敵襲

「目標との距離はどうなってる?」

「ええと、二十四時間前より三千二百キロ距離を詰めてる。この調子なら今日中にあと五千は接近できそうね」

 香帆は答えながら最新の軌道予想チャートを湊の視野に送り込んだ。

 作戦開始から四日後の午後。

 アローラムは目標の異星宇宙船からの相対距離、約一万キロメートルのポイントまで接近していた。だが、改装して大幅にスピードアップしたとはいえ、アローラムの設計限界速度は今だ秒速にして四百キロにも届かない。まるで魔法のように自在に針路と速度を変化させる異星船に追いすがる事は至難の技だった。

 だが、その間にもアローラムのセンサーが手当たり次第に集めた異星船のデータは追走する支援母船の三台の大規模並列AIに送り込まれて解析され、再びアローラムの航法制御AIにフィードバックされる。

 このプロセスを延々とループすることで、異星船の進路予想はわずかずつではあるが精度を上げつつあった。

 刻々とアップデートされるデータをもとに二人は予想進路の内側へ内側へと回り込み、なんとか最接近を果たそうと悪戦苦闘を続けていた。

 現時点、異星船に最も近いのはNASAのシルバーストリングから射出された二基の無人探査プローブだった。無人機のメリットを最大限に生かし、生身の人間ではとても耐えきれないような高G機動マヌーバを繰り返し、異星船の予想進路を大胆にショートカットするように追走している。

 時には予想が外れ大きく出遅れることもあったが、微妙に異なる軌道を描く二基がサポートしあう冗長構成が幸いし、これまで二基のプローブが完全に置いて行かれるような事態は発生していない。

 アローラムとNASAの無人プローブはそのポジションを奪い合いながら激しく競り合い、それぞれの支援母船であるNaRDO船とシルバーストリングも、後方で湊ら追跡船チェイサーのさらに内側を争うように進行中だった。

 ESAの調査船は辻本らの乗る支援船とシルバーストリングのさらに後方に位置している。競い合って直接の追いかけっこには参加するつもりがないようで、各機関の動きを遠巻きに眺めながら異星船を含む各国宇宙機のデータ収集に専念している様子が見受けられる。

 一方、有人船アローラムの後方には、これも有人艦と思われる北中国の小型駆逐艦がぴったりと張り付いている。NaRDOやNASAとは異なり、支援のためと思わしき巡洋艦と大規模なデータリンクを張っている様子はない。高出力なエンジンでアローラムの進路をぴったりとストーキングし、ここぞという所で一気に前に出る作戦のようだ。

 ただ、“ここぞという”時、一体どんな方法でアローラムや探査プローブを排除するつもりなのかはいまだ判然としなかった。



「北中国の動きがどうにも不気味だな」

 湊は、視界いっぱいに表示した各種モニタ画像の中から、後方の映像をズームアップしながらつぶやく。

「軍艦のくせに目立った武装が見当たらないんだよな。それに、デカい船体のくせに異常に足が速い」

「こっちと同じで追跡用に改造したんじゃないの? 武装はやっぱり重いじゃない。全部取っちゃったとか?」

「うーん。そこまで楽観的に考えるのはどうかな」

 純白に輝くアローラムとは対照的に、マットブラックに塗装された葉巻型の船体には、一般的な船舶にくらべ桁違いに多いアンテナ状の突起が見受けられる。船体に識別番号は書かれておらず、標識灯の類いすらすべて消灯されている。

