一章十四話 『意地』

 


 目の前少年が何を言っているのか、坂本孝太には分からなかった。

 何やら一人でテンションが上がり、絶叫するように言葉を吐き散らしている。

 それが言葉という事は分かったのだが、意味を理解するまでは至らない。


(かえルばしョってなアに)


 自分の中にある一つの気持ちにしたがって人外種を襲って来た。

 それは正しい事だし、少なくとも坂本孝太は間違っていないと信じて疑う事をしなかった。


 何時からだろうか。

 何故自分は人外種を襲っているのだろうか。

 その先に何がある。

 何が欲しくて行動を始めたんだ。

 人外種を襲うのは正しい筈だ。

 何で正しいのだろう。


 ぐるぐると様々な言葉が頭の中を暴れまわる。


(のゾみ)


 そう、自分は何か得たいものがあった筈だ。

 それはとても重要で、それこそ、何を犠牲にしてでも獲得したいものだった。

 だから実行に移した。

 暗い夜道で人外種を襲い、その中で目的に近付いているという達成感を味わっていた。


 では、その達成感はどこから来ている?

 それ以前に、自分は何を望んでいた。

 俺はーー、


「俺がお前を止めてやるよ。本当に戻れなくなる前に」


 自分を殴った少年のその言葉が、心の奥深くまで突き刺さった。

 痛くて仕方ない筈なのに、男は微笑んだ。

 何故痛いのか分かったからだ。

 痛くて痛くて仕方ない。でも、やっと気付けたから。


(そっか、俺はーー)




 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




 地面に倒れていた坂本孝太が立ち上がり、秋人を睨み付けた。

 そこには先程までの空虚はなく、男の瞳に力が、意志が宿っていた。

 そこで秋人は気付いた。

 初めて会った時に感じたものーーそれは、揺るがない決意であったのだと。


「俺は……帰りたいんだ」


 深く被っていたフードを退けて、歪んだ顔が露になる。

 左目がなくなり、その奥で赤い光のような何かがユラユラと浮いている。

 喉を通る言葉は力強さを取り戻し、坂本孝太という存在が戻った事を証明していた。


 僅かにたじろぎ、秋人はそれと向き合う事を改めて決意する。

 覚悟のこもったその瞳に、生半可な覚悟では太刀打ち出来ないと悟り。


「君の言う通りだよ。妻も子供もこんな事望んでやしない。でも、違うんだ! これは俺が望んだ事なんだ! たとえ何を犠牲にしてでも、俺はあそこに戻りたいんだ!」


「んなの認める訳ねぇだろ! お前だけが苦しんでるんじゃねぇんだ!」


「分かってるさ! でも、納得は出来ない。君だって知っているだろ? ここは楽園(パラダイス)なんかじゃない。俺達はただの実験道具だ」


 秋人の反論に負けじと、坂本孝太は言葉を繋ぐ。

 さっきまでとは別人のようにスラスラと。


「世界のためだと下らない実験で体をいじくられ、何時化け物として殺されるか分からないまま生きて行く。……そんなの、俺は耐えられない。俺は妻と子供の隣で死にたいんだ」


