ゼロからの再出発

「すべては一瞬の出来事でした」

 よく通る女性報道官の声と同時に、背後の大型スクリーンに構造図が映し出される。

「みなさまもご存知の通り、ケミカルアンカーはその先端に、真空中でも瞬時に硬化する特殊な薬剤のアンプルを装備しています。これが対象物に接触した瞬間に破裂、アンプルの破片と混じり合った薬剤は即座に化学反応を起こし、対象物に固着してアンカーの役目を果たすのです」

「しかし、アンカーの射出スピードはそれほどでもないはずですが?」

 暗闇から疑わしげな男性の声が響く。

 その声に大きくうなずきながら女性は続けた。

「もちろん、本来の使い方においてはおっしゃる通りです。ですが、回収されたフライトレコーダーの記録では、彼らはこの時点でも、秒速五百キロを超える信じがたい速度を保っていたと考えられています」

 報道官はそこで言葉を切り、会場を埋め尽くすメディアをゆっくりと見回して全員の理解が追いつくのを待つ。

「念のため強調しておきますが“秒速”ですよ。そこからさらに前方に射出されたわけですから、船の速度がそのままアンカーの射出速度にプラスされます。それほどのスピードでは、たとえ直径一センチに満たないベアリングの球一粒といえども、その運動エネルギーは対艦ミサイルの破壊力に勝るでしょう。パイロットのもくろみは決して的外れなものではなかったのですよ」

「なるほど…」

 声は納得したように黙り込んだ。

「そこで、パイロットは船体が敵コンテナ船と交錯する一瞬を狙って、レーザー発振器の収束コイルにケミカルアンカーを打ち込みました。もちろん照準をセットする間などほとんどありませんから、おそらく本能的なカンによってだと思います」

 スクリーンにはアローラムとコンテナ船が交錯する瞬間の映像が映し出され、ゆっくりとコマ送りされる。

「手段は極めて原始的です。ですが、偶然とはいえアンカーの狙いはだいたいにおいて正確でした。初弾はレーザーで蒸発し、二弾目と六弾目以降はこのように目標を大きく外れましたが、三から五弾目まではご覧の通り、収束コイル周辺にヒットしています。レーザー砲のデリケートな収束コイルを破壊するには必要にして十分でした」

 暗闇から感嘆の声があがる。

「しかし、この直後、すでに熱的限界を越えていた高速艇のエンジンノズルは爆発しました。発生した強い衝撃波で船倉内の燃料タンクも誘爆し、ハイセラミックの小さな船体は一瞬で粉々にはじけてしまいました」

 報道官は暗い声で告げる。

 スクリーンには粉々に砕け散るアローラムをとらえた超望遠映像がスロー再生され、数人が悲鳴ともため息ともつかない声をあげた。部屋中が低くどよめく。

「この日本独自の素材ででもあるハイセラミックの船体は、熱応力に強く衝撃にも耐える優れた素材です。しかし万一破壊された場合、船殻の破片がきわめて細かく割れるという欠点があります。そのため船の残骸は半径四千キロ、長さおよそ一万九千キロを超える巨大な円すい状に飛び散り、乗員の捜索は大変な困難をきわめました」

