一章三話 『オタク』

 


 黒マントと奏と里枝がこの場から姿を消して数分が立った頃、傷の再生が終わったのを確認すると、二人の後を追うべく立ち上がった。


 体の痺れも無くなり完全に本調子に戻っていたが、毒を食らった秋人だからこその疑問が浮かんでいた。


(奏の話だと手足がちょっと痺れるだけって言ってた。でも、今のは身体中が痺れて動けなかった……どういう事だ……?)


 聞いていた以上の毒性を受けたから、あの場で黒マントを追う事が出来なかった。

 正直、ただの毒なら不死身である以上どうにかなると思っていたのは事実だ。

 だからこそ、この違和感は見過ごせない。


「とにかく、二人を追いかけねぇと……」


 駆け足でフェンス際まで行くが、創秋人にはフェンスをジャンプで乗り越えるほどの跳躍力はない。

 かといってフェンスを破壊する馬鹿力がある訳でもない。

 なので、地道に人間らしく登るしか無いのだ。


「くそ……こう言うのはゾンビだと不便だな」


 フェンスの網目の一つ一つに足と手をかけて登って行くが、


「ふふふふふふ……ここで会ったが一日ぶりですね」


 背後から禍々しく肌に突き刺さる様な視線と、どろどろとした声が秋人の体を包む。

 防衛本能と過去のトラウマにより、即座にフェンスから手足を離して着地し、後ろを振り向くがーー既に手を大きく広げた『それ』が迫っていた。


 恐らく、抱きつこうとしたのだが、着地点と助走の力を間違えたらしく、『それ』の頭が秋人のみぞおちへと深々とめり込んだ。


「おぶぅぅ!」


 背後のフェンスと頭にサンドイッチにされ、腹の中にある臓器が全て口からこんちにはしそうになるのを必死にこらえる。


「いやぁ、勢いがつきすぎましたね。私ともあろう者が計算を誤るとは……」


 ゆっくりと腹に刺さった頭が離れる。申し訳なさそうに呟いているが、その申し訳なさは秋人に向けられた物では無く、自分の頭脳への物だ。


 顔を上げて目があうと、そこには金髪の眼鏡の女性が立っていた。

 握り締めた拳を振り上げるとーー真っ直ぐに目の前の女性の頭部へと降り下ろす。


 ゴチン!と漫画の様な音を響かせると金髪眼鏡の女性は、


「痛い、痛いです! バカになったらどうするんですか!?」


「知らねぇよっ! いきなりタックルかまして来るのが悪いんだろ!」


「今ので脳細胞が何個か死にました! 責任とって解剖させてください!」


「無理! 断る! 帰れ!」


 秋人の胸ぐらを掴んで服を脱がそうとしているこの金髪眼鏡の少女は三ヶ島花子(ミカジマハナコ)。

 秋人の友達かと言うと微妙な所だが、一応顔見知りである。


 パラダイスの特殊生物研究局に、異例の十歳と言う若さでスカウトされる程の頭脳の持ち主たが、見た通りの変態さんだ。

 腰まで伸びる綺麗な金髪は、昔見た映画の学者が格好いいから。眼鏡は頭が良さそうだから、着ている白衣は研究者と言えば白衣だから、と言う小学生並の思考から来ている見た目だが、喋らず黙ってじっとしていれば美人なのは間違いない。


