできなくなっただろうが、より陰湿に狙ってくる可能性はある」

 私は長いため息をついた。果たしてこれまで、彼らのやり方が陰湿でなかったためしがあっただろうか。

「でもね、君達を守るためなら、私はどんな姑息な手でもためらわず使うよ。陰険さには私も自信があるんだ」

 そんな事を得意顔で宣言しないでほしい。

 でも、はっきりわかった。

 ヤトゥーガが一番警戒するべきは私でも湊でもない。

 とんかつと昆布茶が大好きな、このおじさんが一番ヤバい。



「お久しぶりです。髪、お切りになったんですね」

 しばらくぶりに降り立った神戸宙港は、すでに晩秋を思わせるひんやりとした空気に包まれていた。雨が上がったばかりなのか、潤いを含んだ空気にはかすかに潮の香りがする。

「はい、やはり低重力では不便なので。野村さんもお元気そうで」

 朝の宙港ビルは、まだ人影もまばらだった。

 そんな中、凛とした立ち姿の女性が私を見つけて大きく手を振る。プールのお姉さん、野村一曹。

「あの時は本当にありがとうございました。おかげで助かりました」

 ずっと言えてなかったお礼がようやくできてホッとした。

「いえ、仕事ですから。それよりもすぐに向かいますか?」

「あ、はい」

 返事を待たず、私からスーツケースを取り上げるように受け取ると、全く重さを感じさせない動作でさっと振り返り、出口に私を促す。

 目の前にはウインドウに濃いスモークが貼られた黒いミニバンが停車していて、小柄な制服姿の女性下士官がリアドアを押さえて待っていた。

「ご記憶ですか? 森です」

 私を後席に押し込んで、自分も並んで乗り込みながら野村さんが彼女をあらためて紹介する。

「え!」

 驚いた。あの時は他人とは思えないほど私そっくりに見えたのに、今は全くの別人だ。こころなしか身長まで伸びたように見える。

「森は変装の名人ですから」

 含み笑いをしながら野村さんがささやく。

 ドアが閉まり、小走りに運転席についた森さんは、無言のまま静かに車を発進させた。

「まずは、けいはんな学研都市のノムロン中央研究所に向かいます。そうですね、二時間くらいかかりますからお休みいただいて構いませんよ」

「いえ、船でしっかり寝て来ましたから」

 前回の反省を踏まえてしっかり時差調整をしたので、まだまだ眠くはない。それに、今回の私にはプロジェクトの成否を分ける重要なミッションがあるのだ。居眠りなんてしてられない。

 湊の心配通り、ジュピターダイバーの開発は難航した。

 中でも一番大変だったのは、超高温と高圧に負けないセンサーの調達だ。

 TM102の設計と同じく、極限環境で乗員を守る為、ジュピターダイバーのコクピットにはまったく窓がない。ボディに高密度で埋め込まれた各種センサーが私の目となり耳となり、さらに皮膚となるからだ。

 だけど、湊も日岡さんもセンサーデバイスについてはほとんど素人で、結局私が造船所時代のツテでノムロンと田村製作所に摂氏五千度、千気圧という無茶苦茶な環境に耐えるセンサー開発のお願いに行くはめになった。

 もし、今回の訪問で首尾良く調達できないと、あの大切なタングステンの耐圧殻に穴を空けて観測装置を設置することになる。

 そうなるとさらに大幅な設計変更が必要だし、なによりもダイバーの耐圧、耐熱性能ががくんと落ちる。それだけは避けたい。

 というわけで、最初はごく普通に旅客船で北海道日高宙港に降り立ち、そこから関西までは空路で移動しようと考えていたのだけど、湊だけでなく久美子さんからも強硬な反対を受けて少し驚いた。

