ブレイクスルー

「あの、もしもし?」

「…どうも…」

 私はいまだショック状態から抜け出せないまま席を立つ。

「貴重なお時間をいただきまして、ありがとうございました」

 なんとかそれだけ言って頭を下げ、退出しようと傍らのバッグを取り上げた。

「ちょ、ちょっと、安曇さん、話はまだ終わってませんよ」

 中津氏は会見が始まって初めて少しだけ慌てた様子を見せると、うわの空で席を立とうとする私の肩を押さえて強引に座らせた。

「まあ、お気持ちはわかります。ですが、もう少し」

「…」

 私はほとんど放心状態のままぺたりと座り込むと、データパッドで何事か調べ始めた中津氏をじっと見つめる。今さら何の話をするつもりなのか、さっぱりわからない。

 中津氏はジトッと見つめる私の視線に居心地悪そうな様子でパッドをいじっていたが、不意に姿勢を正し、私がたじろぐほどの真剣なまなざしで私の目をじっと見つめ返してきた。

「安曇さん、先ほど改めてお名前をうかがって、もしやと思いましたが、あのの方ですよね?」

「え? はい?」

 いきなり聞かれて意味がわからず、野村さんと顔を見合わせる。

「ああ、すいません。言葉が足りないって上司からもよく言われるんです、ボク」

 一方、中津氏は悪びれもせずにそう弁解すると、データパッドに表示されたファインセラムの会社概要をこちらに向けて指を指す。

「現社長、安曇健一郎とあります。ご親族ですよね?」

「はあ、確かに安曇健一郎は義父ちちですが…」

「ファインセラムが今回のプロジェクトに参加してるのは番組で見ました。ご親族であればご存じかと思いますが、機体の製造は御社が行うという事ですよね?」

「…ええ、多分そうなると思います」

「うん、それはいい」

 中津氏は勝手に頷くと、データパッドをテーブルのスロットに差し込み、壁のスクリーンにスクリーンの拡大画像を映し出しながらファイルを呼び出した。

「これが、弊社ウチのセンサーデバイスのリストです。さあ、どれでも好きなのを選んでください!」

「え? でも、先ほど、私たちの求めているデバイスは御社には作れないと…」

 私は困惑した。

「はい、ウチには無理です」

 笑顔で断言される。本当に訳がわからない。

「ネックになってるのは、センサーデバイス製品としての耐熱、耐圧性能です。おわかりですか?」

「すいません、全然解りません」

「あう。すいません、説明不足でした。我々部品メーカーは、完成したデバイス、つまり、パッケージされたセンサーユニットを商品として販売しています。これはおわかりですよね?」

「…はい」

「センサーの回りには本体を保護するパッケージがあって、信号を増幅するアンプがあって、外部と信号のやりとりをするリード線やコンタクトボールがあって…、つまり、センサー本体の回りにごちゃごちゃ色んな物がくっついてようやく一つの製品ユニットになっています」

「ええと、それが一体?」

「当然、仕様は完成した製品について測定し、定められます」

「はあ…」

「ですから、そういった物を全部取っ払って、センサーチップだけで考えれば、実はそこそこの耐圧、耐熱性は確保できるはずなんですよ。センサーっていったって結局はセラミック無機化合物を高温で焼き固めて作るわけですから」

「ああ」

 なんだか判ったような、判らないような。

「環境に弱いのは主にアンプや演算系、次に極細のAu線の方なんで」

「でも、それじゃ製品としては使い物にならないのでは?」

「そう! そこで、です!」

 中津氏は我が意を得たりといった表情でにんまりと笑った。

「安曇さんの所には、超大型の船殻焼成炉がありますね? ということは、当然船殻モジュールも自社生産ですよね」

「それはまあ、商売ですから」

 確かに言われるとおり。以前トロイスでアローラムの船殻モジュールを猛スピードで修復したのもファインセラムの製造ラインだと最近になって義父に聞いた。

「では、焼き固める前の船殻モジュールに裸のセンサーチップそのものを高密度に埋め込んで、そのまま焼き固めたらどうでしょう? パッケージはいらなくなります。船殻パネルの裏には冷却用配管パイピングを作り込むはずですから、センサーは裏からいくらでも冷却できます。おお、いっそのこと冷却配管の中にリードワイヤーを通したらどうです? 冷却と信号伝達が同時に可能です。これで熱の問題も一気にクリアできますよ!」