「そ、それで、乗員は、二人は無事に救助されたんですか?」

 誰かが早口でどなるように尋ねた。

 不意に部屋の照明がともされた。

 緊張した面持ちで息を飲む報道陣をゆっくりと見渡し、空白に戻ったスクリーンを背にした女性報道官は、両手を演台に突くと、にっこりと微笑んだ。

「もちろんです。アローラムに搭載された新型のカプセルシートは見事にその役割を果たしました」

 会場が大きくどよめく。

「乗員を衝撃と高熱からぎりぎり守りきった耐Gシートは、その後自動的に減速して太陽に対して相対停止、ビーコンを発振しながら漂っていました」

 部屋中から安堵のため息が漏れる。

「ダメージは深刻でした。ですが、おかげで二人ともそれぞれESAの船と我々の支援船によって無事発見、救出する事ができました」

 一瞬沈黙し、大きく息を吸って彼女は晴れやかに告げる。

「彼らは、生きていたんですよ!」

 途端に騒然となった。それまでおとなしく聞き入っていた者も含め、皆一様に興奮して勢いよく立ち上がると、スクリーンに向かって先を争うように猛然と詰め寄った。

「乗員は今どこにいるんですか!」

「容体は? インタビューさせてもらえませんかねえ!」

「報道官! ビデオ取材の許可をいただきたい! 大至急!」

 しかし、報道官は口々にわめき立てるメディア記者の怒声をまるで別世界の出来事のように冷静に受け止めると、騒ぎが一瞬静まった隙をついて厳かに宣言した。

「いずれ正式に記者会見を行います。ですが、この勇猛にして果てしなく無謀な二人の乗組員に敬意を表し、今しばらくはそっと回復を見守っていただきたいと思います。では、次の項目です…」



「どーだー、具合は?」

 松葉杖を突きながら部屋に入ってきた湊にむかって、辻本は気安い口調で尋ねる。

「あ、はい、今朝、やっとベッドを出てもいいって許可をもらいました」

 そう答えながら、湊は先客の存在に気づいて歩みを止める。

「あ、失礼、お客様でしたか?」

「いや、君にも話を聞いてもらいたくて呼んだんだ。紹介しとこう。マクシミリアン連合保険のく…えーと、久保君だ」

「…久保と申します。エアハートさんですね。お噂はかねがね。今回は船を失われたそうで、大変残念でございました。保険金の方は精一杯がんばらせていただきますので」

 シャープな顔つきの背の高い女性が、誠実そうな表情で右手を差し出してきた。

「あ、どうも。初めまして」

 スレンダーな外見からは想像できない力強い握手に驚きながら、ギプスで固められた右手でおっかなびっくり握り返す湊。

「おう、もう骨がつながったか。早かったな」

「そうでもないです。一週間もベッドに縛り付けられてたんですよ」

 湊は心底うんざりといった表情で両手を持ち上げ、首をすくめてみせた。司令はその仕草にニヤリとすると、ゆっくりと立ち上がり、閉じられていた背後のブラインドを勢いよく開く。

 見慣れた満天の星空がそこには広がっていた。司令は後ろ手を組み、しばらくは無言で星空に見入った。

「さっき、NaRDO広報局から正式発表があった。今後の異星船捕獲は、国連宇宙機関が新たに組織する捕獲プロジェクトチームに各国が船舶と機材、人員を出しあう国際共同プロジェクトで本決まりらしい」

 湊はため息をつき、もぞもぞと松葉杖を持ち替える。

「ずいぶんと事が大きくなってしまいましたね」

 司令はゆっくり振り向くと、厳しい表情のまま小さくうなずいた。

「まあな、でも、あんな大事件のあった後で、これ以上一部の国の秘密にしておくわけにもいかないだろ。今回のようなテロの再発を防ぐためにも、さっさと公表したほうがいいと上は判断したんだろうな」

「はあ」

「計画そのものが白紙にならなかっただけよかったと言うべきなのかもしれないぞ。それに、一国だけの捕獲作戦では簡単に奴は捕まらない事がはっきりしたじゃないか。各国、思惑はいろいろあるが、ここはひとまず協力するのが成功の早道だろうと私は思う。異星船だってこの先いつまで太陽系に居てくれるかわかったもんじゃないし」

「…まあ、そうなんでしょうね」

 湊はため息をついた。

 アローラムを失った自分には、もはや異星船が手の届かない存在である事が残念でもあった。

「それから、例の武装船の所属が判った…久保君、説明を」

「はい」

 久保と名乗る女性は湊に向き直り、それが彼女のくせなのか、彼の目をじっと見つめながら口を開く。

「船は、ヤトゥーガの孫会社の持ち船でした」

「何でヤトゥーガが…」

 じっと見つめられ、若干の居心地悪さを感じながら湊は疑問を口にする。

 ヤトゥーガコンツェルンは小惑星帯でのレアメタル採掘をきっかけに急成長した多国籍巨大企業コングロマリットだ。その事業は今や鉱山、運輸、通信、造船、兵器生産など多岐に渡り、グループの年間総売上は日本の国家予算すらはるかに越えると言われている。

