漂流

 インカムにザッというかすかなノイズが響く。

『次、続けていいか? 画面にハイドロプレッシャーのコントロールタブが出ているはず。右舷三番と五十二番をオンに,……』

 かすれ気味のその声に、読みふけっていた分厚いオペレーションマニュアルから顔を起こした香帆は慌てて目の前のタッチディスプレイに指を這わせる。

「っと、これでいい?」

『OK、あー駄目だ、やっぱりこいつも漏出リークしてる。一度戻して』

「了解」

 そこで一旦通信が途絶える。香帆は湊がEVAせんがいかつどうに出てからすでに八時間以上経過していることに気づいて眉を曇らせた。

「ねえ、一度休憩したら?」

『そうだな、この油圧系を処理したらとりあえず戻る。ただ今特殊パテデブコンの硬化待ちだ』

 インカム越しに聞こえる湊の声にもさすがに疲労の色が隠せない。

 無理もない。

 かさばる上に関節部分が硬い耐放射線与圧服着用で船外活動をすると聞くだけで気が滅入りそうなのに、加えて分厚い与圧グローブをはめたまま、イライラするほど細かい配管や配線の破断面を何十カ所も末端処理しなくてはならないのだ。本人は何も言わないが、精神と肉体の両方に相当なストレスがかかっていておかしくない。

 本来、この手の修理はレスキューを呼んで直近のドックに曳いてもらい、与圧環境下で時間をかけてじっくり行うべきものだ。だが、現状がそれを許さない。

『デブコン硬化確認。香帆、もう一回三番と五十二番に圧力をかけてくれるか?』

「はい、行くよ」

 かけ声と共に香帆は再びディスプレイをタッチする。

『よし、どうにか漏れは止まったみたいだ。そっちに戻るから外側エアロック開けて』

「はーい」

 構造材を伝わってトコトコと低く響く真空ポンプの振動がおさまり、遠くでムチが唸るようなヒュッという音と共に外部ドアの開閉音が響く。わずかな気圧変動を感知した減圧アラートが一瞬だけ鳴動したかと思うとすぐにおさまり、同時にコクピットの与圧扉が開いて疲れ果てた表情の湊が姿を現した。

「おつかれさま。外の様子はどうだった?」

 顔中汗まみれの湊に冷たく冷やしたスポンジタオルを手渡しながら、香帆は努めて明るく声をかける。

 だが、真っ黒い金属パテのこびりついたぼろぼろの与圧グローブをコンソールに叩き付けながら、湊は無言で首を横に振った。

「思ってたよりかなりひどい。いや、最悪と言っていい。持っていかれたのは右舷エンジンだけじゃなかったよ。レーザージャイロ、長距離通信用アンテナ、近距離レーザー通信用のイレクターに測位ビーコン受波機。ああっ、スペアのない高価な機器ばっかりまとめてごっそり持って行きやがって! 大損害だ、こんちくしょう!」

 悲壮な顔のままどさりとシートに倒れ込むと、湊はカーゴパンツの右ももの大型ポケットからデータパッドを取りだして香帆に放った。受け取った画面に表示された点検項目の半分以上が赤文字なのに気付いてさすがに香帆も表情を曇らせる。

「燃料配管と電力メインバスだけは自動的に閉鎖されてたんだけど、あとは垂れ流し同然だった。油圧系はリザーブタンクの予備も含めてほとんど揮発してたし、船殻冷却液に至っては一滴も残ってなかった。取りあえず目につく限りの亀裂と穴はメタルパテで塞いだし、スペアのある分に関しては補充してきたけど、もう少し修理に手間取ってたら完全にアウトだったかもね」

「情報伝達系はどんな感じなの?」

 香帆がマニュアルの冒頭に掲げられた船内ネットワークシステムの項目を指でなぞりながら尋ねる。

「うーん、結構やばいかも知れないなあ。メインバスは光ケーブルだから大丈夫だと思うけど、センサー系でシールドが破れてるのがかなりあった。光コンバーターの手前で回路をカットできる分だけは落してきたけど、手が回らない部分はまだ宙ぶらりんだ」

