二章二話 『プールへGO』

 


 次の日、学校を終えた秋人と理恵は、奏のお見舞いをするべく病院を訪れていた。

 本当は秋人一人で来たかったのだが、どうしてもと駄々だをこねる理恵を説得する事が出来ず、結局同行するはめになったのだ。


 病院に向かう道中、秋人の頭の中はどうやって奏をプール誘うかを考えるのに夢中だった。

 理恵さえ居なければ何時もの調子で誘えるのだが、プールという単語を出せば間違いなく食い付いてくる。


 そこら辺を上手く誤魔化し、尚且つ悟られないように奏をプールに誘う。

 中々に難しいミッションだが、秋人は自分を落ち着かせて精神統一に励んでいた。


 そして、遂に病院へとたどり着いた。


「奏! 体調は大丈夫?」


「ん? 今日も来てくれたんだ。ありがとね」


「まぁな」


 まず始めに久地を開いたのは理恵だった。

 扉を開けるなり奏のベッドへと飛び乗り、嬉しそうに奏の手を握っている。

 多分、腹の傷が塞がっていると知っての行動だと思うが、もしもの事を考えてひやひやしてしまう。


 次に秋人が病院に入ると、自分の興奮を悟られないように素っ気ない挨拶を交わした。

 奏はその様子に多少の違和感を覚えたようだったが、目の前で元気を振り撒いている理恵に意識を奪われている。


「あのね、今日も秋人は引かれてたよ!」


「また? もう、気をつけてって言ってるのに」


「今日は仕方ねぇんだよ」


「なんで?」


「それは……その、あれだ。日差しが強かったから」


 理恵の定期報告に奏がまたかと苦笑。

 それから秋人へ疑問を振るが、勿論お前の水着姿を想像していたなんて言える訳がないので、適当に誤魔化す事にした。


「あ、そうだ。来週には退院して良いって先生に言われたよ」


「本当にっ? またいっぱい遊びに行こうね」


「うん。でも、退院して直ぐに激しい運動は抑えてだって」


「……なぬ」


 思わず絶句した。

 そして、思ったよりも低い声が出た事により、二人の視線が秋人に集まる。


「ん?」


「秋人も一緒に遊ぶ?」


「お、おう」


 どうやら遊びたいと思われたらしく、とりあえずはセーフ。

 しかし、こうなると計画が狂ってしまう。

 腹の傷を全く考慮していなかったので、まさかの展開に秋人は直ぐに次の手を考える。


 だが、そもそも夏は始まったばかりだ。

 この先には夏休みだって待ち構えているので、お楽しみを取っておく事だって出来る。

 また今度という方向に考えをシフトチェンジし、今回は早々に諦める秋人だった。


「この前ね、駅の近くに美味しそうなアイスのお店見つけたの!」


「理恵はアイス好きだね。じゃあ、退院したら三人で行こっか」


「うん行く! 勿論秋人の奢りね」


「ふざけんな断る。俺は奢るのが当然と思ってる女がだいっ嫌いなんだよ」


「ケチ、貧乏、解消なし、男のくせに!」


「あ、テメェ今何つった!? お前だって女のくせに貧乳じゃねぇか!」


 男のくせにという言葉が勘に触ったのか、秋人が理恵に対して迫る。

 女は貧乳じゃないという訳の分からない偏見を叩き付けられ、理恵の方もご立腹だ。


「これからだもん! もっと大きくなるもん!」


「ほーほー、これからねぇ」


 理恵の胸を凝視するという変態行為の後、バカにしたように鼻で笑う。

 これには理恵も耐えきれなくなくなり、秋人の胸ぐらに掴みかかった。

 負けじと反撃に出るが、腕力の差が有りすぎるので、秋人の頭は壊れた人形のようにグワングワンと前後に振り回されている。


「や、やめ、やめろッ。出る……唐揚げ出るから!」


「貧乳だって生きてるんだぞ!」


「分かったから! ギブ、ギブアップ!」


 貧乳の怨みは恐ろしく、脳ミソを激しくシェイクされ、次第に秋人の顔色が青紫に変色していく。

 それと同時に、胃袋の底から先ほど病院に来る前に買い食いした唐揚げが姿を現そうとしていた。


「はいはいそこまで。病院の中で病人をつくらないでね」


 バトルーーというより、一方的な攻撃が始まる前に、二人の戦いを眺めていた奏が止めに入る。

 流石に病室ではまずいと思ったのか、理恵が掴んでいた秋人を突飛ばし、突き飛ばされた秋人は壁に激突。


 ゾンビでも酔いは治らないのか、目を回して壁にもたれ掛かっている。

 そんな時、秋人のポケットから一枚の紙切れが落下した。


『ん?』と首を傾げて落下した紙切れに気付いた奏。

 更に、ベッドの上に座っている奏の視線に気付き、理恵が紙切れを拾い上げた。

 そして、あろう事か、書いてある文字を音読し始める。


「カップル限定プール券、だって」


「カップル……?」


 理恵の音読に奏が反応し、二人の視線は秋人に集中し、訝しんでいる。

 当の本人は目を回してグロッキーだ。

 しばらくして視界が安定してくると、フラフラとよろめきながら立ち上がった。

 そして二人が自分を見ている事に気付き、そのまま視線は理恵が持っている紙へと注がれた。


「……カップルって、アキ彼女居たの?」


「秋人のくせに生意気だぁ」


「い、いやそれはだな……」


「それは?」


 様々な言い訳が頭の中をぐるぐると駆け巡り、思考を加速させる。

 このまま素直に『奏の水着が見たいです』とは口が裂けても言えない。

 そうなると、このチケットは貰い物だからあげると言うのが一番当たり障りの無い解決方法だ。