 一般人を巻き込むテロが予想され、私だけでなく周りの安全が確保できないからというのがその理由だった。

 有名人になるのは仕方ないとあきらめていたけど、まさか出張すら自由に出来ないのかと少し悲しくなる。

 湊からは自分がアルディオーネで送ると言われた。でも、ダイバー開発の遅れがそろそろ無視できないレベルで、湊が現場を離れることには全員が反対した。

 結局妥協案として、NaRDOの手配した連絡艇で神戸に降り立ち、そこから先は車移動しようという事になった。

 でも、それだって護衛付きだ。この車の前後にも目立たないけど護衛の車両がついているだろう。上空には小型の無人偵察機ドローンがピッタリと追いかけて来ている。

 私は小さくため息をついた。

「どうされましたか? ご気分でも?」

 野村さんがすかさず聞いてくる。

「いえ、こんな厳重に警護され、いえ、野村さん達にはすごく感謝してるんですけど、自由のない生活がいつまで続くのかなって…」

「そうですね…」

 野村さんは唇に人差し指をあてがって一瞬考えるしぐさを見せた後、ニッコリと笑顔を見せて言う。

「簡単です。香帆さんがさっさと異星船を引き上げちゃえばいいんですよ。そうすれば敵もそれ以上邪魔する理由がなくなります。すぐに解放されますよ」

「まあ、そうなんですけど」

 私は斜め上を見上げてパタリとシートにもたれこんだ。

「これが結構難航してるんですよね〜」

 ここ数ヶ月、あの面倒くさがりやでマイペースの湊でさえ、月間残業時間が二百時間超えという、どこのブラック企業にも負けない立派なワーカーホリックに変貌している。

 それでも、スケジュールには遅れがちだ。

 その主な理由は湊がダイバーの安全性に異常なほどこだわっている点にある。乗員の帰還に少しでもリスクがあると、彼は途中まで進んでいた設計をためらいなく白紙に戻す。

 その主な理由は、異星船がどう動くかわからないところにある。

 今、異星船は木星の表面からおよそ千キロ、水素ガスの大気の底、液体水素に変わるあたりに浮かんでいると考えられている。

 でも、私たちがそこまで潜る間に、相手はもっと下まで潜ってしまうかも知れない。

 異星船が今いる”海面”の気温は摂氏千度、気圧は十気圧程度と意外と大したことない。でも、それ以上潜るとすると、実は未だに信頼できるデータが全然なかったりする。

 計算上は、水素の海にたとえ一万メートル潜っても、外からの圧力はせいぜい八十気圧程度にしかならない。水に比べれば水素は断然軽いからだ。でも、温度がわからない。だから、先代のアローラムが瞬間的に三千度に耐えた実績から、周辺温度が三千度を超えたところでそれ以上の追跡をあきらめることにした。

 湊のカンではそのラインが木星表面からおおよそ三、四千キロあたりだという。

「下手すると勢いでもっと潜ってしまう可能性もあるからね。安全を見て今回のダイバーはせめて摂氏五千度に耐える設計にしたい。でもなあ」

 湊の独り言はいつもそこで途切れる。

 五千度に耐える物質なんてこの世にあるのか? いや、ない。

 私を守る分厚いタングステンの殻は三千四百度くらいで溶けはじめる。

 セラミックの外殻はもう少し厳しくて、ガンガン冷却して表面がどろどろに溶けながらがんばってようやく三千度ちょっと。

 センサーはもっとずっとヤワで、二千度を超えたあたりでどんなセンサーもあっさり死んでしまう。

 でも、それでは困る。センサーがなければ私は目隠しをされたのと同じ。せめて外殻と同じくらいの温度まではもってほしい。

 その方法が見つからず、もう一か月近く作業が止まったまま。いや、実際は何度も何度も設計をやり直し、それでもうまくいかず行き詰まっている。

 朝から晩まで熊のように部屋を行ったり来たりして、ウーウーうなっている湊をこれ以上見るのはつらい。

 そんなわけで、私が立候補した。

 センサー屋さんに片っ端から問い合わせ、ようやく日系の二社が話だけは聞いてくれることになったのだ。

「でも、無理だと思いますよ~って枕言葉付きだからなあ」

 それでもすがりたい。この問題の解決が私たちを袋小路から救い出してくれる唯一の方法なのだ。

 物思いに沈んでしまい、ふと気がつくと、車は海沿いの高速道路を抜けて、いつの間にか大阪城の脇を通り過ぎていた。



 けいはんな、正式名称"関西文化学術研究都市"。

 前世紀の末、吹き荒れるバブル崩壊の嵐にも負けず建設された人工の都市。

 東のつくば、西のけいはんなと呼ばれながら、つくばが宇宙開発全振りの研究都市に変貌した一方で、多くの素材メーカーが今もここに研究所を置いている。しかも、神戸に宇宙港が開かれて宇宙へのアクセスが良くなった事で、今では逆に宇宙機メーカーの進出も増えたと聞いている。

 私は事前のそんな予習を思い出しながら、ノムロンの建物前に立つ。白く艷やかな外壁には、あの有名なカンパニーロゴがドカンと掲げられていた。

「うー!」

 私は小さくうなって武者震いをする。背後には野村さんが秘書よろしく控えてくれているが、ここからは私の仕事だ。

「よし!」

 怯む両足を励まし、両ほほをパチンと叩いて気合を入れると、自動ドアに一歩を踏み出した。

 ところが、ドアマットを踏まないうちにドアがさっと開いて十人近い男性が飛び出して来る。思わず身構える私に、

「ようこそ、ノムロンヘ!」

 一番年かさの高級そうなスーツを着た男性が不意に右手を差し出してきた。

「?」

 思いがけない事態にドキドキする。

「あの?」

「安曇香帆さんですね。お待ちしていました」

「はい、あの?」

「ああ、私、ここの所長をしています、行橋と申します。トロイス・レポート、毎週楽しみに拝見していますよ!」

 両手をつかまれ、ブンブン振り回されながらようやく理解する。これは、歓迎されているんだよね。

「どうも、初めまして。安曇…」

「ま、立ち話もなんですからどうぞどうぞ」

 そのまま取り囲まれるように建物に招き入れられる。

『野村です。周辺にいる全員の認証は終わりました。全員ノムロン社員で間違いありません。念のためレシーバー回線は開いたままで』

 私と同じく困惑の表情を浮かべた野村さんからMMインターフェース越しに通信が入る。確かに、こんな展開は想定していなかった。



---To be continued---

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