灼熱の牢獄
「間もなくアフロディーテ大陸をパスします。現在高度七千メートル、艇体は安定しています」
私はそうアナウンスすると、広げた右手を畳んでわずかに右に旋回した。マイクロ波で見る風景はクリアで、障害物となりそうな浮遊物も見当たらない。
『TM102改、体感温度と気圧についてコメントをお願いします。快適ですか?』
中津氏からリクエスト。そういえばすっかり忘れていた。
改めて自分の全身を意識すると、さらさらとした粘り気のある物体が肌を撫でるようなかすかな感触があった。まるでぬるめの温水プールに浸かっているよう。
私はせっせとプール通いをしたあの日々を思い出しながら答える。
「快適です。これで四百度近いなんてまるでウソみたいです」
視界の隅にある数値表示を見てみると、センサーの現在値は気温三百六十度、六十気圧。地上に近づくにつれ、数字はめまぐるしく上昇を続けている。
「これだったら、真夏の海水浴場より過ごしやすそうです。どうぞ」
『了解、引き続きモニターします』
眼下には、金星特有の地形であるパンケーキのような地形がいくつも見えてきた。
「えーっと」
ストレージからマップデータを引っ張りだし、リアルタイム映像と重ねながら地名を特定する。
「今、カルタシュ・コロナをパス。さらに高度を下げます。そろそろ着陸予定地点」
計画では、アフロディーテ大陸の西の縁に適当な平地を見つけて降りることになっている。というわけで目を皿のようにして空き地を探すけど、そこら中に大きな岩がごろごろしていてなかなか良さげな場所が見つからない。艇はマナトゥム・テッセラを通過し、高度はすでに二千メートルまで落ちている。と、その時、視界の隅でキラリと光る物が見えた気がした。
「ん?」
目をこらし、もう一度見直すが何も見あたらない。
「あれ、おかしいな」
私はモニターしていたマイクロ波画像に加えて、全波長の可視化映像を重ね合わせて視界に投影しながらさっきの地点を精密走査してみる。処理すべきデータ量が突然増えたためか、目の奥に鈍い痛みが走った。 思わずうっとうめき声が出る。
『どうした? 何か問題か~?』
辻本司令から声がかかる。相変わらず真面目なんだか不真面目なんだかわからないのほほんとした口調。
聞いているうちに、降下開始以来、ずっと張り詰めたままの自分がなんだかおかしくなってクスリと笑ってしまう。
「いえ、マナトゥム・テッセラの西端で何か光る物体を見た気がしたんですが…このあたりにどこかの開発計画がありましたっけ?」
『…うーん、ちょっと待ってくれ』
そのまま回線を開けっ放しで誰かとやり取りしている様子がかすかに聞こえてくる。
返事を待ちながら、一方で私はさらに慎重に高度を下げた。
大陸は既に横断し終え、TM102改はいよいよ平原地帯上空に突入しつつあった。出来れば、グバドゥ・テッセラの手前に降りたい。
私は小さくため息をつきながら予定外の全波長走査を打ち切ると、マイクロ波と可視光以外のデータストリームをとりあえず
『香帆、公式にはどこの勢力も探査機や採掘隊を送り込んでいない。見間違えの可能性はないかな?』
「さあ、どうかなあ?」
改めて聞かれると少し自信がなくなってきた。見た瞬間は確かに人工物だと思えたのだけど、根拠はただの勘。司令がないというのなら多分見間違えなのだろう。
「すいません、とりあえず先ほどの報告は撤回。それより着陸地点が見つかりませーん!」
深刻なのはむしろそっちだ。
任務が完了して上昇する時も、
『香帆ちゃん、右手二時の方向。ちょっと狭いけど、行けないかしら?』
不意に陶子さんの声が割り込んできた。
彼女は私のバックアップのかたわら、TM102改、アルディオーネ、そして周回プラットフォームの複雑に絡み合ったデータストリームを整理する業務を担当している。感覚フィードバックはまったく受信していないし、私と同じモノしか見ていないはずなのに、なぜ私の気づかない事にやすやすと気づけるんだろう。
(やっぱり私がおっちょこちょいなのかな)
素直に納得したくない違いを突きつけられてへこみ、思わず鼻にしわを寄せる。
とはいえ、今大事なのは着地。陶子さんがせっかく見つけてくれた候補地をむざむざ通り過ぎるわけにはいかない。
