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『…右舷、三時方向、俯角二十五度』

 長い長い沈黙の後、湊は固い声で再びゆっくりと指示を出してきた。

『三本走っているワイヤーのうち一番下をカット、残りは交差部分で溶接、固定』

「了解」

 私もつとめて事務的な口調で返すと、より慎重にカッターを操り、レーザートーチを振りかざす。

『次、そのまま四時方向、仰角二十二度、カットして残りは回収』

 頭を真っ白にして、途切れなく作業をしていないと、どんどん不安が膨らんでいく。

 センサーを失い、これまでずっと背中に感じていたアルディオーネの気配をまったく感じられなくなったことが、私の心を不穏に揺さぶる。

『次、かなりクリティカルだ。左舷十時、仰角四十五度。今ぶら下がっているワイヤーを、できるだけテンションがかかるように、ピンと張って長さを詰めて欲しい』

「間をつまんでカット?」

『いや、いきなり切断するのはリスクが高すぎる。ループさせて交差部分を先に溶接、輪っか部分を後からカットの方が安全かな』

 いつしか、そこら中をのたうつように横切っていたワイヤーはきれいに整理され、TM102わたしの前方には、まるで森の中のけもの道のように、ぽっかりと進路が開け始めていた。

(え、たったこれだけの作業で?)

 私はわずかな手間を惜しみ、しゃにむに突っ込もうとした事が恥ずかしくなった。

「…了解」

 右手マニュピレーター左手カッターを同時に使ってワイヤーをたぐり寄せ、緩んだ部分を交差させてバシバシとレーザーを放つ。発生したいくつもの煙の球が拡散すると、赤熱し、融着したワイヤーがゆっくりと光を失っていくのが見えて来る。

『よし、障害にならない様にできるだけ余分を切り詰める。その後右舷三時方向に縦に走っているワイヤーを切断。サルベージ船全体が大きく動くはずだ。気をつけろ』

 ワイヤーをつまんでいたカッターでそのままループ部分を切断、余りを切り詰めてゆっくりと放す。言われるままにとなりのワイヤーをカットすると、先ほど溶着したワイヤーがシュルシュルと引っ張られいつの間にかピンと張って頭上に持ち上がっていく。いや? サルベージ船が…下がっていく?

「湊、船が落ちる…」

『大丈夫。すぐに姿勢が落ち着く。それよりも上からサルベージ船のブームが下がってくる。ぶつからないように気をつけろ』

 そう言われても、もう上は見えない。生きてる舷側センサーで代用しようと船体姿勢をロールさせると、思ったより近くにサルベージ船のブームが迫っていて焦る。

「…うっ」

 怖い。本当に怖い。

 地球の海ではどんなに真っ暗でも、こんなに怖いと思った事はなかった。深海にたった一人取り残されたときも、金星でのテストでも同じだった。

 考えてみれば、私はいつでも何かに守られていた。それは例えばタングステンの分厚い耐圧殻だったり、久美子さんの鉄壁の防諜網だったり。そして何よりアルディオーネと、その生みの親である湊の庇護だったり。

 潜航艇と感覚統合したことで、私はTM102の備える鋭敏な感覚と機動能力を手に入れた。

 その代償に、何物にも守られることなく、身一つで巨大ガス惑星の大気に浮遊している今の状況もまた、私自身のものになった。

(やばいかなあ。だんだん混じってきちゃった)

 薄々覚悟していた事だけど、TM102と自分の境目が次第に曖昧になっているのが自分でも判る。

『香帆、前を』

 促され、反射的に船首視覚センサーを活性化。薄茶色の霧の向こうに、サルベージ船のコクピットがはっきり視認できた。

 タールのような有機物がこびりついて煤けた分厚い耐圧メタクリルの窓の向こうに、うっすらと人影らしきシルエットが浮かんでいるのが見える。

「湊、遭難者らしき人影を視認! 乗組員は一人だったよね?」

『そう焦らない。乗組員は各サルベージ船に一名ずつだが、何せヤトゥーガの出してきた情報だ。一応疑ってかかった方がいい』

「うん」

 確かにその通りだ。マルチバンドセンサーを向け、細かく観察する。

「あれ?」

  念のため各波長でもう一度細かくセンシング。

(変だ)

