一章十話 『見え見えの行動』
秋人が廃工場を後にしたのと同じ頃、奏はベッドの上で安らかに眠っていた。
胸を上下にして呼吸を続けてはいるが、その顔は死んでいると言われてもおかしくない。
その奏を心配そうに見つめるのは黒髪のボブカットのロリ少女ーー相良理恵だ。
ベッドの横の椅子に腰を下ろし、横たわる奏の手を握りながら、目を覚ますのを今か今かと待ちわびている。
時折、眠そうに船をこいでいるが、その度に唇を噛み締めて眠気を冷まそうと奮起している。
「奏……」
ポツリと、寝ている少女の名前を呼ぶ。
そして、病室の扉へと視線を送り、何時まで立っても戻ってくる気配のないゾンビの少年の事を思い出していた。
一緒に居た金髪の少女が誰なのか理恵は知らないが、秋人の知り合いという事で適当に流した。
二人の真剣な顔つきを見るに、恐らく通り魔の事を話し合っているのだろうと推測する。
「ごめんね……私がちゃんとしてたら」
その謝罪に返事はない。
目の前で通り魔に刺されて倒れるのを見た。
それを見たゾンビの少年は、己の身を傷つけてまで奏を助けようとしていたのに、ただ見ている事しか出来なかった。
そんな自分が許せず、小さな声で何度も謝る。
『お前は強くなるんだ』
そんな時、幼い頃から何度もしつこく言われ、耳にこびりついた言葉が頭を過る。
産まれた時からずっとその言葉を言われ続けて来た。
泥にまみれ、血へどを吐き、涙を流していても、誰も助けてはくれなかった。
それが嫌になって逃げ出したのに、これが結果だ。
強くなんてなれていなかった。
大切な友達一人すら守る事が出来ていない。
もっと、もっともっともっと強ければ。
そんな理恵の負の感情を読み取ったのか、ベッドで寝ている少女の瞼がゆっくりと持ち上がった。
「ん……う……」
「奏! 大丈夫? 痛い所ない!?」
強く握り締めそうになり、慌てて手を離した。
それでもこの感動を堪える事が出来なかったのか、慌てて立ち上がり、グンと顔を近付けて覗き込んだ。
目を覚ましたばかりで視界が定まらないのか、間近にある理恵の顔をまじまじと見つめ、それから目を細めた。
そして、ようやくそれが理恵だと分かったのか、
「り……え?」
「うんうん! そうだよ理恵だよ!」
「ここ……は」
「病院だよ! あの後救急車で運ばれたの」
未だ意識がはっきりしておらず、記憶も混乱しているのか、たどたどしい様子で目をパチパチと瞬きを繰り返す奏。
そんな奏を心配させまいと、何時もよりも元気な自分を作った。
「そっか……ありがとね」
そう言って体を起こそうとしたが、腹部を中心に全身へと駆け巡った痛みに、苦痛の表情を浮かべて力が抜けたようにベッドに倒れた。
そして、記憶もはっきりとしてきたのか、奏は腹を抑え、
「刺されちゃったんだよね」
「うん。無理しちゃだめだよ? もうすぐ秋人も戻って来ると思うから」
「アキ? どっか行ってるの?」
「うん。えーっとね、金髪の人とどっか行っちゃったの」
「金髪……。花子ちゃんかな」
秋人の知り合いの中で金髪の人物は一人しかいない。
なので、意図も簡単にその人物の名前にたどり着いた。
理恵はそういう名前なのかと納得し、特に興味がある訳でもないので、それ以上、金髪の少女について聞く事はなかった。
「どのくらい居なかった?」
「うーん……一時間ちょっとかな?」
時計を確認していなかったので、正確な時間が分からず、自分の腹時計と相談。
額に手を当てて考えた後、ようやく答えにたどり着いた。
それを聞いた奏は『一時間か……』と小さく呟き、少し寂しそうに、
「じゃあ、もう行っちゃったかな」
「行っちゃった?」
理恵はその言葉の意味が分からず、奏を見つめながら首を傾げた。
「うん。多分、通り魔を探しに行ったと思うよ」
「え、何で! 言ってくれれば良かったのに!」
