一章九話 『仮面の裏側』



 ただ、微笑んで言葉を紡いだだけ。

 たったそれだけの動作の中で、秋人は何度も味わった死の感覚を感じ取った。

 この仮面が何かした訳でもない。

 本当に、ただ喋っただけなのに。


 それは秋人だけでなく、廃工場の中にいる全員に伝わったのか、喧嘩をしていた集団は血に染まる手を止め、薬をやっていた者は容器を地面に落とした。


「ごめんね、そういうつもりじゃなかったんだ」


 そう言って、敵ではないとアピールするように手を振った。

 だが、その程度で緩むレベルの緊迫した雰囲気ではなかった。

 誰一人警戒を解かず、全員の視線がひょっとこの仮面に集まった。


 中にはその噂を知っている者も居たようで、聞き取れない程小さな声でぶつぶつと言っている。

 ねばねばとした雰囲気に呑まれないよう強く意思を持つと、秋人は口を開く。


「通り魔を知っているな……?」


「通り魔? うん、知ってるよ。最近ニュースになってるやつだろう?」


「あぁ。お前がそいつに何か言ったんじゃねぇのか」


 秋人の質問を飲み込むように黙り込むと、首を上下に動かしながらパチパチと手を叩き始めた。


「そうそう僕だよ。君凄いねぇ。監理局の奴らより早くたどり着くなんて」


 一切悪びれた様子も無いまま、心の底から褒め称えるように言葉を発した。

 今にも殴りたい気持ちを押し止め、再び疑問を口にする。


「通り魔に外に出る方法を教えるから、人を襲えって言ったのか」


「うん。交換条件としてね」


「意味分かんねぇぞお前。何で外に出るのに人を襲わなくちゃいけないんだよ!」


「何でって……特に理由はないよ?強いて言うならーー人外種が嫌いだからかな」


 嫌いだから殺すーーひょっとこの仮面はそう言った。

 ハッキリと、日常会話の一部のように。

 言葉の意味は理解出来た。

 それでも、納得して受け入れる事が出来ず、秋人は目を見開いて固まってしまった。


 その横で花子は機嫌が悪そうに鼻を鳴らしている。

 人外種が大好きで、人外種オタクである彼女にとって今の言葉は、聞いただけで不機嫌になるものなのだろう。


 そんな二人の前で、尚もひょっとこの仮面は話を続ける。


「別に本当はただで教えても良かったんだけどさ、人外種のお願いを一歩的に聞くのも嫌だったんだ。だから、人外種をいっぱい殺すのを条件にしたんだ」


 特に理由は無いが、気に入らないから殺したと平然と言ってのけた。

 秋人の中で堪えていたものがゆっくりと溢れていく。

 怒りに蓋をして閉じ込めていたが、どうやらそれも限界のようだ。


 次の瞬間には、体の主導権を内からわき出す怒りの感情に全て任せ、握り締めた右拳をひょっとこの仮面の顔面に向かって振るっていた。


 しかし、大きな動作もなく意図も簡単にその一撃を避けられ、フラフラとよろめきながら相手の横を通り過ぎて行く事になった。


「ふぅ……危ないなぁ。僕は喧嘩が嫌いなんだよ」


「ふざけんなイカレ野郎が……!お前のせいで何人が怪我したと思ってんだ。人が一人死んでんだぞ!」


「……勘違いはいけないなぁ。殺したのは僕じゃなくて彼。後、死んだのは人じゃなくて人外種だよ」


「人外種も人間も関係あるか! どっちも生きてんだよ! お前の好き嫌いで殺して良い訳がねぇだろ!」


 どこまでも他人事のように語るひょっとこの仮面に、秋人の怒りが爆発する。

 もし、怒りだけで人を殺せるのなら、既に相手は死んでだろう。