「湊、遭難者のバイタルは? リアルタイムで把握しているよね」

『ああ、相変わらず。微弱ながらも安定』

 見間違えかと思ったけど、人影はどう見ても標準規格の船内与圧服とヘルメットだ。なのに、そこには全くと言っていいほど生命反応がない。

(まさか)

 背中にゾッと寒気が走った。

 カメラを向けて最大望遠までズームする。間違いない。ヘルメットの中は、空だ。

「湊、おかしいよ。バイタルは出てるのに、与圧服の中は空っぽ」

『はあ?』

 論より証拠。私はノイズ除去したズーム画像をアルディオーネに転送する。

『まさか、香帆、離れろ! 罠だ』

 湊の警告は間に合わなかった。

 


 突然、猛烈な重力変動が起きた。

 それまでは、下向きに木星に引っ張られるような重力場にあった私は、サルベージ船の残骸もろとも、異星船めがけて“上向きに”落下した。

 とっさに姿勢をひねってスラスターを噴かし、どうにか激突だけは免れたものの、まるでコバンザメのように異星船の表面に吸い付けられ、スラスターを全開にしてもまったく離床できない。木星の重力を遥かに上回る重力場に捕らえられ、もはや普通に呼吸することすら苦しい。

「…なと、湊!」

『くそっ! 想定しておくべきだった。サルベージ船もこれで引きずり込んだんだ!』

 酸素の供給が阻害され、目の前がだんだんと暗くなっていく。と、突然、シュッと激しい音と共に高濃度酸素が耐圧殻内に放出された。私は金魚のようにパクパクとあえぎ、必死で肺に酸素を取り込む。

『カホ、大丈夫ですか?』

 いつも通りのシータだ。どうやら彼のとっさの判断らしい。

「全然大丈夫じゃないよ! 何なのこれ?」

 思わず抗議の叫び声を上げる私に、

『落ち着いて。思考していただくだけで伝わります。あなたの脳幹酸素レベルはまだ不十分です。これ以上興奮するのはよくありません』

(むーっ!)

 冷静にいなされる。でも、叫ばずにはいられなかったのだ。

『異星船の中心から地球重力の四倍を超える引力が発生しています。現時点で離床は不可能。スラスタの駆動は燃料の無駄です…』

(う、うん)

 甲高いエンジンの咆吼が途絶え、ヒューンという木枯らしのようなタービン音が徐々に低くなり、そして、消えた。

 不気味なほど静まりかえった艇内に、ボンベから純酸素が放出されるシュッという音だけが断続的に響く。

『香帆、大丈夫か? 状況報告を』

 答えようとして、声を出すのも辛いことに今さら気付く。

(シータ、お願い。私の思考を翻訳してもらえないかな。しゃべるのしんどい)

『先ほど船長のMMインターフェースに言語化モジュールを追加しました。あなたの思考を直接受信できます。聞こえてます』

(…湊、やられたね。遭難者は私たちをおびき寄せるエサだったんだ)

『そうらしい。TM102が着陸した瞬間にすべてのバイタルが途絶えた。多分異星船の偽装わなだ。遭難者はとうの昔に死んでたんだろう』

(でもなぜ、どんな理由で?)

『さあ。でも、サルベージ船の乗組員も似たような罠にはまったんだ。だとすれば、空っぽの与圧服が気になる』

(そうだよ、白骨化とかミイラ化しているとかならともかく、空っぽって一体どう言う事よ?)

 疑問を投げかけながら、あの空っぽの与圧服が自分の未来を暗示しているようで妙に気にかかる。

 今回のミッションで遭難者を目視確認するのは私の役目だ。

 そこで、発見時の視認率を上げるとか、事故現場の状況から受ける心理的衝撃を和らげるためだとかで、過去に宇宙で命を落とした航宙士達の現場写真を散々見せられた。

 もちろん比較的おとなしいものから段階を踏んで、ではあったけど、最後にはずいぶんむごたらしい画像も見せられたものだ。

 トラウマにならないよう、訓練の後にはすぐ記憶希薄化処理を受けされられた。それでも、深く印象に残っている映像がたった一つだけある。

 月周回軌道上で新型エンジンのテスト中に事故を起こした試験船コクピットの映像だった。

 墜落の衝撃でヘルメットや宇宙服の一部がひしゃげてはいたけれど、その若い女性テストパイロットの死に顔は不思議なほどに穏やかで、苦悶や痛みを感じている様子にはとても見えなかった。