 トランスポンダに応答があるためかろうじて中国船であることが分かるだけで、ほとんど背景の宇宙空間に溶け込んでいる。

 唯一、機動マヌーバのたびにエンジンが不規則な噴射炎を上げるのが確認できるだけだ。

「電子戦艦なのか、情報収集艦なのか…でも噴射炎の色を見る限りエンジン効率はかなり悪そうだ。これ以上の長期戦になると燃料不足で厳しそうだけどな」

「燃料と言えば、先輩!」

 相変わらず後方モニタを気にする湊の視界に、強引に燃料計をねじ込みながら香帆が報告する。

「ウチも左舷第二増槽がもう空だよ」

「OK、切り離してくれ」

「了解。せめて三秒は直線で飛んでね。昨日みたいなニアミスはもう嫌だからね」

「なんだ、まだこだわってるのか? ぶつからないって説明したし、後でちゃんと謝っただろ」

 湊がむっとした声で答える。昨日、切り離し直後の旋回で切り離したばかりの増槽と激突寸前まで接近した事を言われているのだ。

「だって本当に怖かったもの」

 ぶつぶつとグチりながら香帆がアイポインターを操作した。

 ディスプレイが自動的に切り替わり、船外カメラの映像にかぶるように爆発カッターボルトの発火ログがずらずらとロールアップ表示される。

 アローラムと同じ速度を保ったままゆっくりと船体から離れた無骨な追加増槽は、装備されている減速バーニアの炎がひらめいた瞬間、あっという間に後方に飛びすさっていった。すぐに背景の星々と区別がつかなくなる。

「バイバイ。ちゃんと拾ってもらうのよ」

「よし。今のところ異星船の進路は直進を維持、新たな機動マヌーバの兆しなし、と。食事にするか」

「オッケー。今度は私が作るわね」

「って言ってもバーチャルなヌードルフードにバーチャルなお湯を注ぐだけだけどね」

「うるっさいなあ」

 その一言と共に隣の席の香帆は立ち上がり、キッチンに消えた。

 アローラムに装備された卵型の耐Gシートは、その丈夫な保護筐体中に装備された生体親和ゲルのマットで、乗員をすっぽり挟み込む形で使用される。

 しかし、優れたGキャンセル機能と裏腹に、ほとんど身動きできないという心理的な圧迫感は相当なものだった。

 搭載テスト中、それに拒否反応を示した香帆の発案で、彼女とトロイスのプログラマーは、コンピューターのメモリ上に仮想空間を作り上げ、通常の耐Gシートに座っているのと同じ見た目になるように自分たちの五官と脳波を刺激、再現する仕組みをプログラムに加える事にした。

 これならストレスも最小限に抑えられる。

「もともとは極限採掘ロボットを基地から遠隔操作するためのVRマニピュレータが発祥らしいんだけど、ちょっと流用させてもらったの」

 そう湊は聞かされていた。こなれた技術だが、意外なことに有人宇宙船に応用するのは初めてらしい。

 もちろんメモリ上に再現するのだから、例えば船外カメラの映像を元に、乗員が宇宙のど真ん中に生身で漂っているような状況設定も同じくらい簡単にできる。

 事実、船と自分が一体化したような今の身体感覚に、その設定は不思議なほどマッチした。

 だが、それがひどく気に入った湊とはうらはらに、回りに何の支えもない心細さは香帆にはひどく不評だったらしい。

「どうやら私、広場恐怖症らしいの」

 一度試して相当懲りたのか、それ以来、絶対にその設定に触れようともしない。

 結局、湊は船と一体となる操船インターフェイスを選び、香帆は従来型のコクピットを再現する設定を選んだ。

 湊の視界では、すべての航法機器やモニタは宇宙空間に浮かぶバーチャルモニタに表示され、通常の操船操作は思考するだけで行われる。

 細かい各機器の数値は一応目視でも確認できるが、ふつうは航法AIに丸投げだ。

 さすがに極端な機動マヌーバや各種リミッターの解除には、思考ノイズの混入を防ぐため手元のスティック操作が必要とされていた。だが、いずれすべて思考のみで操作できるようにしたいと湊はぼんやり思う。

 と、突然周囲の宇宙空間が一点に縮んだように消え、風景がVRコクピットに戻された。

「こら、また一人で大宇宙を漂流してたわね」 

 そう文句を言いながら、香帆は湯気の出るカップを両手に持ってコクピットに戻ってきた。

「おい、予告なしにインタラプトすんなって! 脳にダメージが出たらどうするんだよ!?」

 湊はぶつぶつ文句を言う。

「大丈夫。先輩の神経はそんなにやわじゃないでしょ。チタニウム?、いえ、ハイセラミック製かしら? とにかく頑丈でとことん鈍いのよね~」

 無造作に右手のカップを差し出しながら香帆は平然と言い放つ。湊のクレームを受け入れる気はまったくないらしい。

「…まあいいか」

 目の前に差し出されたカップをしぶしぶ受け取る湊。

 実際には、ふたりとも耐Gシートにサンドイッチされたまま、静脈に栄養剤を流し込まれているに過ぎない。だが、一緒に食事を取るというイベントは、たとえ偽物バーチャルであっても香帆には欠かせないものらしい。