「理恵を巻き込みたく無かったんだよ。後……私の事を気遣ってくれたのかな」
奏の考えは的を射ていた。
実際に、秋人が理恵をこの場に残した理由は目が覚めて不安にならないようにという意図があっての事だ。
だが、奏と理恵がその本心を知ろうにも、ゾンビの少年は既に消えてしまっている。
しかし、不安にさせないという意見には賛成のようだが、何も言わずに行ってしまった事に対して理恵は不服の様子だ。
今この場にゾンビの少年が居たら、掴みかかって問い詰めていた事だろう。
「……むぅ。私だって奏の分の仕返ししたかったのに」
頬を膨らませてあからさまに不機嫌な様子の理恵。
プンスカしていると、突然奏に頭を撫でられた。
そして、同意するように『うん』と頷いてから、
「アキはね、不死身だから自分はどうなっても良いって思ってるの。自分が痛い思いして全部が解決するそれで良いって」
創秋人という少年の本質を見抜いているのは、恐らく世界でただ一人、奏だけだろう。
その少女は、今この場に居ない少年の顔を思い出しているのか、窓の外へと視線を移した。
「確かに、不死身だから怪我しても大丈夫なのかもしれない。でも、そんな事ずっと続けてたら、きっとアキはダメになっちゃう」
「……そうなの?」
「そうだよ。 体の傷は消える。でも、もっと大事な所がーー心が壊れちゃう気がするの」
「大事な所……」
基本的に相良理恵は大抵の物事を深く考える事をしない。
何故なら、自分には答えを導き出す事の出来る知識や思考力を、持ち合わせていないと理解しているからだ。
だから、あれこれ思考する前に行動に移すし、言いたい事は我慢せずに口にするようにしている。
悪く言えば空気が読めない。
良く言えば素直なのだ。
それでも、そんな理恵でも、今この瞬間だけは奏の言葉の奥にある本当の意味を考えてしまった。
まぁ、考えたからといって答えが出るかどうかは別の話なのだが。
「だからね……アキの事、見ていてあげて」
奏が腹の傷を抑え、苦痛に抗いながら体を起こした。
「私は怪我しちゃってアキの側に居てあげられないから、理恵が無茶しないように見張っててくれる?」
「うん! 秋人が危ない事しないように見てる!」
断る理由は無いと、ベッドに両手をついて即答する理恵。
それを聞いて奏は安心したように微笑んだ。
「でも秋人はどこに居るんだろう」
「うーん……アキの事だからーー」
顎に手を当てて考える仕草をとると、何か閃いたように奏が言った。
理恵はそれを聞くと、ふむふむと悪巧みを考える顔に変化し、それから頭を大きく上下に振った。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「大丈夫ですか創さん」
「何がだよ」
「凄く苛々しているように見えたので」
廃工場を離れた秋人と花子の二人は、奏の様子が気になるとの事で、病院に戻るために最寄りの駅に向かって夜道を歩いていた。
ひょっとこの仮面に会ってから、自分の中の怒りをコントロールする事が出来ていない。
勿論、発言が勘に触ったというのもあるが、それ以上に存在自体が秋人の怒りを増幅させている。
それが何なのか秋人も分かっていない。
もし、この感情に名前があるとしたら、ただ一つ。
生理的に受け付けないというやつだ。
本当に、ただ単に、気に食わない。
その言葉が相応しいだろう。
「怒ってねーし」
「別に怒るのは構いませんが、それを間違って壊さないで下さいね」
花子が『それ』と言いながら、秋人の手の中にある物を指差す。
ひょっとこの仮面から渡されたスマートフォン。
態度が急に協力的になった理由は分からないが、 廃工場で得た唯一の手掛かりだ。
言われて気付いたが、スマートフォンを壊しかねない力で握り締めていたらしい。
手掛かりを失う事を危惧し、花子が秋人の手からスマートフォンを奪い取った。
そのまま電源を入れ、
