二章四話 『馴れ合い』
「先日の通り魔の事件ーー坂本孝太の事だ」
声のトーンを落とし、佐奈がそう言った。
秋人は驚きのあまりに、投げられたタオルをキャッチし損ねてしまう。
坂本孝太ーー六月に起きた通り魔事件の犯人の名だ。
家族に会いたい一心で多くの人外種を襲っていたが、秋人達の頑張り、そして佐奈の一撃によって事件は終演を迎えた。
正直に言えば、秋人はその後の事を知りたがっていた。
泥臭い殴り合いを経て、男がどれくらいの想いで家族に再開したいのかを知ってしまったから。
しかし、花子に聞いてもそれとなく誤魔化され、奏に聞いても何も知らないの一点張りだった。
「へ?」
何か言い辛い理由があるのだと勝手に納得していたが、完全に気を抜いていたタイミングでの発言に、思わず間の抜けた返事をしてしまう。
慌てて落ちたタオルを拾い、改めて佐奈を見る。
「貴様と相良理恵は一応事件の関係者だ。そして、逮捕の一躍も買っている。君達には知る権利があと思ってな」
「……まぁ、どうなったかくらいは知りたいですけど」
「聞きたくないのならそれでいい。無理強いはしないさ」
それを聞いて何かが変わる訳ではないが、秋人は男のその後が気になった。
勿論、死人が出ているので牢獄行きは間違いないのだが、罪を償ったあかつきには家族に会って欲しいとも思っている。
それが容易で無い事も理解しているし、子供の甘い考えだというのも理解している。
それでもそう思ってしまうのは、真正面から男の覚悟をぶつけられた秋人だからなのだろうか。
「いや、聞きます」
「分かった。まぁ、相良理恵に関しては話したところで理解出来ないと思うがな」
「そうっすね。とりあえず流れるプールの方行きますか?」
「任せる」
短く返事をした佐奈を引き連れて、流れるプールを目指す事になった。
その道中、秋人は痛い視線を身体中に受けていた。
後ろに着いてきている佐奈を見て、誰もがそのプロポーションに見惚れていた。
ただ胸が大きいとか尻がもちもちとかではなく、鍛えられた肉体美というやつだろう。
バッキバキに割れた腹筋は、男でも憧れてしまう程だ。
理恵ほど乏しくはないが、奏と比べたら控えめな胸も彼女の格好良さを際だ立たせている。
そして視線は移動し、前を歩いている冴えない少年。
日光を浴びて顔色は悪くなり、背後にいる佐奈に緊張して足取りが覚束ない。
そんな少年が彼氏だと勘違いした周りが、呪いを目から発射しているのだ。
「……つれぇよ。マジのグーパン食らったら全員態度変わるかんな」
「ん? 何か言ったか」
「何でもないっす」
消え入りそうな声で呟いたのにもが関わらず、天性の地獄耳で拾い上げる佐奈。
身ぶり手振りで適当に誤魔化し、流れるプールにたどり着いた。
そして、今日何度目か忘れてしまったが、秋人は再び自分の目を疑った。
理恵は流れるプールを泳いでいた。
それはプールなのだから当然だ。
しかし、泳いでいる方向に問題があった。
「……何やってんの」
流れに逆らって泳ぎ、キレの良いバタフライで水しぶきを盛大に上げている。
本人は清々しい笑顔で泳いでいるが、周りの人間はドン引きだ。
更に、それをやっているのがスクール水着のロリ少女。
相乗効果も相まって、色々な意味で視線を集めていた。
見た目からは想像出来ない腕力でかきあげられた水は、プールを飛び出して監視員や見ている人の顔面に打ち付けられている。
「……あの、理恵ちゃん? ちょっと良いかな」
「あ! 秋人だ」
秋人の呼び掛けでやっと気付いたのか、プールで暴れていたロリ少女が静まった。
それに伴い、理恵のバタフライによって作り出された荒波がおさまり、ぐるぐるとプールを強制周回していた人達が今にも吐きそうな顔でプールから上がっていく。