「さあ。ただ、あそこは近ごろレアメタルの鉱区争いで各国の宇宙開発組織といざこざが絶えないんだ。国連宇宙機関の割当て勧告を無視して勝手にあちこちの小惑星をほじくり返している。そこまでする理由はさっぱりわからないんだが、現にNaRDOとも過去何度か、けっこう派手にもめてるしな」

「もしかして、トモスa2のマスドライバーもヤトゥーガの所有ですか?」

「いえ、直接の関係は見受けられません。ですが…」

「ま、…怪しいだろうね」

 辻本はそこで言葉を引き取り、デスクの上の報告書をぱらりとめくる。

「前に君をエアロックに閉じ込めたスパイがいただろ。あいつの逃げ込んだ先がずばり、トモスだったそうだ」

「えっ!」

「ただ、武装コンテナ船の方は一カ月ほど前に被害届が出ていたよ」

「はあ」

 うなだれる湊に構わず、久保は言葉を続ける。

「…問題のコンテナ船はダイモスの鉱石バースからハイジャックされたもので、所有会社はその直後に船を失った事による業績不振を理由に清算されています。高額の盗難保険金も支払われています。アローラムやプローブを焼いたのはあくまでテロリストだと元経営者側の弁護士は主張しています」

「って、あからさまに怪しいじゃないですか。あの船は相当に金のかかった武装を備えてましたよ。テロリスト程度にどうこうできるレベルを超えてます!」

「まあな。だが、確たる証拠がない以上憶測で文句は言えないよ。捜査はICPO国際刑事警察機構とうちの特別査察部にきっちり引き継いだ。遠からずはっきりするだろう」

 辻本はそう言って小さく肩をすくめると、椅子にどさりと腰かけた。

「ところで、さっきホールでシルバーストリングの船長を見かけたが…?」

「ええ、見舞いに来られました」

「君の知り合いか?」

「俺じゃなくて、死んだ親父と船長が赤ん坊の頃からの幼なじみだったんだそうです。若いころは、とある日系女性を巡って派手なケンカもした仲だそうで」

「それってもしかして」

「おそらく、母のことでしょうね。二人共もう故人ですから本人に確かめる事はできませんが」

「なるほどね」

 辻本はふっと遠い目をした。

「それで彼はあんなに…。で、他にも何か?」

「はあ、それが…」

 湊は言いにくそうに言葉を濁した。

「はっきり言うとスカウトなんです。NASAが国連宇宙機関に推薦する捕獲チームの技術主任に自分を指名したいと…」

「おい、そいつはちょっとまずいな~」

「ですよね。自分もそんな大役は向いてないと思って断ったんですが…」

「いやいや、そうじゃない」

 辻本は湊の言葉を遮るように首を振ると、机の引き出しから真っ白い角封筒を取りだした。

「これ、実は国連宇宙機関からの招聘状なんだ」

「はぁ?」

「君を今捕獲計画の捕獲艇キャッチャーのパイロットとして招聘したいそうだ。私も、どちらかというと単なるエンジニアより、現場の最前線の方が君向きだと思うがね」

 そう言って不器用にウインクをすると、今度は懐から一通の長封筒を取り出した。

「それから、こっちはNaRDO本部からの就任要請書」

「そんな何通も…こっちはなんて書いてあるんです?」

「ああ、国連の要請に加え、捕獲船キャッチャーそのものの開発に加わって欲しいというオプションがついている。おい、よかったな? 人気者!」

 困惑した表情の湊を眺めながら辻本はいつものニヤニヤ笑いを浮かべている。

「ただし、うちの方にはさらに怪しげな条件がついててね」

「はい?」

「共に開発に携わるエンジニアの人選を我々に一任すること。もう一つは君が乗船する捕獲船キャッチャーの実施設計に君自身が直接関与すること。どうだ?」

 湊は怪しげな笑いの奥にある物を何とか探ろうと試みたが、辻本の鉄壁の薄笑いを突き崩す事はできそうになかった。

「しかし、司令、どうせ事がオープンになったのなら、もうすこしいい人材を広く求めた方がいいんじゃないかと思うんですが…」

「あのね」

 辻本はあきれたように目を見開く。

「私は次善の策なんてのは大嫌いでね」

「はぁ?」

「常にその時点のベストを選ぶのが私の主義なんだ。だから今回の一件も、様々な条件を考慮して、最善だと判断したからこそ君を選んだ。いまさらよそに譲るなんて軽々しく言わないで欲しいな」

