一章十五話 『病室にて』



「ーーそこまでだ」


 その声を発した人物は、フェンスの向こう側から秋人達を見ている。

 秋人はその人影を知っていた。

 忘れられる筈もない。

 恐らく、創秋人という少年が地球上で一番怖れている人物だ。


 短い赤髪に、見る者の心を奪う程に綺麗な顔付き。しかし、それを帳消しにするような目付きの悪さ。

 スーツ姿の女性だが、その華奢な体型からは計り知れない威圧感が放たれている。

 その瞳に捉えられた秋人と坂本孝太は、動くという考えからすっぽ抜けてしまった。


「……佐奈さん」


 その人物の名前を口にして、秋人の中の驚きの感情は恐怖に塗りだくられた。


 真田佐奈(サナダサナ)ーー監理局に所属している十八歳の女性だ。

 奏の昔からの知り合いらしく、秋人も高校に入る前に一度会った事がある。

 しかし、その時に彼女の逆鱗に触れ、文字通りにボコボコのグッチャグチャに殴られた事から、彼女に対して過剰な恐怖を抱いている。


「坂本孝太だな? 貴様には傷害、及び殺人の容疑がかけられている。私と一緒に来てもらうぞ」


 一瞬だけ秋人に目をやったが、直ぐに坂本孝太へと移動させた。

 更に、僅かに身を屈めた後に跳躍。

 簡単にフェンスを飛び越えると、秋人と坂本孝太を過ぎて着地した。


 その美しさに目を奪われ、恐怖をほんの少しだけ忘れる事が出来たが、背後に走った衝撃によって現実に引き戻される。

 前のめりに倒れ、地面に突っ伏してしまった。

 そして、背中に乗っかっている誰かが口を開いた。


「大丈夫っ? 怪我とかない?」


「治ったけど今怪我したわ」


 背後から聞こえたのは、理恵の声だった。

 佐奈の後に跳躍し、着地地点を間違えて秋人の背中に突っ込んだのだろう。


「無事だね! 良かった!」


「いやだから……つか、何でここに居るんだよ」


「監理局のビルで佐奈と話してたら、病院に居た金髪の人から電話が来たの。でね、その電話の案内通りに来たら秋人が居たんだよ」


「金髪……花子か」


 秋人の視線は、自ら地面に叩きつけた通信機へと向けられた。

 GPSが着いていると言っていたから、恐らくいきなり反応が無くなった事を疑問に思い、理恵に連絡したのだろう。


 そして、たまたま一緒に居た佐奈と駆け付けた。

 何で花子が理恵の番号を知っているのかという疑問もあるが、多分奏に聞いたのだろうと推測。


 話を邪魔されたくないという思いから通信機を破壊したが、それがかえって邪魔を招いたらしい。


「いっぱい増えたな……」


 先程までの雰囲気とは変わり、賑やかになった事を自分の身の危機だと判断したのか、坂本孝太が苦笑しながら口を開く。


「おい、悪い事は言わねぇ。諦めて投降しろ。あの人と戦ったら洒落にならねぇぞ」


「……言っただろ? 引く訳にはいかないんだ」


 秋人の制止も振り切り、佐奈へと向き直る。

 その瞬間に、秋人は坂本孝太の数秒後の未来を予知した。

 というか、佐奈と出会ってしまった時点で逃げられる可能性は皆無。


 秋人との素人同士の喧嘩とは訳が違う。

 坂本孝太に迫る未来はボコボコにして連れて行かれるか、大人しく諦めて連れて行かれるかの二択だ。

 この時ばかりは、坂本孝太に同情してしまった。

 しかし、そんな秋人の考えなど知らず、


「退いてくれ。俺は行かないといけないんだ」


「断る。貴様のとるべき行動は降伏する事だけだ」


「残念だけど、それは出来ない。俺は絶対に帰る!」


 叫びを上げて、坂本孝太が走り出した。

 そして、その瞬間に未来が確定した。


「そうか、手加減は出来ないぞ」


 坂本孝太の叫びにも一切動揺した様子も見せず、ボクサーのような構えをとった。

 怯む事なく真っ直ぐと敵を見据え、迫る激突へと備える。

 ーーたった一撃。それだけで決着が着いた。


 佐奈へと飛びかかった坂本孝太だったが、振り上げた拳が届く事は無かった。

 極限まで溜められた佐奈の集中力と力が足から腰、そして肩から拳へと流れるように移動する。


 右ストレート。佐奈の拳が坂本孝太の顔面を打ち抜いた。

 インパクトの瞬間に拳を内側へとねじり、鋭さを数段増した拳は坂本孝太の体を空中で数回転させた後、地面に叩きつけた。


 秋人がどれだけ殴っても折れなかった男は、突然現れた女性の一撃によって、意図も簡単に砕かれた。