流れるプールは自ら流れを強化する事が出来るのかと、横で佐奈が感心している。
突っ込む気力さえ無くなり、肩を落としている理恵がやって来た。
「凄く楽しかった!」
「あーそう、もうちょっと周りの人の迷惑を考えようね」
「みんないっぱい流れてて楽しそうだったよ?」
「流れてたんじゃなくて流されてたんだよ? 溺れてる奴がいないのが奇跡だよ」
周りが見えていないというよりも、全員が楽しんでると勘違いしていたらしい。今しがた上がって行った人達の顔色を見てもその発言が出るのだから驚きだ。
あっけらかんとしたまま秋人の横に居る人物に気付き、
「あれ? 何で佐奈が居るの?」
「今日は非番でな。たまたまプールに来ていたところを、創秋人に会ったんだ」
「ふーん、じゃあじゃあ! 一緒に遊ぼーよ」
「おい理恵。佐奈さんは俺達に話があるらしいぞ」
このままでは引きずられて次のプールへと連れ去られるので、テンションが完全に上がりきる前に先手を打つ。
理恵はそわそわしながらも、一応は秋人の話しに耳を傾ける。
ようやく本題へ移ろうとするが、
「いや、急ぎのようでは無いから構わない。せっかくの休日を邪魔しては悪いからな」
「いいんですか?」
「さっきも言っただろ? 休日は仕事を忘れるようにしているんだ。自分は良くて他人はダメなんて筋が通らないからな」
「まぁ……佐奈さんがそう言うなら」
正直、秋人は滅茶苦茶気になっていたので肩透かしをくらい意気消沈。
佐奈は多少気にしたように目を伏せるが、直ぐに凛とした顔を作り、秋人の肩に手を置いた。
女性に素肌を触られるのは慣れておらず、触れられただけで全身にチキン肌が駆け巡った。それと同時に照れくさくなり顔を逸らす。
「話が無いならあっち行こーよ! ね!」
己の内からわき出る思春期の邪悪な気持ちと戦っていると、遊びたくて仕方ない理恵が秋人の腰に浮き輪をぶつける。
「おっ……と……?」
心身ともに地に足が着いていない今の秋人には、ほんの些細な衝撃でも体がよろけてしまう。
バランスを崩して数歩前に進み、倒れないように両手を前に突き出した。
本来なら空を切ってそのまま地面にキッスの流れなのだが、謎の柔らかい物に指が食い込んだ。
それが何なのか理解するのに数秒の時間を有する。
今まで触った物の中では郡を抜いて柔らかく、優しく包み込むような感触。
それでいて何か好奇心を刺激し、男の中の欲望を満たしてくれた。
それはすなわち、
「これはおっーーぶべら!」
その名前口にする前に、渾身の右ストレートの顎を打ち抜いた。
綺麗に顎を捉えて脳を揺らし、変な音と共に目の前が一瞬にしてブラックアウトした。
「あーあ、せっかくうぉーたーすらいだー乗りたかったのに」
理恵の呑気な呟き。その後ろで佐奈が自分の体を隠すように腕を回し、少しだけ顔を紅潮させていた。
秋人は手に残る感触を忘れないように記憶に焼き付けながら、結局地面にキッスするはめになったのだった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「……う……?」
次に秋人が目を開けて初めに視界に入ったのは、アイスをかじる理恵の顔だった。
どうやら気絶した後に医務室に運ばれたようで、ベッドの上に寝転んでいた。
体を起こして周囲を伺うが、理恵の他には誰も居らず、小さな窓から外を見ると、既に日が沈みかけていた。
パイプ椅子に座りながら足をプラプラと揺らし、目覚めた秋人を見て理恵が微笑む。
「起きた? もう直ぐ閉まるから終わりだって」
「終わり? あぁそっか、もうそんな時間か」
部屋に飾られた時計を確認し、時刻は十八時を過ぎていた。
