暗殺者の正体

 辻本と久美子が去った後、執務室では湊と香帆がお互いに言葉を探しあぐね、微妙な空気のまま沈黙していた。

「えー、今日付けでESAからNaRDO外惑星開発局に正式派遣されました、とくとめ…」

「…おい!」

 鋭く睨みつける湊の視線に、香帆は引きつった笑みで返す。

「一体どういうことなんだ!」

「ええと…あの~」

 あさっての方向を見上げて曖昧に言葉を濁す香帆の仕草にため息をつき、わき上がった怒りをどうにか押さえ込みながら再び尋ねる。

「お前は俺には相棒扱いを強要するくせに、自分自身のことになるとちっとも話そうとしないじゃないか。頼むから、ちゃんとわかるように説明してくれ。何がどうなっているんだ? 俺の知らないことはもうないんだろうな?」

「…それは、うん、そうね」

 半ば切れかかる湊に香帆は小さくうなずくと、次の瞬間何かにひらめいたように瞳を輝かせた。

「ねえ、展望室に行かない? ほら、私が支えてあげるから、ね、行こう!」

 不自然なほど明るく提案しながら、湊の右腕をとる。

「いらないよ! それほど大げさなケガじゃない。自分の足で歩く!」

 面白くない湊は、その手を大げさに振り払うと、危なっかしげに松葉杖を使い、転ぶように執務室を出た。

「大体、こっちは両手両足あばらまでしっかり折れたのに、なんでそっちは全然平気なんだ?」

「うーん、やっぱり年の差かな」

「…じゃあな。短いつきあいだったな」

「もう!」

 口をとがらせながらも香帆は湊を追い、その体を支えるようにぴったりと寄り添って廊下を歩き出す。だが、お互いになんとなく口を開くタイミングをつかめず、終始無言のまま二人は展望室に辿り着いてしまった。

