迷路

 「さあ、どうぞ」

 所長にそう促され、応接室の扉をくぐった途端、いきなり目の前で大光量のフラッシュがひらめいた。

 その瞬間、目がくらんで立ち尽くしたままの私の横をスルリと通り抜けた野村さん。私をかばうように前に走り出ると、カメラマンの腕を逆手にとって相手の体ごとテーブルに叩きつけた。

「あ、痛い痛い痛いっ!」

 激しい打撃音が響き、派手に悲鳴を上げるカメラマン。

「一体どういうおつもりですか!」

 野村さんは全く容赦せず、厳しい口調でカメラマンを問い正しながら、ぎりぎりと腕をねじりあげる。

「すいません! すいません! ちょっとしたサプライズ、悪気はなかったんですぅ!」

 商売道具のカメラを放り出して必死で言い訳をするその姿に、遅れて部屋に入ってきた所長以下、社員の皆さんが言葉を失って立ちすくんでいる。

「あの…申し訳ないのですが、私達はこのような不意打ちに慣れていません」

 フラッシュの残像に視界を奪われ立ち尽くしたまま、私は慌ててそう釈明する。野村さんに無線で呼ばれたらしい森さんが駆け寄ってきて私を手近の椅子に座らせる。

 しばらくしてようやく残像が薄らいできた。チカチカする目を凝らしてよく見れば、室内には《歓迎! 異星船サルベージプロジェクトご一行様》の横断幕が掲げられている。

 私はこのあまりにミーハー過ぎるノリと、異星船プロジェクト本部の張り詰めた空気とのあまりの格差にショックを受けた。

 ああ、もうここでは前向きな交渉はできないだろうな。そう悟って泣きたくなる。

「も、申し訳ありません!」

 先方も行橋所長が慌ててとりなそうと色々言い訳を始めるが、善意のサプライズをぶち壊しにされた事で、社員さんの雰囲気はもはや最悪に近い。みんな揃って苦虫を噛み潰したような表情で、こころなしかこめかみに青筋を浮かべた人もいるような。

 そんな中、野村さんは放り出すようにカメラマンの体を開放し、何とも言えない困り果てた表情のままスーツの襟をぴしりと整えた。

「手荒な対応をお詫びします。しかし、私達はこれまで何度もテロの標的になってきました」

 野村さんの声に所長以下、居並ぶ社員さんの顔がさっと青ざめる。カメラマンの過ぎた茶目っ気に私達がなぜここまで過敏に反応したのか、ようやく気づいたらしい。

「こんな出会いになってしまい残念です。せっかく盛大にお迎えいただき恐縮ですが、出直してまいります!」

 頭を下げながら、私は諦めのため息をついた。

 多分、このまま話し合いを続けたところで、ボタンのかけ違いはどうにも修正出来そうにない。無理を聞いてくれる雰囲気にはとてもならないだろう。

「いや、そこは何とか、ほら、せっかくのお話ですし…」

 たぶん、ネットメディアの有名人が来るぞと社内で盛り上がったのだろう。このままただで帰したくない所長が必死に食らいついて来る。

 どうしよう…。

 三人で顔を見合わせる。

『香帆さんのお気持ち次第です』

 無言のまま、レシーバー通信が飛んでくる。

「そういうお話でしたら、改めてお願いします」

 その瞬間、人の良さそうな所長の顔が見るからに安堵の表情で緩んだ。



 でも、結局、実りのある話し合いはできなかった。

 お互いの不手際に頭を下げるところから仕切り直して始まった打ち合わせだったけど、どうにも怖がられてしまったらしい。

 先方からさほど魅力のある提案は出ず、私もそれ以上は踏み込めなかった。

 これが辻本司令なら、こんな四面楚歌の状況でも全然気にせずズカズカ踏み込んで、成果もしっかりもぎ取って来るんだろうなと思う。

「はぁ〜」

 微妙な雰囲気のまま別れ、再び高速道路に乗ったところで、私は盛大にため息をついた。

「申し訳ありません。私がうかつな反応をしたせいで…」

 野村さんが肩を落とし、普段のハキハキした言葉づかいが嘘のような、消え入るような声で頭を下げた。

「そんなに謝らないで下さい。野村さんは別に悪くなんかありませんから」

 問題は、私達の常識が世の中のそれと微妙にずれ始めていることにあるのだと思う。

 極限を追い求め、キリキリと張り詰めた緊張感の中で毎日を過ごしていると、いつの間にかそれが当たり前になってくる。

 それはまるでアスリートのトレーニングのようでもあり、トロイス・レポートを毎週楽しみにしてくれている人のほとんどは、恐らくスポーツ観戦のノリで私達のチャレンジを見ているのだと思う。