「良いじゃないですかぁ、ちょっとだけですからぁ」


「離れろ……! 気持ち悪い!」


 猫なで声で甘えた様に頬を秋人の胸に擦りつけるが、乱暴に払われる。


 一見、秋人に好意を抱いてる様にも見えるが、その実、少女が興味あるのは秋人ではなくゾンビと言う体質のみだ。

 彼女を知る者は口を揃えて『人外種オタク』と言う。


「お腹をちょっと切り開いて臓器を拝借するだけですよぉ」


「ふざけんな! そんな消しゴム借すみたいに渡せるか!」


「優しくしますよぉ、気持ちよくしますよぉ」


「腹切られて気持ちいい訳あるか! 俺は今忙しいんだよ!」


 ようやく諦めたのか『ちぇっ』と舌打ちをして離れるが、その目は獲物を狙う野生の獣だ。


「忙しい?」


「そうだよ、ちょっと人を追いかけてんだ。悪いけど行くぞ」


 出鼻を挫かれて本来の目的を忘れかけたが、自分の服に染みる血を見て何とか邪念を弾き出す。


 人外種オタクに追い掛けられるのはなれているが、だからこその対処法がある。適当に流して逃げるーーこの一点のみ。


 再びフェンスに手をかけて追い掛けようとするが、


「……もしかしてーー通り魔ですか?」


「ーー!……またお前らが関係あんのか?」


 花子の全てを見透かした様な声に、僅かに声をもらしてフェンスから手を離してしまう。


「またとはなんですか、今回は無関係です。というか、むしろ被害者です」


「被害者?」


「そうなんですよ!私の偉大な発明と頭脳を差し置いてあんな物を開発するとは!」


「まてまて落ち着け。最初から話せよ」


 マイロードを走り出そうとする花子に、強制的にブレーキをかける。

 一度自分の世界に入ると、こちらに戻すのにかなりの体力を消耗するから困り者だ。


「その傷、通り魔につけられた物ですよね? でしたら気になる事とかありませんでしたか?」


「……全部お見通しかよ。奏の話だと、そこまで毒性は強くないって話だった。でも、やられて分かったよ……明らかに奏の話と食い違ってる」


「ふむふむ、やはりステージが上がってますか」


 なにやら一人で納得した様に頷きながら顎に触れる花子。


「ステージ?」


「むー、そうですね……、簡単に言うと、人外種がどれだけ人間から離れ、混じった血の生物へと近づいているかを表すレベルの様な物です」


『ステージ』とは、体に混じった血がどれだけ人間の血を蝕んでいるかを表す言葉だ。

 生まれたばかりの子供の人外種は、容姿や体の機能はほとんど人間に近い。しかし、年月を重ねるにつれ、容姿が変化し、体の機能も人間とはかけ離れていく。

 例を上げるとしたら、歳をとる毎に伸びる鬼の角だろうか。


 本来、ステージとは年齢を重ねる事でしか上がる事はないと言われている。

 多少の個人差はあるが、ほとんどの人外種は死ぬまでに容姿が人間から完全に違う生物になる事は無い。それは人間の血が他の生物と比べて強いから、なのだが、


「まずは今回の事件について軽く説明しましょうか。被害者は六人、共通点の無い学生やサラリーマンです」


「人数は初めて聞いたな……」


「問題はここからです。襲われた場所も年齢もバラバラ、唯一の共通点は体に刺された傷です」


「……? 後は毒だろ?」


「まぁまぁ焦らないでください。女の子はゆっくりと確実に気持ちいい所を突かれるのが好きなんですよ。まぁ、フィニッシュはーー」


「おい」


 隙あらば自分の話に持ち込もうとするのを、拳を頬に突き付ける事で威嚇する。因みに、彼女は男性経験は一切ないので、外部から取り入れた知識のみで語っている。


 拳から逃げる様に顔を逸らし、話を続ける。


「確かに毒も共通点です。しかし、それは最初の三人だけです」


「……後の三人は症状が違う、か?」


「流石です、勘が良いと話が早く進んで助かります」


 褒める様にパチパチと手を合わせ、ポケットから数枚の写真を取り出す。


「こちらが最初の三人。女学生二人とサラリーマンの男性です。こちらの三人の症状は僅かに手足が痺れる程度でした。病院に運ばれる頃には痺れも無かったそうですよ」


 恐らくこの二人のどちらかの女学生が奏の友達なのだろう。

 花子の言う通り、特に変わった所の無い女学生とサラリーマンだ。

 それ故に、襲われたのかもしれないが。


「そして次の二人です。こちらも毒が検出されましたが、先程の三人と比べて毒性が強くなってました。ワクチンを摂取しても嘔吐、手足の痺れが抜けてません。今も病院で治療中です」