「しかし、俺はもう…」

「君がシップビルダーに断ちがたい未練を持っている事は徳留君からも聞いている。そう意地をはらずにもう一度船を作ってくれないかな?」

 湊は答えなかった。

「国連の獲隊プロジェクトチームからも強く念を押されてるんだ。太陽系一早いキャッチャーボートと腕のいいモリ打ちを用意してくれとね」

「モリ打ち…ですか?」

「ああ、君が武装コンテナ船に対して使った方法を見て、NASAの技官が面白い方法を思い付いたんだ。これは、捕獲船の加速性能が非常に重要な要素になる」

「ですが、俺の船は致命的な…」

「ああ、君の設計思想は確かに独特で、言うまでもなく世の常識からかけ離れている。当時の設計支援プログラムが君の船の問題点を解析できなかったのもそのせいだと思う。5年、早すぎたんだよ」

 湊は耳の痛い指摘に唇をかんで顔をふせる。

「しかし、シミュレーションシステムの性能は年々向上してるし、船殻材料だって制御系だって日々進歩してるんだぞ」

「……」

「まあ、いい」

 辻本は小さくため息をついた。

「まだ時間がある。じっくり考えてくれ」

 そう言って静かに立ち上がると、思いだしたように机の上からもう一通の封書を取り上げた。

「そうだ、これを忘れてたよ。ギネスデジタルレコーズからの公式認定状が届いた」

「俺に…ですか?」

「そう、『有人宇宙船太陽系最高速度記録-秒速五百七キロ-アローラム号』ってね。念のため付け加えておくと、君達はこれまで人類が打ち立てた有人船での速度記録を一気に三倍近くに押し上げたんだぞ。あの無愛想な北中国国家航天局でさえ、君達の勇気に敬意を表するって非公式にコメントしてきたぐらいだ」

「はあ」

「ああ、そういえば君は以前北中国軍の士官を救助したこともあるらしいな」

「はあ。火星の近くで座礁した小型送迎艇を曳航したことならありますけど。でも、あの場に置かれれば誰だって同じ事をしたでしょうし、それにもう、ずいぶん前の事ですよ」

 湊は受け取った角封筒から箔押しホログラム入りの凝った認定プレートを取りだし、明かりにかざしながら答えた。

「あの時の遭難者が今じゃなんと〈瀑布〉の艦長だ。真の船乗りは、受けた義理を決して忘れないんだとさ。くれぐれもよろしく伝えてくれと頼まれたよ」

「へえ。でも、そうするとESAの船はどうして、あれほど親身になってくれたんでしょうか? あそこは、別にこれというしがらみはないですよね。いや、司令のお知り合いが…」

「さあな」

 辻本はそれ以上は答えず、再びあのニヤニヤ笑いではぐらかす。

「それより今渡した認定状な、せっかくで悪いがすぐにゴミ箱行きになりそうだ」

「え?」

「実は、日岡君がまたとんでもないモンスターを持ちだしてきたんだよ。エルフのテストベッドでは、あまりの加速Gでなみいるテストパイロットが軒並み失神したと言う伝説の逸品エンジンだそうだ。ただし、現時点では最大出力でのエンジン耐久性はわずかに9分。プラズマガスの熱圧にノズルの方が持たないんだ。おかげで実航テストが一度も済んでないらしいんだが…」

「また! そんなキワ物を使うつもりなんですか?」

「ああ。君達なら安心して任せられそうだって言ってたよ。それに、この前使ったエンジンはついに正式量販が決まった。優れた燃費と断トツの加速性能はアローラムで証明済だからな。結構いい宣伝になったらしいぞ」

