一章十一話 『ここでおわり』



 次の日、セットしておいた目覚ましから響くけたたましい音によって創秋人の意識は覚醒した。


 激しく鳴り響く目覚まし時計に鉄槌を下して止めると、ベッド横にある窓のカーテンへと手をかける。

 カーテンを引き、僅かに差し込む朝日に目を細め、身体中から力が抜けるのを感じつつ再びベッドに倒れ込んだ。


 自分はゾンビで、誰よりも太陽が苦手だと分かっているのに、何故か毎朝こうやって朝日を浴びてダウンしている。

 毎朝の日課というやつだろうか。

 眠気に呑まれつつある体に渇を入れ、ベッドから滑り落ちるように立ち上がった。


 何時もよりも三十分以上早く起きたからなのか、異常に目がしょぼしょぼしていた。

 ごしごしと強めに目を擦りながら、洗面所へと向かう。

 そして、これまた強めに顔を洗い、意識の覚醒を手助けする。


 その後、自室に戻り私服に着替えた。

 シンプルな黒のティーシャツとベージュ色のチノパン。

 本来なら、制服に着替えて学校へ行く準備をするところなのだが、今日は何時もと予定が異なる。


「……どうやって見るんだっけか」


 ベッドの横に置いておいた赤いスマートフォンを手に取り、メモ帳をタップする。

 目的地の住所を確認すると、メモ帳を閉じて地図を確認した。


 そう、この後の予定は登校ではなくーー通り魔の家と思われる場所に行く事だ。


 秋人自身、ひょっとこの仮面が言っていた事を全て信じている訳では無いが、今は頼れるものがこれ以外に無い以上、僅かな可能性にかけるしかない。

 だからこそ、苦手な朝に無理をしてまで早起きをしたのだ。


 不安が無いと言えば嘘になる。

 それでも、これは自分にしか出来ない事だと思っている。

 そして、これは一人でやるべき事だとも。


「準備良し」


 誰も居ない部屋で一人呟いた。

 準備と言う程の準備はしていないが、気合いを入れる意味も含めての確認だ。

 花子から貰った通信機をポケットに入れ、スマートフォンを片手に部屋を出て玄関まで向かう。

 日傘は必要かどうか考えながら、扉を開けるとーー、


「おっはーよ!」


 手を振りながら満面の笑みで顔を満たしている、制服姿の理恵が立っていた。


「…………」


 ガチャリと扉を閉めた。

 鍵とチェーンをかけ、改めて考える。


(今何か居たか? いやいや、んな訳無いよ。だって誰にも言って無いもん)