「……だからって、何も関係ない奴を傷付けて良い訳がない」


「あぁ、そうだ。これは俺の自己満足だ。俺は人間として、夫として、あの子の父親として生きたいんだ」


「同じように家庭がある奴を傷付けてもか?」


「うん。俺は幸せな家庭を踏みにじってでも出たい」


 秋人には、妻も子供もいない。

 友達と呼べる関係の人物も片手で収まる。

 親とも数年間会っていないし、寂しくて辛くなる時もある。

 もし、自分に妻と子供が居たとしたら。


 そんな事を考えて、秋人は即座に切り捨てた。

 たとえ坂本孝太と同じ立場にあったとしても、創秋人は違う道を選んだだろう。

 こんな自分を信じてくれている人が、一人でも居るから。


「お前の気持ちは分からねぇ。もし分かったとしても、俺はお前と同じ立場だったとしても、そんな事はやらない。信じてくれる人を絶対に裏切りたくないから」


「確かに、俺は妻と子供を裏切ったのかもしれない。いや、裏切ったよ。俺はただの人殺しだ。いくら綺麗事を並べたとしてもそれは変わらない」


「あぁ、お前はただの殺人鬼だ」


 同情する事もなく、秋人は冷たく突き放した。

 だが、男は怯む様子もないまま想いを口にする。


 しかし、会話を遮るように秋人のポケットからピーピーと音が響く。

 直ぐに花子からの通信と分かったが、今は邪魔だと言いたげに、ポケットから取り出して地面に叩きつけ、踏み潰した。


「でも……そんな事はどうでも良いんだ。殺人鬼でも悪魔でも……家族に会えるのなら」


 男の決意を砕く言葉を、秋人は持ち合わせていないし知らない。

 たとえその言葉を知っていたとしても、今の坂本孝太を止める事は不可能だろう。

 男の決意や信念は、既に引き下がる事を止めている。


 だとしても、このまま何もせずに黙って立ち尽くしている事は出来ない。

 男の中の譲れない信念を踏みにじってでも、止めるべきだと思うから。

 だから、


「曲げられない。折れる事もない。だったら、もうぶん殴って止めるしかねぇだろ」


「そうだな。俺は君を殺してこの楽園から出ていく。殺人鬼としてだ」


「お前じゃ俺を殺せねぇよ」


 普通に戦えば、百パーセント秋人に勝ち目はない。

 いくら死なないとはいえ痛覚は存在する。

 さらに、再生するのは傷だけで体力は削られていく。


 しかし、これは勝ち負けを決める戦いではない。

 お互いの譲れないものを突き通す戦いだ。

 腕が折れても足が無くなっても、たとえ死んだとしても、それを突き通せれば勝ちだ。


 だから、ゾンビの少年は宣言する。

 決して折れないと、自らに誓いをたてるように。


「俺を止めたかったら殺してみろ」


 その言葉を合図に、二人は飛び出した。

 煙草の吸い殻を足で吹き飛ばし、倒すべき壁を見据える。

 お互いの拳が交差し、それぞれの顔面を捉えた。


 バチン!と音が響き、二人の顔が大きく逸れる。

 口の中が切れて血が口角から滴り落ちる。

 しかし、そんな事は気にせずに、痛みすら忘れて次の一撃の準備へと入る。


「ッ……おォォ!」


 腹の底から雄叫びを上げ、飛びかけた意識を無理矢理繋ぎ止める。

 そのまま体を大きく捻って溜めを作ると、二撃目の拳を振るった。


 喧嘩なんてほとんどした事がない秋人の拳は、素人目から見ても隙だらけの一撃だ。

 達人ならば大袈裟な動作を必要せずに避け、反撃に転じる事が出来てしまう程に。

 しかし、坂本孝太だって素人だ。

 歳が秋人より上だとしても、喧嘩なんて呼べるものはした事がないのだろう。


「ーーッ」


 秋人の拳を鼻っ柱に受け、坂本孝太の鼻から血が吹き出した。

 よろよろと後退り、止まる事のない鼻血が地面に落下した。

 服の袖で乱暴に拭き取ると、負けじと拳を握る。


「帰らないと……家族が待ってるからーー!」


 顔の前で腕を交差してガードを固めるが、坂本孝太の拳がガードを弾き飛ばして秋人の顔へと到達する。

 直前で顔を逸らして回避行動を取るが、完全に避ける事は出来ずに頬を掠める。


 一歩二歩と下がったところで、警戒していたそれが来た。

 男の掌から伸びる針が、秋人の一瞬の油断を見逃さずに肩を貫いた。


 肉を貫き骨を砕き、一直線に伸びた針は貫通した。

 刺された瞬間に右手の感覚がなくなり、毒が体に流れ込んだのを秋人は分かった。

 しかし、それは狙い通りだった。