 しかし、それほどの怒りを一人で受けながら、ひょっとこの仮面は依然として態度を崩さない。


 創秋人は、自分が化け物だという自覚がある。

 刺しても撃っても焼いても潰しても溺れさせても切り刻んでも死ぬ事はない。

 そんな自分は誰よりも化け物だと思っている。


 それは秋人だけに限らず、パラダイスに住む人外種は少なくとも人間とは違う自覚を持っている。

 それでも、誰一人としてそれを受け入れている訳ではない。

 いつの日か人間として平凡に暮らしたいと思っているだろう。


 だから目の前の存在が許せない。

 人外種というだけで軽蔑し、その命を軽視しているこいつが。

 人外種も人間と変わらず、必死に生きているから。


「……君達みたいなゴミが人間のふりして普通に暮らしている事が許せないんだよ」


「だったら何でお前はパラダイスに居んだよ。さっさと出て行きゃ良いだろうが」


「僕もそうしたいんだけどさ、ちょっと野暮用があってね」


 自分勝手な発言に再び怒りが増し、拳を硬く締めて飛びかかろうとする。

 しかし、荒ぶる感情を露に激昂する秋人を止めたのは花子の言葉だった。


「創さん、ストップです。感情表現が豊かなのは素晴らしい事ですが、話し合いにおいて一番重要なのは理性を保ちどんな時でも冷静でいる事です」


「……君は、うん、人間だね。良かったよ。人間が居るだけで気分が良くなる」


 ひょっとこの仮面が花子の頭から爪先まで品定めするように視線を移動させ、方法は分からないが人間だと見抜いたらしく、リラックスしたように声を漏らした。


「そう言うあなたも人間ですね。でも一つ、私は人外種が大好きですので、あなたと一緒にしてもらっては困ります」


 こちらは人外種オタクだから出来る芸当を発揮し、ひょっとこの仮面が人間だという事を見抜いてみせた。


「私から一つ質問良いですか?」


「うん。構わないよ」


 さっきまでの殺伐とした雰囲気はどこへやら、秋人も頭に登った血が引いていくのを感じていた。

 その引き金となった花子は何時もの調子で問いかけた。


「ステージを強制的に上げる薬、あれはあなたが作った物ですか? それとも、誰かから譲り受けた物ですか?」


「あぁ、あれかい? 僕も貰ったんだよ。効果を確認してないから何とも言えないけど……そうか、だから君たちは僕にたどり着けたのか。うん、これを彼に報告したらきっと喜ぶね」


 隠すつもりはないのか、一人で自問自答を繰り返し、その後納得してしたように手を合わせた。

 ただ、花子のひょっとこの仮面に対する興味はこの時点で消え失せたらしい。


「そうですか。なら、もうあなたに興味はありませんので、どこへなり消えて下さい」


「は? 待てよ、このまま逃がす訳ねぇだろ!」


 あくまでも花子の興味の対象はステージを強制的に上げる薬だ。

 その薬を作った人間が別に居るとなれば、花子の興味はそちらへと移動する。

 何とも自分勝手だが、これが三ヶ島花子がなのだ。


 しかし、花子とは対照的に秋人の怒りの対象は未だにひょっとこの仮面を離れていない。

 人外種をゴミだと言われ、実行犯ではないとはいえ、通り魔を唆したのは間違いなく目の前に居る人物だ。

 それを許せと言う方が無理な話だ。

 だが、焦燥感に包まれている秋人を宥めるでもなく、冷たく花子が口を開く。


「創さん、今我々が優先しなければいけない事は何ですか? 確かに、この仮面を放っておけば後々厄介になるかもしれません。しかし、今重要なのは目の前にある脅威なのでは?」