 星明かりの射し込むほの暗い展望室に他に人影はなく、二人はシートに並んで腰を下ろすと、そのままずいぶん長い時間、無言のままで壁一面に広がる星々を眺めていた。

「ねえ」

 長い沈黙の後、香帆がようやく口を開く。

「前にもこうして二人で星を見た事があったね」

「ああ」

 ぼそりと答える湊。

「でも、もうずいぶん前のような気がするな」

「けっこう色々あったものね」

 香帆はしみじみとつぶやいた。

「ねえ、あの時、私が言った事、憶えてる?」

「ああ。確か、こうして一面の星の海を見ている限り、人類は決して孤独じゃない…そう思えるって言ってたな」

「うん。あの船がそのことを実証してくれた。そう、孤独じゃないんだって…」

 自分に言い聞かせるように何度もうなずく香帆。

「あの後、何かあったのか?」

 以前とあまりにも違う香帆のしおらしい態度に、湊は逆に心配になってきた。

「ううん。何でもない」

 香帆は首を振り、湊に笑顔を向ける。だが、その表情はどことなく寂しげだ。

「香帆…」

「ごめんなさい。いろんなこと、先輩に秘密にしておくつもりじゃなかったんだけど、いざとなるとやっぱり話しづらくって…」

 顔を伏せ、決心したように再び顔を上げると湊の瞳をじっと見つめる。

「でも」

「別に無理に聞きたいとも…」

「いいえ、話します。先輩に聞いて欲しいんです」

 そう言い切る香帆の目にもう迷いはなかった。

「実は私、向こうであまりうまく行ってなかったんだ…」

「向こう?」

「そう、ESA。私、スキップなの。だから」

「スキップ? ああ、飛び級ね。でも、なんでそれが駄目なんだ?」

「ESAはあれで結構お堅いの。特に航法局は伝統がある分、NaRDOほど自由じゃないし」

「いや、好き勝手やってんのは辻本司令だけだよ」

「まあそれは…」

 香帆は苦笑する。

「で、そんな組織を子供みたいな東洋人の女の子がかき回すのよ。おまけに直属の上司はプライドのすごく高い女性だったし。うまく行くはずがないじゃない」

「そうなのか?」

「そうなのかって…こっちは真剣に悩んでたのに。軽いなあ、先輩」

「そんなことない。親身になって聞いてる」

「あのっ!」

 大きく目を見開いて何か言いかけるが、思い直したように姿勢を直し、小さくため息をつく香帆。

「まあいいか。…そう、思ってたの。この前までは、ね」

 香帆は自分を納得させるようにうなずくと、ほうっと大きく息を吐き出して体の力を抜いた。

「だから、交換研修生に選ばれた時、正直救われた気になったよ。で、逃げるように地球を飛び出して、サンライズ技工大付属にESAの特別研修生として編入したんだけど、どこで聞き付けて来たのやら、その週のうちに辻本司令がスカウトに来ちゃって…」

「この計画の事で?」

「一年以上も前の話よ。そうじゃなくて、さっさとESA辞めてNaRDOに入らないかって」

「へえ」

「で、最初は断ったんだけど、手を替え品を替え毎日毎日あんまりしつこいから、私いいかげん腹が立って、言ってやったの。それほど言うなら私が一目で自分の航法プログラムを載せたくなりそうなものすごい船を用意してみろって…」

 不意に黙り込み、不安そうな表情を浮かべながら続ける。

「…あの、気を悪くしないでね。向こうじゃ日本の宇宙船技術は邪道だって言ってほとんど評価されてなかったから。まともな船なんて、どうせあるわけないと…」

 湊は口をへの字に歪めたまま無言でうなずいた。日本の造船技術が今や世界の異端であることは当事者である自分が一番よく知っている。さらに自分がその最右翼であることも。

「そうしたら、司令はいかにも得意そうな顔して私にホロ画像を見せたわ。それが、アローラムだったの」

「うわ、いきなり飛び道具かよ」

 湊は呆れた。同時に、それほど前から辻本司令が自分とアローラムに興味を抱いていたことを知って驚いた。

 彼とは宙航士養成校の校長と一生徒以上の接点はなかったはずで、どんな理由で目をつけられたのかといぶかしむ。

「でも私、本当に驚いた。前置きなしで純粋に美しいって思える宇宙船なんて初めてだったから」

「ふむ」

「宇宙船なんて、どこも機能最優先でデザインなんか後回しじゃない。私、スペックはカタログデータでしか判断できないけど、形なら一目ですぐにわかるもの」

 湊は苦笑した。

「そうでもないぞ。いい船は形もきれいなもんだよ。必ずしもその逆は成り立たないけどな」

 言葉を切り、眉を寄せて確かめるようにおずおずと言葉を継ぐ湊。

「でも…それで気に入ってくれたのか?」

「うん。すっごく」

 一方、どこか遠くを見つめたまま、目をきらきらさせて断言する香帆。

「一目ぼれってやつ。で、それ以来アローラムと先輩の事をあれこれ調べているうち、授業では先輩の卒業製作がサンプルで出てくるし、おまけに今回の騒ぎでしょ。これはもう、神様のくれたチャンスかな、なんて思って…」

「なるほど。おまえらしいよ」

 湊はようやく納得した。

「で、どうするの?」

「どうするって、何を?」

 香帆は呆れたように口をあんぐりと開けた。

「船、造ってくれるんでしょ。そうじゃなきゃ私、困る!」

「いや、困るって言われても…」

「先輩の船に航法を仕込むのは私しかないってタンカ切ってESA飛び出してきちゃったんだよ。今さら他の船にくら替えしましたなんて言えない…」

 湊はその言葉に矛盾を感じた。顔を上げ、香帆の顔をまじまじと見つめる。

「おい、待てよ。向こうはおまえを持て余してたんじゃなかったのか?」

 香帆は小さく舌を出すと、きまり悪そうにはにかんだ。

「そう、思い込んでいたの!」

 そう言って香帆は勢いよく立ち上がり、二、三歩歩くと、湊に背を向けたまま立ち止まった。

「私の耐Gシートをアローラムの残骸から拾い上げてくれたのはESAの派遣した調査船だった。半ば溶けて焼け焦げたシートがこじ開けられ、最初に目に飛び込んできたのがあのプライドの高い上司のぐしゃぐしゃに泣きはらした顔だった。それを見た瞬間、私は自分の思い込みがひどく間違っていた事にようやく気付いたの」