 しかし、そうしてしまうとチケットが自分の手を離れ、奏が退院後にプールに行くという楽しみが消えてしまう。

 どうするべきか悩み、考えに考えて、


「そ、それは花子に貰ったんだよ。俺は日差し苦手だからプールは無理だし、どっちかにあげようと思ってな」


 安全な方法を選ぶ事となった。

 瞳から涙は溢れていないが、秋人の心は悲しみの涙でびしょびしょになってしまった。


「私は良いかな。貰っても行く人居ないし。理恵が受け取って」


「良いの!? やったー!」


 結局、プールのチケットは拾った理恵の所有物となった。

 全身で喜びを表してピョンピョンと跳ねているが、ここで秋人の頭に疑問が浮かんだ。


「お前彼氏とかいんの?」


「ううん。いないよ?」


 然も当たり前のように言う理恵に、ますます疑問が増えていく。

 それは奏も同じようで、二人の目があった。

 理恵は恋愛をするようなタイプではないと勝手に秋人は考えている。

 失礼極まりないのだが、日頃の行いを見ていれば当然の結果だろう。


「カップル限定だから一人じゃ行けないよ?」


「彼氏いねぇのにどうやって行くんだ?」


「別にお付き合いしてる人じゃなくても、男の人なら大丈夫だよ」


 理恵の考えは付き合っているように見えればオーケーという事なのだろう。

 無駄なところで機転がきく理恵に驚きを隠せない秋人。

 しかし、理恵が男性と親しくしているのを見た事のない秋人は、納得出来ないようだ。


「他に宛があるって事か?」


「あるよ! ね!」


 そう言って奏へと顔を向ける理恵。

 奏は理恵の意図を察したのか、手を合わせて納得したように『なるほど』と呟いた。

 一人だけ分からずに取り残された秋人は居心地が悪そうに、


「いやなんだよ。俺にも教えろって」


「アキの事だよ」


「……え? 俺?」


 確認のために理恵を見ると、ニッコリと気持ちの良いくらいに満面の笑みで頷いた。

 その笑みを継続したまま、


「一緒に行こ!」


「やだ!」


「何でよ!」


「太陽苦手って言ってんだろ」


 強制的にプールに連れて行かれそうになるのを必死に拒絶する。

 理恵には何度も太陽が苦手だと伝えている筈なのに、事ある毎に秋人を外に連れ出そうとする。


 奏とのプールなら未だしも、興味のないロリ少女の水着姿のために身を切る必要を秋人は見出だせなかった。

 顔の前で腕をクロスさせて拒絶の意を全面に出して伝える。


「ゼッテーに行かないからな」


「何でよ! 良いじゃんプール行こうよ!」


 そんな事は興味ないと言いたげに、理恵の中では秋人の同行が決定しているのだ。

 秋人の腕を掴んで、クロスして作ったバッテンを強制的に丸に変えようとする。

 そんな力業で納得する筈がないのだが、理恵の中では丸さえ作れれば良いのだろう。


「や、ヤメロォ!」


「秋人が一緒に行ってくれるまで止めないもん! 暑いから泳ごうよ!」


 ミシミシと秋人の骨がロリ少女の腕力で軋む。

 その音を聞きながらも譲る事はせずに抵抗を続けた。


「泳ぎたいなら勝手に泳げや! 俺を巻き込むな、他の奴を誘え」


「だって秋人以外に男の人の友達いないもん! 泳ぐのぉ! バシャバシャするのぉ!」


「家の風呂でバシャバシャしてろ。水ためれば簡易プールの出来上がりだ!」


「そんなのプールじゃない! 流れるプールとか、波のプールとか、うぉーたーすらいだーとかが良い!」


 何時もならここいらのタイミングで奏が止めに入るのだが、予想以上に理恵がプールに執着している事に驚き『あはは……』と乾いた苦笑いを浮かべている。

 秋人が目でSOSを求めても、救助してくれる気配がない。


 こうなってしまうと秋人に勝ち目はない。

 となると勝負を放棄して逃げ出すのが吉。

 腕を払って逃走を図ろうとしたが、


「あ、そうだ。秋人何でも言う事聞くって言ってたよね?」


「は? そんな事一回も……」


 言っていないと口から出掛けたが、商店街での一件を思い出して顔面蒼白になった。

 恐らく理恵が言っているのは、秋人の気持ちをバラさない変わりに言う事を一つ聞いてやる、と言った事を示しているのだろう。


 更に、そこから導き出される結論は、ある一つの事を意味している。

 バラされたくなかったらプールに着いてこい、と秋人に脅しをかけているのだ。

 パクパクと口を動かしながら反論する言葉を探すが、どんな言葉を放ったとしても勝てるイメージがわかない。


「今がその時だよ。さ、プールに行こ」


 理恵の無邪気な笑顔の奥にあるどす黒い考えを読み取り、


「あいあいさー」


 創秋人は簡単に負けを認めた。

 二人の視線の応酬に潜む意味を知る訳の無い奏は、秋人の急な態度の変わりように訝しんでいる。

 腕を締め付ける握力から解放されたのにも関わらず、肩を落として絶望する秋人。


 この先、理恵に逆らおうものなら何時でもバラされてしまうという事だ。

 理恵がその権利を無闇に振りかざすとは思えないが、今の秋人にとって弱味を握られたという事実だけで十分に落ち込む材料となった。


「うへへ。プール楽しみだね」


 三人の中で一人だけ勝ち誇ったように、理恵が勝利の余韻に表情を崩した。


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