一章十三話 『何時か帰る場所』
自分から電話をしたのだが、まさかは本当に出るとは思っていなかったらしく、秋人は無言のまま固まってしまった。
『もしもし』と言ったその声は、秋人が聞いたどの声とも一致しない。
雰囲気や感覚といった、特に根拠のないものだったが、それでも秋人は相手が通り魔だと断言出来た。
殺意も悪意も感じない落ち着いた和やかな声に、意表をつかれてしまった。
だからこそ、一瞬思考が止まってしまったのだ。
『だレですか?』
「あ……お前が通り魔か」
「通りマ? 何を言っているンでスか?」
落ち着いた声とは反面、秋人の言葉をきちんと把握出来ていないらしい。
何から話すか思考し、単刀直入に言葉を突き付けたが、それすらも意味は無かったようだ。
そんなとぼけた態度に身体中の血が頭り上り、秋人のスマートフォンを握る手に力がより一層込められる。
この電話の向こうに居るのは奏を傷つけた犯人。
元々、そんな相手と冷静に会話を交わせる筈がなかったのだ。
妻や子供の話を聞いて僅かに同情心がわいてきたが、それを差し引いても秋人の中に溜まっていた怒りの感情は溢れ出す事を止められない程に、上限を超過していた。
それが爆発するように声を荒げて、
「お前が……通り魔かって聞いてんだよ!」
『なにをイってるんですか? 僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は……殺さないとイけない。だって、それしかナいから。それが僕のイチバンだかラ』
「ーーーー」
突然、蓋が外れたように同じ言葉を連呼する坂本孝太に、秋人は気圧されて言葉を失ってしまった。
普通に会話出来ない事は予想していた。
しかし、これは思っていたよりも厄介な事になっている。
坂本孝太は、自分が何をしているのか理解していないのだ。
商店街での一件で、犯人は罪悪感から逃げ出したと予想していた。いや、あの時点では正解だったのだろう。
だが、今となっては違う。
自分にとって、それが正しいと信じて行動している。
そこに罪悪感はなく、自分が何をしているのか頭で理解していない。
悪気の無い悪意ーー坂本孝太が持っているのはそれだ。
「クソが……」
『もうキるよ。僕はヤらないとだかラ』
「ふざけんな待て! まだ話は終わってねぇぞ!」
『オワル……そうダよ。今日でオワルんだ』
嫌悪感を全面に出している秋人とは対照的に、坂本孝太は尚も間の抜けた、どこか意識の定まっていない声で語る。
『オワルオワル。僕は……マタネ』
「ちょ、待てーー」
最後まで言葉を繋ぐ前に、通話は強制的に切断された。
しかし、最後に電話の向こうで聞こえた音を、秋人の鼓膜はしっかりと捉えていた。
『これから見回りを始めます』と、電話の向こうの声は言っていた。
(見回りって何だよ……まて、何かそんな話を聞いたような……)
事態は一刻を争っている。
次の行動に移るための間すら今はおしい。
頭を回し、喉まで出掛けている記憶の正体を探る。
最初は奏の頼み事から始まった。
怪しい通り魔を捕まえて謝罪をさせるというものだったが、その数十分後に一度命を落とした。
次の日には大事な人が傷付き、消える事のないトラウマが刻まれた。
その後には、謎の仮面の人物と出会い、自分の中の怒りが抑えきれなくなった。
「……そうだ」
そして、一つの答えにたどり着く。
「先生が言ってたじゃねぇか! 三日後に中央区で見回りがあるって」
三日前ーーつまり通り魔捜査を始めた日の放課後だ。
太陽にやられて記憶が曖昧になり、ずっと忘れていたが、確かに担任の先生が口にしていた。
(見回りってどこでやってんだ? いや、あの声は誰かに言ってるみたいだった。……って事はどっかに集まって宣言したって事だよな。だったら、集まる場所なんて一つじゃねぇか)