 そのままくるりと振り返る。

「相手に気を使おうとするあまり、かえって不自然な対応になってしまうって事、あるのかな。少なくとも彼女はそう言って泣きながら謝ってくれた」

「ほう」

「スキップのせいで満足な航海実習も操船講習も、もっと言えば高校も大学もまともに通ったことのないままいきなり実戦に飛び込まされた不憫な私ルーキーを、彼女は精一杯思いやっていたつもりだったんだって。でも、そんな事ぜんぜん気付かなかったよ。私、もしかしたら鈍いのかな?」

 湊は再び苦笑した。

「…ああ、そうかもな。おまけにかなりずうずうしい」

「ちょっと先輩!」

 香帆はその言葉に形のいい眉をキッと吊り上げて湊をにらみつけた。が、すぐに表情を緩ませる。

 湊の手をとってゆっくりと立ち上がらせ、隣にぴったりと寄り添ってその顔を見上げながら祈るように呼びかけた。

「ね、行こうよ、一緒に。自分自身の腕で、先輩の技術でもう一度あの船をつかまえてみたいとは思わない?」

「それには私も大いに興味があるね!」

 暗闇から突然聞き覚えのない男の声が響いた。

「また会ったね、エアハートさん」

 見知らぬ男は引きつった作り笑いを浮かべながらゆっくりと窓明かりの中に進み出てきた。だが、右手に古ぼけた軍用パルスガンを構えた貧相な顔立ちに、湊は不覚にも全く見覚えがない。