「……やっぱ半端ねぇ」


「うおぉ。凄い」


 男の未来を予想していたとはいえ、やはり目の前で目の当たりにすると驚きが隠せない。

 隣に立つ理恵でさえも、瞼をパチクリさせてヒーローを見るような目で見つめている。

 これが素人と達人との差だ。

 気合いや根性では埋める事の出来ない差。


 そんな二人の事など気にする様子もなく、佐奈は倒れて意識を失っている坂本孝太の手に手錠をかけて拘束した。

 呆気なく、そして唐突に訪れた終わりだった。


「久しぶりだな。創秋人」


 男を拘束して尚も油断せずに、背中にのし掛かると鋭い目付きが秋人へと突き刺さる。


「ど、ども。久しぶりです」


 うわずった声が出てしまい、慌てて咳をして誤魔化す。

 恐らく怒っている訳ではないが、いかんせん目付きが悪いので勘違いしてしまう。

 そんな事は口が裂けても言えないので、秋人は次の言葉を探す。


「最後に会ったのが……中学の卒業式とかですかね? 奏と居たような気が……」


「あぁ、貴様にはそれ以来会っていないな。それより……いや、貴様が何故ここに居るのかは後で聞くとしよう」


「……ういっす」


 要するに、後で事情聴取をするから待っていろという事だろう。

 正直、秋人は佐奈と一対一で話すのが苦手だ。

 だからと言って逃げる訳にもいかないので、言われるがままに頷いた。


 横に立つロリ少女は、明らかにビビっている秋人を見て楽しそうに『どんまい!』と言って肩を叩いたが、


「貴様もだ。相良理恵」


 一人だけ逃げるなんて事は許されないらしく、理恵にも死刑宣告が下された。

 それを見て、秋人は楽しそうに爽やかな笑顔で、


「どんまい」


 そう言って肩を叩いた。

 ともあれ、通り魔の一件はこれにて決着となった。




 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




「っていうのが、お前が入院した後の出来事だ」


 次の日の土曜日、秋人は一人で奏が入院している病院を訪れていた。


 あの後、地獄のような空間で事情聴取が始まり一対一の会話を経て解放された。

 初めは奏の頼みから始まった事、どうして通り魔にたどり着けたのか、全てを話した上で、佐奈は受け止めていた。


 廃工場での出来事を喋った時に、佐奈の顔色に変化が見られたが、正直あのひょっとことは関わりたくないので、追及する事は無かった。


 因みに、坂本孝太はどうなるか教えてもらえなかった。

 謎の薬を投与している事、謎の人物から唆された事、その二つを踏まえたとしても一人の命を奪っている。


 佐奈の話では、決して簡単な罰では済まないと言っていたが、それについては自業自得だと秋人は納得した。


 そして、奏が入院してからの顛末を全て話終え、秋人は頭を下げた。

 奏は何故謝られているのか分からず、呆気にとられた顔で秋人を見つめた。


「いや……友達に謝らせるって約束だったからよ」


「……そんなの気にしなくて良かったのに」


 何を言うのかという表情で秋人を見つめていたが、言葉の意味を理解して堪えきれなくなり、奏が吹き出した。


「何笑ってんだよ」


「だって……だってアキがそんな事で謝るからっ」


 腹を抑えて沸き上がる笑みを必死に押し止めているが、肩を震わせて目に涙を堪えている。

 時折『痛い痛い』と言っているが、恐らく腹の傷に響いているのだろう。

 しかし、秋人としては申し訳ないと思って謝ったので、笑われれば多少なりとも腹が立つ。


「アキが無事に帰って来てくれたから、それだけで十分だよ」


 秋人は自分がどれだけ単純かを思い知らされた。

 苛立った気持ちは、奏の言葉と笑顔で簡単に消え去った。

 秋人を瞳の中に捉え、奏は安堵したように息を漏らした。


 男は単純という言葉があるが、その意味をこの時初めて思い知ったのだ。

 惚れている女ならば、何でも許せてしまうという事を。

 しかし、それを見抜かれまいと顔を逸らし、


「不死身だから平気だよ。骨が折れたって数秒あれば元通りだしな」


「もう、そういう事を言ってるんじゃないって分かってるくせに」


 拗ねたように頬をふくらませ、秋人の発言に対して意義を唱える。


「はいはい。……あ、そういや、理恵に余計な事言っただろ?」


「ん? 余計な事はなんて言ってないよ。アキをよろしくねって言ったの」


