二章 赤鬼の受難

二章一話 『定期検診』



『お前は強くなるんだ』


 どれだけ言われただろうか。


 その言葉を聞く度に、思い出したくも無い事を思い出してしまう。

 殴られ、蹴られ、叩き付けられ、何度も何度も傷だらけになった。


 泣き叫んでも誰も助けてくれない。

 それどころか、もっと強くなれと突き放す者ばかりだった。


 そんな事に興味は無いのに。

 ただ、他の人と同じように暮らしたいだけだったのに。

 それでも、少女を痛め付ける手は止まる事を知らない。


 愛があるからこそ、しかりつける時は暴力を振るうという人が居た。

 しかし、そんなのは嘘だと少女は思った。


 自分を痛め付ける拳には、愛なんて微塵もあったもんじゃない。

 産まれて一度だって、そんな綺麗なものは感じた事が無かった。

 男が少女に暴力を振るう理由は分かっていた。


 分かっていたけれど、そんなのは関係ないと大声で叫んだ。

 けれど、そんな叫びに耳を貸すものなんて居やしない。


 だから、少女は逃げ出した。

 自らの運命を捨てて、『楽園』へと。




 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




「さぁさぁ! こちらです! 早く座って下さい!ほれほれ!」


 目の前でテンションのメーターがぶっ壊れ、口調すら変化しつつある金髪白衣の少女ーー三ヶ島花子を見て、秋人は盛大にため息をついた。


 季節は本格的に夏に突入する七月下旬。

 来週には夏休みを控えた週だ。

 通り魔事件からは数週間程立ち、暑さに嫌気がさしながらも、本来のほのぼのとした日常へと戻っていた。

 しかし、そんな日常を破壊すべくやって来たのは、一ヶ月に一度の『定期検診』だ。


 パラダイスに住む人外種には、この定期検診を受ける義務があり、月に一度の定期検診を強制させられている。

 そして、人外種にはそれぞれ定められた病院や研究施設があり、そこに出向いて定期検診を受けるのだ。


 ただ、ここに居るゾンビの少年は別だ。

 担当の病院や研究施設は存在せず、個人によって定期検診が行われている。

 その個人というのが、人外種オタクこと三ヶ島花子だ。


 パラダイスに一人しか居ないゾンビという事もあり、初めはちゃんとした施設に行っていたのだが、とある一件からこうなっている。

 秋人としても、前の所よりはるかにマシなので文句はつけなくないのだが。


「さてさて、今日は何から見ましょうか。私はこの月に一度の日のために今日まで生きて来たんです!」


 何やら熱弁する花子だが、秋人は猛暑だというのにやたらと纏っている雰囲気が冷たい。

 花子の熱にやられても冷たさを保っているところを見ると、相当に突き放しているのだろう。


 されど、そんな秋人を気にする人外種オタクではない。

 身ぶり手振りで気持ちを伝えきれないと思ったのか、おしるこの缶を全力でシェイクするという奇行を始めた。


「落ち着けよ。何かすげー怖いから」


「ふぅ! そうですね、落ち着きます。テンションが上がり過ぎてミスなんて事になれば、こんなに楽しい雰囲気が台無しですからね」


「楽しいの君だけね。俺は全く楽しくないから。むしろ恐怖でしかねーよ」


 何がどうなったらおしるこを振り回す程にテンションが上がるのか秋人は分からないが、それは理解出来る領域ではないと考える事を止めた。


「とりあえず座って下さい」


 言われるがままに用意された椅子に腰をかける。

 花子は鼻歌を口ずさみながら、机の引き出しを開けて何かをガサゴソと探している。


「何探してんだ?」


「ちょっと待って下さいね……お、ありました」


 そう言って取り出したのは、前に一度貰ったはんこの形をした通信機だ。

 手の中でも転がし、それを秋人に向かって放り投げた。

 突然の事で驚いたが、難なくキャッチに成功。


「もうスマホ修理したからいらねぇぞ?」


「それは通信機じゃありませんよ。GPS付きの発信器です」


 GPS付きだと分かれば、無言でその白いはんこを地面に叩き付けようとする。