「誰だおまえ?」

「ああ、やはり君にとってはその程度の認識なんだな。だが、私の方は君をよく知ってるよ。この基地の事は全部知ってる」

「え、施設班長!?」

 香帆は面識があったらしい。

「ええ? でも、なぜ?」

「私にも色々事情ががあるんだよ。悪く思わないでくれ、お二人さん」

 だが、パルスガンを顔の高さに掲げて二人に照準を合わせようとするその右手は明らかに震えている。

「銃を持ち慣れているようには見えない。やめといた方がいい」

 湊の指摘は図星だったらしく、途端に施設班長の顔色は赤黒く変化した。

「君は我々の組織にとって非常に迷惑な存在だそうだ」

 彼は額に汗を滲ませ、焦りとも怒りとも取れる引きつった表情を浮かべながらそう告げた。

「なるべく穏便に始末してあげようとしたのに、どうした事かいつまでたっても君はピンピンしてる。で、上は改めて私に君の始末を命じてきたわけだが」

「おまえたちの手際が悪すぎるんだよ!」

 湊はどなりながらも香帆の体をじわじわと自分の背後に押しやり、後ろ手で船外活動用のハンドサインを使って香帆に呼びかける。

〈ニ・ゲ・ロ〉

 香帆が湊の背中にこつんと頭をぶつけてきた。2回。よりにもよって拒否のサインだ。湊は心の中で舌打ちをすると、新たなサインをイライラと繰りだした。

〈シ・レ・イ・ニ・レ・ン・ラ・ク/ハ・ヤ・ク・イ・ケ・バ・カ〉

「おっと、それ以上下手に動かないほうがいい。君の言うとおり、私は銃を持ち慣れていない。どのくらいの力加減で引き金が引かれるのか、自分でも分からない」

 冗談めかした口調で班長は言う。だが、表情は苦しげで、ただ必死さだけが目立つ。

「逃げようとしても無駄だ。この閉鎖された環境でどこに逃げる? 君は今や自分の船すら失った」

「一体誰の指示を受けている? それになぜ俺を狙う?」

「さて」

 班長は銃を低く構えたまま、小さくため息をつく。

「私はただの使い走りさ。理由は私だって知りたいくらいだ。君はどうやら我々のボスにひどく恨まれている。だが、私には人畜無害なお人好しにしか見えない」

 湊の顔を睨みつけたまま、

「ま、詮索は私のする仕事じゃない。悪く思うなよ」

 そう言って一方的に話を打ち切ると、班長は銃を重たそうに持ち上げ、再び湊の胸に狙いを定めた。

 話すうちに覚悟が決まったらしく、銃口の震えは止まり、先ほどまでのためらう様子はもうない。

 湊の背後から香帆がしがみついてくる。

「この辺でデートはお開きだ。後はあの世で仲良くやってくれ」

 班長の指にぐっと力がこめられる。

 その瞬間、何の前触れもなく、展望室の床がまるでねじれるように大きく揺れた。

「!」

 予想外の出来事に男の視線がわずかにぶれ、その隙に、湊が威嚇するように大声で叫ぶ。

 次の一瞬、暗い展望室を一条の青い閃光が切り裂いた。

 ハイパーメタクリルの展望窓に直径数センチの穴が瞬時にうがたれ、急激に吸いだされる空気が笛の音にも似た鋭い悲鳴を上げる。減圧警報のアラームがそれすらかき消すほどの大音量で鳴り響き、激しい打撃音。さらに何かが倒れる鈍い振動。

 次の瞬間、すべての気密シャッターが自動的に降りて室内は暗黒に閉ざされた。 

 


 非常用照明が室内をようやく照らし出した時、その場に立つ人影は二つだけだった。

「おい、香帆、それはやめとけ」

 湊のそばで松葉杖を大きく振り上げたままの香帆は、その声にようやく我に返り、杖を放りだしてその場にへなへなと座り込んだ。

「私・た・ち、生きてる?」

 その姿勢のまま、香帆は震える両手をじっと見つめている。減圧警報のアラームがおさまり、その場は不気味な静寂で満たされた。

「ああ、かなりきわどかった。それより床が揺れなかったか? さっき」

 湊は左足を引きずりながらひょこひょこと歩き、施設班長のこめかみにヒットした松葉杖のもう片方を右手でゆっくりと拾い上げた。

「おかげで相手の注意が逸れた。間一髪、助かったよ」

 さらに窓際まで飛ばされたパルスガンを拾い上げ、片手で器用にセーフティーをかけて腰のポーチにしまいこむ。

「今度こそ持っててよかったけど、これは…」

 言いながら眉をしかめ、ヴィクトリノックス万能工具のブレードを気を失ったままの暗殺者の右手の甲から引き抜いた。

 傷口から鮮血がポタポタと滴り、セラミックタイルの床に鮮やかな赤い斑点模様があらわれる。

「うす気味悪くてもう使いたくない」

 それでも丁寧に血を拭うとブレードを折り畳み、これもポーチにしまいこんだ。

「香帆、ハンカチか何か持ってるか?」

「あ、え? はい、持ってるけど…」

 香帆が差し出したハンカチを長くねじると、湊は倒れたままの暗殺者の両手首を背中に回し、止血も兼ねてきつく縛り上げる。ぼう然とその様子を見つめていた香帆だが、湊の左肩に広がる赤いしみに気付いてはっと我に返った。