中央区に着いた時に見えた監理局の本部ビルの前の人混みーーあれはただの人混みではなく、監理局のメンバーが集まっていたのだろう。
それに気付き、秋人は次にとるべき行動へと意識を切り替える。
今度こそ、本当に決着をつけるために。
散々遠回りをさせられ、秋人としても鬱憤が溜まりに溜まっている。
スマートフォンを乱暴にポケットに突っ込むと、踵を返して全力で走り出した。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
秋人との電話が切れた後、坂本孝太は散々になった監理局のメンバーを見ていた。
別に誰でも良かった。
場所だってどこでも良かったし、時間帯だって何時でも良かった。
ただ、人外種が沢山集まっている場所なら。
「…………」
今の男を見て、これから人を襲うなんて事は誰も想像出来ないだろう。
確かに、深くフードを被っていて怪しいが、熱中症対策でやっている人は回りにもいる。
殺意、悪意、狂気、今の男からは何も感じられない。
当たり前だ。
今からやろうとしている事は悪い事ではないのだから。
朝起きて顔を洗うように、腹が減ったら飯を食べるように、喉が渇いたら水分をとるように。
男にとっては日常の一部なのだから。
人外種を殺す事は、当たり前でありふれている事なのだから。
「ドれにシようかな」
コンビニで朝御飯を選ぶようにターゲットを探す。
「うん、ゼんぶ」
選んだ結果、導き出した答えに頷く。
別に選ぶ必要はない。
全部殺してしまえば良いんだ。
自分の掌に意識を集中する。
ブチ、と皮膚が裂けて鋭利な針がはえてくる。
触れただけで、簡単に命を奪える物だ。
ゆっくりと手を上げて、目の前を通り過ぎた人を刺すーー、
「おい」
男の伸ばした手は、背後から聞こえた声によって空を切った。
最初に死ぬ筈だった女性は、男に気付かずに歩いていってしまった。
体の向きを変えて、呼び掛けて来た人物へと視線を移す。
背後に立っている少年を見て、男は首を傾げた。
何故なら、男はその少年を知らない。
いや、正確には覚えていない、だ。
そしてつい数分前に電話越しに話した少年という事も、坂本孝太は忘れてしまっていた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
何故かと聞かれれば、たまたまだと答えただろう。
顔は分からなかったし、異質な空気を漂わせている訳でもなかった。
それでも、創秋人は『それ』が探している人物だと見抜けた。
「おい」
目の前で、手を伸ばして女性を襲おうとしているのを未然に防げた。
偶然であり、たまたまであり、奇跡でしかなかったが、秋人は安堵の息をもらしてしまった。
目の前人物ーー坂本孝太がゆっくりと振り返り、秋人と視線が交差する。
これまで二度対面しているが、やはり何も感じなかった。
一度目が一番恐怖を感じたと断言出来るだろう。
「ダれ」
首を傾げて短く呟いた。
秋人は考える。
ここから先、一度でも言葉を間違えてはいけないと。
この場で一番避けたい事は、狙いが秋人ではなく、他の人に逸れてしまう事だ。
こんな所で暴れられれば、犠牲者が大量に出てしまう。それこそ、通り魔なんて規模では修まらない程に。
出来るだけ意識を集め、あわよくばこの場を去って人気のない場所へと移動する。
秋人はその一点にのみ意識を集中する。
滲み出る手汗をズボンで拭き、言葉を発するための喉に神経を集める。
こんな時にビビって声が裏返ろうものなら、一生トラウマとして心に刻まれてしまう。
「……殺したいんだろ? だったら俺を殺れ」
「コろす? うん、コろシたい」
ひとまずは成功らしく、坂本孝太は喜んだように首を左右に振りだした。
だが、今にでも行動に移そうと、針が出ている手を秋人に近付ける。
「待てよ。ここじゃダメだ。場所を変えるぞ」
迫る手を掴み、寸前の所で止めた。