「レーザースキャン開始。今のところ地表面の平滑度は想定内です。行けるかも」
高度を下げながら、断続的にスキャンをかける。地表が近くなるにつれてだんだんと解像度が上がってくるけど、着陸の障害になるような出っぱりは今のところ、ない。
「うーん、ちょっと狭いか、な?」
つぶやきながら着陸候補地のスキャン画像とTM102改のシルエットを重ねてみる。どうやら古いクレーターが砂礫で埋もれた場所らしく、空き地の周りをぐるりと取り囲む盛り上がりがかなり気になる。
「足を伸ばせば、何とか…」
着陸脚を伸ばせばどうにか接触は回避できそうな気配ではあるけれど。
とにかく、
高度三百を切った所で、更新された地表データに突如アラートが点滅する。
「ああ、ちょっとはみ出る!」
反射的にヨーイングホイールを増速。反動を使って頭を少しだけ北に振り、クレーターの楕円形に艇の向きを無理矢理合わせ込む。
「ターゲットマーカー射出! 降下モードに切り替え」
特殊な再帰性反射素材でコーティングされたタングステン製の正二十面体が地面に打ち込まれて小さな砂ぼこりを上げるのが見える。ターゲットマーカーは艇の下面に装備されたストロボライトの光を反射し、地上でチカチカと明るくまたたいている。少し離してもう一発。これも無事地面にめり込んだ。これで地表までの距離が三角測量できる。
「艇首バーニア作動。水平ベクトル相殺…速度ゼロ。垂直降下します」
あとあと沈下の原因になりそうな細かい砂を吹き飛ばすつもりで、真下にスラスターを向けて思い切りよく逆噴射。瞬く間に表面の砂が吹き飛ばされ、砂に隠れていた地表の凹凸があらわになる。
「きゃー、思ったよりデコボコ!」
とりあえずスラスターパワーを上げてホバリングする。燃料ポンプのタービンが甲高く吠え、全身にビリビリと細かい振動が伝わってくる。
わずかに風もあるのか、艇の姿勢がいまいち安定しない。
「よし!」
ターゲットマーカーをガイドに、なんとかセンチメートルオーダーで3Dスキャンをかける事に成功。
だが、気を抜く間もなく、クレーターの中央近くによけきれない大岩が頭をのぞかせている事が判明。
「えー、どうしよ!」
右舷の着陸脚を思い切って限界まで縮め、岩の上に片脚がのるように微調整。クレーターの南側にぎりぎりまで艇を寄せる。
どうだ? 行けるか? 行けるよね?
『香帆ちゃん! ハイドラジン残量警告!』
ヤバい! もたもたしているうちに燃料ゲージがイエローゾーンに突入している。これ以上消費すると今度は離陸に支障がでる。
「ええい、もう行きます! 高度百、九十、八十」
さすがにここまで来ると可視光でも地上の様子がはっきり見えた。激しく揺さぶられる艇体にカウンターを当てながら、慎重に高度を下げる。
「四十、三十、二十、十…」
ガリガリと着陸脚が地面を掻く。
「スラスターオフ! タッチダウン!」
その瞬間、ズシンと艇が沈み込み、艇は少し前のめり気味にタッチダウンした。
耳を聾していた甲高いタービン音がゆっくりと低くなり、やがて消える。急に静かになった艇内に自分の激しい息づかいだけが響く。
「ふう」
大きく息を吐いたその途端、ぐらりと艇が揺れた。
「え、ええ!沈むの?」
慌ててインジケーターを確認、どうやら艇のAIが私の着陸をいまいち気に入らなかっただけらしい。
自律姿勢制御システムが発動し、前脚と左舷のアクチュエーターがチーチーと不規則に唸る。着陸脚の長さが自動的に調整され、傾いていた艇体はゆっくりと水平に復帰した。
「はあ~」
すべてが落ち着いたところで私は長いため息をつくと、小さく咳払いをして息を整えた。
最終的な高度表示はマイナス三センチ。一発勝負、周回なしの直接降下にしては上々の精度だろう。
「えー、なんとか無事に着陸しました。TM102あらためNaRDO金星基地より報告。地表気温は四百六十二度、気圧は8.71メガパスカル、東北東の風1.2メートル。ちょっとうす暗いかなー、地球の曇り空よりもっとどんよりしてます。どうぞ」
『香帆、よくやった』
『一旦ログアウトしてこっちで休憩しない? その間は代わってあげるわ』