「ふむふむ、特に変鉄の無いスマホですね。いきなり爆発とかは勘弁です」
「確か、住所と電話番号が入ってんだろ?」
「待って下さい。……っと、これですかね」
画面に触れて色々と操作し、メモ帳をタップすると住所らしきものが書かれていた。
それを横から覗き込み、秋人も確認する。
「それ、本物なのか?」
「何とも言えませんね。ただ、あの仮面の様子を見るに、嘘はついて無いでしょう」
「俺はあいつの事知らねぇぞ」
「創さんは色々な意味で有名ですからね。一方的に知られていても何もおかしくないですよ」
ひょっとこの仮面は秋人に対して、何かねっとりとした好意のようなものを向けていた。
それは秋人も感じていたし、一緒に居た花子も同じだろう。
本来なら、人から行為を受けるという事は嬉しい事なのだが、あれが放つものは純粋な愛や羨望では無かった。
もっとねっとりした得体の知れないもの。
それを思い出し、全身から嫌な汗が吹き出した。
「あまり考えない方が良いですよ。私は今まで色んな人外種や人間を見て来ましたけど、特に異質な存在でしたよ、あれは」
「異質って意味じゃお前もだろ」
「何を言うんですか! 私は創さん一個人ではなく人外種全てに向けて好意を抱いているんです。ですが、あの仮面は間違いなく創さんのみに向けていました。一緒にしないで頂きたいですね」
ひとまとめにされるのが嫌なのか、花子が抗議するように秋人の肩を叩く。
「まぁ、それは興味無いので放っときましょう。どうします? 今からこの住所の場所に行きますか?」
花子はどこまでも人間に興味が無いらしく、ささっさと話を切り替えようとしている。
秋人としてもあの仮面を忘れたいので助かる。
なので、花子に乗っかるように話を変えた。
「いや、そっちは明日にする。いくら犯人がおかしくなってるって言っても、顔がバレてるのに家には帰らないだろ」
「賛成ですね。そもそも家の場所を覚えているのか怪しいですし」
納得したように花子が頷く。
しかし、この判断はリスクが多い事を感じていた。
犯人は正常な思考を失っていると二人は推測している。
だが、逆を言えば何時どこで暴れるか予想出来ていないという事だ。
すなわち、秋人の判断は犯人の中に残った僅かな知性を信じての決断なのだ。
夕方の人がごった返している商店街で暴れるかような人物に、正常な判断を期待するのもどうかと思うが、あの時確かに犯人は逃げ出した。
その本意は分からないが、自分がやっている事が法的にまずいと気付いての行動なのだろう。
全て都合の良いように考えて出した結論だが、秋人は自分の考えを信じる事にした。
「では、明日の朝に創さんの家に行きますね。何時にしますか?」
「俺一人で大丈夫だよ。捕まえたら連絡するからお前は来んな」
「そうですか、ならお願いしますね」
秋人の言葉に反論する事もなく、花子は即答した。
その行動が秋人に対する信用なのか、はたまた面倒だからなのか、秋人は分からないが、その方がこちらとしても好都合なので深くは追及しなかった。
全てお任せといった様子でスマートフォンを手渡され、受け取るとポケットの中に入れる。
「ではでは、今日はこの辺で。後の事は創さんに一任しますが、監理局も動いているのでお気をつけを」
「おう、気をつけて帰れよ」
駅に着く前に別れの挨拶を口にすると、手をヒラヒラと振りながらどこかへ行ってしまった。
花子の背が見えなくなるまで見送っていたが、
「……あいつの家こっちだったっけ?」
そんな疑問が浮かび、声をかけようとしたが時既に遅く、花子の姿は消えてしまっていた。
元々、研究室に住んでいるのか家に住んでいるのか分からないような生活を送っていると知っているので、特に気にせず秋人も駅に向かって歩き出した。
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