 私は、神戸で同僚だった長谷川君との最後の会話をぼんやりと思い出していた。

 少し怯えたような、あるいは媚びたような、まるで宇宙人を見るような目つきで私を見つめる彼の表情。

「もう、普通の人には戻れないんだろうな」

 思わずつぶやきが漏れる。

 確かに、今の生活は充実している。だから、それが嫌だとは思わない。

 でも、異星船を首尾よく吊り上げた後、私はもう一度、普通の地球人の一員として世の中に戻っていけるだろうか?

 私には、それはひどく難しい事のように思えた。

「はぁ」

 再びのため息をその場にたちまち置き去りにして、私を乗せた黒いミニバンは東に向かってひたすらに疾駆する。



 数時間後、私達は首都近郊にあるチャイナタウンの片隅で随分と遅い昼食をとっていた。

 私が柄にもなく物思いにふけっていたせいで、途中で休憩するタイミングを逃したらしい。

「それにしても、何百キロも休まず運転してて疲れないですか?」

 そう問う私に、

「自動運転ですから」

 と、ケロリとした表情で答える森さん。

 その割には随分としっかりハンドルを握っていたような気がするけど。

「一応軍の規則で、いつ自動運転が解除されてもいいように備えてなくてはなりませんから。まあ、そんな事はまず起きませんし、もともと運転って嫌いじゃないんです」

「そういうの、つらいと感じる事はありませんか?」

 ふと聞いてみると、一瞬きょとんとした表情を浮かべた後、「あははっ」と屈託のない笑い声をあげる森さん。

「別につらいとは思いませんよ。私達ががんばったその分だけ、民間の人が平和に過ごせる訳ですから」

 なるほど。

 そこがモチベーションの源なのか。

 私がいまいち吹っ切れないのは、そこが曖昧だからなんだろうな。そう思う。

 考えてみたら、最初に辻本司令にスカウトされてからここまで、湊とアローラムの方ばかり見ていた気がする。司令のように、プロジェクトの意義とか、それで人類の生活がどう変わるとか、あんまり深く考えたことがなかった。

「すいません! 私のせいで余計な事まで悩ませてしまって」

 残りわずかになった中華粥の器をぐるぐるかき混ぜながらなおも考え込んでいると、野村さんがますます恐縮して頭を下げてくる。

「あ、そんなんじゃないんです。ホント、気にしないで!」

 慌てて話題を変えようとスマートウォッチをのぞき込み、

「ほら、そろそろ行きましょう」

 そう、呼びかける。

「あ、確かにギリギリですね、急ぎましょう」

 野村さんは自分のスマートウォッチにさっと目を落とし、少しだけホッとしたような表情で頷いた。



 それからほどなく、私は窓から観覧車の見える超高層オフィスビルの応接室で先方の担当者が現れるのを待っていた。

 さすがにセンサーデバイスの国際的なトップメーカーだけあって、今時珍しい人間の受付嬢があでやかな笑顔で私たちを出迎え、二十人は入れるであろう広い応接室に案内される。

 けいはんなでの交渉が最悪の結果に終わったおかげで、今度こそ絶対に失敗できない。大げさではなく、プロジェクト全体の成否がこれからの数時間にかかっているかと思うと、もうそれだけで喉がカラカラになるくらい緊張する。

 思わず右手をぎゅっと握りしめ、汗をかいてぬるつく手のひらが気持ち悪くて膝頭にこすりつける。

 わずか十分ほどの間にこの動作を何度繰り返しただろうか。

 そのうちに、何となく睨みつけていたドアのノブがゆっくりと下がり、開いたドアのすき間から若い男性がひょっこりと顔を出した。

「あれ、ここでいいのかな? 異星船サルベージプロジェクトの方?」

 胸元にロゴの入ったスカイブルーのワークシャツに濃紺の作業ズボンをはいた若い男性は、おっかなびっくりといった感じで体を半分だけのぞかせると、私に向かってそう問いかけた。