 中津氏は自分の思いつきに酔ったように蕩々とうとうとしゃべり続ける。

「この際、弱っちいアンプや演算回路も最初からナシにしましょうよ。ニューロAIの入力系は敏感です。センサーチップの発する微細信号でも十分拾えるはずですから、AIにデータの取得と演算を直接やってもらうんです。ノイズや個体誤差が心配ですか? ならば隣接するセンサーチップの値をいくつか取ってリファレンスに使えばいい。つまり、船殻にセンサーを取り付けるという発想をやめて、船殻そのものを最初から超高密度のセンサーの塊として製造するんです。どうです?」

 私は、目から鱗ということわざを生まれて初めて実感した。

 彼が提案しているのは、まるで生き物の皮膚のような、構造体と感覚器が一体になったまったく新しい船殻ユニットのアイディアだった。

「言うまでもなく、こんな製品、ウチには作れません。造船設備とセラミック焼成ノウハウのあるファインセラムさんでしか実現できない…」

「でも、御社はパッケージされていない裸のセンサーチップを売って下さるんですか? 当然カタログにもありませんし、それって厳密には商品とは言えない…」

「さあ、どうでしょう? そんな話、今まで聞いたことありませんね」

 中津氏はあっさりと首を横に振る。先ほどまでのショックからようやく回復しかかっていた私は、それを聞いて再びその場に崩れ落ちそうになった。

「でも、きっと大丈夫ですよ。ウチは製造の後工程を省いて、ものすごい数のセンサーチップを一気に納品することになります。恐らくそれなりの額のお取引になるでしょうし、量産効果で単価はぐっと下がるし品質は安定するし、言うことありませんよね」

 多分、今の時点では中津氏の話は単なる思いつきだ。でも、私の乏しい知識で判断する限りは、特に大きな穴も見つからない。

「あの、今の話、早速設計担当に伝えても良いですか?」

「あ、ええ。設計担当って、もしかして、あの伝説の!? ええっ!!」

 中津氏が目を見開き、再び興奮した様子を見せる。何だ?

 一体誰のどんな伝説が彼をそこまで興奮させるのか? 少しだけ興味があったけど、下手に質問すると長くなりそうなのでぐっと我慢して、とりあえず提案された内容だけを手短に湊に伝える。

 湊の指示は短かった。

『試作用のセンサーチップを山盛り一杯お土産に』

 たったそれだけ。でも、最後にもう一言。

『よくやった。さすが相棒』

 その一言だけで、私は今日一日のストレスから完全に解放された。今なら空だって飛べそうだ。

 


 猛スピードで神戸にとって返し、そのまま連絡艇で文字通り飛んで帰った私だったけど、これまでの長い足踏みの反動か、湊の動きは私以上に素早かった。

 私がチップを持ち帰った翌日の夜には簡単なテストピースを仕上げ、その日のうちにファインセラムの極限試験装置に放り込んでいた。

 ほとんど同じタイミングで、辻本司令は早速田村製作所のトップに直談判し、一週間も経たないうちにプロジェクトに新しいメンバーが増えていた。

 そう、中津氏だ。

 中津氏自身はなぜか湊に心酔しているらしく、まるで神様を見るような目でどこへだってついて回るので、湊としては微妙に仕事がやりにくいらしい。

 私が彼をスカウトしてきたような感じになったため、つきまとわれる湊には盛大にグチをこぼされたけど、プロジェクトがズルズル停滞しているよりいい。実際、プロジェクトの雰囲気はその日を境にぐんと良くなった。