「何やってるのよ。先輩だってケガしてるじゃない!」

 言いながら湊の胸にしがみつく。

「ちょっ、痛い痛い痛い! これでも貫通してるんだって!」

「あ! ご、こめん!」

 顔をしかめたまま左肩を押さえる湊。

「とっさにナイフで照準をそらしたつもりだったんだけど、思ったよりずっと相手の反応が早かったな」

「って、無茶よ! 運が悪かったら今ごろ私達…」

 涙声になる香帆。

「いや、どうにか行けそうだなとは思ったんだよ。ほら、これ」

 言いながら湊は自分の耳たぶを指さす。ピアスにも似た薬液カプセルには、コバルトブルーの液体がまだ八分どおり残っていた。反応速度を極限まで高める例の薬品だ。

「これがあればワイアット・アープと早撃ち勝負したって勝てると思う。司令じゃあるまいし、そこまで危ない賭けはしないって」

「誰が何だって?」

 声と共に、先ほどの騒ぎで自動閉鎖されていた展望室の気密ドアが勢いよく開いた。

「司令!」

 同時に数人の警備員がどっとなだれ込んで来ると、またたく間に男を引き連れて部屋を出ていった。

 まるで風のように彼らが去った後、そこにはぽつりと取り残されたように辻本と久美子、二人の姿が残った。

「君も…相当に悪運が強いな。今度もまたどうにかしのいだじゃないか」

 辻本は右手であごをこすりながら、湊に向かってニッと笑う。

「冗談じゃありませんよ! どうして俺がここまで何度も狙われなきゃならないんですか? 一歩間違えば俺達…」

「そりゃ、宿命ってもんだ」

 いきり立つ湊をさえぎるように、辻本はあっさりと宣言した。

「は?」

「理由はともかく、敵さんは君の存在をこころよく思っていない。我々があの異星船を首尾よく捕え、その全貌を世間に公表しないかぎり、君は今後もずっと狙われ続ける。それは困るだろ?」

「確かに嫌ですけど、司令、何かご存じなんですね? 納得のいく説明はしてもらえるんでしょうね?」

「まあ、おいおいゆっくりと、な」

 そのままニヤリと笑う。

「ま、そんなわけで君にもはや選択の余地はない。いさぎよくあきらめろ!」

「…まさか、もしかしたらこれも全部含みで司令の差し金じゃないでしょうね?」

 湊の不満げな声に、辻本はこれ以上ないほどの極悪の笑顔で晴れやかに応えた。

「さて、それはどうだろう?」



 そのまま一行は辻本の執務室にとんぼ返りした。

「お!」

 医務室で手当を受けたため遅れて合流した湊は、ドアを開けた途端、全員が無言のままコーヒーをすすっているという重苦しい雰囲気に驚いて声をあげる。

 だが、誰もにこりともしないどころか湊の方を見ようともしない。氷のようなその場の雰囲気に圧倒され、仕方なく香帆の隣におずおずと腰を下ろす。

 一方、辻本はそんな状況には知らんぷりで、デスクチェアを回して背後の窓からのほほんと星空を眺めていた。湊の入室に気づいて小さくうなずくとようやくデスクに向き直り、インターホンで秘書を呼び出した。

「あ、和子君、すまないが、この後私含め四人で資料分析室に向かうから、あらかじめ主任に話を通しておいてほしい」

『はい、すぐに手配します』

「ああ、これは”大変重要な用件”だから君が直接出向いて伝えてくれないか?」

『…わかりました。それではしばらく席を外します。その間の来客と外線は“一切シャットアウト”しますのでご了承下さい』

「頼む」

 そのままインターホンを切った辻本はいくらかほっとした表情で一行に向き直った。

 同時に、辻本の背後に分厚い耐爆シャッターが音もなく降りてくると窓を塞ぐ。さらに湊が今入ってきたばかりのドアの内側にもう一枚、チタン製らしきシールドがせり出してきてドアそのものを覆い隠す。加えて低く聞こえ続けていた空調エアコンのうなりがふっと途絶え、天井の送風ダクトがパタンと小さな音を立てて閉じた。