 香帆の表情がさらに曇る

「それじゃセンサー類の読みもあんまり当てにならないわね。それにシールドのすき間から変なノイズが入り込んだらメインフレームまでおしまいだわ」

「ああ、でも取りあえずこれ以上はどうしようもない」

 湊は香帆からパッドを取り戻し、コンソールのスロットに刺して点検データをメインフレームにアップデートする。それを元に、ディスプレイには機能不全に陥ったシステムがずらりと表示された。薄々予想できた事とはいえ、無慈悲なレポートに湊はすっかりめげた。

「うわぁ、本船の現在位置推定不可能、進行方向不明、速度も不明、燃料残量不明、電力残量不明…おいおいおい、どうするよ、まったく!」

「全方位メーデー発振不能、船体姿勢制御不能、……うーん、これじゃレスキューすら呼べないし」

 香帆も落胆気味に続ける

「それにオートパイロットも使えない……。ねえ、大航海時代の船乗りみたいに星を読みながら昼夜ぶっ続けで舵輪を握るしかないって言ったら……」

「うわ~、天測かよ、かんべんしてくれ。大学の天測実習はDプラスらくだいだったんだよ」

 頭を抱える湊。

「かと言って考えなしにエンジン吹かすとまた大スピンだし」

 湊は両手を広げてお手上げポーズをしてみせる。

「でも、こうやってここでぼーっとしているよりは……」

「それはまあ、そうだけど、なあ」

 湊は肩をすくめてシートに座り直す。確かに、少しでも目的地に急ぎたかった。

「それにしても……」

 湊は脳裏に今回の収支決算を思い浮かべて泣きたくなった。貨物の遅延違約金に船の修理代。おいしい儲け仕事のはずが一転して大赤字だ。

「今回は最初はなっからついてないよなぁ」

 そして、すべての元凶とも言える香帆の横顔をちらりと見やると、ひときわ大きなため息と共に残ったエンジンの再起動シーケンスに取りかかった。

 アローラムの設計上の特徴は、三基のメインエンジンがそれぞれ船体から緩やかな曲線を描いて長く伸びたフィンの内部にすっぽりと組み込まれている点にある。しかもエンジンもそれぞれ異なるモデルが装備されている。

 アローラムはもともと単発エンジン出力試験用の小型船テストベッドであり、払い下げを受けて湊が貨物区画を追加する改造を行った時に一基は元の場所から移設し、残りの二基は後から無理やり追加した。

 本来、船体の重心線を極端に外れた位置に大推力のエンジンを置くことは宇宙船の設計セオリーからすれば邪道である。しかし、アローラムはあえてセオリーを無視し、三基の推力をコンピューター制御で強引にバランスさせる逆転の発想で、他の船が決してまねる事のできないクイックな機動レスポンスと、船の格からしてとてもありえないほど広大な貨物区画を実現している。

 だが、今となってはアンバランスなエンジンとコンピューターに頼りきった制御方式がかえってアダとなってしまっていた。

 手動操作で強力なエンジンをひと吹かしした瞬間、姿勢制御用のジャイロを失い、おまけに重心の大きく狂ったアローラムはその場で制御不可能なスピンをはじめてしまうのだ。

「残った二基のエンジン出力をどうにか同調させて、船をこんな感じに斜めに傾けて横滑りさせ、発生した推力が船の質量中心を貫くように吹けば、まっすぐ進めない事もない。あくまで理論上はって事だけど、ね」

 湊はディスプレイ上に表示させたアローラムの3Dモデルの上に、スタイラスマーカーで斜めに大きく矢印を書き込みながら香帆に示す。

「ただ、問題はエンジンノズルのジンバル角だ。本船の場合、ノズルの方向はわずか数度しか動かせない。限界まで首を振っても出力ベクトルがベストの方向を向かないんだ」

「どうして?」

「ああ、がんばってデカいエンジンを積んだからな。今積んでる奴は本来大型客船用のメインエンジンなんだ。だから……」

 香帆はまだピンときていないらしい。ディスプレイ上のアローラムをくるくると回しながらキョトンとした顔を見せる。

「大型エンジンのジンバルはノズルの可動域なんかより巨大出力に耐える頑丈さが優先する。どっちにしろデカい船は重いから慣性重量がある。小回りなんて最初からだれも期待していないからエンジンにもそんな仕組みは最初から装備されていない」