「それは……」


「今この瞬間にも通り魔が誰かを襲っているかもしれません。それを無視して感情的になり、本来の目的を見失わないで下さい」


 花子の言葉を最後まで聞き、何とか飲み込む。

 納得した訳ではないが、側にあったドラム缶を蹴り飛ばす事で怒りを発散した。

 ガン!と音を響かせながら、ゴロゴロと転がるドラム缶を見て、花子は安堵の息を漏らした。


 二人のやり取りを見ていたひょっとこの仮面は首を傾げる仕草をした後、何かを想起したように手を叩き、


「はじめ……創……。そうか! 君が創秋人君かい?」


「だったらなんだよ」


 ぶっきらぼうに答える秋人を見て、やれやれといった仕草をする。

 然りとて、依然として態度を改善するつもりはないようで、


「そっか……ごめんね。まさか君が創秋人君だとは知らなかったんだ。あぁ、こんな所で会えるなんて感激だな」


 コロコロと態度が変わるひょっとこの仮面。

 秋人はその様子に鳥肌が立つのを感じた。

 この人物には、得体のしれない深い何かがまとわりついていると本能が感じ取っていた。


「……俺はお前なんか知らねぇぞ」


「うん、知ってるよ。僕なんかが君に認知して貰うなんておこがましい話だよね。そうだ、僕も通り魔探しに協力するよ」


「はーー? お前何言ってんだ」


 さっきまでの態度とは百八十度変化し、何故か協力の姿勢を見せた。

 ますます何を考えているのか分からず、これには流石の花子も目を細めた。


 こいつは秋人の知る人間という枠組みから逸脱している。

 それを理解しようとする方が不可能に違いない。

 だから止めた。この人物と正常な会話を成立させる事は無理なのだと諦めて。


「これ、僕のスマホなんだ。あ、大丈夫だよ? もう一台持ってるから。こっちのスマホには彼の住所と電話番号が入ってる」


 聞いてもいない事に対して前置きを添え、ポケットから二台のスマートフォンを取り出すと、片方の赤いスマートフォンを秋人に向かって放った。


 一瞬受け取るのを躊躇った秋人だったが、やはり考えるだけ無駄だと受け入れて、スマートフォンを手に取った。

 秋人が自分のスマートフォンを持っているという状況に高揚したのか、仮面の隙間から荒々しい呼吸音が漏れだしている。


「そのスマホを頼りに彼の家を訪ねて見てよ。まぁ、ニュースになるほど有名になってるなら、家に帰ってる可能性は低いかもね」


「……お前の目的はなんだ」


「目的か……。全ての人外種を殺す事かな。あ、でも、君は別だよ。君を僕なんかが殺せる筈がないからね」


 睨み付けてもひょっとこの仮面は怯む事をしない。

 仮面の下の表情は見えないが、心底楽しそうに微笑んでいる事は明白だ。

 恍惚としている仮面のその横を花子が通り過ぎて秋人の前までやって来ると、


「行きましょう。あの人との会話はこれ以上必要ありません。そもそも会話として成立しているのかすら怪しいですけどね」


「分かった」


 短く一言だけ返事をすると入り口の方へと体を向けた。

 言いたい事は山ほどあるし、気が済むまで何度もぶん殴ってやりたい。

 だが、今はやらねばならない事がある。

 一番欲しかった犯人の住所という重要な手掛かりを得る事に成功したのだ。


 これ以上仮面と関わり、神経を逆撫でさせられる事は秋人としても避けたい。

 沸き上がる衝動を抑え込み、この場を去る事を選んだ。

 花子と共に入り口の扉を開けようとした時、背後から声をかけられた。


「またね、君とはまた会えそうな気がする。あ、そのスマホには僕の連絡先も入ってるから」


 まるで、友達に別れの挨拶をするかように手をヒラヒラと振るひょっとこの仮面が視界に入った。

 秋人はそれを見ない振りをして扉を潜り抜けた。


「……やっとだね、僕の愛しい人。大丈夫、君以外の偽物は僕が全員殺すから!」


 秋人達が去った後、仮面を取った『それ』は赤く虚ろな瞳を光らせて、ねっとりと慈愛に満ちた声でそう言った。


 そして、この場に居た全員が死体で見つかったという事実を秋人が知るのは、もう少し後の話となる。


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