「あれ?」

 湊が声を上げた瞬間、照明がわずかに瞬き、ひんやりした風が壁のスリットから音もなく吹き出してくる。どうやら、電源や空調までも独立系に切り替えられたらしい。

「さて、これでこの部屋は外部からのあらゆる物理的、化学的、電磁的攻撃から防御される。…さて、久美子」

 久美子は緊張した面持ちでわずかにうなずくと、一片のコアメモリをティーテーブルにコトリと置いた。

「ここしばらく、私は小惑星で発見された遺跡発掘調査メンバーの連続失踪事件を追っていました。これがその報告書です」

 突然始まった予想外の告白に、湊と香帆は思わず顔を見合わせる。

「座ったままで失礼します。私は日本国国防軍航空宇宙総隊、情報調査部所属、愛宕久美子二等宙尉です」

 コンパクトな動作で素早く敬礼をする久美子の様子に香帆が目を丸くする。一方、湊は感じた違和感をそのまま口にする。

「あれ、マクシミリアン保険の久保さんでは?」

「ああ、悪い、あれは、ウソだ」

 デスクからあっけらかんと口を挟む辻本に湊はあきれかえった。一方久美子はその様子をあきらめたような視線で見やりながら、小さく咳払いをして続ける。

「身分を偽っていたことをまずはお詫びします。あの時点では敵方の工作員ネズミがお二人に接触する可能性が極めて高いと思われましたので」

「はあ」

 確かに、もしあの状況で突然どちらかに銃を突きつけて尋問されれば、素人同然の二人にウソを突き通すことは無理だっただろう。だが。

「まさか司令まで俺たちを謀っていたとは思いませんでした」

 湊は素直な感想を口にする。外見のすっとぼけた印象とは裏腹に、この辻本雅樹という男、どこか底知れないところがあるのを湊はあらためて実感した。

「騙したなんて人聞き悪いなあ。策士と呼んでくれよ」

「…お二人もご存じかと思いますが、数年前、とあるジャーナリストが火星近傍小惑星の一つで異星文明の遺跡を発見しました」

 辻本の発言を完璧に無視して平然と話し始めた久美子に、半分困惑顔のままうなずく二人。

「その後調査隊が組織されて発掘作業が開始されたのですが、不思議なことに調査メンバーに選ばれた人物が次々と謎の失踪を遂げるという事件が起きました。ほとんどが今も行方不明のままです」

「…全然知らなかった」

 思わずつぶやいた香帆に久美子はうなずく。

「厳重な箝口令が引かれていましたから。ご存じないのもある意味当然です」

「あの、それが我々と何の関わりが?」

「実は、遺跡調査メンバーの連続失踪事件と、今度の湊さんの一件が繋がっている事がわかりました。このミステリーの黒幕は…」

「ヤトゥーガ・コンツェルン、だ」

 ようやく話に参加させてもらえた辻本が応接セットにどかりと腰を下ろしながら断定する。久美子も今度は否定せず、深刻な表情で大きくうなずいた。

「ヤトゥーガ? あの有名な大企業?」

 香帆が訳が分からないと言った表情でつぶやく。

 一方、湊はまたも出てきたお馴染みの会社名にわずかに顔を強張らせる。

「そうです。また彼らの狙いもある程度推測ができました。我々の調査によると、彼らは数年前、ある辺境小惑星でレアメタルの採掘作業中、異星人の遺跡なりテクノロジーなりに遭遇したようです」

「は?」

「え?」

 湊と香帆は話にまったくついて行けず思わず声を上げる。

「しばらく前なら間違いなく笑い飛ばされる類いのネタだがね」

 辻本も真顔のまま口を挟み、ゆっくり腕を組む。

「ええ、でもこれは“事実”です」

 久美子は“事実”の二文字をことさら強調すると、さらに続ける。

「もちろん公表はされていません。ただ、自分たち以外の組織が同質の情報や技術を入手、ないしは解析しそうな兆候が見受けられると徹底的に妨害あるいは破壊している所からみて、彼ら自身はすでにある程度まとまった量の異星技術を解析、消化しつつあり、その技術の独占を狙っているのではないかと思われます」

「ああ」

 湊は思わず声を上げた。

「司令がおっしゃっていたゲリラ的な採掘も?」

「そのようです。彼らはあの遺跡のような発見が再び公表されることを恐れているようです。目当てのの小惑星に突如武装した大規模な採掘隊を送り込んでは、長期間居座り、場合によっては小惑星ごと粉砕するといった荒っぽいオペレーションをあちこちで繰り返しています」