 彼女はそのまま自分のシートの縁にちょこんと腰掛けると、足をぶらぶらさせながらフォークをカップに突き刺してグルグルとかき混ぜる。

 だが、中々それを口に運ぼうとはしなかった。

「やっぱりバーチャルフードじゃ気乗りしないか?」

「ううん、そういうわけじゃないんだけど」

 答えながらしばらく湊に何事か言いたげな視線を向けていたが、急に大きく向き直り、吸い込んだ息を無理やり吐きだすように言葉を紡ぎだした。

「ねえ、聞いても怒らない?」

「いきなり何だよ?」

「うん…」

 そのまましばらく言いよどむ。

「あのね、美和さんの事。どんな人だったのか教えてくれる?」

「どうして?」

「興味があるの。先輩が好きだった、先輩を好きだった人がどんな人だったのか…」

「…」

 湊の顔がすっと赤らんだ。

 それを怒りと勘違いした香帆はあわてて弁解する。

「あ、ごめんね、やっぱり怒るよね? 出すぎた事聞いちゃって…」

「いや、いい。…実はちょっと照れた」

 湊は内心の動揺をそんなところまで忠実に再現フィードバックするAIにげんなりした。深呼吸して慎重に息を整え、古い記憶をゆっくりと辿る。

「入学時からクラスは一緒だったんだけど、最初に会話らしい会話をしたのは夏休みの少し前だったかな。髪が綺麗だって思った…」

 そういえば、最近見た夢の中でもそうだった。考えてみれば事故の頃はパイロットをしていたはずだから、ロングヘアそんな髪型であるはずはないのだけど。

「身長も女の子にしてはずいぶん高かった。最初は言葉遣いなんかもけっこうお嬢様っぽくて…考えてみれば香帆とは正反対だな」

「ちょっと! それってどういう…」

 ふくれっ面になる香帆。

「でも、見た目とは裏腹に妙に頑固な所があってね。今の香帆と同じ高校二年の時、急にパイロットに転向するなんて言いだして、日岡と俺で必死に止めても聞かなくて」

「うん」

「船乗りには邪魔だからって翌日には髪をばっさりショートにしてきて驚いた。小さいときから大事に伸ばしてたはずなのに」

「ええっ!」

「で、宙航士養成科に転科して、留年までして本当に宙航士の資格をとった。そして、一年遅れで俺達と同じ石岡エルフガンド重工に入社してきたんだ」

「美和さんは、どうしてそこまでしてパイロットになりたかったの?」

「その時は俺も分からなかったし、わけを聞いても絶対に教えてくれなかった。実際、親とも勘当寸前の大げんかをしたらしいしね」

 小さく息をつく湊。

「でもね、エルフに入社したずいぶん後になってわけを話してくれた。それを聞いてすごく嬉しかった。思わず涙が出そうになった」

「なんだったの?」

「あいつが転科を決めたのは、俺が本格的に船舶設計者シップビルダーを目指すと宣言した瞬間だったらしい」

「どういうこと?」

「ああ、あいつは俺の造る船を誰よりも先に自分が操縦したいって直感的に思ったんだと」

 思いがけず優しい目をする湊からふと目を逸らし、香帆はうつむいて手の中のバーチャルフードを睨みつけた。どんな表情で湊に応えればいいのかわからなかったのだ。

「それからいくらもたたないうち、あいつは本当にテストパイロットに抜擢された。俺が設計した船に、日岡がたくましい足腰エンジンを与え、それを美和が自在に駆る…。まるで夢みたいだったよ。三人とも、あのころが一番幸せだったんだと思う」