 たどり着いた答えは見間違え。

 不安による幻覚だと決め付け、チェーンを外して再び扉を開けた。


「おっはーよ!」


「……見間違えじゃねーわ。何でお前が居るんだよ」


 どうやら幻覚では無かったらしい。

 足はちゃんとあるし、こんなにヘラヘラしている幽霊何て聞いた事が無い。

 秋人の質問に理恵は表情を崩さずに答えた。


「奏に秋人は全部一人でやろうとするから見張っといてって言われたの」


 奏ならば自分の行動を予測しかねないと納得し、それ以上の詮索はしなかった。

 それと同時に、目を覚ましたのだという安心感に胸を撫で下ろす。

 しかし、今重要なのはそこでは無いと言わんばかりに話を続ける。


「あいつか……んで、何時から居たんだ?」


「んーとね、朝の三時くらいから」


「ずっと起きてたのか?」


「うん。秋人が逃げて無いかベランダにも入ったよ」


 突然の不法侵入宣言に眉をひそめて渇いた笑いが込み上げて来た。

 秋人は二階建てのボロいアパートに住んでいる。

 普通の少女なら登る事は出来ない筈なのだが、目の前に居るのは普通ではない少女だ。


 目の前で車を持ち上げる姿を見た事があるし、一軒家の屋根に跳躍して飛び乗ったのを見た事もある。

 そもそも、普通の少女ならベランダに侵入を試みる事すらしないのだが。


「あのな、それ犯罪だから」


「知らないもん。秋人が勝手に全部一人でやろうとするのがいけないんだよ」


「そんなん理由にならないっての。帰れ。学校あんだろ」


「やだよ! 私も行く!」


「だめだ帰れ」


「やだ!」


「帰れ!」


「やーだ!」


 手足をジタバタさせて一向に譲る気配の無い理恵に、段々と秋人も熱くなってしまっている。

 その後、数分間に及ぶ『帰れ!』『やだ!』の攻防を続け、両者肩で息をするくらいに白熱していた。


「良いから帰れよ!」


「やだもん! 私だって何も出来なくて悔しかったんだよ!」


「危ないからだめだ。お前が奏みたいに刺されたら、吸血鬼じゃないから応急措置が出来ねぇんだよ」


「気合いでどうにかするもん!」


 こうなってしまった理恵は、何を言ったとしても、どんな正論をぶつけたとしても引き下がる事はしないだろう。

 秋人はそれを分かっているが、奏の事もあったので今回は引き下がれない。


 そんな秋人を無視するように、理恵はぐんぐんと迫り、体が密着する距離で尚も力説を続ける。

 秋人だって理恵の気持ちが分からない訳ではない。

 だが、奏が刺された瞬間がフラッシュバックし、どうしても認める事が出来ないのだ。


「理恵。良いか? 今回はまじでヤバいんだ。掠りでもしたら死ぬかもしれないんだよ。んな所に連れて行けるか」


「……やだよ。奏が、秋人を放っといたら大事な所まで壊れちゃうって言ってもん。だから絶対一緒に行く。良く分からないけど、それは嫌だから」


 理恵の言葉に、思わず息を飲んで反論する事を忘れてしまった。

 それは、奏に自分をどこまで見透かされているのかという不安と、理恵が『嫌だ』と言ったからだ。


 理恵は分からないと言っているが、恐らく本質は捉えているのだろう。

 ーー秋人のやっている事は、ただの自己犠牲ではない事に。


 それが分かったから、秋人は言葉を詰まらせてしまった。

 そして、理恵の放った言葉の意味を飲み込むように黙りこんだ。

 しばらく無言の間が流れ、沈黙を破るように口を開く。


「……わーったよ。別に着いて来るのは良い。ただ、俺が今から言う事を必ず守れ」


「うん! 守るよ」


 まだ本題に入っていないのにも関わらず、元気に手を上げて返事をする理恵に、本当に大丈夫かという疑問がわいてきた。

 だが、言い出した手前、引けないと思い言葉を続ける。


「俺が逃げろって言ったら逃げろ。危ないと思ったら逃げろ。自分から勝手に突っ込むな。分かったか?」


「わかったわかった!」


 今の『わかった』は何も理解していないと秋人は知っている。

 自分で言った事を後悔しつつも、目の前ではしゃいでいる姿を見て不覚にも安心してしまった。


「ん? どしたの?」


 そんな秋人に気付いたのか、理恵が可愛らしく首を傾げる。


「何でもねーよ。ほら、行くぞ」


 それを悟られまいとぶっきらぼうに答え、玄関の扉を閉めて理恵の横を通り過ぎて行った。

 それに続いて理恵も歩き出し、秋人の横に並ぶと楽しそうに微笑んだ。


 その笑顔を見て、秋人は不覚にもときめいてしまったのだった。




 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




「っと、ここか……?」


 最寄り駅から電車に乗り、そこから走る事四駅。

 駅前は、七時半という事もあってか、会社や学校に向かう人達ばかりでごったがえしていた。


 駅を離れて特に変鉄の無い住宅街を、スマートフォンで地図を確認しながら歩いていた。

 眼前に現れた何棟かのアパートの中の一つ。

 ボロボロで塗装も剥がれかけている二階建てのアパートを、メモ帳にかかれた住所が示していた。


「あれなの?」


 横から理恵が顔を乗りだし、スマートフォンの画面へと目をやる。

 文字の羅列を見て、直ぐに何とか書いてあるのか読むのを諦めたらしく、秋人と距離をとって目の前のアパートを指差す。


「多分な。約束覚えてるよな? 慎重に、静かにだ」


「うん。こっそりだね!」


 両の拳を握り締めて力強く返事をした。

