二章三話 『プールには気を付けろ』
うだるような熱気の中、太陽に弱いゾンビの少年は魂が抜けたようにバス停のベンチに腰をかけて逝きかけていた。
奏のお見舞いに行った日にプールへの強制連行が確定し、それから三日後の日曜日、秋人は理恵との約束の時間にバス停を訪れた。
今朝のニュースでお天気お姉さんが『今日は今年の最高気温になるでしょう』と、笑顔で死刑宣告をしていた。
それは避けねばと思い、日傘と共に家を出たのだが、突然横から猛スピードで突っ込んで来たトラックに傘を破壊され、結局日差しをモロに浴びながら歩いた結果がこれだ。
「あの野郎……おせぇ」
約束を強要した本人である理恵は指定した時間になってもやって来ず、先行き不安な地獄旅行に秋人はため息が止まらなかった。
奏が嫉妬で二人だけのプールを止めてくれると多少期待したが、何て事は無い、笑顔で『楽しんでね』と送り出された。
何故か失恋したような気持ちに苛まれ、余計に秋人は凹む事となったのだ。
「ごめんね! 遅くなっちゃった」
あと五分して来なければ帰ると決めた直後、浮き輪を肩に担いだ理恵が駆け足でやって来た。
白いワンピースに麦わら帽子という装いは、小学生や中学生と言われても違和感がない。
「おせぇよ遅刻だ」
「だって水着探すのに時間かかったんだもん」
「はいはい。あと、その浮き輪恥ずかしいからプールまではしまっとけ」
「やだよ。膨らますの大変だったんだから」
「いや知らんがな」
遅れた事に対する罪悪感はあるのか、ペコペコと頭を下げる理恵。
その後、浮き輪の空気を抜いて鞄に入れると秋人の横に座り、ブラブラと足を揺らしながら、今か今かとバスを待ち焦がれている。
「早く来ないかなぁ」
「お前が時間通りに着いてれば、一個前のバスに乗れたぞ」
「はいはい私が悪いですよーっだ」
「分かればよろしい」
理恵の無邪気な笑顔に毒されたらしく、秋人の表情も段々と和らいでいく。
いぜんとしてプールに行くのは反対だが、保護者としてなら悪くないと思いながら他愛ない話をしていると、しばらくしてバスがやって来た。
バスが来るなり秋人の手を引いて乗り込む理恵。
プールまでは約一時間程。
その間は特にこれといったハプニングも無く、休日のほのぼのとした町並みを眺めながらバスに揺られていた。
時折、何かのイベントらしきものをやっているのを見て『あそこ行こ!』と理恵が言うが、ただでさえ外が苦手なので一刀両断。
目移りの激しい理恵を抑えながら走っていると、やっとの想いでプールにたどり着いた。
入り口でチケットを渡す際に『兄妹ですか?』と聞かれてご立腹になった理恵を必死に宥め、何とか中に入る事に成功。
「んじゃ、着替えたら入り口な」
「うん!」
別々に更衣室へと入り、水着に着替えると秋人は入り口へと移動。
シンプルな黒の海水パンツに、日差しを出来るだけ避けるために上にパーカーを着ている。
待っている間、秋人の視線は他の客の水着姿に釘付けだった。
際どいビキニの人も居れば、清楚なワンピースタイプの水着を着ている人も居る。
思春期の高校生としては仕方のない衝動なのだが、ここまであからさまだと逮捕案件にもなりかねない。
「……悪くない」
エロ親父のような笑みを浮かべ、来た事を多少なりとも良かっと思っていると、
「お待たせぇ! 」
萎れた浮き輪を振り回しながら、水着を着用した理恵がやって来た。
秋人は、その姿に思わず目を奪われた。
いや、正確に言うのなら、目を疑った故に奪われた。
元々分かっていた乏しい胸はさておき、理恵が着ているのは学校指定の水着ーーつまりスクール水着というやつだ。
「お前……何でスク水なんだよ」
「ん? だってこれしか持ってないから」
「だったら前もって買うとかしろよ」
「あるのに買ったら勿体ないでしょ?」
確かに、水着としての役割を果たせればいいので、見た目に拘る必要はないのだろう。
しかし、高校生がスクール水着というのはどうなのだ、と秋人は思う。
一部の層からは大変よろしい反響を得られるのだろうが、秋人はロリコンではない。
加えて言えば、スクール水着の高校生と歩いているのを見られて、有らぬ誤解をされてしまう事を恐れているのだ。
しかし、そんな秋人の心中など知る筈もない理恵は空気の抜けた浮き輪を突き付け、
「はい、膨らまして」
「何で俺なんだよ」
「だって秋人が空気抜けって言ったから」
「……ったく」
嫌々ながらも浮き輪を受け取り、空気を入れる。
入れている途中で間接キスという事に気付き、理恵の方を見るが本人は気にする様子もないまま空気が入るのをワクワクして待っていた。
(別に気にしてないのね)
本人が気にしてないなら、と構わずに空気を入れ、パンパンに膨らまし終えた浮き輪を理恵に渡した。
浮け取った理恵は浮き輪を腰にはめて準備完了。
「よし、行って来い」
「秋人は行かないの?」
「俺は準備体操してから行くから、先に入ってて良いぞ」
犬にボールを取って来させるように、プールを指差して指示。
理恵は秋人と遊びたいようだが、適当な理由を作り上げてそれから逃れようとする。
「分かった。先に行ってるね」
「おう、気を付けろよ」
「待ってるよー!」
作戦は成功したようで、一目散にプールへと走って行ってしまった。
ようやく自由になった秋人は、先程からしつこいくらいに照り付ける日差しから逃げるように、適当に歩きながら日陰を探す事になった。