「なんでそんな面倒な物をこの船に積んじゃうのよ?」

「まあ、元々本船アローラムはテストベッドなんで、エンジンマウントの強度にあきれるほど余裕があった。三基も積めば出力調整でいくらでも小回り効くし、それで問題ないと思ってたんだよ……昨日までは、ね」

「どういうこと?」

 湊は自嘲気味にため息をつきながらディスプレイにショベルカーの3Dモデルを表示させる。

「たとえば、こういう重機の場合、最初からハンドルなんてついてない。でも、左右の無限軌道クローラーの速度は別々に制御できるよな」

「うん?」

「だから、たとえば右のクローラーは前、左のクローラーは後ろに動かすと、その場で三百六十度ターンだってできる。むしろ普通の車より小回りが効くんだよ。アローラムもおおむね同じ考え方だ。パワーで強引に船体を振り回す」

 言いながらモデルをくるりと超信地旋回させてみる。

「あー、なるほどー」

 ようやく納得したらしい。

「でも、今は片っぽだけのシオマネキ状態だよ」

「そう、でも、うれしいことに」

 言葉を切りフッと薄く笑って皮肉な表情を浮かべながら、

「右舷側の重量物がまとめて無くなったから、いま本船の重心はおおむねこのあたり」

 と、表示された3Dモデルの左舷エンジンフレーム根元あたりに赤色でぐりぐりと丸をつける。

「だいぶ左舷に寄ってきてる。だからこの際、左舷エンジンだけで進むつもりで、トップのエンジンはバランス取り程度に使う。あとは右舷船首にある姿勢制御スラスターを休まず動作させてスピンを抑える」

 説明しながらわびしく思う。今やアローラムは姿勢制御スラスターの推力にあわせたほんのわずかな噴射でメインエンジンを動かすしか方法がない。思惑がうまく運んだとしても巡航速度は通常時の数分の一にしかならないだろう。当然全力噴射など望むべくもない。

「でも……それじゃあほとんど漂流だね」

 香帆がふとこぼした感想が、あまりに的を射すぎていて湊は思わず泣きたくなった。


「ったく、誰の影響かなあ、とんでもないじゃじゃ馬娘になっちまったなあ」

 数時間後。湊は右手のコントロールスティックでわずかにカウンターを当て、操縦者の意思に反して勝手に崩れようとする船体の姿勢を微妙に揺り戻しながら思わずグチった。

「先輩、転針おも舵0.2、仰角プラス1.4。また左下に流れてるわ」

 香帆が一心に読みふけっていたマニュアルから目を起こし、じとっと湊を睨みつけたかと思うと、マルチディスプレイの星空に天測座標図の表示を重ねながら口をはさむ。

 ジャイロとビーコンアンテナがいかれてしまったため、全天で最も明るい二つの恒星、太陽とシリウスの位置から方角を割りだす古典的な天測法で針路を確認する以外に方法がなかった。四十年ほど前に太陽系中にビーコンマーカーが設置されて以来、今では無人機すらもめったに使わないクラシックな航法だ。天測座標のデータが船のマスターコアにストックされていた事自体、奇跡的な幸運としか言いようがなかった。