 そこまで話し終えた湊は、彼の前で硬直したままの香帆に気付いた。

「おい、どうした?」

「…ごめんなさい、私、聞いちゃいけないことを無理に…」

 心底すまなそうに縮こまる香帆の姿に、湊は思わず苦笑した。

「いいよ。もうずいぶん昔の事だ」

 そのまま思わず手を伸ばし、香帆のショートカットの髪をくしゃっとかき回す。

 驚いたように見上げる彼女に湊は小さく笑いかけ、その潤んだ瞳を見つめながら大きくうなずいた。

「聞いてくれてありがとう」

「え?」

「俺自身もちょっと驚いてる。あのころは、こんなふうに気軽に話すことができる日がいつか来るなんて、とても思えなかったから…」

 香帆はおずおずとうなずいた。ぎこちない笑みを浮かべて何か答えようと口を開きかけた時、かすかなショックが船体を揺さぶった。

「何? 衝撃波?」

「やばいっ! 早くシートに」

 食べかけのバーチャルフードを右手の一振りでかき消しながら湊が叫ぶ。同時に香帆も自分のシートに滑り込み、素早くセンサーの数値を確認する。

「先輩! 先行してたNASAの探査プローブが消えてる!」

「原因は何だ? 映像記録は!」

「爆発したみたい。圧力波がセンサーに記録されてる。映像記録は…ちょっと判りにくいけど、出るわ!」

 一瞬のまばゆい光と共に爆散するプローブの姿がディスプレイに映し出される。そのシーンを凝視した湊は、首を振りながら叫ぶ。

「もう一度! もう少し手前から、なるべくゆっくり再生してくれ」

 目の前のバーチャルモニタに再びプローブが現れる。連日のデッドヒートですっかりなじみのチタニウムシルバーの鋭角的なボディが、不意にまばゆい光のまゆに包まれ、ゆっくりと膨れ上がっていく。

「止めて! スローで戻して。そう…ここだ! ズームしてくれ」

 湊の言葉にしたがい爆発直前のプローブがいっぱいに拡大表示される。

「なんだこれ?」

 凍り付いたように静止したプローブの画像を精密走査していた湊は、プローブの頭部に突然あらわれたまばゆい光点を見つけて声をあげた。

「認識灯じゃないの?」

「いや、普通こんな位置に灯火はつけない。まさか…」

 最後まで口にする事はできなかった。突如アラームが頭蓋いっぱいに鳴り響く。

「先輩! 左舷前部船殻に異常加熱!」

「くそ、やっぱりレーザー兵器か! どこのバカだ!」

 大声で怒鳴りながら湊はあわてて回避機動をかける。

 だが、アラームは鳴りやまない。

 よりによって、なぜ、こんな妨害をするのだ。

 誰が? 一体何のために?

「だめ! ぴったりトレースされてる!」

 香帆が悲鳴をあげる。

「ちっ。」

 湊はサイドスラスターを全開にして船を横滑りさせる。次いで急減速。間髪をいれず体中の骨がきしむような急旋回。

 普通の船ならとうにバラバラになってもおかしくない猛烈な機動だ。耐Gシートに包まれていてさえ内蔵が口から飛びだしそうな気がするほど。

「まだ狙われてる?」

「だめ! 逃げ切れない!」

「おかしい! どうして奴はこんな精密追尾ができる?」

「照準のタイムラグはほとんどないよ。本船の回避機動に四十マイクロ秒以内で追従してる。一体どんなプロトコルで制御してるのかな?」

「そんな悠長な事言ってる場合じゃないっ!」

 湊は怒鳴りながらアローラムの進行方向を軸に、船体をまるでこまのようにくるくると回転させ始めた。

 宇宙時代のあけぼの、アポロ時代のほとんど忘れられた耐熱テクニックだ。それに首ふり運動を加え、強力なパルスレーザー砲の狙点が船体をなるべくまんべんなくなめるように対処する。

「なに? どうするの?」

「アローラムに限らず、なんで日本船がわざわざ高価なハイセラミックカーボン傾斜材を船殻に多用するか知ってるか? よそは安くて丈夫なハイパージュラルミンなのに」

「ううん」

 香帆は首を横に振る。

「一番の理由は熱対策だ。ファインセラムの供給する船殻はこのまま大気圏に突入できるほど熱に強い。一カ所を集中加熱でもされないかぎり、この程度のレーザーじゃ船殻を貫く事はできない。たとえ自衛のためであってもまともな武装を許されない日本船の精いっぱいの自衛策さ」