司令や陶子さんのねぎらいの声に、私は自分が随分空腹だということに今さら気づく。
「了解、それでは一旦ログアウトします。お腹ペコペコ~」
軽口で答えながら、いつものようにログアウト手順を実行しようとした私は、そこで違和感に気づく。
「あれ? 変だな」
着陸前にサブに割り振った全波長探査のシーケンスが終了しない。
嫌な予感を感じながらもう一度終了操作をするが変化なし。
気がつくと、私は全身にびっしりと鳥肌を浮かべていた。
「司令、変です。サブシーケンスが暴走してます。ログアウトできません!」
『何!』
司令の声が一気に緊張を帯びる。
そこに湊が割り込んできた。
『香帆! 君の実体に変調だ。随分と汗をかいている。かなり発熱もしてるみたいだ。一体何があった?』
「え! うそ!」
TM102と一体化している今、生身の体とTM102それぞれからの
私は焦りを感じながらもう一度終了コマンドを送る。だが、状況はまったく改善しない。
『香帆、これから君のMMIを物理的に切り離す。ショックに備えろ!』
つまり私の実体をインターフェースのあるシートから抱き上げようというのだろう。私は目を固く閉じて全身を縮こまらせた。
『待ってください!』
突然の大声が回線を満たした。耳がキーンとなった。
『駄目です! 無理に回線を切断したら、二度と五感を取り戻せなくなります!』
中津さんの声だった。
『…どういうことだ?』
怒気をはらんだ湊の声が響き渡る。だが、中津さんの声もそれに負けないほど切羽詰まっていた。
『すいません。NaRDOの電脳工学者から受けたレクチャーでは、五感の遮断や疑似感覚の付与は、MMインターフェースだけの問題じゃないそうなんです。最新の大脳リプログラミング技術も使っていて、つまり…』
『つまり、何だ?』
湊の声が固い。怒っているのが丸わかりだ。
『つまり、今、香帆さんの脳はご自身の肉体からの五感を感じ取ることができません。MMインターフェースを通して入ってくる情報だけが感覚のすべてなんです。そこでMMIを強制切断なんてしたら…』
はっと息をのむ気配。陶子さんだ。
『…最悪』
『どうなるんですか?』
私も気になる。他ならぬ私自身の話だ。
『二十世紀末の研究です。外からの音や光がまったく入らない無響防音室に入れられると、人はほんの数分で自身の呼吸音や心音が耐え難いほど気になるようになるそうです。ほどなく幻聴や幻覚を感じ、最終的には発狂します。人は…』
回線に繋がっている全員が一斉に声を上げた。
『いい加減なことを言うな!』
『みんな私の話を聞いて!』
湊の怒鳴り声にかぶせるように陶子さんが叫ぶ。
『大丈夫、香帆ちゃんは狂ったりしない! 私が保証するわ。でも…』
陶子さんは人生の大半を五感を奪われ、体の自由を亡くしたまま生きた。彼女が言うのだから間違いない。でも?
『このまま五感を失うと、香帆ちゃんは恐ろしいほどの孤独に苛まれることになるわ。永遠の暗闇の中で、いつしか時間の感覚さえなくなってしまう。そんなつらい経験、絶対にしないほうがいいに決まってる』
『じゃあどうする?! このままじゃ香帆は』
『船長、貴方が落ち着かなくてどうするの? 香帆ちゃんを救えるのは貴方しかいないでしょう?』
ゆっくりと諭すような陶子さんの口調に湊は黙り込んだ。
『不幸中の幸い、香帆ちゃんには差し迫った命の危険はないわ。ただ、TM102に閉じ込められて金星から離れられないだけ。落ち着いて考えれば解決の方法はきっとあるはずよ』
『…そうだな。悪かった』
驚いた。湊がここまで取り乱したのは私の知る限り初めてだと思う。
『香帆』
「あ、はい!」
『何かつらいことはないか? 俺が出来ることなら何でもする。絶対に助け出す』
うれしい。胸がどきどきする。湊の言葉なら信じられる。
「大丈夫。こっちは快適だよ。解決策が見つかるまで耐えられると思う」
『わかった。待ってろ。すぐに助ける』
そのままログオフしたらしい。湊の声はそれきり途絶えた。
---To be continued---
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