「最後の一人は……?」



「死にました」



 然も当たり前の様に、息を吐き出すかの様に言う花子。

 彼女にとっては、興味の無い対象がどうなろうが関係ないのだ。だからこそ、一切の感情を捨ててその言葉を口に出せる。


 秋人は口から出そうになった言葉を飲み込む。

 死と言う言葉が身近にありながら、他人の死にはなれる事が出来ない。


「創さんが気にしてもしょうが無いですよ。それより、毒を受けているのなら一度死んでますよね?」


「あぁ、一瞬だけ意識が飛んでた。多分、あの時に致死量の毒を受けてたんだろな」


 秋人が感じた違和感。

 奏と理恵によって壁際に運ばれた時に、一瞬だが意識を失っていた。

 あまりにも一瞬の事だったから、そこまで気にしていなかったが、死んでいたなら納得がいく。


 気持ちを切り替えようと息を吐き出し、


「それとステージはどう関係があるんだ?」


「本来、ステージとは長い年月を経て上がる物です。こんな短期間で毒性が上がるなんて絶対にありません」


「でも死んだ奴と生きてる奴がいる……」


「もし、ステージを強制的に上げる薬があるとしたら?」


 ようやく本題に入れたと言いたげに胸をはる花子。


 ここまで話を聞いた上で、専門的な知識の無い秋人には頭の上でいくつもの?が浮かんでいる。


「それって凄い事なのか?」


「今現在、私が持っている知識の中では開発は不可能です」


 秋人が知っている人間の中で、一番人外種に詳しくて頭脳が優れているのは花子だ。

 その花子が不可能だと言うのだから、そうなのだと納得するしかない。


「一番問題なのは、強制的にステージを上げると言う事です。強制的にステージを上げると言う事は、混じった血の生物に近付くと言う事。人外種はあくまでもベースは人間です。だからこそ政府は排除せずにパラダイスに住まわせている」


「……そういう事かよ」


 花子が何を言いたいのか理解し、肩を落としてため息をつく。

 そんな秋人を見て、ニコニコと上機嫌になると、


「やはり勘が良い方は好きです」


「強制的に化け物が作れる薬が存在するかもしれない、そう言う事か?」


「正解でーすっ。今回は蜂だからそこまでの脅威にはなりません。しかし、それが鬼だったら?間違い無く人類を脅かす存在となるでしょう」


「蜂でも十分危ねぇだろ」


 実際に一度死んでいる。

 秋人だから大丈夫だったものの、それが他の人外種ならば本当に死でいた。

 それを脅威にならないと言えるのは、それ以上のものを見てきた花子だからこその発言だ。


「分かったよ、そいつを探せって事だろ?」


「はいっ。捕らえた後は特殊生物監理局には渡さずに、まず私に引き渡して下さい」


「なんでだよ」


「勿論、解剖して薬の開発方法を暴きます!」


 どこまでもブレずに自分の道を突き進む花子に、逆に凄い奴だと思ってしまう。


 ともあれ、本来の目的である通り魔確保はしなければならない。

 色々と文句をつけない所はあるが、今は大人しく話を飲み込んでやるしかないと自分を納得させる秋人。


 それに、先だって追いかけて行ってしまった奏と理恵の安否が気になる。


(まぁ、あの二人なら平気だろ)


 信頼、と言うよりも願いにも似た思いで最悪の想定を頭から除外する。

 実際のところ、秋人はまともな喧嘩では二人に勝てないだろう。


「ではでは、捕まえたら連絡をお願いしますね」


 白衣を翻してその場から去ろうとする花子だったが、


「あー、それ無理だ。スマホぶっ壊れてんだよ」


「なぬ、でしたら私の家に運んで来て下さい」


「ふざけんな、取りに来い。殺人犯を連れ歩ける訳ねぇだろ」


「わがままですねー」


 その一言を聞けば口から煙の様に戦気を吐き出し、ぐるんぐるんと右腕を回す。端的に言えば殴るぞと言う事だ。


「冗談ですからその拳を納めて下さいっ」


 先程の頭部に植え付けたトラウマにより、苦笑いを浮かべ制止する様に両手を前につき出すと、態度を一変させる。


「じゃじゃーんっ、これを使って下さい。ボタンを押したら私の携帯に通知が入る仕様になってますから」


 白衣のポケットをあさり、判子の様な物を取り出すと天高く突き上げる。

 悪徳セールスマンの雰囲気を感じとるが、スマホが無いのも事実なので、嫌々ながらも受けとる。


「まぁ、何時も通りにちゃちゃっとお願いしますね」


 あくまでも他人事を突き通す様に微笑むと、再び路地裏から立ち去ろうとするが、


「おい」


「はい?まだ何か質問が?」


「……たまには学校来いよな」


 その言葉を聞いて、初めて巣の表情で目を見開き花子が驚いた。

 しばらくその言葉の意味を噛み締める様に秋人の顔を見つめていると、


「気が向いたら行きますよっ」


 ぎこちない作り笑いを浮かべ、逃げる様にその場から走り去ってしまった。


「……その言葉、聞くの何回目だよ……」


 誰も居なくなった路地裏で、小さくため息混じりに呟いた。


 道がそれてしまったが、黒マントを追いかけるべくフェンスをよじ登り、走り出した。


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