「それが余計だって言ってんだよ」


「余計でも何でも、心配だから良いの」


 理恵が居なければ佐奈があの場にたどり着く事は無かった。

 その点では、助かったと認めざる終えないのだが、素直に認めるのはシャクだとひねくれた発言をした。


 当の本人である理恵だが、学校を無断欠席した事で呼び出されてこっぴどくお叱りを受けているようだ。

 秋人も本来なら同じ目にあう筈だったのだが、監理局に呼ばれたと口八丁で逃れてここに居る。

 後で何をされるか分かったもんじゃないが、それはそれとして放っておこう。


「それと、花子ちゃんにお礼はちゃんと言った?」


「花子?」


「うん。理恵の番号教えてって電話がかかって来たから教えたの。後から聞いたけど、結構危なかったんでしょ?」


「……まぁ、うん。助かったなぁ」


 今回の件で花子の協力は必要不可欠だった。

 花子が居なければ廃工場の情報にはたどり着けなかったし、壊れて無くしてしまった通信手段をくれたのも花子だ。

 そして何よりも、花子の人外種に対するズバ抜けた知恵がなければ、奏は命を落としていた。


 思い返して記憶を探るが、秋人は花子に対して一度も礼を言っていない。

 それに関しては、確かにと納得した。

 花子に関しては勝手に現れるし、近々どうしても訪ねなければいけない理由もあるので、その時で良いかと結論付けた。


「今度の定期検診の時にでも礼はするよ」


「うん、よろしい。ちゃんとだよ? サンキューとか適当じゃだめだからね」


 満足そうに頷く奏。

 それを見れば、秋人までが微笑んでしまった。

 それを誤魔化すように、


「体調は大丈夫なのか?」


「アキの血のおかけでね。まずかったけど、お腹の傷はほとんど塞がってるよ。でも、まだ退院はだめだってお医者さんが言ってた」


「まずくて悪かったな。ゾンビだから腐ってるんですぅ」


「うそうそ。確かに味はちょっと変だったけど、普通の血だったよ。ちゃんと生きてる人と同じでね」


「……最後の一言は余計だ」


「余計じゃなくて一番重要な言葉だよ。前にも言ったけど、私はずっと言い続けるからね」


 譲らない奏に意地の張り合いになりかけたが、突然ガラガラと病室の扉が開かれて二人の意識はそちらに向けられた。


 ジーパンにTシャツといったシンプルな服装。

 片手にバケットを持ち、その中にリンゴを入れて登場したのは、真田佐奈だった。

 それを見た瞬間、秋人の口から『げ』という単語が無意識に飛び出した。


「久しぶりだな奏。そこの男から怪我したと聞いて見舞いに来たぞ」


「うわぁ、リンゴだ。久しぶりだね佐奈さん」


 決して秋人には見せない女の子らしい笑顔で話し合う佐奈。

 坂本孝太を殴り飛ばした時の表情とのギャップで、思わず別人なのではと錯覚する程だ。


 佐奈が現れた途端に黙り込み、ベッドの横に着けていた椅子を少しずらしたのを見られていたのか、奏が空気を読まずーーいや、読んでから口を開いた。


「アキと佐奈さんは仲直りしたの?」


「別に喧嘩はしていない。この男が勝手に私を避けているだけだ」


「い、いやいや。避けてなんかないですよ」


 とか言いつつ、紛れもない事実として避けていた。

 別に嫌いとかいう訳ではないが、単なる恐怖から佐奈と関わる事を秋人は嫌煙している。

 それを知っている筈の奏が言ったという事は、仲直りをしろという遠回しに伝えているのだろう。


「あ、あの……佐奈さん」


「なんだ」


 たった一言の返事でこの場から逃げ出したくなってしまう。

 しかしここは男気を見せねばと奮い立たせ、


「前はその、ゴ……変な事言ってすいませんでした」


「別に良いと言っているだろう。今回の件は貴様のおかけで逮捕に繋がった。監理局を代表して礼を言おう。助かった」


 そう言って手を差し出す佐奈に、秋人も差し出された手を握る事で答えた。

 更に、その手の上に奏が自分の手を乗せ、


「これで全部解決だね。みんな元気で!」


「一番重症負ってる奴が何言ってんだよ」


「人を心配するのは奏の良い所だが、たまには自分の身も案じる事をするべきだ」


 秋人と佐奈が皮肉を言いながらも、頬は緩んで確かに微笑んでいた。


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