「りょーかい……って、そんな細かい転針、この状態じゃできないって」

「いいから文句言わずにやるの……と、そう、もうちょい、そのまま、真っすぐ、はい! お上手」

 香帆は元の針路に戻った事を確認すると、再びマニュアルに取り組み始める。

「なあ、香帆、それさっきからずっと読んでるけど、もしかしたら何か手伝ってくれるつもりなのか?」

「え? ああ、これ? 私が操縦を覚えれば先輩も少しは休めるかなって思って」

「でもなあ……」

 言いにくそうに言葉を切る湊。

「悪いがこの船、ドロナワで操作を会得できるほど単純でもないぞ。かなり特殊というか、癖があると言うか……」

 けげんな表情を向ける香帆に向かって、

「はっきり言った方がいいかな。ムリだ。特にこんな悲惨な状態じゃ。知識だけじゃこの船は操れない」

 断言する。香帆はうつむくと悔しそうにくちびるをかみしめる。

「……でも、確かにそうみたいね」

 しばしの沈黙の後、香帆は分厚いバインダーをコンソールに投げだして大きくため息をついた。

「標準外の付属システムやチューンナップ箇所がやたらに多すぎるよ。ここまで大胆に拡張して、今まで基幹システムのバランスが崩れなかったのはほとんど奇跡に近いわ」

「そうなのか?」

「そうなのかって、先輩、もしかして制御系ソフトウェアの方は専門外なの?」

「ああ、俺はもともとハード屋だからな。ソフトの方は買ってきた既製品を組み合わせて適当に突っ込んでるだけだ。それでもほら、ちゃんと動いてるから……」

「……それでちゃんと動いてるって言える事自体がとーっても不思議なんだけど」

 香帆はそのままむっつりと考え込み、しばらくしておもむろに口を開いた。

「だとすると、なるほどね。私の役目はそこかぁ」

 そう言ってにっこりと笑う。

「はい?」

 湊はその言葉の意味をはかりかねた。

「ねえ、ちょっと生意気な事言ってもいいかな?」

「え? ああ」

「私、こう見えても航法システムのプログラミングにはちょっと自信あるの」

 そう言って香帆は胸をはってみせた。

「実を言うとこの前話したラリーのシュミレーションプログラム、あれね、基幹アーキテクトから全部私が書いたの。だから……」

「だから?」

「もし先輩が許してくれるなら、この船の操船プロトコル、根元からまるっと書き換えることだってできるはず」

「へえ、でも変だな、操船基幹アーキテクチャはブラックボックスだからそうそう変更は出来ないんじゃないのか?」

「それは、法律を盾に、業界合意で無難な規格スペックにあわせてるだけよ。おもしろくもない」

「おまえ、業界を敵に回してるぞ」

 しかし香帆は歯牙にもかけない。

「この船みたいな超高機能の特殊船舶へんたいなら、本来ならそれに見あったオーダーメイドプログラムの書きようがあると思うわ。制御システムだけ変にまともだからせっかくのエンジン性能をずいぶん無駄にしてるし、今回みたいな非常事態にはうまく対応できてないし…」

「まあ、妙な設計の船に無理やり標準仕様のシステムを積んでるわけだからなあ」

「ホントね」

 にべもなくずばりと切り捨てる。

「いや、そこは多少でもフォローしろよ」

「……メインフレームもしょぼいし、まあ、マスターコアの容量に余裕があるのが唯一の救いか」

 しょげる湊を放置してあごに手を添え、うむと考え込む香帆。

「ねえ、少し我慢してくれたら、とりあえず駄目になった自動操縦システムを肩代わりするプログラムぐらい書いてあげられると思うけど。どうする?」

「ぜひ頼む。実はいいかげん嫌気がさしてる」

 湊は即答した。このままでは目的地に着くまでの残りの数日間、トイレもシャワーも我慢して一睡もせずにステッィクを握る羽目になりかねない。いくら操船が好きでもとてもできない相談だ。

「どんなにがんばっても八時間ぐらいはかかると思うけど、そこまで我慢できる?」

「ああ、もちろん。そのぐらいなら楽勝だ。頼んでいいか?」

「まかせて!」

 香帆はにっこりと大きくうなずいた。さっそく目の前の星空と座標図を湊のディスプレイに追いやり、かわりにシステム画面を表示させると、腰のポーチから取り出した二センチ角のマイクロコアメモリをコンソールのスロットに慎重にセットした。

「何だそれ?」

「え? ああ、これね。私特製のエディトリアルツールと過去に書いたありったけのリソースを詰め込んできたの。この船に忍び込んだのがたまたま航法学の授業のあった日だったから。持っててよかったわ」