「なんだ、それで落ち着いてるのね」

「いや、そうでもない…ほら」

 ディスプレイの片隅にアラートマークが点滅していた。香帆がアイポインターでマークをクリックする。

「増槽内圧が上がってる…そうか!」

「そう、船外にぶら下がってる追加増槽にはたいした耐熱装備がない。このまま加熱されるとそのうち間違いなく爆発する」

「ひええ~っ!」

「だから早くレーザーの発振源を特定してくれ」

「え? あ、そうね、ちょっと待って」

 香帆があたふたと計算に取り組んでいる間に湊は支援母船との音声回線を開いた。もはや通信管制を気にしている場合ではない。

「こちらアローラム、トロイス支援母船聞こえてるか?」

 十秒ほどのタイムラグをともなって、意外に明瞭な声が返ってきた。

『こちら支援船。状況はこちらでも把握している。現在関係機関に問い合わせ中。しばらく待ってくれ』

 湊は荒っぽい転針を繰り返しながらイライラと待った。

 逃げ続けるアローラムにレーザーが断続的に照射され、増槽内の温度と圧力はもはや危険なほど上昇していた。

『支援船からアローラムへ。我々が把握しているかぎり、どこの軍艦もレーザー兵器の使用を行っていない。第三者…新勢力の可能性が高い。警戒せよ。なお、この件に関してNASAとESAは一切無関係と表明している。北中国からは今のところ応答なし』

 どうやらNASAもESAも謎の敵をけっこう深刻にはとらえているらしい。それともなにかの思惑があっての事だろうか。

 いずれにせよ、あれは、敵だ。



「先輩、見つけた、敵は太陽方向! 相対距離は約四万キロ!」

「四万キロ?! 計算があわないだろ? 四十マイクロ秒で追従してるって」

「実際そうなんだからしょうがないでしょ!」

 香帆はそう怒鳴り返しながらも、測距計を改めていじくり回す。

 敵がアローラムの挙動を光学観測してレーザー砲の狙点を動かしているとすれば、光の速度から考えて、どんなに短く見積もっても百マイクロ秒以内で反応するのは理論的におかしいのだ。何かがおかしい。

「こちらアローラム! 支援船! 聞こえたか? こっちの船外カメラは潰れている。そっちで当該宙域を走査してデータを送って欲しい」

『支援船、了解!』

 交信を打ちきると、湊は太陽から見て最小の面積になるように船の姿勢を起こし、敵のいると思われる方角にほぼ正対した。レッドゾーンにあった増槽内圧が一瞬ふっと下がったが、またじわじわと上がり始めている。

 どっちにしろ、もう長くは持ちそうにない。

「先輩、データが来たよ!」

 香帆の言葉と同時に、太陽を背にした、ひどくぼやけたシルエットが目の前に表示される。

「これじゃ何だか判んないな。補正かけるわね」

 途端に鮮明な映像に変わる。

「ボーンタイプだ!」

 外洋専用船だった。船体を貫くまっすぐなトラスキールに、各種ユニットを吊り下げた簡単な構造の船だ。

 低コストで居住区や貨物コンテナの増設ができるため、大企業の大型輸送船が好んで使う。だが、丈夫な船殻を持たない魚の骨のような構造のため、旋回Gに弱い。

 本来、戦闘用途には向かない船のはずだ。

「うわ、バカでっかいレーザー発振機をぶら下げてやがる! ジェネレーターの大きさを見ろよ! 戦艦の主砲クラスだ!」

 湊は唸った。旋回機動能力をはなから捨てて、速度と攻撃能力だけをとことん追求したコンテナ構成だった。

「それにしても…」

 過去にどこかの港で一度は見た船のはずなのだが、どうしても思い出せない。

「くそ、一度見た船は全部憶えてるつもりだったのに」

 湊はほぞを噛んだ。仕事柄、同業者の動きは大手、中小を問わずに常に掴んでおく主義だったのだが。

「奴の船体番号は読み取れるか?」

「だめね。太陽を背負ってるからノイズがすごくて」

「通信は? 向こうのトランスポンダが応答すればIDから船籍を割りだせる」

「呼んでるんだけど、全然反応なし」

『アローラム! こちら支援船、協力を申し出た中国の巡洋艦が敵のエンジンを砲撃したが直前で拡散された。どうやら特殊な屈折シールドかプリズム素子が敵船の周囲に展開されているらしい』

