低重力下の死闘
反転攻勢
突然のアラームでたたき起こされた。
寝ぼけまなこをこすりながら枕元の時計を見ると
げ、真夜中じゃないか。
とはいえ、起こされたものはしょうがない。
何事かと慌てて作業服に袖を通していると、突然施設全体に緊迫した女性管制官のアナウンスが大音量で響きわたった。
《総員起こし! 正体不明の大型船がトロイス基地に向かって高速で接近中。管制の警告に一切の反応無し。推定三十分後に基地と接触の可能性。基地要員は退避! 至急出港準備を開始せよ! 繰り返す! トロイス基地に大型船舶衝突の危険性あり。総員退避、稼働可能船舶は至急出港準備を開始せよ!》
これは! 何だ?
思う間もなく湊からレシーバー通信が入った。
『香帆、すぐ来られるか?』
「はい、何?」
『トロイスからスタッフと資材を大至急脱出させなくちゃいけない』
「そんなに危険なの?」
『ああ、司令はトロイス全滅も想定してる。今、停泊中の船はアローラムタイプが二十二隻、それ以外が四隻、大型補給艦が一隻、修理中の貨物船は動かせないらしい。補給艦ほか四隻を優先に出港させる。スタッフは全員補給艦にまとめて脱出するそうだ』
「私たちはどうするの?」
『補給艦は乗組員に任せる。小型船とアローラムタイプの面倒を見るぞ』
「了解」
すぐに部屋を飛び出してアルディオーネに駆けつけ、一目散にコクピットに飛び込んだ。既に隣で
次の瞬間、私はアルディオーネの
「補給艦のエンジンに火が入った。出港可能になるのは早くて十分後。小型船の方が先に予熱完了するから順次出すぞ。香帆は残りのアローラムタイプを全部たたき起こしてくれ」
見ると、コクピットレイアウトがいつもと違う。
いつもはアルディオーネの操船に使われる標準的なコクピットだが、今やトロイス管制の機能をほぼ代替する機器構成に変化していた。湊の前にあるのは操船システムではなく、管制室にあるような管理端末とリモコン
大容量の超光速通信回線と、戦艦数隻分に匹敵する強力なニューロコンピュータを持つこの船ならではの力技だ。
『トロイス管制の宮迫です。アルディオーネ準備よろし? 私も脱出のため間もなく席を離れます。引き継ぎをお願いします』
メインディスプレイに現れたのは先ほど警報を発した女性管制官だ。相変わらず耳心地の良いアルトで、声を聞くだけで訳もなく安心してしまう。
「アルディオーネ準備完了。引き継ぎ準備よし」
湊が素早く返す。私は横目でそれを見ながら手早く全部のアローラムタイプに強制起動コマンドを送り、返ってくるレスポンスシグナルを順番にチェックする。うん、みんないい子だ。
「作業艇AからC、エンジンプレヒート完了。順番に出すぞ」
湊は湊で、無人の作業艇の操作系をさも当たり前のようにさっくりと乗っ取り、手元の操縦桿で遠隔操作を始めた。まずは一隻目。順調に桟橋を離れ、ゲートをくぐる。続いて二隻目。こちらも無事ゲートを抜けた。
『アルディオーネ、補給艦〈いなわしろ〉だ。スタッフ全員の乗り組み完了。プレヒートが完了次第、先に出したい』
「アルディオーネ了解。離岸して下さい。ゲートはオープン。すぐに出られます!」
湊はゲートに向かいかけた作業艇Cをゆっくりと後退させ、ゲート前をクリアにする。空いたすき間に「いなわしろ」がその大きな船体をゆっくりと滑り込ませて来た。ゲート幅ぎりぎりの巨体が移動する様子にはモニター越しでも思わず手に汗を握ったが、さすがにベテラン航海士の腕は確かだ。危なげなくゲートをすり抜ける。
『〈いなわしろ〉ゲートクリア、とりあえず天の北極方向に百キロほど離れる。問題ないか?』
「アルディオーネ了解。ご安全に」
「湊! アローラムタイプ全隻準備完了したよ」
「了解。作業艇Cにくっついて出てくれ」
「はい。んじゃカルガモで出すよ!」
私は先頭のアローラムタイプに作業艇Cの追尾を命じ、他の船はすべて自律連携モードに切り替えた。
私達の他に知る人はいない隠し機能だけど、アローラムタイプのAIモジュールには絶対に削除出来ないコア部分にAI専用の特殊回線が装備されていて、開発者権限を持つ私たちが制御を乗っ取ることが出来る。それに、非常時にはアローラムタイプ同士が自分達で勝手に相互連携を取る事も出来る。