 それを見た花子は慌てて秋人の手に飛び付き、破壊を阻止しようと強く握りしめた。


「な、何をしているんですか! 意外と作るの大変なんですからね!」


「こんなストーカーを悪化させるような物は俺がぶっ壊してやるわ!」


「落ち着いて下さいよ! 確かに創さんの居場所は逐一知りたいですが、そんな物無くても何時でも影から見守ってます!」


「最近感じる変な視線はお前か!」


 有らぬ所から衝撃の事実が耳に入り、ますますこれを壊さねばという使命感に突き動かされる。

 その後、しばらくそんなやり取りを続けていたが、


「これは創さんの身を案じて作った物ですよ!」


「あ? そんな嘘が通じる訳ねーだろ」


「本当ですってば。創さん、あのひょっとこの仮面から貰ったスマホを監理局に渡してないですよね?」


「な……何で知ってんだよ」


 意表を突いた発言に動揺し、思わず声がもれてしまった。

 そう、秋人はひょっとこの仮面から貰ったスマートフォンを重要な証拠として監理局に提出していなかったのだ。


 本来ならきちんと調べてもらうべきなのだが、何故か秋人はそうしなかった。

 このスマートフォンが、あの仮面の人物との唯一の繋がりだ。

 今すぐにでも監理局に渡して、仮面の人物の行方を探すという選択肢もあったが、それを選ぶ事はしなかった。


「私がどれだけ創さんのストーカーをやってると思ってるんですか? それくらいなら朝飯前です」


 自分は犯罪者ですという宣言を、何の悪びれた様子もなくどや顔で述べる花子。

 認めているだけマシなのだろうと勝手に自己完結し、話を続ける。


「なんつーか、これは俺が持ってないといけない気がしたんだ。あの仮面野郎になんて二度と会いたくねぇけど……」


「別に深くは追求しませんよ。創さんがそう判断したのでしたら私はそれで良いです。ですが、創さんは放っといたらどこで何をするか分かりませんので、これは念のためです」


「何もしねーよ。家に引きこもってられんならそれが一番だ」


 太陽の事もあり、秋人は出来るだけ家から出たくない。

 必要最低限の外出しかしないようにしているが、やはり学校や買い物がある。

 その度に謎の事故に巻き込まれてしまうのだから、家にこもりたくなるのも納得だ。


「さ、受け取って下さい」


 珍しく真面目な花子の瞳に丸め込まれ、嫌々ながらも発信器を受けとる事になった。

 秋人がポケットに入れたのを確認すると、花子が白衣を翻して立ち上がる。


 そして、本題はここからだと言わんばかりに鼻息を荒げ、指を高速で動かしながら秋人に迫った。


「真面目にやれ」


 しかし、秋人の一喝によってシュンとしてしまった。

 それからは研究者らしく注射器のような物を取りだし、


「まずは血液採取ですね。腕を出して下さい」


 言われた通りに腕を出し、本格的な検診が始まった。

 不死身で、つい先日肩を毒針で貫かれたのにも関わらず、注射は苦手なのか目を瞑って顔を遠ざけている。


 花子は注射を嫌がる子供を見るような目で秋人を見ると、鼻で笑った。

 目を瞑っているので見えなかったが、耳は普通に聞こえるので空いてる手で花子の頭を拳骨。

 その際に手元が狂い、変な所に注射器の針がぶっ刺さり秋人の悲痛な叫び声が響いた。


 その後、血液採取を済ませた秋人は順当に検査を進めていった。


 レントゲンを撮る時に『良い体してますね~』とエロ親父のような顔付きになった花子を殴る。

 体温を計る時に『私が直接計りますよ~』と言って接近してくる花子をチョップ。

 その後も事ある事に服を脱げと要求してくるので、とりあえずビンタ。


 そんな事もあったが、検査は一通り終える事となった。

 こんなやり取りを定期検診の度に繰り返し、秋人はトラウマを増やしていくのだった。



 ハードな定期検診を終え、魂が口から抜けかけている秋人の意識を引き戻したのは、頬に当たった冷たい何かだった。


「お疲れ様です。検診はこれで終わりなので、結果はまた後日お知らせします」


 頬に触れたのは、冷蔵庫でキンキンに冷やされたおしるこだった。

