脱出

「一体どういう事でしょうか?」

 たった今告げられたばかりの言葉が信じられず、思わず聞き返す。

「だから、我が社のTM型潜水作業艇開発計画は中止になる。そう話した」

 プロジェクトリーダーは口を歪め、無念そうに吐き捨てた。

「今回の件で試作機を失い、大枚叩いて建造した支援船まで失う羽目になった。改めて両者を再建する資金的な見込みが立たないんだよ」

「でも、それは…」

「もちろん、君たちに何の落ち度もないことは上もちゃんと理解している。だが、その事と会社の資金繰りはまた別の話だ」

「しかしリーダー、私が言うのもなんですが、TMは結構いい感じに仕上がってきてたと思うんですが」

「ああ、だからこそ、会社も金になる今のうちに売却した方がいいと判断したんだろう」

「え、売られちゃうんですか?」

「ああ」

 リーダーはため息ともつかない声を出した。

 静まり返った広い会議室。

 このところ調子の悪い空調が小さく咳き込むような音をたてる。

「それで、だな」

 リーダーが言い出しにくそうに言葉を継ぐ。

「君は本計画専任の契約エンジニアだ。したがって、計画が中止になる以上、君との契約もこれ以上継続できない」

「うわっ!」

 そう来たか! 思わず出てしまった大声に、リーダーがピクッと体を強張らせる。

「そんな声出すなよ。俺だってこんな事言いたくはないんだ。悪いとは思ってるよ」

「はあ」

 私は渋々頷いた。確かに、行き場がなくて困っていた私を拾ってくれた事には感謝している。でも、弱冠二十歳にして三度目のリストラはさすがにハード過ぎはしないだろうか。

「君は若くて優秀だし、きっとどこに行ってもやっていけると信じてるよ」

 異星船プロジェクトが解散するときも、ESAを出るときも同じ事を言われた。

 そんなもの信じなくてもいいから、せめてもう少し面倒見てほしい。

「一応、ウチの来期の正職員の募集は始まってる。君の経歴だと間違いなく採用になると思うんだが、良かったら応募してみないか?」

「でも、採用は来年なんですよね」

「ああ、そうなるね」

 どうしよう。

 あの完璧なセキュリティが魅力の女子独身寮も一旦は出る事になるだろう。

 貯金はまあ、ある。使う暇ないから。

 普通の人ならとりあえず小さなワンルームマンションを借りて、しばらくはバイトで食いつないで、なんて事も可能だろう。

 でも、私の場合それにはちょっとばかり差し障りがある。いや、それどころか生命の危険が伴う。

 今回のテロがヤトゥーガ絡みだとは思いたくないけど、仮に無関係だとしても、この守られた職場から外に出ることで、また以前のように狙われる危険性は増すだろう。

「はあ」

 嫌なんだけどなあ、あれ。

 びくびくしながら暮らすのは本当に疲れる。

 とりあえず、まずは久美子さんに相談だなあ。そんな事をモヤモヤ思っていると、突然会議室のドアが激しい勢いで押し開けられた。

「リーダー! 香帆ちゃんを追い出すつもりなんですか!」

 部屋中の窓ガラスがビリビリ震えるほどの大声。荒木さんだった。その後ろにはなぜか青い顔をした長谷川君もいる。

「俺だって好んで首を切りたいと思ってる訳じゃないんだって。来期の募集でまた戻れるって話を…」

「何言ってんの! なんの落ち度もない女の子を追い出そうって考える時点でもうおかしいでしょう! 香帆ちゃんもこんなバカの言うこと聞く必要なんてないわよ!」

 嬉しいです。私もそう思ってます。

「しかし、プロジェクトは解散になる。俺だって、ほら、長谷川だって転属だ。俺達のできる事には限りがある」

「ええい、揃いもそろって弱気な奴ばっかり。だったら私が事業部長に直談判してやるわよ!」

 荒木さんの鼻息は荒い。でも、さすがに事業部長にまで盾突くのはちょっとやばいと思う。

「荒木さん、気持ちは嬉しいです。でも、そんな事したら荒木さんの立場が悪くなります」

「望むところよ! 香帆ちゃんは気にしなくていいの」

「でもほら、何かあったら娘さんが可哀想です」

 荒木さんには今年小学校に入ったばかりのかわいらしい娘さんがいる。目の中に入れても痛くないくらい溺愛しているのは管理棟に勤務する全員が知っていた。

「むうー、でも、香帆ちゃん、どうするのよ?」

 うーん、どうしようか? 正直ノーアイディア。

「今日は帰って寝ます。病院から直行でいきなりこれですから、とりあえず今晩ゆっくり考えたいかな」

 答えながらちらりとリーダーを見やる。判りやすくしょげているけど、少しくらい嫌味を言ったってバチは当たらないよね。

「じゃあ、俺が送るよ」

 今度はいきなり長谷川君が乗り出してきた。こいつはまた、いきなりどういう風の吹き回し?

「いい、水上バスで一本だから」

 そう言って断ると、私はしおしおになっているリーダーにペコリと頭を下げてその場を抜け出した。



「おい、香帆、待てって」

 水上バスの発着所手前で長谷川君が声をかけてきた。振り向いてみると、大きなバイクを押しながら小走りに駆け寄ってくる。

「送っていくよ。お前病み上がりだろ」

 うーん、減圧症を病気と言うのはかなり違和感があるけど。

「折角だけど、陸路だと遠回りになるから」

「じゃあさ、遠回りついでに三宮でメシ食っていかない? 俺がおごるから」

「どうしたの、一体?」

 長谷川君、態度が急変してはいませんか?