「なるほど」

「今回のテロも恐らくその一環でしょう。彼らは異星船を捕獲するのではなく、単に我々共々、この世から葬り去る腹づもりだったようです」

「あー道理で。船と搭載武器のチョイスが極端だと思ったんだ」

 ようやく納得した様子で湊が相づちを打つ。

「ところで、アローラムと湊さんに関してはまたちょっと別の事情もからんでいるみたいなんですが」

「と、言うと?」

 湊は大きく身を乗り出した。

「はい。どうも個人的に狙われているようです。あの…」

 久美子は言葉を濁した。だが、真意を悟った香帆の顔が一瞬こわばる。

「まさか! 先輩が? どうして?」

「ええ、湊さんの常識離れした設計思想と、ここ数年の一見不可思議にも見える隠遁生活が彼らに妙な誤解を与えているようです。つまり…」

「まさか…」

「湊さんが、自分たちと同じように異星のテクノロジーを手にしているのではないかと疑心暗鬼になっている、いえ、そう確信し、本気で湊さんの存在を消したがっています」

「そんなバカな!」

 湊は天を仰いで絶句した。重苦しい沈黙があたりを支配する。

「おじさん、本件、やはりこちらで扱わせてもらいたいのですが」

 しばしの沈黙を破り、そう切り出した久美子に、辻本は無言で首を横にふる。

「しかし、このままでは湊さんの身が危険です。我々の方で保護した方が…」

「見解には同意するが、今は困る」

 辻本は渋い顔のまま腕組みを崩さない。

「例の異星船捕獲プロジェクトが仕切り直しになった今、湊は我々の切り札だ。せっかく有利な条件でプロジェクトに絡んでいられるのに、このタイミングで姿を隠されたら元も子もない」

「では、せめて軍属という形にしてもらえませんか。我々の庇護下にあれば今まで以上の警護もつけられますし」

「ちょっと! すいませんちょっと待って!」

 香帆が叫び声を上げながらその場に立ち上がった。

「お二人とも、肝心の先輩の気持ちはどうでもいいんですか!」

「…香帆、お前だって船作れってうるさかったくせに」

「それとこれとは話が別!」

 湊の反論を一言ですぱっと切って捨て、辻本と久美子をぐいとにらみつける香帆。

「私は、先輩にもう一度自分の夢を取り戻して欲しいだけ。でも、お二人は先輩とアローラムを政治の道具にしてるじゃないですか!」

「それは違う…」

「いえ、香帆さんそれは…」

 辻本と久美子の反論をはしばみ色の大きな瞳のひと睨みで封じ込め、香帆はさらにヒートアップする。

「先輩がどれほどアローラムを大切にしてたのか司令も久美子さんも全然分かっていない。どうしてあんな綺麗な船が罪もないのにバラバラにされて、なんでこんなへんぴな場所で泥棒みたいにコソコソ仕事しなくちゃいけないんですかぁ!」

 ほとんど支離滅裂の言いがかりだが、言っているうちに感極まったらしく、ついには涙声になる。

「ひどいです! 先輩は本当ならもっと堂々といい船をばんばん作って、全世界からもっと賞賛されるべき人なんですぅ! 」

「おい、香帆」

「先輩もひどいですぅ。お願いだから私ともう一度船をつくってくださいよぅ゛~」

 その後は言葉にならなかった。

 うーうーうなりながら涙をポロポロこぼす香帆の背中をなでながら、湊は天井を見上げて途方に暮れた。

 


「落ち着いたか?」

「ええ、なんとか。今は優子と愛宕二尉に付き添ってもらってます」

「君は?」

「追い出されました」

 湊は苦笑いで辻本に答える。

「これから女同士の大事な話があるそうです」

「そうか…」

 辻本もまた、苦笑しながら湊の肩をポンと叩く。

「男冥利につきるな、あそこまで熱烈なラブコールもなかなかないぞ」

「何言ってるんですか! 彼女はまだ十六です。いくら博士号を持ってたってハートは女子高生と変わりません。アローラムに入れ込みすぎて気持ちが変に昂ぶっているだけです」

