一章十二話 『迫る決着』
男の名前は坂本孝太(サカモトコウタ)。
どこにでも居る平凡なサラリーマンだった。
学生時代から交際していた彼女と結婚し、二人の子供にも恵まれ、毎日が充実してそれは幸せに溢れていた。
満員の通勤電車に揺られて会社に行き、デスクワークをこなして家に帰る。
どんなに疲労して帰っても、それを迎えてくれる三人の笑顔があればどんな苦しみにでも耐えられると本気で思っていた。
四人で夕飯を囲み、他愛ない談笑をしながら楽しむ。
その後は二人の子供と風呂に入り、学校での出来事を聞きながら頭を流してやった。
布団に入る時は、勿論四人並んでだ。
そんな当たり前で幸せな日々が一生続くと思っていた。
ーーそう、信じていた。
ある日、何時も通りに会社へと向かう電車の中で、坂本孝太は自分の手に違和感を覚えた。
何も考えずに掌を見るとーー小さな針がはえていた。
最初は、何かが刺さってしまったのだと思っていたが、それは違うと直ぐに判明した。
本当はその時点で気づいていた。
自分は人間ではないーーいや、人間ではなくなってしまったのだと。
『あなた、人間じゃないですよ』
世界規模で行われている、人間か否かを調べる定期検診の時、坂本孝太は医者にそう宣言された。
その言葉が何を意味するのか、この世界で生きている人間ならば誰しもが知っている。
もう二度と、外の世界で人間として生きていく事は出来ない。
親しい友人も、愛しい家族も、誰にも会う事が出来なくなってしまうかもしれない。
男はその恐怖から逃げ出した。
だが、それを許す程世界は優しくなかった。
結果だけを言うならば、坂本孝太は定期検診の日から家族に会えていない。
家に帰る事も叶わず、病院内で捕らえられた坂本孝太は、そのままパラダイスへと連行されたのだ。
そして、パラダイスに住む事になってから数ヶ月。
坂本孝太は職にもつかず、家で一人寂しさに苛まれていた。
自分の命よりも大事な家族に会う事が出来ない。
たったそれだけで、男は生きる事を辞めようとしていた。
自分の死に場所を探して歩いていた時、坂本孝太はそれと出会った。
『外に出る方法を教えてあげるよ』
ひょっとこの仮面を被ったそれは、仮面の下で邪悪な笑みを浮かべながらそう言った。
『でもね、ただって訳にはいかないかな。いや……別にただでも良いんだけどさ。一つだけ、いっぱい人外種を殺してほしいんだ』
その言葉を聞いて、男はこう言った。
『分かった』
一瞬の躊躇いもなく、そう言ったのだ。
家族に会えるのなら、たとえ誰が死のうと関係ない。
誰が泣き叫んでも、誰が不幸になっても。
自分の生き甲斐である家族に会えるのなら。
そして、一連の通り魔事件が始まった。
渡された妙な薬を体に注射し、人気が少ない時間帯を狙って人外種を襲った。
たった一つ、家族に会うという願いを果たすために。
ーーただ、今の坂本孝太はそれを覚えていない。
家族の事も、自分に妙な薬を渡した人物の事も、何一つ。
それでも、そんな状態の男にでも、分かる事があった。
沢山の人外種を殺せば自分の望みが叶うという事。
そして、その望みが自分の中で何よりも叶えたい望みだという事。
だから今日も襲う。
たった一つ、自分の中に残った感情に従って。
「ここでオワリ」
パラダイスの中心区ーーその中心にある監理局の本部ビルを見つめながら、坂本孝太はそう呟いた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
中心区に電車に乗ってたどり着いた秋人と理恵は、改札をダッシュで潜り抜けた。
高くそびえ立つ監理局の本部ビルの前にたまっている人混みを横目に、秋人はくしゃくしゃにした地図を開いて目を通す。
「だめだ……丸しか書いてねぇ」
通り魔が中心区に居るという事は分かった。
しかし、それ以上の情報が無い。
通り魔の部屋にあった地図を見ても、丸と血で書かれた文字しかない。
手懸かりの少なさに苛立ち、舌を鳴らした。
「ここに居るの?」
「多分な。でも場所が分からねぇ。全部走って回る訳にもいかねぇし……」
「うーん……頑張って走れば何とかなるよ!」
根拠の無い自信で笑顔を作って見せる理恵。
その理恵の後ろにそびえ立つ巨大なビルが目に入った。
ビルを見て、秋人は何か決心したように、
「そうだな……頑張って走れば何とかなるかもな」
「うん!」
「だから理恵。お前は監理局のビルに行ってくれ。この近くに通り魔が居るかもしれないって言えば動いてくれんだろ」
当初の目的ならば、通り魔を捕まえて奏の友達に謝罪をさせるだけだった。
しかし、事はそれだけに収まらない程に大きくなってしまっている。
怪我人が六人、そして死者が一人。
たかが高校生がどうにか出来る問題ではないのだ。
あくまでも謝罪を目的に行動していたが、そんな甘い考えは捨てなければならない。
奏の願いに削ぐ和ぬ形になってしまったが、秋人は監理局に頼るという決断を下した。
「私が? 秋人より足速いよ?」
「足の速さはどうでも良いんだよ。とにかく、お前は監理局に行ってこの一帯を探すように言ってくれ。早くしないと間に合わなくなる」
「良いけど、秋人はどうするの?」
「走って探してみる」
確かに、足の速さや持久力の事を考えれば適任なのは秋人よりも理恵だ。
しかし、万が一通り魔と出会った時、奏のようなってしまうのではという不安が、理恵を行かせるという選択肢を排除した。