 飲み物を頬に当てて『お疲れ様』というのは、青春ドラマでありがちなシチュエーションだ。

 しかし、おしるこで良いのかと秋人は思う。


「お前本当におしるこ好きなんだな。普通は夏に飲む物じゃないだろ」


「おしるこは年中無休で何時でも美味しいですよ。糖分な研究者にとって必要不可欠なものですからね」


「だからってチョコとかじゃなくて、おしるこをチョイスする辺りがお前の頭のおかしさを物語ってるよ」


「そんなぁ、褒めても何も出ませんよ」


「褒めてねーよバカにしてんだよ」


 うへへへと怪しい笑みで顔を満たしながら、花子はおしるこを一気に飲み干す。

 秋人も缶の蓋を開けて一口飲むが、口の中に広がるしつこい甘味に早々にギブアップした。


「あ、そうでした」


 何か思い出したように手を叩く花子。

 おしるこを近くの机に置いて、再び机の中をあさり始めた。

 また良からぬ事に巻き込まれるのでは、と構えていると、


「褒められたのでこれが出て来ました」


 そう言って、引き出しから取り出した一枚の紙切れをヒラヒラと靡かせている。


「んだそれ」


「プールのペアチケットですよ。差し上げます」


「いらん」


 即答で断る秋人。

 夏にプールといえば飛び付きたくなるのが普通だが、いかんせんこの少年普通ではない。

 パラダイスにプールは十個以上存在するが、その全てが室内ではなく室外だ。


 すなわち、日光をモロに全身で受け止めなければならない。

 そうなれば、太陽の苦手なゾンビの少年は干からびて死にかける。

 わざわざ自分の身を追い込むほどにマゾでは無いので、即答でお断りしたのだ。


 しかし、その返事を花子は予想していたらしく、マッドサイエンティストを思わせるような顔付きで、


「登坂さんの水着が見れるかもですよ」


 ピクッと、秋人の眉が尋常ではない速度で反応した。

 遅れて脳みそが言葉の意味を理解する。


「奏の水着……」


 無意識に飛び出した自分の言葉を元に、脳内で水着姿の奏を構築し始める。

 そして、浮かんだ姿が思っていた数倍の破壊力を発揮し、無意識にウヘウヘと微笑んでしまっていた。


 その横顔を見ていた理恵はしてやったりと思ったのか、どこからが取り出したスマートフォンでパシャリと秋人の変態顔を撮影する事に成功した。


「何撮ってんだテメェ」


「顔は正直ですねぇ。登坂さんの水着姿を想像してたんですよね! ね?」


「ち、ちちちちげーし。別に想像してねーし」


 誤魔化すのが奇跡的に下手くそな秋人。

 花子は再び秋人の顔の前までプールのチケットを移動させ、見せつけるように風に靡かせた。

 そのチケットを見つめながら秋人は考える。


 確かに、水着姿の奏を見たいのは事実だ。

 秋人だって健全な高校生なのだから、それは仕方のない事だろう。

 しかし、そんな秋人を止めているのは、目の前でニヤニヤしている花子だ。

 ここで屈してチケットを貰うのか否か。

 悩みに悩んだ挙げ句、


「……よこせ」


「はい? 何ですか?」


 明らかに聞こえているのだが、花子は耳を傾けて秋人の言葉を待っている。

 この時、秋人の頭の中では、二つの物が天秤に乗っていた。

 奏の水着と己のプライドだ。


 自分の欲望に従ってプライドを捨てるのか。

 はたまたプライドを守って水着を捨てるのか。

 悩んで悩んで悩んで、たどり着いた答えは、


「チケットを下さい」


「はい、良く言えましたね」


 プライドなんてクソ食らえというように、水着を選んだ。


 ただ、創秋人は二つ見落としをしていた。

 一つ目は、奏はまだ入院中だという事。

 一応傷は塞がったらしいが、それでも腹に穴が空いたのだからいきなり運動は厳しいだろう。

 そして二つ目。

 チケットに記された『カップル限定』の文字を。


 奏の水着姿で脳内を支配されている今の秋人は、そんな事に気付かずに次の日を迎える事となるのだった。


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