香帆
「香帆ちゃーん、ちょっと待ってー!」
水上バスの発着所に向かおうと詰所を一歩出た途端、広報の荒木さんが管理棟の入り口から大声で呼びかけて来た。
「はーい?」
振り向きながら私も負けじと声を張り上げる。ここは普段から海風が強いので、少し離れただけで声が飛ばされてしまうのだ。
ここに勤めるようになって、私もすっかり大声が身についてしまった。
荒木さんは広報の女性の中でも特別に声が大きい。
いつも大声を張り上げてお客様案内をしているせいで彼女の声は少しかすれていて、それが逆に彼女の魅力にもなっている。
「主任が話があるってー! よってくれない?」
「分かりましたー」
スマートウォッチを覗き込むと18時半を少し回ったところ。
水上バスは19時30分が最終だが、 今日はスイムの予定もない。
遠回りになるが、三宮経由で久しぶりに服でも見て帰ろうと気持ちを切り替え、背中のバッグを揺すり上げながら管理棟に小走りで走り寄る。
荒木さんは私がそばに来るまで入り口の前で待っていてくれて、室内に私を促しながら、小声でいつものように〈荒木予報〉をささやいてくれる。
「また外から取材申し込み。でも、今日のは受けた方がいいわ」
それは随分と珍しい。
私がもの問いたげな顔をしているのに気づいたのか、もう一言付け加える。
「主任の様子だと多分、Kumiさん経由だと思うから」
それなら仕方ない。私は小さくうなずくと映話に熱中している主任のそばによって小さく咳払いをした。
主任はグラスディスプレイをひょいとずり下げながら上目遣いに私を見上げ、ちょっと待ってと身振りを加えながら手早く映話を終わらせた。
「退勤時間過ぎにすまないね、あっちで話そうか」
そのまますいっと立ち上がり、ミーティングブースに私を促す。
「来週の月曜だが、時間はあるかい? 取材を受けて欲しい」
「午前中二時間ほどなら。来週はずっと紀伊沖でTM102の評価ですから。月曜午後一番で出航です」
「うん」
その辺りの事情はすでに把握済みだったらしい。
「それでいい。先方の取材内容はMM直結インターフェースの将来展望。フル規格適合のパイオニアとして、君の見解に興味を持っているそうだ」
「業界誌ですか?」
あまり一般受けしない専門的な取材テーマになんとなく興味を持って聞いてみる。だが、主任は首を横に振った。
「いや、一般向け。とはいえ、宇宙機マニア向けの比較的濃いメディアだ」
「プロフィールとかは出ませんよね?」
対象がマニアと聞いて少し心配になる。せっかく畑違いの業界に潜り込んだのに、中途半端に身バレしては困るのだ。
「大丈夫だろう。専門学校卒、深海ドローンのAIエンジニアだと紹介する。写真はどうするかな」
主任と一緒に少し悩む。
以前の職場が継続的に大量の欺瞞情報をばらまいているおかげで、今のところ私の動向は特定されていない。
退職時に苗字も変えたし(久美子さんの計らいで、子供のいないどこぞのお偉いさん夫婦の養子に入ったとかなんとか)、顔バレもせずに済んだ。
この際、潜水艦エンジニアとしての立場で情報を積極的に露出し、別人になりきった方がいいのかも。とも思う。
「まあ、そこはKumiさんに相談しよう」
「はい、お任せします」
私はうなずいた。
異星船捕獲プロジェクトが解散した後、ヤトゥーガは、各国の政治家に裏から手を回し、木星、大赤斑表面に新たに出現した大型異星船探査のプロジェクトメンバーをほぼ、独占した。
その上、旧メンバーを追放しただけでは安心できなかったのか、一番身近な関係者として、私を踏み台に、あるいは脅迫材料として湊に接近しようとする不審者も後を絶たなかった。
その為、トロイスで別れて以来、私達は未だに一通のメールすらやり取りできずにいる。お互いの消息すらわからない。
およそ文明社会とは思えない彼らのどす黒い所業の連続に私はすっかり参ってしまい、結局ESAを辞めざるを得なかった。
後始末で久美子さんには色々迷惑をかけてしまったが、木を隠すなら森の中、むしろセキュリティのしっかりした組織に所属してくれた方が安全だとアドバイスを受け、日岡さんの推薦もあってこの職場を選んだ。
久しぶりに地上に降りたのは、この際、色々吹っ切りたかったというのもある。
「じゃあ、詳しい情報は後で端末に送っておく。帰り際にすまなかったね」
主任はそう言って話を締めくくった。
私はペコリと頭を下げ、荒木さんに小さく手を振られながら管理棟を出た。
思ったより遅くならなかった。
急げばまだ最終の水上バスに間に合いそうだ。
そう思った私は、第三工場棟を突っ切って近道しようと決めた。
巨大な建物に近づき、通用口のスキャナでボディチェックと網膜認証を受ける。
この職場は軍事用の潜水艦も作っている関係でセキュリティが半端なく高い。巨大な敷地なので働く人は多いが、正体不明の人物が入り込む余地はほとんどなく、その点ではどこよりも安心できる。
地球浄化のプロジェクトが本格始動し始めたおかげで、ここへ来て極限作業用特殊機器の需要がうなぎのぼりに増えた。
そんなわけで、現在、私の所属する深海探査機グループは、小型の深海潜航艇に高性能なAIを搭載した量産モデルを開発中だ。
私の役目は、テストパイロットとして、搭載されたAIとディープコネクトし、文字通り艇と一体になって搭載された機器の評価をする事。
いまだ数少ないフル規格、ワイドバンドMMインターフェースの保有者である私はここでは結構重宝される。
それに、処置を受けた年齢が早かったからなのか、私は他の誰よりも深くAIと融合できる。
残念ながら、あの日感じたような一体感はあれ以来一度も体験できていないけど。
「ふう」
建物を抜けて正面入口に鎮座する警備ロボにシグナルを飛ばし、砲台跡を回り込んで桟橋に向かう。
バスはまだ停泊中。間に合った。
乗り込むと、朝晩の顔見知りだけど、どこの部署かまでは知らない若い女性と不意に目があった。私は無言のまま小さく頭を下げ、彼女の脇をすり抜けてお気に入りの最後尾座席に腰を下ろす。
その途端、短く汽笛を鳴らし、水上バスは対岸のポートアイランドに向けてゆっくり動き始めた。
細く開けた窓から風が吹き込み、すっかり長くなった私の髪を揺らす。
あれから三年。私はもうすぐ二十歳になる。
---To be continued---
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