秋人は、プールを泳ぐ大勢の人を見て改めて思う。
猫耳を生やした者や、尻尾を生やした者。
腕の一部が濃密な毛で覆われている者や、額に角が見え者。
どれも皆、人外種である。
見た目で全てを判断する事は出来ないが、恐らくこの中に人間は居ない。少なくとも泳いでる中には。
首からカードをぶら下げている監視員の中には人間が居るのだろうが、それでも一緒に遊ぶ事は無い。
パラダイスで働いていても尚、その壁は大きく重苦しく立ちはだかっているのだ。
人間と人外種はあくまでも違う生物だ。
人外種は監視される立場にあるのだ。
そう言われているようで、あまり良い気分はしなかった。
「……変わんねぇな」
公共の遊び場で気分が暗くなりかけたのを、頭を降って外へ追い出す。
本当は泳ぐつもりなど毛頭無かったが、考えを切り替えた。
ここまで来たのだから泳がなくては損。
パーカーを脱ぎ捨て息を止め、近くのプールへとダッシュ。
そのまま地面を蹴って跳躍すると、ドボン!と水しぶきを上げて着水した。
水中に沈んで行く中で『飛び込んじゃダメだよ』と声が聞こえたが、そんなのは無視。
むしゃくしゃする気持ちを払うため、もう一度飛び込もうと浮上したところで、それは目に入った。
「……おい」
ごしごしと目を擦り視界を確保する。
セクシーな黒ビキニのお姉さんだが、アスリート顔負けなレベルで腹筋が割れている。
視線を上に上げて行き、目があった瞬間に秋人はプールの冷たさとは別の寒気が押し寄せる。
「ど、どうも」
真田佐奈ーー監理局に所属しているとんでもなく怖くて、とんでもなく強いお姉さん。
秋人が飛び込んだ拍子に水しぶきを激しく浴びたのか、短い赤髪がびしょびしょに濡れている。
水も滴る良い女ーーそんな言葉が浮かんでくるが、直ぐ様現状の危険性を察知。
髪をかきあげ、鋭い目付きで睨みを効かせながら佐奈が口を開く。
「貴様。プールでの飛び込みは禁止だ。私の前でルール違反とは良い度胸だな」
「あ、いや、ちょっと足が滑ってしまいまして……決して飛び込んだとかそんなアホな真似はしてないのでごめんなさい許して下さい殺すのだけはご勘弁を」
自分でもビックリな程に口から言葉がすらすらと飛び出す。
危ない組織の親分にでも謝るように手を擦り合わせ、摩擦で火花でも散りそうだ。
明らかに恐怖で唇が青紫に変色している秋人を見て、佐奈は呆れたようにため息をこぼす。
それから秋人の額にデコピンを打ち込み、
「貴様は私を何だと思っているんだ。ここは人々が疲れを癒して遊ぶ場だ。そんな物騒な事はしない。それに、休日は仕事を忘れるようにしているんだ」
「じゃ、じゃあグーパンとかはしないんすか?」
「そのまま大魔王を見るような目で私を見るのなら、それも視野に入れよう」
強烈なデコピンで顔が弾かれながらも、とりあえずはホッと胸を撫で下ろす。
ただ、恐怖というのはそんな簡単に消えるものでも無いので、表情がぎこちなくなってしまった。
「はぁ……何時まで私に怯えているんだ? もう気にしていないと何度も言っているだろう」
「さ、さーせん」
「まぁいい、それより貴様は一人なのか?」
秋人の強張った態度に諦め、佐奈が話を切り替える。
一々髪の毛を上げる仕草にエロさを感じるが、そんな事に気付かれれば今度こそプールが血で染まってしまう。
気付かれまいと必死に取り繕い、
「いや、理恵と一緒です。花子からプールのペアチケット貰ったんで」
「三ヶ島花子からか? そうか、奇遇だな。私も彼女から貰ったんだ」
「ん? じゃあ佐奈さんも誰かと?」
「いや、私は一人だよ。一緒にプールに行くような相手も居ないのでな」
「でもあれってカップル専用だったような……」
「あぁ……それなら相手が後から来ると言って誤魔化した」
そう言って、ウインクをしてはにかんだ。
その一つの行動だけで、秋人の中の真田佐奈という人物像が崩れた。
クソ真面目で仕事にしか興味の無い脳筋女だと思っていたが、洒落た所もある人らしい。
そんな失礼極まりない事を考えているとは知らず、横を泳ぐ人を避けるようにして秋人に一歩近づいて来る。
仕草一つで胸が高鳴り、ビキニのお姉さんというだけで秋人は心を奪われかけている。
「一旦上がろう。ここでは他の人の邪魔になってしまう」
「え、良いっすけど」
言われるがままにプールを上がり、その意図が分からずに眉間に皺を寄せた。
「相良理恵が見当たらないが、一緒ではないのか?」
「先に入ってろって言ってから行方不明です。多分そこら辺泳いでると思うんすけど」
「そうか、では探そう」
プールサイドに置いてあるタオルを手に取り、濡れた髪の毛を拭く佐奈。
一々大人の色気を振り撒くので、思春期真っ只中のゾンビ少年には刺激が強い。
「探すって、理恵を?」
「そうだ。貴様と相良理恵に話したい事がある」
全く思い当たる付しが無い秋人は、また何かやらかして起こられるのではと考える。
しかし、それを読み取った佐奈がタオルを秋人に投げつけ、
「別に身構える必要はない。貴様と相良理恵が何かした訳ではないしな」
胸を撫で下ろして緊張の糸をほどいたが、次の一言で再び秋人は身を引き締める事となった。
「先日の通り魔の事件ーー坂本孝太の事だ」
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