 そう答えた香帆は、それきりむっつり黙り込むと、瞳をらんらんと輝かせながらディスプレイにのめり込み、キーボードを超人的なスピードで叩き始めた。

「へえ、香帆もアイポインターは使わないんだ」

 湊は何気なくそう問い掛けたが、もちろん答えは返ってこなかった。

 アイポインターは視線で画面上のファイルやデータを操作できるけっこう便利な入力デバイスだ。湊自身はコントロールスティックを握ったままでディスプレイ操作ができるので好きなのだが、サンライズ5在住の知り合いのプログラマー連中はなぜかそれを毛嫌いしてほとんど使おうとしない。どうやらプログラマーというのはそういう好みの偏った人種がつく職業らしい。

「え、何か言った?」

 しばらくたってやっと香帆が顔をあげた。一応聞こえてはいたようだ。

「いーや、何でもない」

 湊は肩をすくめて小さくため息をついた。


 香帆の約束にいつわりはなかった。

 予定の八時間に遅れることわずか三分後、湊はかれこれ二十時間近く握り続けたコントロールスティックからようやく開放されようとしていた。

「もう大丈夫だって。先輩の癖も十分覚え込ませたから」

 香帆はディスプレイに表示されるパラメーターを確認しながら太鼓判を押した。

 実際、香帆のプログラムは三十分ほど前からすでに裏で走っていた。湊の操作をトレースし、船の挙動と操船の癖を覚え込むのにそれぐらいは時間が必要なものらしい。

「よーし、放すぞ、ユー・ハブ・コントロール」

 宣言しながら、湊はこわばった右手の指を一本、また一本と慎重に緩めていった。

「アイ・ハブ。移行完了。はい、これで制御はプログラムに完全に移りました」

 香帆が応えて宣言した。試しに目の前のスティックをわずかに押してみるが、船の姿勢にもはや変化はない。すでにスティックの機能は完全に停止していた。

「へえ、滑らかなもんだなあ」

 ガチガチにこわばった右腕を大きく振り、痛む肩をバキバキ鳴らしながら湊は感嘆の声をあげた。ひっきりなしに暴れるスティックを長時間操り続けたおかげで、右腕全体がパンパンに張って感覚がほとんどない。指先に至っては血の気が失われて白っぽく変色し、感覚がないほどしびれている。

「生き残った船外カメラを即席のジャイロ代わりに、太陽とシリウスを自動追尾して、目標の相対角変化から速度と位置座標を割りだすシステムなんだけど。どう、けっこう使えそうでしょ。」

 香帆が自慢げに聞いてきた。

「ああ、既製の自動姿勢制御システムと比べてもなかなか高性能じゃないか。でも、天測でこれほどの性能が出せるのに、どうしてどれもこれも高額なレーザージャイロを装備する船ばかりになったんだろうな?」

「さあ、大人の事情かしら。多分整備が楽だからじゃないのかな。それにご心配なく。このプログラムはこの船でしか使えないの」

「どうして?」

「この船の冗長なハードウェア構成を逆利用してるから。実際、反則すれすれの裏技もけっこう使ってるし、だいたい私、気に入った船以外に自分のプログラム載せる気はないから……」

 そう言うと香帆はきれいな眉をわずかにしかめて言葉を続けた。

「それより、聞いて。ちょっと気になる事があるの」

「何?」

「実はさっき、システムが立ち上がるまでちょっと暇だったからついでに計算してみたんだけど……」

 香帆は言いにくそうにそこで言葉をつぐんだ。

「だから何?!」

「先輩、誰かにめちゃくちゃ恨まれてない?」

 思いがけない質問に湊は目を丸くした。質問の意図がまったくわからない。

「あのね、船に接触した小惑星のコースを逆算してみたんだけど、おかしな事にトモスa2あたりからまっすぐ飛んできた事になるのよね」

「トモスa2?」

 湊はその名前に心当たりがあった。確かどこぞの多国籍コングロマリットが所有する大型のM型鉱山小惑星だったはずである。この仕事を始めたばかりの頃、一度だけ貨物を届けた事があった。