こっそり仕込んだ裏メニューがこんな所で役に立った。
「クソッ、作業艇Dが反応しないな。保守モードで固定されたままだ。多分、どこかのメンテナンスハッチが開いたままなんだ」
湊が舌打ちをする。できれば完全退避を達成したかったけど無理みたいだ。
「辻本司令、一隻留め置きにします。すいません」
その間にも、呼びかけに一切答えようとしない謎の大型船は猛スピードでトロイスに迫って来る。
さすがに、この巨体が一切減速なしにここまで突っ込んでくると純粋に怖い。
『二人共ご苦労さん。この短時間では上々の首尾だ。ちなみにお客さんの正体が割れたぞ。敵も相当焦ってたみたいだ。船籍抹消の手続が未了のままだ』
「所属は?」
湊が鋭く問う。
『ミクラス・デベロップメントカンパニー所属、鉱石運搬船〈ミクラス・スリー〉。ヤトゥーガの直系子会社だ。やったな!』
私達は顔を見合わせてニンマリと笑顔を浮かべた。
これまで、限りなくグレーと言われながらも決して尻尾を掴ませなかった敵が初めて馬脚を現したのだ。これが嬉しくない訳がない。
「敵船、間もなくトロイスに接触。熱源反応あり。爆発します!」
私は避難させたアローラムタイプを球状に展開し、全隻の環境センサーをフル回転させてあらゆる方向から高密度記録を取り始めた。
どうやら積み荷のコンテナにも大量の爆発物が積まれていたらしく、爆発で生まれたオレンジ色の火の玉がトロイスの半分を覆い尽くすほどに膨れ上がった。
でも、スペクトルモニタは明るい火球を極めて精密に捉えている。これだけ記録が鮮明なら、スペクトル分析から爆発物の製造元もすぐに割れるだろう。
「トロイス宙港全損。これは…あー、当分使えませんね」
湊が作業艇の船外カメラ画像を見ながら小さくため息をつく。敵のもくろみ通り、港湾関連の施設はほぼ壊滅状態だ。
思い出のある場所だし、壊れてしまうのはやっぱり寂しい。
『〈いなわしろ〉はこのまま地球帰還軌道に向かわせる。小型艇は、そうだな、火星のフォボスまで曳航してほしい。頼めるか?』
「了解しました。で、来週のトロイス・レポートはどうします?」
湊の問いに、司令はニヤリと黒い笑みを浮かべながら答えた。
『さてね。すっとぼけてそのまま続けるのも一興だが』
無精ひげの目立つあごを左手でじょりじょりとしごきながら、
『〈いなわしろ〉で身一つ、命からがら逃げ出したことにして内容を差し替えよう。今回の件で
そう言っていたずらっぽい目をきらめかせる。
『香帆の特集を楽しみにしていた湊には悪いけど…』
「いや、それは、その…」
湊は絶句して目を白黒させている。
「そんなことはどうでもいいですから!」
私は強引に話題を打ち切ると、映像記録を撮り終えたアローラムタイプを一列縦隊で火星への軌道に乗せた。
そう。今回、私達は“最初から”トロイスには滞在していない。
基地にいたのは志願して残ったわずかな数の管理要員だけで、私達はサンライズ7コロニーのすぐ隣に建設中のコロニーに密かに開発拠点を置いている。
日々運び込まれる膨大な量の建築資材はプロジェクトの資材や人員の移動を覆い隠すにも最適だった。
湊の造るTM102改め“ジュピターダイバー”も、外殻の基本的な組み立てこそ終わっているものの、まだまだコンピューター上の木星にいろんな条件でシミュレーションダイブを繰り返している段階で、完成には程遠い。
ところが、毎週のトロイス・レポートで伝えられるのは驚くほど順調に、しかもとんでもないハイスピードで進行するプロジェクトの様子。
ライバルからして見れば多分脅威だったのだろう。なんとしても妨害しなくてはと焦りが生まれたのも、まあ、わかる気がする。
それもこれも、すべて辻本司令の姑息な悪だくみ。
本当に敵が襲ってこなかったら一体どこでつじつま合わせをするつもりだったんだろうか。
『今週のレポートがトドメになったな。ジュピターダイバーの完成はさすがに衝撃だっただろうしね』
そんな私の心配はどこ吹く風。司令はモニターの向こうで満面の、とびきり悪い笑顔を浮かべた。
それからの一週間。相変わらず開発拠点に引きこもりっきりの私達とは関係のない所で、事態は怒涛のように動いた。