 北中国のちゅうちょの無い戦闘行為にもあきれたが、それがまったく効かなかったことに開いた口がふさがらない。

 どうりで、旋回の遅い船で堂々と攻撃を仕掛けてくるはずだ。

 湊は舌打ちをした。

 太陽を背中にすることでセンサーに目くらましをかけ、シールドで光学攻撃を防ぎ、ミサイルや敵の接近に対してはすべてあの強力なレーザーでケリをつけるつもりなのだ。

 見た目と異なり戦術的にまったく穴がない。

 こっちをじわじわなぶり殺し、ゆっくりとメインディッシュを楽しむつもりなのだ。

「気に入らないな」

 湊はぼそりとつぶやいた。

 声を聞き付けて顔を向けた香帆に、湊は硬い表情で宣言した。

「香帆はすぐに船を降りるんだ。何とかしてレーザーの焦点から逃げるから、その隙に緊急用のロケットモーヴで脱出して…」

「ちょっと待って!」

 香帆はその言葉を遮るように大声を出した。

「先輩の考えを私が理解してないとでも思ってる? 私は絶対に降りないよ!」

「だけど…」

「いや! 絶対に嫌っ!」

 香帆は駄々っ子のように甲高い叫び声をあげた。

「ね、私は相棒なんでしょ? そう言ってくれたじゃない。だったら、どんな時でも一番最後まで付きあわせて! ね、お願い!」

「だめだ。脱出しろ! 冗談じゃない! どうして簡単に命を投げ出そうとする!」

「冗談はそっちでしょ! 絶対にあなたを一人で勝手に死なせない!」

「だから…」

「うるさい! どうしても追い出すって言うのなら裸のままエアロックを飛び出すわよ!」

 鋭い口調とは裏腹に、今にも泣きだしそうな表情を浮かべた香帆。

 その半泣き顔を見つめながら、湊は自分の視野に投影された彼女の表情がどこまでオリジナルに忠実に再現されたものなのだろう…と、妙な疑問に取り付かれて大きく頭を振った。

「いいか、このままじゃ絶体絶命だ。ぐずぐずしてると完全に蒸し焼きになる」

「言われなくても分かってるよ!」

「遠距離から狙われて逃げる道はない。こっちがどんなに猛スピードで逃げ回っても、向こうは砲の向きをほんのちょっとひねるだけだ。死角なんてどこにも存在しない」

「当たり前じゃない!」

「だったら、いっそのことこっちから近づいてやる。相手に近ければ近いほどこっちのスピードは武器になる。死角が生まれる可能性がある」

「そうだね。あいつの目の前を秒速四百キロで飛び回ってやろうよ!」

「だが、それだけ近いとレーザーはほとんど減衰しない。死にに行くようなもんだ」

「だから一人じゃ行かせない!」

「だめだ!」

「い~や~だっ!」

「ガキかよおまえ!」

「ふんだ! 子供でごめんね!」

 確信犯だ、こいつ。湊はため息をついた。

「わかったよ! 好きにしろ。でも絶対に後悔するぞ」

 それ以上口論を続ける時間も気力も惜しかった。この頑固娘を説得するのには残された時間が足りなすぎる。湊はそう、自分を無理やり納得させた。

「大丈夫。あの世でしっかり文句を言わせてもらうから」

 香帆は目尻に涙を浮かべたまま、不思議に柔らかな笑顔で答えた。

 それ以上のやりとりはお互いに必要なかった。

「よし、外部増槽全数投棄! 逃げられない以上、攻撃の元を断つ!」

 香帆は無言でうなずくと残った三つの外部増槽を素早く切り離す。

 すでに限界まで圧力の高まっていた増槽は、バーニアの作動した瞬間、減速のショックで派手に爆散した。

「これで今さら追かけっこはできない…もうどこにも戻れないぞ」

「わかってる」

 静かに答えながら香帆は航法システムに干渉し、うるさく警告するAIを無視してエンジンのレブリミッターを強制開放する。合わせて電磁加速ノズルの電圧設定をリミット一杯まで引き上げた。ノズルを守るために制限されていた複式多段タービンの回転数が急激に跳ね上がり、ノズルコーンが最大効率を求めて自動的にゆっくりと広がってゆく。出力は出る。だが長くは持たない。