「人を広告塔やらダミーロボットの代わりに使わないで下さい! これじゃ命がいくつあっても足りませんよ」

 辻本は湊の苦情を無視してにっこり笑った。

「でも、あれだけの無茶をやらかしたくせにちゃーんと無事に生きて還ったじゃないか。大成功だよ。たいしたもんだ」

「…ちゃんと、無事…大成功? これで? 本気ですか?」

 湊は包帯まみれの両腕を広げて呆れ果てた。こんな状態でも平気で成功とのたまう神経を疑わずにはいられなかったのだ。

 だが、そんな湊にはお構いなく、辻本は相変わらずとぼけた表情のまま部屋を横切り、ドアノブに手をかけながらもう一言付け足した。

「あ、最後にもう一つ、さっき着任した専任の航法エンジニアを紹介しとかないとな。昨日付でESA航法局から派遣されてきたんだ。結構切れ者だ。けんかするなよ」

「司令! 俺はまだ引き受けたつもりは…それに」

 言いかける湊を無視し、司令は芝居じみた仕草でさっとドアを引き開けた。

 驚きのあまり言葉を失う湊。

 司令はそこにポツンと立っていた小柄な人物ににっこりと笑いかけると、久保を促して足取りも軽く鼻歌まじりに部屋を出て行った。

「…どうも」

 そう言って照れ臭そうに頭をかく香帆の姿がそこにはあった。



「で、一体どこまでが仕込みなんですか?」

 廊下を並んで歩きながら、久保と呼ばれた女性は辻本の脇腹を親しげにつつく。

「なんだよいきなり人聞きの悪い。仕込みなんてあるわけないだろう」

 冷や汗と共に半笑いの表情を浮かべる辻本に、

「さあ、どうでしょうか? 私には、少なくともESAとは最初から話ができていたと思えます。それに、NASAはともかくあの北中国までも協力的なのはいくら好意的に考えても不自然ですわ」

 彼女は茶化すようにたたみかける。

「想像をたくましくすると、どうも貴方は最初からヤトゥーガが妨害を仕掛けることすら想定していたような感じがします」

「さすがにそれは考えすぎ。君の妄想だよ」

「ふうん?」

「それに、共同チームの結成はどの国にとってもメリットこそあれ、ディメリットはほとんどない話だ」

「そうですわね。民間船のリノベーションで開発期間ゼロで高機能船を手に入れて、口八丁で異能のエンジニアを囲い込むことにも成功しましたし…」

「まあ、その辺にしといてくれよ」

 辻本はあいまいな苦笑いを浮かべる。

「今回の件は本当に綱渡りなんだよ。この追いかけっこにはまず参加することに意味がある」

「…はい、それは十分理解しています」

「ウチだって少なくないコストをつぎ込んだ船を粉々にぶっ壊されている。湊に払う補償金だけでも頭が痛いのに、これ以上国際間のくだらない足の引っ張り合いに煩わされたくなかったんだ」

「あら、本当にそうでしょうか? 今回アローラムあのふねをだしにして実用化に目処をつけた先進技術は片手じゃ足りませんわね。今後NaRDOに入るであろう技術使用ライセンス料だけで十分おつりが来るんじゃありません?」

