一章閉話 『今日も』

 


 朝目が覚めて、まず初めにする事はなんだろうか。

 顔を洗う。

 窓を開ける。

 飲み物を飲む。

 家族に挨拶をする。

 ペットに餌をやる。

 どれも日常の中でありふれたもので、格段特別な事ではない。


 そんな日常の中で、異物というのは目立つだろうか。

 否、その異物は日常に溶け込み、自らの存在を隠している。

 人々が送る日々に体を浸して、自らの内にわく異常を隠して。


 朝日を浴びて、自分が目覚めた事を認識する。

 この体を伝う暖かみは本物で、体を巡る血液は生きている証だ。


 心臓は動いているか、脳は働いているか、筋肉は機能を失っていないか。

 一つ一つの当たり前を確かめて、自分が生きているという実感を改めて獲得する。


 さて、何をしようか。

 己の脳に語りかける。

 やるべき事は一つだ。

 今日も今日とて、自分にとって当たり前の日常を送る。


 自分の日常の中に紛れ込んだ異物を排除する。

 それは認める事の出来ない者だから。

 それは見過ごせない侮辱でしかないから。

 笑顔を噛み殺し、緩みかけた表情を正す。


 この感情は、一体なんなんだろう。

 愛にも似たものだと考える。

 その人以外は目に入らず、その以外はどうでもいい。

 世界という大きな規模で見ても、その人が存在していれば後は朽ち果てて滅びても構わない。


「……僕はなんて幸せなんだろうな。やっと君に出会えたんだから。ずっとずっと待ってた。君のために偽物を殺して来たんだよ? 君は僕の気持ちに気付いているかな? いや、気付いてなくても構わない。一方的な気持ちでも構わない。僕は君を知っているから。僕は君を想っているから」