辻本司令をはじめとするプロジェクトの幹部は、事件の翌朝すぐに声明を出し、今回のテロ行為を声高に非難し、世論に火をつけた。
我慢して続けたトロイス・レポートのおかげで、プロジェクトを身近に感じてくれた人達は私達の予想以上に多かったのだ。
その声に押されるように、三日後、国際警察がついに重い腰を上げてヤトゥーガ本社に捜索の手を伸ばした。
実際に特攻を指揮してミスをしたミクラスの社員はもちろん、ミクラスに今回の作戦を命令したヤトゥーガ幹部が自分の命を守るため当局に逃げ込んで洗いざらい喋ったのが決め手になったのだと聞く。
一方で、NaRDOには太陽圏中から大量のお見舞いや激励のメッセージが殺到してサーバーがパンクした。
また、サンライズにある本部前には私達の安否を尋ねる人達が続々と訪れて職員が総出で対応にあたったらしい。
さらに意外だったのが、プロジェクトメンバー個人に向けたファンレターがわんさと届いたこと。
これまでにトロイス・レポートで顔出しした湊、日岡さん、私、そして辻本司令のうち、その数が一番多かったのはなんと辻本司令だったりする。
本当に納得がいかないのだけど、上司にしたい有名人というネット上のアンケートでも上位を獲得したらしく、ここ数日、会うたびにその話が出る。
おかしい。絶対なにかカラクリがあるに違いない。
「まあ、そう怒るなよ。二位だからと言って別に落ち込む必要はないんだから」
納得がいかない私をそうやって茶化すと、司令は不意に真面目な顔になって続ける。
「今の所、君達の安否はどこにもはっきりと報じられていない。それに、今週のトロイス・レポートは例の事件について番組時間を拡大して詳しく解説する予定だから、恐らく空前の再生数になるだろう。で、君達の現状と、今後の見通しについてもう少し突っ込んで報告したいんだが、どうだ?」
「どうだって言われても、今度は一体何を企んでるんですか?」
疑いの目でにらみつける私を軽くいなし、司令は怪しげな表情でニヤリと笑う。
「この際だから、君らが木星に潜る日を宣言してしまおうと思うんだが」
「それはよくないですね」
それまで興味なさげに話を聞いていた湊が即座に答える。
「まだ技術的な未解決要素があります。現時点でそこまで言い切っちゃうのは危険だと思いますが?」
「私も、お勧めしません。今回エンジン周りはそれほど問題はありませんが、例の人工物…重力制御デバイスの解析にかなり手間取ってます」
日岡さんも否定的な見解を述べる。
「じゃあこうしよう。ある程度幅を持って発表するのはどうだ?」
「なんでそんなに期限を切りたいんです?」
湊がもっともな疑問を口にする。そうそう、私もそう思ったよ。
「なぜって? その方が燃えるだろう?」
ガックリきた。なんだその子どもみたいな理屈は。
「いや、もう少しまじめな話をすると、プロジェクトの各構成団体だけじゃなくて、この機会にもう少し広く一般からお金を引っ張りたい。いつ実現するかわからない怪しげな計画に出資するファウンダーはいないけど、実現性を高く見せられれば食いつきが違ってくるからね」
「お金、足りないんですか?」
少し心配になってきた。この仕事に就いてからそこそこいいお給料をもらえてよろこんでいたのだけど、台所事情がそんなに苦しいとは思わなかった。
「いやいや、今のままの計画であれば途中で資金ショートする気遣いはないよ。でもね、私はどうも、例の船にはもう一つ二つカラクリがあるような気がするんだなぁ」
背中がぞくりとした。
司令が不意にこんな言い方をする時、おおむねその予言は当たるのだ。
「前に、異星船はびっくり箱だって話したことがあっただろう? 彼らが目論んでいるのは、いつだって我々地球人類の技術的な限界を引き上げることだ。できることなら私はその挑戦を受けたいし、その先にひらける未来に備えたいと思わないか?」
「何を、考えてるんです?」
湊がかすれ声で尋ねる。
「ああ、私はどうも、彼らが我々を恒星間空間に誘っているような気がするんだ」
司令以外、その場に居合わせた全員のあごがカクリと落ちた。
---To be continued---
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