「アローラムより支援母船へ。今から障害を排除に向かう。後は任せた」

 言いながら湊はスティックを握り込み、スロットルを目一杯押し込んだ。ぐっとロックするまで押し込み、リリースボタンを押しながらさらに先まで押しきった。

 太陽に向かってまっすぐにダイブするコース設定だ。エンジンの限界ぎりぎりの加速に加えて、太陽の強大な重力がアローラムをぐいぐい引っ張る。シートに守られてさえ息をするのも難しい強烈な加速Gが二人の体を襲う。

『…ーラム! こちらトロ…支援船、湊! 香帆! バカな…めて…ろ!』

「司令が何、か言って、るわよ」

 加速Gに必死に耐えながら、香帆がかすれた声で笑った。さすがの辻本も慌てているらしい。

 敵の照射する大出力レーザーのために通信すら妨害され始めている。雑音がひどい。

「司令、もしも次のチャンスがあるとすれば…」

 大きく深呼吸すると、

「今度こそ異星船を捕まえて下さい。俺自身がその場にいないのは、とっても残念ですが」

『馬鹿! …れは君達の仕事…ろう! 途中で……なんてらしくないぞ!』

 猛烈な雑音の海の向こうから辻本司令のどなり声がかすかに響く。

「じゃあ、後はよろしく」

 湊はのどの奥でちいさくつぶやいた。



「だめです! 音声キャリア完全に途絶しました。スクランブルパケットも同様です」

 通信オペレーターが振り返りながら叫んだ。

「いいから、そのまま呼び続けてくれ!」

 辻本はマイクをコンソールに叩き付けながら、かすれ声で叫ぶように答える。

 正面スクリーンにはさらに加速を続けるアローラムが大きく映し出されていた。武骨な追加増槽をすべて脱ぎ捨てた純白の流れるような船体は、戦艦クラスのレーザー砲照射にも耐えて朱鷺色に明るく発光している。ノズルからの噴射炎はまばゆいばかりの銀白色に輝き、アローラムの後方に果てしなく長くたなびく壮麗なプラズマの尾羽根を形づくっていた。