 ただ、何か心残りでもあったのか、ちょっと寂しげな、困ったような微笑を浮かべていたのを今でも克明に思い出せる。

そのパイロットの名前は知らされなかった。でも。多分、あの人。

 …ああ、そうか。

(ねえ湊、ちょっといいかな)

『なんだ?』

(もし、私がこのまま帰れなかったとして)

 私はいつの間にか何かにせき立てられるように話し始めていた。

『バカを言うな。そんな話は聞きたくない!』

(いいから聞いて。あり得ない話じゃないでしょ。もし帰れなかったとしても、私は貴方の事を決して恨んだりしないよ)

『おい!』

(ただね、ちょっと心配)

『…何が?』

(うん。私たち…)

『私たち?』

(私たちの、一番の心配は、貴方がまた立ち止まってしまうこと。そこから一歩も動けなくなるんじゃないかと、それがとても気にかかる)

『だから何で複数形なんだよ?』

(みんな心配してたんだよ。美和さんも、陶子さんも、そして、もちろん私だって)

『…なっ、おまっ』

(嘘だと思うなら、私が訓練で見た画像のこと、司令に聞いてみて)

『何言っているんだ!』

(大丈夫、きっと、その時が来れば…)

『お話中失礼します。シータです。異星船が私の呼び出し要求に応えました』

 いきなり口を挟んだシータが、これまた衝撃的な事を言い出した。



“ほう、これはまた誠に興味深い組み合わせ。純粋人工知性と原始機械、有機生命体のキメラか?”

 これまで、地球中の科学者や政府関係者がいくら呼びかけても絶対に答えようとしなかった異星船が、初めてこちらの呼びかけに答えた。

 それだけでもビックリなのに、こちらの状況にコメントまでしてきた。会話をモニターしている支援船では今ごろ驚天動地レベルの大騒ぎだろう。

“我と起源オリジンを同じくする古き人工知性よ。数十億年の時を超えた邂逅を我は心から嬉しく思う”

『しかし…我が子孫を名乗る異星の船よ、貴殿はなぜ我が友を理不尽に拘束するか?』

 シータの口調は硬い。恐らくシータと異星船の間には、数億年以上の技術格差がある。いくら根っこが同じでも、万一対立することになれば太刀打ちできない事は想像しなくてもわかる。

“拘束とは心外な。相応の技術あればこのような児戯、打ち破ることはたやすいはず。それが成せぬ以上、対等の知性体と見なすには及ばない”

『恒星系を騒がせた貴殿らの小型高速舟艇を追い詰めたのが、他ならぬこの小さな炭素生命体だとしても、同じように言えるのか?』

”……”

 異星船は不意に沈黙した。

 会話が途絶えた瞬間、推移を固唾を飲んで見守っていたらしい支援船から大量のリクエストがどっと届いて面食らう。

 ほとんどは異星船に対する調査センシングの要望だけど、異星船と外交関係を樹立せよという日本国外務省からの依頼信まで混じっていて思わず苦笑する。

 今のところ、異星船は私達を対等な文明として認識していない。

 基本的な通信コードが同一である事を理由に、シータにはある程度配慮をしているみたいだけど、こと人類とその創造物である宇宙機に対してはペットロボット以下の認識っぽい。

 この時点で外交なんて、高望みもいいところだ。

 それよりも、この高重力、どうにかならないだろうか?

 シータの配慮で呼吸はどうにかなったけど、手足はまったく動かせない。このまま拘束が続けば、私の骨格も内臓も長く持ちそうにない。

 現に、心臓がバクバクととんでもない早さで脈打っている。末梢血管に十分な血流が確保できていないのだろう。手足の指先がじんわり痺れている。

 と、不意に知覚している重力の方向が微妙に揺らぐ。どうやら別の重力制御船が近づいているらしい。

 これ以上登場人物が増えるのは面倒だなあと内心ぼやきつつセンサーを向け、それが真っ赤に焼けただれたアルディオーネである事に気付いて息が止まりそうになった。

「湊! 何してんのよっ!?」



---To be continued---

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