「何でそんな……あ!」

「どうしたの?」

「いや、あそこには確かエヌテック社の超電導マスドライバーが入ってたなと思って」

「貨物コンテナとかを猛スピードで宇宙に打ち出すやつ?」

「そう。あそこのは直接火星軌道あたりまでコンテナをぶん投げる大型のタイプだっただから、確かにあの手の金属小惑星を打ち出すぐらい簡単だろうな。でも…」

「先輩! のんきにしてられないわよ。理由は判らないけど、私達、狙撃されたのよ」

「どうして? まさか、普通に事故だろ!」

 湊は香帆の被害妄想を笑い飛ばした。

 確かに間一髪ではあったが、希少鉱物を含む小惑星を丸ごと精錬施設まで飛ばすなんて事は結構どこでもやっている。進路上に警告ビーコンが発振されていたかどうかは今さら判らないが。

 第一、命を狙われる理由が自分には存在しない。そう湊は確信していた。

「だいたい、俺達を墜とすつもりであれを飛ばしたのなら、簡単に出所のわかるようなひねりのない軌道は使わないだろ?」

「そうかなあ、でも……」

 言い終わらないうちに船ががくりと姿勢を変えた。

「およ?」

 思うまもなくがたがたと振動しはじめ、瞬く間に本格的なスピンに移行した。

「何? エンジン出力が変動してる……あ、また」

 香帆があわててシステムを停止させながら叫ぶ。

「こんなに変動したらオートパイロットなんて不可能じゃない!」

 一方で湊は半分悟った顔で肩を大きく回すと、

「どこかでノイズを拾ってるんだ。外へ出てケーブルの絶縁を……いや、ともかく船を立て直すのが先だな」

 湊はもうすっかりあきらめた。

 この事態で五分休めただけでも儲け物だろう。


「さて、と」

 湊は自動操縦プログラムを切ると、大きく息を吸い、コントロールスティックをわずかに握り直してトロイスに向かっての最終アプローチを開始した。

 もはやほとんど信用できないメインエンジンの出力をアイドリングまで下げると、華麗なペダルさばきでスラスターを吹かし、アプローチラインにきっちりと船を導く。

 アローラムの残されたメインエンジンは結局最後まで不機嫌なままで、まるで安定しなかった。

 香帆は当初そこまで極端な変動を考えていなかったため、残りの航海の間、湊は夜昼の関係なしに何度となくアラームに叩き起こされ、慌ててスティックを握る羽目になった。

 予想もしない場所から次々に噴き出すトラブルを抑えるため、香帆はプログラムに大量のパッチをあてまくった。結果、最初はいじらないつもりだったアローラムの基幹アーキテクチャのかなりの部分にまで手を入れる結果となってしまった。