「おい、見ろ…」

 その、壮絶なまでの美しさに、アローラムを光学追跡するオペレーターもそれ以上語る言葉を見いだせない。

「アローラム、秒速四百八十キロを突破、まだ加速しています」

「このままの加速だとあと八十秒前後で敵コンテナ船と交錯します!」

 二人の航法オペレーターが立て続けに報告する。

「馬鹿…。何の武器もなしに一体どうするつもりなんだ!」

 司令はシートにどさりと沈み込み、いらいらと頭をかき回した。

「司令! シルバーストリングの船長からコンタクトです。お受けになりますか?」

「この忙しい時に…ああ、つないでくれ」

 スクリーンが二分され、一方に渋味のある白人中年男性が現れた。

『いきなりで申し訳ないが急ぎ確認したい。君の所の小型高速艇チェイサーは武装もなしに一体何をするつもりなんだ?』

 男は挨拶もなしにいきなり早口の英語で質問を投げ掛けてきた。

「見ての通りだ。もはや通信も途絶している」

 辻本は簡潔に答えた。

『…カミカゼか? それからもう一つ。あの船のパイロットはキャプテン・エアハートで間違いはないな?』

「ああ、その通りだ」

『…判った。我々は彼らを全力で支援する。また後で会おう』

 男は大きく頷き、次の瞬間通信は唐突に切れた。

「司令! シルバーストリングが太陽方向に大きく転針。同時に大型の無人探査プローブが三基射出されました。超高速でアローラムを追ってます。接触までおよそ二十秒!」

「何のつもりだ?」

「判りません!」

「司令! ESAのアトランティスから入電です。”我々はアローラムの乗員救出に全面協力する”だそうです」

「中国軍の巡洋母艦が転針しました。敵コンテナ船にむけ急加速しつつあります」

「おい、どういうことだ? なぜみんなそろって目前の異星船を放棄してまで…獲物はすぐに手の届く所まで来てるんだぞ!」

「よその事情はよく判りませんが、司令」

 操舵手が振り返って呼びかけた。

「なんだ?」

「我々もアローラムを追いましょう!」

 辻本ははっとしたように頭をあげた。

「もちろんだ! 急速転針! エンジンが焼き切れても構わん! 急げ!!」



「暑いな…」

 湊がつぶやいた。

 断続的に照射されるレーザーが相変わらず容赦なくアローラムを灼いていた。そのまま緊急脱出カプセルにもなる耐Gシートの頑丈な保護筐体に包まれていてさえ、温度はすでに摂氏五十度に達しようとしていた。シートの外、コクピット内の気温はおそらく摂氏百度をゆうに越えているだろう。

 船速は設計限界をはるかに越える秒速五百キロにまで達していた。エンジンは電磁ノズル部にクラックを生じたためにすでに自動停止している。

 その上、猛烈な熱の為ほとんどの外部センサーがおしゃかになってしまっていた。船殻の様子を外から確認する事はもうできない。だが、いくら熱に強いハイセラミックーカーボン傾斜船殻とはいえ限界のはずだった。表面は真っ赤に焼けただれ、もしかしたらすでに一部溶け始めているかも知れない。

「先輩、外部船殻の表面温度、三千度を超えたわよ」

「そろそろやばいな」

 湊は冷却ポンプの設定を最大に上げた。だが、出力値はじれったいほどゆっくりしか上がらない。超高温と長時間の過負荷運転に、もはや冷却ポンプそのものが融解しつつあるのだ。

「何?!」

 香帆が小さく叫んだ。

「後方から小型の飛翔体が高速接近中。三基!」

「ミサイルか?」

 湊は万一に備えて温存していたエンジンを強制始動した。ノズルが心配だ。恐らくあと一度の機動マヌーバで崩壊するだろう。

「違う。本船を追い越して敵に向かってるよ!」

 三基の飛翔体は一直線上に並び、さらに加速してアローラムから離れていく。

「なんだ? 特攻カミカゼ?」

 やがて、ひと連なりになったプローブは、敵船とアローラムの間にすいっと割り込んだ。

 じりじりとアローラムを灼いていたレーザーの禍々しい光が遮られ、鳴り続けていた熱警報が不意に鳴りやんだ。

「飛翔体、レーザー砲の射線上にまっすぐ並んだよ。私達を守ってくれてるんだ!」

「正体は?」

「NASAの探査プローブだと思う。あ、一基め爆散!」

 粉々になったプローブの破片が、ガキンッという不気味な衝突音と共にアローラムの船体をかすめていく。

「だ、大丈夫かな?」

「どうだろう。この距離なら大丈夫だと思うけど」

 強靱なセラミックの船殻を持つアローラムと異なり、チタニウム合金の薄い船殻しか備えていない無人プローブでは、レーザーの高熱に長時間対抗することはできない。それを承知でやっているのだとすれば…。

「まったく物好きなやつらだね」

 湊はつぶやいた。鼻の奥がつんと熱くなった。

「相対距離、敵まであと七千キロを切ったわ」

「表面温度は?」

「今、二千七百度。まだ下がってるよ! 二基目爆散」

 湊はコントロールスティックを握る右手に力をこめた。

「三基目の爆散と同時に敵の上に出る。ケミカルアンカー全弾装填!」

「そんなもの、どうするの?」

「ああ、あの異星船を捕まえるのに使おうと思ってた手があるんだ」

「でも射出口、開くかな? 外殻はもう溶けてるんじゃ…」

「大丈夫! 射出口を爆破するさ!」

「敵まで四千キロ。船殻温度二千四百度!」

「香帆…ごめんな。こんなことに巻き込んで」

「え、何? 距離二千五百、聞こえなかったよ」

 小さくうなずく香帆。すべてを理解した優しい瞳。

「一緒にいてとっても楽しかった。船殻温…いえ、プローブ爆散!」

「よし、行けぇっ!」

 湊は絶叫した。

 赤熱し、今や一羽の巨大な火の鳥と化したアローラムと二人は、巨大な敵に猛然と飛びかかった。


---To be continued---

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