 しかし、その元気な返事が秋人の中の不安を大きくしているとは思ってもいないのだろう。


 言葉通りに慎重にアパートまで近付き、階段を上がっていく。

 理恵が後から着いて来ているが、足音を気にするあまり、爪先だけで歩いている。

 三つの部屋を過ぎ、一番奥の二○五号室の前までやって来た所で、改めて深呼吸をした。


 この扉の向こうに、連続通り魔の犯人が居るかもしれない。

 ここ数日で二回程対面しているが、殺人鬼との対面は、なれるものではない。

 一度目は自分が刺されて命を落とし、二度目は大事な人が刺された。

 その決着が、今果たされようとしていた。


 扉を見つめて秋人は自分の胸に手を当てた。

 心臓の音を確かめながら、何度も落ち着けと言い聞かせる。

 意を決してインターフォンに指を伸ばすーー、


「ねぇねぇ秋人」


「あ?」


 インターフォンに触れるギリギリの所で、理恵の呼び掛けによって行動が止まってしまった。


「ここが悪い人の家?」


「……あぁ、多分。この情報が合ってればな」


「ふむふむ」


 何か思考するように腕を組んで頷く。

 それから、邪魔だと言いたげに秋人を扉の前から押しやる。

 訳も分からないまま、されるがままに扉の前から退くと、理恵が扉の前に立って睨み付けた。


「ちょ、お前ーー」


 その瞬間、目の前のロリ少女が何をしようとしているのか瞬時に察知し、それを阻もうと手を伸ばしたが、


「てりゃぁぁぁぁ!」


 時すでに遅く、間の抜けた掛け声と共に理恵の蹴りが扉へと放たれた。

 ベコ!と鉄が曲がる音を出しながら、意図も簡単に蹴り破れた扉がひしゃげ、そのまま部屋の奥へと吹っ飛んで行った。


 口をあんぐりと開けたまま秋人の思考が停止。

 目の前で起きた事を必死に理解しようと頭を回すが、そんな事はお構い無しに理恵が『おじゃましまーす』と言いながら中に入って行ってしまった。


「……そりゃそうだわな。こいつが俺の言う事なんて聞く筈ねぇ」


 盛大にため息を吐き出し、今の音で近隣の住民が来ないかを確認。

 どうやら、ほとんどの住民が仕事や学校に行っているらしく、誰も出て来る気配がない。


 これが嬉しい事なのか、はたまた悲しい事なのか。

 パラダイスの治安の悪さと、自分の考えの浅はかさに失望し、再びため息をついた。

 緊張感も何もあったもんじゃないが、秋人も部屋の中へと入った。


 部屋の中は質素な感じで、置いてある家具は白か黒で統一されている。

 秋人はもっと汚い部屋を想像していたらしく、意外と綺麗に整頓され、どこにでもある平凡な部屋に驚きを隠せずにいた。


 トイレ、風呂。人が隠れられそうな場所を探すが誰も居ない。

 そんな時、先に入って行った理恵が、


「秋人ぉ。こっちこっち」


「ちょっと待ってろ」


 理恵に呼ばれて行くと、そこは寝室だったらしく、ベッドの上に座っていた。

 流石に座るのはどうかと思い、突っ込みが出掛けたが、それよりも理恵が手に持っていた物へと注意が逸れた。


「んだそれ?」


「分かんない。ベッドの下に隠してあったの。エッチな本探してたら出て来たよ」


「男がみんなエロ本をベッドの下に隠してると思ったら大間違いだぞ」


 殺人鬼の部屋でもエロ本を探そうとする理恵に、大物なのかバカなのか困惑してしまう。

 しかし、やはりバカなのだろうと結論付け、紙を受け取った。

 紙を見ると、それが何なのか直ぐに分かった。


「地図か……?」


 それは、パラダイスの地図だった。

 大きく分けて五つの地区に別れており、真ん中は監理局の本部ビルがある中心区。

 それをかこうように、居住区、娯楽施設がある区画、工場が沢山並んでいる区画、そして研究施設がある区画。


 改めて見て、パラダイスはこうなっているんだと納得していると、ふと違和感に気づいた。

 中心区が○で囲われている事。

 そして、その横にまだ乾ききっていない血で『ここでおわりやっとかえれる』と、よれよれの文字で書かれていた。


「字へたくそだね」


 ベッドから立ち上がり、地図を覗きこんで呑気な事を言う理恵の横で、秋人は文字の意味を理解して真っ青に顔を染めていた。


「……ふざけんな」


「どしたの?」


「あの野郎……中心区で暴れるつもりなんだ」


「えっ?」


 思い違いをしていた。

 通り魔には、少なからず理性があると。

 そもそも、改めて考えれば分かる事だ。

 商店街で人を刺すくらいまでイカれた人物が、場所を選んで人目を気にする筈がないと。


 頭のネジが何本も吹っ飛んで、なりふり構わずに行動を起こすような奴だ。

 自分の目的のために人を襲うような奴に、世間一般的な常識が通用する筈がなかった。


「くそ……通り魔なんて話じゃ済まねぇぞ」


「ねぇねぇ、通り魔はどこに行ったの?」


「中心区だ。くそ、もう行ってるかも知れねぇ。俺達も行くぞ」


 通り魔が何時からこの部屋に戻っていないのか分からない。

 ただ、乾いていない血を見る限り、そこまで時間は立っていない。

 しかし、先を越されたのは事実だ。

 もしかしたら、既に暴れているかもしれない。


 地図をくしゃくしゃにして乱暴にポケットに入れると、まだ事情をきちんと把握していない理恵を他所に、部屋を飛び出した。


「待ってよぉ!」


 いきなり走り出した秋人に置いて行かれ、不服そうにしながらも、理恵も続いて部屋を飛び出して行った。


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