「久美子~。勘弁してくれよ、なんでそんなにイジワルなんだよ」

「そう、それで思い出した」

 久美子はふと真顔になる。

「“久保”って一体どこの誰です? よくもまあ、あれだけすらすらとウソが出てくるもんですね」

「あ、いや、君の立場を考えると、偽名の方がいいだろ?」

「…まあ、確かに」

 自分を納得させるように小さく頷いた久美子。

「ところで…彼はちゃんと納得させられます?」

 久美子は深刻になりかけた空気を振り払うように話題を変えた。

「いいや、香帆を投入してなんとかごまかしたけどな、あれは…」

「絶対にへそを曲げてますよ」

「だよなぁ」

 辻本は顎をこすりながらしたり顔で頷く。

「ま、そのあたりは香帆に任せた!」

「そんな他力本願な…」

 久美子の呆れたような視線をものともせず、辻本司令はあっさりと言い放つ。

「それよりも、頭が痛いのが三角山だよ」

「何か出ましたか?」

「出ましたなんてもんじゃないぞ。三角山の幾何学的中心にぽっかりと正六面体の空間があって、その中に正八面体のケースに入った“人工物”があった」

 一瞬そのままの姿勢で氷結したように動きを止めた久美子。

「…そ、それはまた…えらくあからさまな“人工物”ですね」

「さすがの君でもあきれるか」

「当たり前です!」

「まあ、あんまりご近所すぎて見過ごしてたなあ。湊の事故がなければ多分永久に気付かなかっただろう。けれん味たっぷりで参ったよ」

「けれん味では第一級の司令でもそうお感じなんですか?」

 いたずらっぽい表情で鋭く突っ込む久美子に、がくりとひざを崩す辻本司令。

「あのなぁ…ま、いい。良かったら一緒に見に行くか?」

「同席してよろしいのですか?」

「ああ、少なくとも君は詳細を知っといた方がいいだろうな」

 辻本は小さく頷き、久美子をエスコートするように数歩先に立つと、研究部へと歩を進めた。



「どうだ?」

「あ、司令、外箱に刻まれている文字の解析はもう終わりましたよ」

「早いな。何だった?」

「ええ、わかりやすくて助かりました。どうやら素数列のようです。二から始まって百一までありました」

「どうしてそこで終わりなんだ? 素数だとすればどこまでも続くはずだが?」

「まあ、主に文字を刻むスペースの問題だとは思いますが、一応そこまであればゼロから九までの数字が一通り出てくるんです。我々解読者向けのリファレンスってわけです。おかげで異星文明が我々同様十進数を採用しているらしきこともわかりました」

「おお! なるほど」

「ちなみに、中に収められていた装置には入出力端子ターミナルらしきものが四ペアあります。外箱の素数列を解読した結果を踏まえると、各端子のそばに刻まれている文字は、それぞれゼロ、三、二十四、三百八十四です」

 主任研究員は指し棒の先で立体画像をちょいちょいとつつきながら説明を加える。

「この向きの異なる三角マークは?」

「はい、“入力”、“出力”、加えてそれぞれに印可されるべき電圧を示しているという見方が大勢です。ここを見て下さい…」

 と、主任研究員はケースの下部を示す。ケースと一体化し周囲を取り巻く分厚い縁取り状の出っぱりがあり、何かを通す穴が等間隔で開いている。

「この穴、ボルトでも通すのか? それに、穴の周りにある色の違う部分は何だろう?」

「ケースの形状からして、まずはどこかにこの装置をがっちり固定する必要があるようですね。それと、穴の周りにある金色っぽい縁取りの金属部材ですが、ほんのわずか、フランジの基準面から出っ張っています」

 説明しながらモニターの表示を断面図に切り替える。

「特に根拠はないのですが、なんとなく穴の補強、あるいは固定時の締め付けトルクを計測するセンサーの類じゃないかと考えています」

「ほう。固定が完全じゃないと動作しない…一種の安全装置って感じかな。まさかこいつ、いきなり飛び跳ねたりはしないだろうな?」

 眉をしかめる辻本の脇から久美子が人工物を鋭く睨む。

「何らかの航法装置のようにも見えますね?」

「あ、はい、私もそれは思いました。私の狭い見識の範囲ですが、人類の開発した機器類で見た目やサイズが最も近いのは宇宙機に積み込まれるレーザージャイロ測位ユニットですね」

「なるほど。やはりそうお感じになりましたか…」

 得心したように頷くと、久美子は再びするりと辻本の後方に引き下がった。その様子を見た主任研究員は軽く咳払いをすると、辻本向けの説明を再開する。

「…というわけで、入出力端子に電圧を印可すると内部で何らかの処理をして、出力側にその値を返す装置なんだろうと推測しています。あ、あと、これはあくまで個人的印象ですが、入力するのは恐らく直流電流です。刻印にゼロ基準での対称性がありませんし、まったく違う文明圏に属する我々が電源周波数を想定できないことは相手も承知でしょうから」

「ふむ」

 辻本は小さく息を吐いて身体を起こすと、あらためて主任研究員に問いかけた。

「で、どうする?」

「はい。一応念のため医療班に持ち込んでCTスキャンとMRIをかけてもらったんですが、内部構造はまったく判明しませんでした。完全なブラックボックスです。超音波エコーでも同様です」