 確か前は年下は眼中にないと言ってたはず。口には出さずいぶかしむ。

「いや、俺、お前に謝ろうと思って」

「どうして? 特に謝られる心当たりないんだけど?」

 スパッと切り返すと、長谷川君は一瞬傷ついたような表情を見せた。

「俺、ヘリに襲われた時、怖くなって、お前置いて逃げちゃったんだ」

 あー、なるほど。

 それで引き上げの時、決まり悪そうにコソコソしていたのか。多分、さっきも荒木さんあたりにこってり叱られたんだろうな。

「いいよ、別に気にしてない。お互い命が助かってよかったじゃない」

 逃げたい気持ちは私もよくわかる。本心からそう言った。

 でも、長谷川君はさらに傷ついた表情になる。

「俺、お前を尊敬するよ」

 今度はホメ殺し? どうにも本心が見えない。

「海の底に三日以上も一人っきりで、それでも全然ダメージも受けてないし。俺にはとても耐えられない。ホント、タフな奴だよな」

 その言葉に、私は頭の片隅にチリリとかすかな苛立ちを感じた。

 いや、長谷川君的には、これでも私の事をほめているつもりなのだろうな、とは思う。

 でも、そうじゃない。

 そうやって、自分とは異質な物として簡単に語ってほしくない。それでは、ヤトゥーガのプロバガンダと何も変わらない。

「別に、全然平気だったわけじゃないよ。一人で結構泣いたし」

 当たり前じゃないか。

 確かにガサツで折っても折れない図太い神経だけど、これでも二十歳になったばかりの女の子なのに。気遣うならせめてそのあたりも考慮して欲しい。

 ああ、そうか。

 ようやく彼の本音が見えた。

 年下で、馬鹿にしてたちっさい女が、平然と耐圧殻から這い出してきたのがショックだったんだ。

 だから、“あいつは特別製”だと線を引く。

 おだてて、持ち上げることで自分の気持ちに折り合いをつけて。…近づいてくれようとしているのではなく、むしろ遠ざけようとしてるんだ。

「なんだ。私、てっきり長谷川君が私をデートに誘おうとしてるのかなってドキドキしたんだけど、そうじゃなかったんだね」

 長谷川君はあからさまにぎょっとした顔つきになった。

「いや、そんな事ないよ。仕事仲間として、もう少し仲良くなりたいと…」

 私は長谷川君を思いっきり押し倒した。

 倒れたバイクがガチャンと鈍い金属音を響かせる。ゴメンね。傷がついちゃったね。

 驚愕の表情で私を見上げる彼のすぐ上を、唸りを上げて銃弾が通り過ぎる。二発目はコンクリートの路面に跳ね返って火花を散らす。

 夕闇に紛れてよく見えないが、敵は多分二人。

 セキュリティの厳しいここによく武器を持ち込んだものだ。多分3Dプリント銃。工場内で出力したのかも知れない。

「逃げて! 警察に連絡!」

 私は叫びながら長谷川君に背を向けて走り出す。

「おい、香帆!」

 無視してとにかく距離を取る。彼は気にくわない所も多いけど、もちろん傷ついては欲しくない。

「狙いは多分私だから! 巻き添え食って死なないで!」

 それだけを言い残すと、水上バスの発着所にフルスピードで走る。

 運悪く、バスはたった今桟橋を離れたところだった。

 飛び移るには少し距離が離れている。でも、躊躇していられる時間はない。

 私は勢いを殺さず桟橋を斜めに助走し、そのまま勢いをつけてジャンプした。届かなかったらそれでいい。桟橋の下に潜り込んで敵の勘違いを誘うつもりだったが、突如水上バスから手が伸びて、私を甲板に引き込んだ。

 二人もんどり打って倒れ込みながら相手の顔をよく見ると、