そんな決意のこもった瞳をしている秋人を見て、理恵は純粋な瞳で疑問を口にした。
「全部一人でやって大事な所壊れない?」
「……あぁ、大丈夫だ。俺だって一人で全部出来るなんて思い上がる程バカじゃない。俺がヤバくならないように監理局の人に言うんだよ」
「うん、分かった! 無理したら後で奏に報告するからね」
一拍置いて口を開いた秋人に、理恵は満足そうに微笑んだ。
恐らく、彼女なりの何かの基準を満たしたのだろう。
最後の脅しのような言葉に若干たじろいだが、今は気にしている場合じゃない。
「頼んだ」
「頼まれた!」
グっと親指を立てて返事をし、理恵は秋人に背を向けて監理局へと走っていった。
その背中を見送ると、
「っし……どうすっか。とりあえず走るしかねぇよな」
自分の太ももを叩いて気合いを入れると、通り魔を探すべく走り出した。
人混みをかけ分け、異質な空気を探す事数分。
既に秋人の体力は半分を下回っていた。
「マジで……運動しねぇと」
太陽の影響もあってか、思うように足が前に出ない。
それを分かっていて探す役目を引き受けたのだから、引く事は出来ないがほんの少し休憩したいという気持ちが芽生えていた。
いかんいかん、と頭を振って邪念を払うと、再び走り出す。
(昨日の一件で監理局が動いているとするなら、多分目立つような場所にはいない筈だ。……いや、普通に考えても当たる訳ねぇか)
犯人は正常な思考を持ち合わせていないと過程して動いているのに、秋人は一般的な考えを浮かべてしまった。
何をするか分からない危険性があるーーだからこんなにも後手に回ってしまっているのだ。
それを改めて思い出し、考える方向性を変化させる。
だが、ある事に気付いた。
「異常な考えってなんだよ」
そもそも、そんな思考は持ち合わせていないので、通り魔の考えなど理解出来る筈がなかった。
それでも足を止めずに走っていると、ピーピーとポケットの中から音が鳴り響いた。
その音源が花子から貰った白い判子のような通信機だと分かると、ポケットに手を突っ込んで取りだし、スイッチを押した。
『あ、もしもし、創さんですか? いやぁ、まさか通り魔が中心区に行くなんて驚きですね』
「花子か。……って、え? 何でそれを知ってんだよお前」
『何でって、その通信機はGPSがついてるんですよ。なので、創さんがどこに居るか丸わかりです』
「……あのな、そういうのは先に言え」
どこまで自分のストーカーなのだと呆れ、通信機の向こうでどや顔になっている花子を想像して物凄く殴りたくなったが、その気持ちをグッと堪える。
「それで、何の用だ?」
『何の用とは失礼な。創さんが心配になったから電話したんですよ』
「別に何ともねーよ。今探してる最中だ」
『ふむふむ。私の偉大な頭脳が必要らしいですね』
「……おう、お前の天才脳が必要だから知恵を貸してくれ」
上から目線の花子の力を借りるのはしゃくだが、今は形振り構っていられない。
通信機を地面に叩き付けかけた手をもう片方の手で押さえ、花子のペースに自ら巻き込まれて行った。
『そうですね……どうしましょうか?』
「それを聞いてんだよ。お前の方で何か情報とか無いのか?」
『特に目新しいのはありませんね。……電話してみてはどうですか?』
「電話?」
『はい、通り魔に電話してみるんです』
何を言っているのか分からず、呆気にとられてまたかと思った時、自分のポケットの中に何が入っているのかを思い出した。
ポケットに手を入れて、赤いスマートフォンを取りだし、電話帳を開く。
登録されている連絡先は『坂本孝太』、『僕』の二つだった。
このスマートフォンの持ち主はひょっとこの仮面。
すなわち、
「花子。犯人の名前は坂本孝太だ」
『坂本孝太ですか? 少し待って下さいね。蜂で登録されているか確認してみます』
通信機の向こうでカタカタとキーボードを弾く音が耳に入る。
その間も止まる事無く、通り魔探しを続けている秋人。
『創さん、ビンゴです。坂本孝太、四十一歳。蜂の人外種で三ヶ月前にパラダイスにやって来た。そして、外に妻と子供が居ます。出たい理由は恐らくそれかと』
「奥さんと子供が……」
『同情して逃がすなんて考えないで下さいよ? 今は妻と子供がいる事すら覚えていない可能性が高いです。もし、本当に犯人を思うのならこれ以上罪を重ねさせない事を考えて下さい』
「わーってる。とりあえず一回切るぞ。この番号に電話してみる」
『はいはい了解です。また何かあったら連絡して下さい』
最後に一言『おう』と言ってから通信を切った。
推測は当たっていたらしく、犯人ーー坂本孝太の目的は外にいる妻と子供に会う事だと秋人は確信した。
しかし、問題はこの電話に出るかどうかという事。
仮に電話に出たとしても会話が出来るのか?
更に言えば、そもそも電話を持ち歩いているのかすら怪しい。
そんな疑問から発信ボタンを押すのを躊躇ってしまった。
「何迷ってんだよ。ダメで元々だ」
自分の額に拳をぶつけ、弱気になりかけた心に鞭を打つ。
どうせこのまま探したとしても、見つかる可能性はかなり低い。
ほんの少しでも可能性があるのなら、それに頼るべきだ。
意を決して、通話ボタンに指を押し当てた。
そして、何回かのコール音の後、
『……もしもし』
耳に当てたスマートフォンから出た音が、秋人の耳を刺激した。
間違いなく、その声は通り魔のものだった。
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