「ふむ。続けて」

「はい、我々としては分解や切断のような破壊的な調査はひとまず先送りして、実際に電圧を入れて様子をみたいと思っているのですが…」

「しかし、ここに刻まれた“三”が、我々の“三ボルト”と同じとは限らない」

「承知しています。恐らく、一番端子と二番端子に描かれているこの外向きの三角がリファレンス用の出力ではないかと」

「要求される定格電圧に達した時点で何らかのシグナルが出る?」

「恐らくは」

「なるほどね」

 辻本は小さく頷きを繰り返し、やってくれと言うように右手を掲げた。

「では、行きます」

 研究者は辻本の表情を確認するように見返すと、再び小さく頷いた辻本に一礼してスタッフに向き直る。

「では、まずは十ミリボルトから。行きます」

「…リファレンス。出ません」

 測定器を凝視していた若い研究員がすぐさま声を上げる。

「少しずつあげて行こうか」

 主任研究員の指示でゆっくりと電圧が上がっていく。

「一ボルト、出ません。十ボルト、変化なし」

 室内を満たす空気も、電圧の上昇と共に次第に張り詰めていく。

「…一九〇、変化なし、続いて二百ボルト、リファレンス出ません!」

「緊張するな、おい」

「司令がオタオタしてどうするんです。シャキッとして下さい」

 小声で話しかける辻本を久美子が厳しくたしなめる。

「…入力三百十、変化なし。続いて三百二十、あ、出た! リファレンス出ました!」

 研究員が興奮気味に叫んだ。

「それぞれ二・五ボルト、二十ボルト!」

「リファレンス一番、パルス出力!」

「そこまで! 入力カット!」

 辻本の指示で試験は一時中断された。

「状況を」

「はい、入力が三百二十ボルトに達した瞬間、リファレンスの一番に周期三マイクロセコンド、デューティー比1/2、いわゆる方形波が出力されました!」

「どう考える?」

 辻本の問いに、主任研究員はわずかに考え込む素振りを見せると、恐る恐るといった感じで言葉を継いだ。

「そうですね…出力の一番がリファレンスだとすると、電圧が合致したと推測された瞬間に信号が出ています。ええと、これはもしかしたら入力側の電源周波数を指示しているのかも知れません」

「…まるでハコネ細工みたいだな。一つクリアするごとに次の指示が出てくる。最初から全部手順通りやらないとびっくり箱は開かないってわけだ」

「まあ、言葉も常識も通じない相手に対する配慮としては上等の部類だと思います。誤解しようがないですし。じゃあ、入力も方形波で行ってみますか?」

「そんな高圧のパルス信号…どうだ? 現実的か?」

「うーん」

 言葉を切った主任研究員は後方を振り向き、後方で自信ありげに頷くスタッフを確認して言葉を継いだ。

「なんとか出せそうですね」

「じゃあ、行こうか」

「わかりました」

 研究員は改めて後ろを振り向き、小さく手を振り上げた。

「電圧安定、リファレンス出力確認。それでは、方形波成分を印可します!」

 その瞬間、部屋全体がぬるりと揺れたような不気味なショックが全員を襲った。

「テスト中止! なんだ今の?」

「確かに揺れたよな? 施設管理に問い合わせて見ます!」

 計測機器に張り付いていた研究員の動きが慌ただしくなる。

「現時点で装置の振動及び発熱は検知されていません。特に固定の方も問題ありません」

 そう報告する主任研究員の後ろから、若い女性研究員がおずおずと口を挟んだ。

「あのー、主任、装置の質量が一瞬ゼロになりました」

「なんだって!」

「いえ、入力を中止したと同時に元に戻りましたが…」

「施設より連絡! ト、トロイスの軌道速度がほんのわずかに変化したそうです!」

 インカムを握りしめたまま若い男性研究員が裏返った声で叫ぶ。

「ええっ!」

 スタッフ達のどよめきにに呼応するように、トロイス基地全体に突如警報音が響き渡った。

「漏出警報! どこかで空気が漏れています!」



---To be continued---

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