 それは仮面を手に取り、今日も家を出る。

 この行動はたった一人の少年のために。

 体も心も、たった一人の少年のために捧げよう。


 そうやって、異物は日常に紛れ込む。

 今日も人知れず、社会にありふれた偽物を殺すために。




 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




「……ふむ、それは厄介な事になりましたね」


 三ヶ島花子は自分の研究室にて、置かれている椅子に座り、目の前の人物が述べた言葉を理解出来ないと言った様子で表情を曇らせた。

 大抵の事では動揺しない彼女だが、困ったと口にする時は本当に困っている時だ。


「牢屋に閉じ込めておいた坂本孝太が失踪したーー何とも不可解ですね」


「こちらとしても不甲斐ないばかりだ。細心の注意を払って監視していたのだがな」


 花子の言葉に同意するように首を振ったのは、真田佐奈だった。

 自分の不甲斐なさを恥じているのか、目を伏せて頭を下げた。


 通り魔の一件が終わった数日後、刑務所で服役中の坂本孝太が消えたという情報を携えて真田佐奈が花子を訪ねてきた。

 この事は内密にとの事で自分の研究室に案内したのだが、突然切り出された話に驚愕している。


「手口は分かっているんですか?」


「いや、何も分かっていない。監視を任された担当が言っていたが……蒸発するように消えたそうだ」


「蒸発ですか……彼はステージが異常な域に達しているのであり得ないとは断言出来ませんが、蜂にそんな事が出来るのか怪しい所ですね」


「監視カメラにも何も映っていなかった。別件で忙しくて、あまり正確には見れていないが、恐らく間違いないだろう」


 そう言って佐奈は封筒から何枚かの写真を取り出した。

 それを受け取り、花子は目を通す。

 恐らく、刑務所内の監視カメラの写真だろう。

 大人しく牢屋の中で座っている坂本孝太が写し出されている。


 しかし、次の写真へと目を移動させると、先程まであったその姿が消えてしまっていた。

 それこそ、蒸発するように跡形もなく。


「この牢屋の中を調べたが脱獄したような後は無かった。痕跡が何も無いんだ……綺麗さっぱりとな」


「……血液の摂取はしましたか?」


「していない。あの男の処遇が決まるまでは待てと、上からの命令があった」


「それはまた困りますね。ステージを強制的に上げる薬ーー興味があったのですが」


 花子の興味はそこにのみ集中している。

 正直、どうやって坂本孝太が消えたのかなんてどうだっていい。

 問題なのは、薬の解明が出来なくなってしまったという事。


 元々、通り魔に興味をもった理由もそれだし、情報を得られると期待して自ら危険な廃工場まで出向いたのだ。

 そこで得た情報と言えば、怪しい仮面の人物と薬を作った第三者が存在するという事だ。


 仮面の人物には興味がなかったし、その第三者についても用意にたどり着けるような存在ではないと判断した。

 だからこそ、狙いを通り魔一人に絞って秋人に協力したのだが。


「これで二十一件目ですか」


「相次ぐ人外種の失踪。まさか刑務所内で起こるとは思ってもみなかった」


 そう、人外種が消えるという事件は、これが初めてではないのだ。

 世間に公にはなっていないが、花子と佐奈が把握しているだけでも二十一件同じような事が続いている。


 それだけではない。

 今は断定出来ていないが、突然会社に来なくなった者や、学校に来ない者もいる。

 それを一概に同じだとは断言する事は出来ないが、可能性は高いだろう。


 だからこそ、花子は通り魔の事を調べていたのだ。。

 相次ぐ失踪事件と通り魔には何らかの関わりがある。

 そう結論付け、たまたま通り魔を探していた秋人に話を持ちかけたのである。


「今回の通り魔事件は無関係だったのか?」


「いえ、恐らく関係ありありです。坂本孝太に直接的な関わりは無いと思いますが、それを手引きした人物に私と創さんは会ってます」


「先日の廃工場の事か」


「はい。流石に怪しいと思って、創さんと別れた直後に戻ったんですが、案の定皆殺しでしたよ」


「それについても監理局の方で捜査中だ。それより、その怪しい人物について聞かせてくれ」


 ガラガラと音を立てながら、椅子に着いたローラーで近くの机まで移動し、その上に置いてあるおしるこを手に取った。

 それから佐奈の前に戻ると、話を始めた。


「話す事はあまり無いんですけどね……。ひょっとこの仮面を被っていて、人外種が大嫌いと言ってました」


「君とは正反対だな」


「本当ですよ! 人外種ほど謎に包まれていて研究意欲をそそるものは無いと言うのに」


 自分の世界に入りかけたところを、佐奈の鋭い目付きによって引き戻された。

 コホン、とわざとらしく咳して、


「これは私の個人的な意見ですが、ただ嫌いって感じには見えませんでした。本人は理由なんて無いと言ってましたが、その割には創さんを見て興奮してましたよ」


「創秋人を見て? どういう意味だ」


「私が聞きたいくらいですよ。研究対象として創さん以上に惹き付けられる人外種はいませんが、あの仮面は人外種を嫌いと断言していました」


「そんな奴が創秋人を? その仮面は人外種として創秋人を見ていないという事か?」


「恐らく。我々研究者にしてみれば異常ですが、あの仮面の人物が考える人外種の枠組みに創さんは入ってないんでしょう」


 ひょっとこの仮面は、確かに嫌いだから殺すと言っていた。

 あの殺意は紛れもない本物で、実際にあの場に居た全員が動きを止めてしまっていた。


 だから、秋人を崇めているような言動がどうしても気になってしまった。

 彼はこのパラダイスに一人しか居ないゾンビという、かなり希な人外種だ。

 人外種が嫌いと豪語する人間がそれを認めて、会いたかったと言うのは無理がある。


 だとすれば、花子や佐奈が知らない情報や思考を持っている可能性が高い。


「彼以上に人間離れした存在を私は知らないぞ」


「私もですよ。小さな頃からずっと見てますが、どの人外種と比べても異常です」


 その異常性に惹かれて秋人を付きまとっているのだが、本人が知ったら『黙れ』と言って容赦なく殴られるだろう。


「そんな異形の存在を人外種として見ていない……」


「創さんは体質や頭も含めて大分イカれてますからね。まぁ、そこも私の興味の対象なのですよ!」


 のろけるカップルのように、秋人を思い浮かべるながら胸の前で両手を握り締める。

 佐奈は『またか』と言って呆れたように花子をスルー。

 何度も言うが、離れは恋愛対象として見ている訳ではない。

 あくまでも研究対象としてだ。


「訳が分からないな。まぁいい、捜査対象はその仮面に絞る事にする」


「はい、お願いしますね。私の方でもちょちょこ調べて見ますので」


 これ以上花子と話をしても進展がないと判断したのか、佐奈が話を切り上げようとする。

 恐らく、進展が云々よりも、このままここに居れば知りたくもない創秋人の過去話や人外種の魅力について永遠に熱弁されると思ったのだろう。


 そんな事を考えてるとは露知らず、花子は話し相手が居なくなった事にショボンとしている。

 おしるこを一口飲んであんこを噛み潰すと、立ち上がった佐奈を見上げる。


「三ヶ島花子」


「はい、何でしょうか」


「何か嫌な予感がする。私や監理局、そして統括局ですら把握していない何かが裏で動いている気がするんだ」


「……もし、そうなんだとしたら、それを突き止めるのが監理局の仕事です。お願いしますよ」


「勿論だ。君も頼むぞ。人外種の謎を解き明かして、人間と共存出来る日常を作り上げてくれ」


 佐奈の言葉を聞いて、花子は一旦黙り混んだ。

 自分の肩に人外種、そして人間の未来という重圧がのし掛かっているのかを心底理解し、それでも三ヶ島花子は態度を崩さずにニヤリと口角を吊り上げて、


「お任せ下さい」


 そう言ったのだった。



 始まりの事件はこうして終演を迎えた。

 多くの謎を残しながらも、少年少女はそれぞれの日常へと戻っていく。


 ほんの少しずつ、日常という認識が壊れていっている事にも気付かずに。

 そして、その中心に立たされている事を知らないゾンビの少年は、今日も深い眠りに落ちていった。


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