 肩を貫いた針から逃れる事はせず、男に向かって走り出したのだ。

 一歩進む度に身体中が悲鳴を上げ、ブチブチと嫌な音が鼓膜を刺激する。

 坂本孝太は、秋人がとったイカれた行動に驚愕し、僅かに動きが止まった。


「こんなんで止まるかよォ!」


 動く左の拳を男の頬に打ち込み、怯んだ男が後退する事で秋人の肩から針が抜けた。


「君は……」


 数歩後退りながら、男が秋人を見る。

 当たり前だ。その毒がどれだけ強力かは本人が一番理解している。

 その毒を受けても迷う事なく突っ込んで来た。

 その覚悟を悟ってか、坂本孝太が緩みかけた決意を結び直す。


「……死なねぇぞ。終わりだとでも思ったか……?」


 肩から溢れる血を抑え、秋人は微笑む。

 強がりでも何でもなく、挑発するように。

 言葉の通り、死ぬ事の出来ない秋人の体は、煙をもくもくと上げながら再生を開始する。


「……ゾンビ」


 その様子を見て、思い当たる事があったのかゾンビという単語を口にした。

 パラダイスに居れば自ずと耳に入る単語なのだが、見るのは初めてだったらしく、驚きを隠せない様子だ。


「アンタよりも……俺の方が化け物だよ。どんなに怪我したって直ぐに治るし、自分が本当に生きてるのかすら曖昧だ」


 化け物だと初めて言われたあの日の事を今でも覚えている。

 忘れる事なんて出来やしない。

 あの頃とは違って自覚があり、自分が化け物だという事を誰よりも知っているから。


 たった数秒で、肩の穴が塞がった。

 体の中に入り込んだ致死量の毒も、既に消え去っているのか、体のダルさが無くなった。

 こうして、死ぬ程の傷が意図も簡単に再生する度に、秋人は自分が化け物だと思い知らせされた。


「でもな……こんな俺にも信じてくれてる奴が居る。俺はちゃんと生きてるって言ってくれた奴が居るんだ」


 頭に浮かぶのは、自分を庇って重症を負い、今も病院のベッドで寝てるであろう少女の顔だ。

 その少女から貰った言葉があったから、創秋人は本当の意味で生きていられる。


「お前はそいつを傷付けた……俺がお前をぶん殴る理由はそれだけだ」


 男の言動が許せないという理由もあるが、秋人の根底にあるのは大事な人の敵討ちだ。

 たったそれだけで、創秋人という少年は自分の身を投げ出す事が出来る。


「……覚えていない」


「分かってる。別に思い出す必要もねぇよ」


「……あぁ、覚えていても後悔はしないと思う」


 再び二人は向き合う。

 完全に再生した肩の傷から手を退けて、両の拳を握り締める。

 負けられない意地だけで、秋人はまだ立てる。


「ほら、続きだ。まだまだこっちは元気だぞ」


「俺もだよ。まだまだやれる」


 口角を上げて、二人は同時に笑みを浮かべる。

 何が楽しいのか本人も分かっていないが、その時は自然と微笑んでしまった。

 ゆっくりと歩みを進め、お互いの拳が届く距離で立ち止まった。


 そしてーー交互に殴り合いを始めた。

 秋人が一撃を食らわすと、次は坂本孝太が殴り返す。

 お互いの拳が裂けて、口の中が血の味で満たされる。

 それでも止まる事はなく、無言で殴り合う。


 歯が抜けても、鼻が潰れても、顎が砕けても、二人は拳を止めない。

 意地と意地のぶつかり合いは、その後数分間続いた。

 しかし、不死身である秋人が次第に押し始める。


「……まだだ」


「おう、こんなんで終わるんじゃねぇぞ」


 頬の骨が砕けて青紫に腫れ、右目はまともに開く事すら出来ていない。

 さりとて、坂本孝太は引き下がらなかった。

 どれだけ殴られても再生する秋人とは違い、坂本孝太は痛みが蓄積されていく。


 だが、秋人は一切手加減する事なく、男の顔面に拳を叩き込んでいく。

 何故なら、目の前の男の瞳がまだ力を失っていないから。

 この瞳を挫くまで、拳を止めるべきではないと本能が秋人に語りかけている。


 その本能に身を任せ、何度も何度も。

 フラフラになりながら、下半身に力が入らず立つ事すら困難になっても、坂本孝太は折れない。

 まともに握る事が出来なくなった拳で、秋人の顔を叩く。

 もう、誰にも止める事は出来ないだろう。

 しかしーー、


「ーーそこまでだ」


 突然現れた鋭い声が二人の拳を止めた。


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