 中津氏の提案した新しい船殻モジュールの有効性が確認され、最初の実用モジュールが焼き上がったのはそれからわずか一ヶ月後の事だった。



「へえ、これが新しい船殻ですか?」

 窯出しのタイミングで工場を訪れた義父と、田村製作所の田村社長は、クリーンルーム用の無塵服に全身を包み、まだ暖かみの残る船殻モジュールをなで回しながら目を細めた。

 そばでは湊と辻本司令も同じ服装でほっとしたように顔を見合わせている。

「さすがにセンサーの信号は微弱すぎて直接の受信は無理でした」

 湊が解説を加える。

「ただし、船殻冷却液の中にアンプ部分を直接漬け込んで冷却しますから、船殻表面温度換算で四千五百度に耐えます。目標温度にはわずかに届きませんでしたけど、すでに二十四時間耐久テストはクリアしました。十分、行けると思います」

 説明を受けて田村社長は目を細めた。

「それに、今回の船殻はかなり変わった色をしていますね。宝石みたいだ」

 一方、義父は顔を近づけ、船殻を透かすように眺めながら誰にともなく言う。

 確かに、これまで、湊の設計するプロトタイプは例外なく純白の艇体が特徴だったのだけど、今回の船殻モジュールは全体がシルバーメタリックに輝いている。

 高輝度LEDの照明を受け、見る角度によってプリズムのように虹色に輝く船殻は、まるでみずから発光しているようにさえ見える。

「センサーの薄膜ハードコーティングが光を屈折させるんです」

 湊がすかさずフォローする。

「既に、潜航艇の全船殻モジュールで成型とチップの埋め込みが終わっています。順次焼いていきますから、来月の頭には無人一号艇の組み上げと艤装が終わりますよ。試験航行は来月末ぐらいでしょうかね」

 一歩下がった所から辻本司令がおおざっぱなスケジュールを説明する。

「性能試験も木星で?」

「いえ、まずは遠隔制御で金星の地表に下ろします」

 そう答える司令の言葉に湊が付け足した。

「万が一、制御不能に陥った場合、木星では回収も解析も出来ません。とりあえず金星で性能と耐久性を確認、トラブル出しをして、本番機と予備機の設計に反映します。香帆が実際に乗るのはそっちですよ」

「そうですか」

 義父はそう答えると、私の顔を柔らかい表情でじっと見つめた。

「香帆さん、怖くはないですか?」

 私は小さく首を振って即答した。

「湊が造る船です。不安はありません」

 その答に義父は目を見開く。

「よい答えですね」

 そのまま湊の方を振り返って大きく手を広げた。

「湊君、うらやましいですな。この調子で引き続き頼みますよ」

 湊が小さく礼を返したのに満足そうに頷き返すと、義父、安曇健一郎は田村社長や辻本司令と連れ立ってにこやかに談笑しながら工場棟を出て行った。

 後に残されたのは私と湊だけ。

「香帆、本音を言ってくれていいんだぞ」

 そう言う湊の表情は、なぜだかわずかに翳っている。ショックを受けたようにも見える。

「どうして? 本気で思っているからそう答えたんだけど?」

「うーん…」

 なんだか歯切れが悪い。

「どうしたの?」

「いや、そう言ってくれるのはうれしいんだけど」

 言いよどむと、小さく首を振りながらつぶやくように先を続ける。

「ごめんな、今のやりとりを聞いて、ちょっとだけ昔のことを思い出した」

 ああ。そうか。

 私は不意に気づいた。

 今回のプロジェクトは前回と違い、湊は私と共に潜航艇に搭乗しない。大赤斑の上空まで私の乗る潜航艇を運び、その場でミッションをサポートをするのが彼の役目だ。

 湊がかつての想い人、美和さんを失ったミッションと構図が似ているのだ。

 あの時、湊は月の上空で支援船に乗り込み、試験機テストベッドの離床を間近で見守っていたと聞いた。

 前触れもなく突如爆発した新型エンジン、そして、テストパイロットでもある美和さんを乗せたまま、月面に墜落する試験機の姿。彼はそれを目の前で見ていながらどうすることもできなかったのだとも。

「香帆のさっきのセリフとまったく同じ事を、前にも聞いたことがあってね…悪い、縁起でもない話だ」

「大丈夫だよ」

 私はそう答え、即座に付け加えた。

「何があっても絶対に返ってくるから。約束する。安心して」

「うん。そうだな」

 湊の短い返事は長い沈黙の後、ようやく返ってきた。

 だが、その日は結局、湊の笑顔を見ることはできなかった。



---To be continued---

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