「あ、はい! 安曇香帆です」

 私はあわてて立ち上がり、男性に向かってぺこりと頭を下げる。

「あ、どうも、中津です。…あの、お二人だけですか?」

 中津と名乗った男性は、狭く開けたドアからまるでネコのようにするりと入りこんできた。そのまま落ち着かない様子で体のあちこちを探り、胸ポケットからヘロヘロになったむき出しの名刺を一枚つまみだすと、ひょいと差し出した。

 見ると、開発課、センサーデバイス評価担当の文字。

「すいません。私、名刺持ってなくて…」

「あ、気にしなくていいです。よく存じてます。安曇さん、ね」

 中津氏は私の向かいにちょこんと腰掛けると、はあ、と小さくため息をつく。

「すいません。ボク、めったに本社こっちに来ないもんで。普段は川崎のラボにいるんです。今日は本社の営業が同席するはずなんだけど…おかしいな」

 なるほど。落ち着かない素振りはそういうわけか。

「ああ、…どうやら遅れているみたいですね」

 左手に持っていたデータパッドをちらりと見やり、ようやく納得したように小さくうなずくと、中津氏はソファーにぐたりと背中を預けた。

「ええと、先に進めてくれって書いてありました。で、どうしましょう?」

 困り果てたような表情で聞いてくる中津氏の姿に私は絶句する。

 ホストにどうしましょうと聞かれては、こっちだって困ってしまう。

 ただ、そのおかげで、さっきまでの緊張感はいつの間にか忘れてしまっていた。

「ええと、今日お伺いしたのは、耐熱耐圧の環境センサーの件でご相談をしたかったからなのですが」

 とりあえずこちらから口火を切ってみる。

「ああ、そうでした。聞いてますよ。スマートスキンですね?」

 中津氏は事もなげに言う。聞き慣れない単語にキョトンと目を丸くした私に、ようやく普段の調子を取り戻したらしい中津氏。体を起こすと、自分のデータパッドの画面をこちらに向かって傾ける。

 そこにあったのは、ずいぶんクラシックな形の小型飛行機の姿だった。

「おっしゃっているプランは概念としてはずいぶん古いんですよ。航空機、まあ、主に戦闘機ですが、機体表面にびっしりレーダーアレイを貼り付けて、全方位索敵に用いようという考え方があったんです」

「なるほど」

「神戸で開発された技術と聞いて納得しましたよ。重工さんはかつて戦闘機でスマートスキンを最初に実用化したメーカーですからね」

「ああ、そうなんです、か?」

 私自身は艇体の設計に直接関わっていない。どこから持ってきた技術かなんて知らなかった。

「それを宇宙機の環境センサーで実装しようという話でしょう? 確かに宇宙機に応用しようとする発想はありですけどね。センサーの読み取りをダイレクトにパイロットの五感に変換するあたりのロジックもなかなかおもしろい」

 うんうんと頷きながら解説を加える中津氏。私は彼の話を半分理解しないままとりあえず頷いた。

「ただ、行き詰まってしまいました。性能はともかく、過酷な使用環境にセンサーデバイスが耐えられないっぽくて」

「そうでしょうね」

 中津氏は再び当たり前のように頷く。

「この世の中をどんなに探しても、リクエストいただいたような頑丈なセンサーデバイスはありません。もちろん私たちにも作れません」

 さくっと断言されて、私はその先の言葉を失う。

「いや、あの…」

 顔から血の気が引き、まるで貧血を起こしたように目の前が真っ暗になった。

「えー、もしもし? 大丈夫ですか?」

 どこか遠いところから声が聞こえる。

 大丈夫なわけない。

 それが事実なら、プロジェクトは一気に振り出し、いや、それどころじゃない。完全に暗礁に乗り上げてしまう。

(どうしよう)

 私は内心の動揺を隠せず、無意味に両手をグーパーと動かしながら必死に気持ちを立て直そうとした。だが、うまくいかない。

「あ、あの」

 どうにか声を絞り出す。

「では…どこか、そういう技術をお持ちのメーカーに心当たりは?」

「ああ、ないでしょう。極限センサー技術でウチを超える会社はないと断言できます」

 中津氏は淡々と、しかし無情にそう断言した。

「…」

 私はそれ以上何も言えず、うつむいてふらふらと立ち上がりかけた。

 湊に何て言おう。

 私の脳裏を占めていたのはもはやその事だけだった。



---To be continued---

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