 おかげで香帆のプログラムは今や人間の操船にもほとんどひけをとらない巧みさで操縦をこなせるようになりつつあったのだが。

 だが、さすがの彼女も満身創痍でしかもひっきりなしに暴れ回るアローラムを、わずかとは言え重力のある有人基地に首尾よく降ろせる自信までは持てなかった。

 何より速さ優先、デバッグもそこそこのやっつけ仕事だけに、どこかに致命的な欠陥が潜んでいる可能性を否定できなかったからだ。

「アローラム、聞こえるか? こちらはトロイス・コントロール」

 トロイスの管制部から通信が入った。香帆が手渡したインカムを素早く装着した湊は、ノイズ交じりの遠い声に冷静に答える。

「ああ、なんとか聞こえてる」

「そちらの船体をたった今光学監視盤で確認した。船体の損傷が報告以上にひどいようだが? 大丈夫か?」

「ああ、今のところはな。一応念のために桟橋に消防隊とレスキューを待機させて欲しい」

「了解した。ところで、一般船舶用の桟橋ではなく、裏の整備ドックの着陸床に直接入ってくれないか」

「なに!?」

 いきなりの無理な注文変更に湊は声を荒らげた。

 今でさえやっとアプローチラインに乗ってるに過ぎない。操縦というよりほとんど不時着に近い状態なのだ。

「なぜだ? 本船の現状で今さら針路変更は不可能! これ以上無茶を言うならそっちのタワーにまっすぐぶつけるぞ!」

 湊の剣幕に一瞬タワーの返答が遅れた。

「湊ちゃん聞こえるか?」

 と、そこに突然別人の声が割り込んできた。

「は?」

 湊の目が点になる。

「俺だ、辻本だ。懐かしいなあ」

「知ってる人?」

 香帆が横から口をはさむ。

「ああ、サンライズ宙航士訓練校の校長だ。なんでこんな所に?」

 湊はインカムを左手で押さえながらささやき声で答えると、あらためて無線の声に応対した。

「主任教官! 何でこんなところにいらっしゃるんですか?」

「あはは、驚いただろ。実は君を送りだした後、NaRDOに転職したんだよ」

「転職って……あそこってそんな簡単にほいほい就職できるもんなんですか?」

「まあな。これでも今はここの基地司令だぞ。事故の報告は聞いてるが、積もる話もあるから悪いが勝手口せいびドックに直接入ってくれないか。そのくらい君なら楽勝のはずだ」

「はあ……」

 湊はまだ半分納得できていないが、その間にもトロイスはどんどん近づいて来る。今のアローラムの状態では正規の手続き通り反転してもう一度再アプローチするだけの余裕はない。

 貴重な数秒間を使ってじっくり考えを巡らせた末、湊はそのまま手続きを無視してアプローチラインを逸れ、強引にドックに針路を向け直した。タワーの自動管制AIが規定違反をうるさく責め立てるが、湊は眉ひとつ動かさずにそれを無視する。

 不意にアローラムの船体がぐらりと傾いた。すかさずカウンターをあてる湊。

 香帆は息を殺し、じっと湊の手元を見守った。

 ドック入口のウエルカムゲート通過。着陸床はもう目の前だ。

 ところが、船首減速バーニアをフルブーストしてもアプローチスピードが予定値まで下がらない。おまけに肝心のランディングギアすらも出てこない。

「おい、しっかりしろっ!」

 コンソールを殴り付けながら怒鳴る湊。その額にじっとりと脂汗がにじむ。のどぼとけがごくりと動くのが隣で見守る香帆の目にもはっきりと見えた。

「仕方ない。胴着する!」

 次の瞬間、鈍い爆音と共に船尾が跳ね上がる。

「きゃっ!」

 香帆が短く悲鳴をあげる。不調の電磁加速ノズルがついに焼き切れたのだ。

 急激に横滑りする船体。コクピットのメインディスプレイ一杯に頑丈な耐爆壁が迫る。このスピードで衝突すれば船は無事に済みそうにない。

「ちいっ!」

 立て続けに非常用のケミカルアンカー全弾を着陸床にたたき込んだ湊は、ワイヤーを急速巻き取りしながらエンジンをすべてカットする。

 同時に、予想される破損に備えて圧力弁を開放、燃料配管の圧縮を抜いて引火性を下げ、再着火を防ぐため今だ高温の電磁ノズルに緊急冷却用の液体窒素を盛大に放出した。

 だが、極端な温度差による熱応力でノズルは砕け、ノズルコーンごと船体から脱落すると、隣の着陸床に停泊中だった小型のロボタグボートの上に落下してそれをあっけなく押しつぶす。

「げっ! しまった!」

「あ、ひどーい!」

 次の瞬間、アローラムは着陸床の隅ぎりぎりの位置で派手にワンバウンドすると、揚げ句に充電ピットに入っていた三台のカーゴリフターを蹴散らして強引に着床した。

 立て続けの破壊音の後、前のめりの姿勢でようやく船が静止する。

 同時に耐爆壁から冷却消火フォームが射出され、白い発泡がたちまちアローラムをおおいつくした。

「すごい! 生きてたよ」

 部屋中にディスクやチャートが散乱し、床の傾いたコクピットで香帆が歓声を上げた。だが、湊はそんな彼女のはしゃぎようと、またもや警告灯だらけの賑やかなコンソールに順に目をやると、ひどく疲れた表情でぽつりとつぶやいた。

「こんな疲れるフライト、もう二度とごめんだぞ」

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