「あれ!」

 例のプール仲間のお姉さんだ。

 お姉さんは桟橋から見て影になる反対側に私の手を引きながら、白い薄っぺらな機械を手渡してくる。

「MMIに装着を。軍用のマルチバンドレシーバーです」

「え? でも!」

「大丈夫、暗号プロトコルは先日インストールさせていただいてます」

「は? いつの間に? 誰が?」

「中野さおりは私たちの味方です。心当たり、ありますよね?」

「あ!」

 思い出した。中野さん(鷹野さん?)に髪を触られたとき、ピリッときたのはそうだったのか。

 まだ半分わけがわからないまま、それでも渡されたレシーバーをうなじにあてがうと、プラグを自動認識してピタリと吸い付いてきた。

 途端に膨大な情報が脳裏に流れ込んでくる。

『救出が遅くなってごめんなさい。私は愛宕一尉の部下で野村と言います』

 プールのお姉さんは無言のまま、レシーバー経由でそう名乗った。そうか、軍人さんか。道理でいくら泳いでもバテないと思ったんだ。

『あなたの存在がヤトゥーガに知られました。もうここには居られません。脱出してください』

 私は肩を落とした。さらば安息の日々。

『でも、どこへ行けば?』

『神戸宙港に。仲間の船が待ってます。名前は〈アルディオーネ〉号。詳しい情報はレシーバー経由で提供しますが、香帆さんなら、一目見ればきっと判ります』

 お姉さんはニコリと微笑むと、水上バスの船尾に私を誘う。防水カバーをめくると、そこに折り畳まれていたのは一人乗りのハイパワーな電動ジェットスキー。

『乗り方は判りますか?』

『はい、多分』

 数ヶ月前、マリンスポーツ好きの同僚に誘われて試したことがある。土日ガッチリ二日間。寒空のもと、ウエットスーツまで着せられて。

 ほとんどマンツーマンに近い体育会系のシゴキはこの伏線だったか。

 だとすると。

『随分前から私を守ってくれてたんですね』

 全く気付かなかった。鈍いにも程があるぞ、私。

『恐らくお部屋の方にも手が回っています。できるだけ時間を稼ぎますから、これで直接宙港を目指して下さい』

『え、でも』

『大丈夫です、ほら』

 促されて船室を見る。さっきまではうずくまって隠れていたらしい小柄な人影が小さく手を振るのが見える。こちらを向いた笑顔に一瞬言葉を失った。

「ド、ドッペルゲンガー!」

 思わず声が出た。振り向くと野村さんも声を上げて笑っている。

『森です。彼女があなたの代役をつとめます。彼女も愛宕の部下で優秀な隊員です。大船に乗ったつもりでお任せください』

 恐らく変装なのだと思うけど、あんまり私そっくりなのでびっくりした。

『では、そろそろ出発してください』

 ステルスコートされた暗灰色のウインドブレーカーを手渡しながら、再びキリリとした表情を取り戻した野村さんが言う。

『お部屋の品物で持ち出して欲しいものがあればご連絡くださいね。あとは万事やっておきます。ご安心を』

 そこまで言われては怯んでもいられない。水上バスが速度を落としたタイミングでジェットスキーごと滑り落ち、海面に落ちる瞬間にスロットルをひねる。

「香帆さんと一緒に泳げて楽しかったですよ! ご武運を!」

 遠くに見える神戸宙港の明かりを睨む私の耳に、レシーバーを通さない野村さんの生声が風に乗って切れ切れに届いた。


---To be continued---

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