男は抵抗する事もなく、掴まれた手を眺めている。
「ダめ? ダメ? だめ?」
「場所を帰れば何回でも殺していいから、俺に着いて来い」
「うんうんウん。ころすツいてく」
子供のように自分で考える事が出来ていないのか、何度も頷いている。
「……来い」
話が通じているのか判断しにくいが、一応は着いてくる事を了承したらしい。
掴んでいた手を離し、人通りの少ない場所へと歩き出した。
時折後ろを振り返り、ちゃんと着いてきているかを確認する。
キョロキョロと辺りの様子を伺っているが、秋人に着いてきていた。
ただ、秋人にとって警戒しているのはそこでななく、何時背後から刺されるか分からないという事を気にしていた。
しかし、どうやら思い過ごしだったらしく、人気のない雑居ビルの間へと安全にたどり着いた。
不良の溜まり場になっているのか、地面に煙草の吸い殻や酒の空き缶が転がっている。
太陽の光も両サイドに立つビルが遮断しているようで、日陰が二人を包んでいた。
そのまま真っ直ぐに進み金網のフェンスまでやって来た。
そこで足を止め、後ろに居る坂本孝太へと向き直る。
「……何も覚えてねぇのか」
秋人の問いに、男は答えない。
意識がハッキリとしていないのか、酔っ払いのようにフラフラとしている。
「お前の奥さんと子供の事も……何にも」
「おクさん、こどモ」
奥さんと子供という単語に反応し、僅かに男の眉が動いた。
しかし、男は依然として態度を崩さない。
もう、完全に記憶が無くなってしまっているのだろうか。
秋人は下唇を噛み締める。
元々、この男と話をして説得するつもりで来たのではない。
そんな領域は当に逸脱しているから。
自らの内にわきだす同情という言葉を振り払うように、身を屈めて地面を勢い良く蹴り、秋人は飛び出した。
「ーーらッ!」
秋人が何をしようとしているのか分からない男は、迫る少年をただ見つめているだけ。
そんな事はお構い無しと、石のように握り締めた拳を男の顔面に叩き付けた。
殴られても尚、男は表情を変える事のないまま態勢を崩して背中から地面に倒れた。
秋人の一撃は的確にあごを打ち抜き、男の脳を激しく揺さぶった。
殴った拍子に裂けた拳を見て、秋人は口を開く。
「お前にとって、奥さんと子供は人を殺してでも会いたい人なんだろうな」
坂本孝太は、妻と子供に会いたい一心で人外種を襲っている。
「何をしてでも会いたい人が居るって気持ちは俺も分かる。俺だけじゃない、ここに住んでる連中のほとんどがそうだ」
意味の分からない薬に頼り、自分を見失っても、男は自分の中に残った一つの思いを忘れる事は出来なかった。
しかし、そんな思いがあるからこそ、創秋人はそれを断じて許す事が出来ない。
「みんな耐えてんだ。必死に堪えて、何時か来るその日を待って。だからそんなのは認めねぇ。それに、お前がそれ以上その道を進んだら……多分、本当に戻りたい場所に戻れなくなっちまう」
秋人には坂本孝太の気持ちは分からない。
分からないし、理解しようとも思っていない。
人を殺してまで自分の望みを叶える奴の事など、理解したくもないと思っている。
でも、男の気持ちは分からなくても、待っている妻と子供の気持ちは痛い程に理解出来た。
突然居なくなった大事な人を待ち続ける思い、それだけは理解出来てしまったのだ。
「お前を待ってる人を裏切るんじゃねぇよ! 子供がそんな父親を見たい筈がないだろ!」
秋人の魂の叫びに、坂本孝太の瞳が揺らいだ。
もし、坂本孝太にほんの少しでも、待つ人を思う気持ちがあるのなら。
その気持ちを信じて、創秋人は男に拳を向ける。
「俺がお前を止めてやるよ。本当に戻れなくなる前に」
これは坂本孝太のためではない。
何時か帰る事を信じて待つ、妻と子供のために創秋人は戦う。
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