「ホントにそうかなあ」

 ニヤニヤ笑いながら冷やかす辻本。

「そうですよ。それより司令、愛宕二尉とはどんなご関係で? おじさん呼ばわりでしたよ。やけに親しげじゃないですか?」

 湊は下世話な追求をかわそうと逆に突っ込む。

「あ? ああ、かれこれ二十年になるかな? ちょっとした腐れ縁でね」

「二十年! それじゃあ愛宕二尉はその時まだ十代?」

「いやいや、確か当時は八才か九才か」

「そっちの方がよっぽど問題じゃないですか! まさかロリ…」

 だが、辻本は湊の勘ぐりにまったく動じる素振りを見せず、遠い目をしてみせた。

「あの子たちは、戦友なんだ…」

「…戦友?」

「まあ、この際だ、湊には話しておくか」

 つぶやくと、内ポケットからおもむろにペンを取り出しペン先で自らの太ももに叩きつける。だが、意外にも高い金属音と共にペンは跳ね返った。

「司令?」

「ああ、この脚はまがい物だ。両方ともね」

 言いながらズボンの裾を無造作にめくってみせる。セラミック製の高性能義足がちらりと顔を覗かせたのに気づいて湊は息を飲んだ。

「!」

「二十年前、俺は大切な同僚を失った。その時のゴタゴタで俺も両足を失った。あの子たちも巻き添えを食って死にかけた。

 公式にはまったく記録されていないが、黒幕はヤトゥーガだ。それ以来、俺達はずっと戦い続けている」

「…」

「さっき拘禁された施設班長、来年で定年だったそうだ。昨年の秋には初孫が生まれたと言ってえらく喜んでいたんだが…」

「彼はなぜあんな事を?」

「弱みを握られたんだろう。彼は単身赴任者だ。地球にいる家族、たとえばお孫さんへの危害を匂わされれば従わざるを得なかったんだろうな」

 辻本は寂しそうに笑って見せた。

「あいつらのやり方はいつもそうなんだ。辺境で必死に働く実直なスペースノイドを陥れ、人生をめちゃくちゃに踏みにじる。愛宕二尉…久美子だってそうだ。あの子は元々図書館の司書になりたいと言ってた。頭の回転もいい。プログラマーとしての素養もあったし、本来軍人みたいな荒事に向いた子じゃなかったはずなんだ」

「はあ…」

「あの日以来、それが大きく狂わされた。彼女が今の職を選んだのは、亡くなったある宇宙飛行士の影を追ってるからだ」

 そこまで一気に吐き出すと、目の前の観望窓にドンと両拳を打ち付け、そのまましばらく動かなかった。

「君たちの事だって最善を模索した結果なんだよ。まさかアローラムを失う羽目になるとは…すまない…」

「いえ、俺自身が決めたことです。司令を恨んではいません」

「…ありがとう」

 辻本はそのままの姿勢で絞り出すように言うと、ゆっくりと振り返った。

「どうだろう…アローラムの代わりという言い方は我ながら失礼だと思うが、私は自分の職権と今の状況を最大限に利用して君に最高の船を用意したいと思ってる。いや、君たち“二人”の船だな。受け取ってもらえないだろうか?」

 湊は窓の外、暗い星空を眺めながら考え込んだ。

 美和が命を落とした後、湊に残されていたのは彼を受取人に指定した高額の保険金だけだった。

 彼は美和が命を落とすきっかけとなった試験艇テストベッドを所持金すべてをはたいて買い取り、アローラムと名付けてただ一人、辺境航路に隠れ住んだ。

 今回の事がなければ、美和の面影を抱いたまま、きっと死ぬまで隠遁生活を続けていただろう。

 だが、突然舞い込んできたあのおてんば娘のせいで、彼の人生は再び大きく揺れ動いた。彼は否応なく最前線フロントラインに立たされ、彼の安らかな逃げ場所は文字通り粉々に粉砕された。

 逃げこむ場所はもうない。何かを望むなら、もう一度手を伸ばすしかない。

 だが、今の自分はもはや孤独ではない。望めば夢は叶うはず。

「わかりました。はなはだ不本意ですが、もう少しだけ司令の手の上で踊って見せますよ」

 湊は無理矢理笑顔をつくると、辻本の両手を包み込んでそう宣言した。



---To be continued---

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