それと同時に、自分の記憶があやふやな事に気づく。
理恵とプールにやって来て……その後の記憶がほとんど無い。
誰かに在って何か重要な話を聞こうとしていた気がするが、それが誰なのか全く思い出せない。
それに、何故か顎の辺りが妙に痛い。まるで、何か硬い物でぶん殴られたように。
「秋人も着替えて帰ろーよ」
「……おう。つか、お前いつの間に着替えたんだよ」
「秋人が寝てる間にだよ。うぉーたーすらいだーも乗って満足したから、アイス食べて待ってたの」
改めて見ると、スク水から白いワンピースに着替えている。浮き輪は膨らましたまま担いでいるが、それはどうでも良いので放置。
「そっか。んじゃ、俺も着替えてくっから入り口で待っててくれ」
「うん。遅かったらご飯奢ってね!」
アイスの棒をゴミ箱に投げ入れ、足早に医務室を出ていってしまった。
誰かに方向しようとも思ったが、係員らしき人の姿が見えないので、秋人も無言で医務室を後にした。
その後、更衣室で着替えて帰り支度を済ませ、理恵の待つ入り口へと駆け足で移動。
さっき食べ終えたばかりの筈のアイスを、幸せそうにかじっている理恵の元までやって来た。
「わりぃな、俺のせいであんまり遊べなくて」
「ううん、いっぱい遊んでもらったから大丈夫だよ」
「遊んでもらった? まぁいいか。行こーぜ」
誰に遊んでもらったのか気になったが、理恵ならば知り合って数秒で仲良く遊んでそうなので追求は止めておいた。
近くのバス停まで移動して時間を確認。
どうやら直ぐに来そうなので、ベンチで大人しく待つ事にした。
「今度は皆で来たいね」
「ん?」
「奏も一緒にだよ。あと、あの金髪の人も。秋人と奏の友達なんでしょ?」
「花子か? そうだな、もうすぐ夏休みだから、今度は皆で来ような」
誰とでも親しくなる事の出来る理恵に多少の不安を覚えながらも、秋人は素直に頷く事にした。
奏の水着を諦めかけていたが、皆で行くという大義名分があればモーマンタイだ。
待つ事数分で、バスがやって来た。
名残惜しさが残るものの、時間も時間もなのでバスに乗り込んだ。
後ろの方の席に座った途端、隣の理恵が頭を肩に預けて来た。
「寝てんのかよ」
子供のような寝顔でスヤスヤと寝息を立てている。
遊んでいる時の無邪気な笑顔や、こうして無防備な寝顔を見ていると、時折赤鬼だというのを忘れそうになってしまう。
車を持ち上げ、コンクリートを素手で砕き、軽い跳躍で一軒家の屋根に飛び乗ってしまうような少女だが、こうして寝ている姿はどこにでも居る普通の少女だ。
そんな寝顔に安らぎを受け、秋人も船をこいでいると、
「……その女。お前の友人か?」
「え?」
前の席に座るフードを被った誰かが声をかけて来た。
声色からして男だが、表情が一切伺えない。
一瞬、誰に話しかけたのか分からずに辺りを見渡すが、バスに乗っているのは秋人達と前に座る男だけだ。
「そうっすけど」
「そうか、友人か。まさか理恵に友人が居るとはな」
「あの、誰ですか?」
ゆっくりと男は振り返り、視線が交わる。
そして、僅かにニヤリと口元が緩み、再び言葉を繋ぎ始める。
「その女は余程ぬるい生活を送っているようだな。やっと見つけたと思ったらこれか」
「あの、何言ってんすか?」
「俺達はいずれ人間の上に立つべき存在だというのに、馴れ合いに勤しんでいるとはな」
「……おい、それはどういう意味だよ」
ゆっくりと落ち着いた口調で言葉を並べる男だったが、段々と感情の色が見え始める。
それが怒りだと分かり、秋人は僅かに身構えて口調が乱暴になった。
そして、その怒りは明確に理恵だけに向けられていた。
「お前誰だよ。馴れ合いって何言ってんだよ」
男の視線が理恵を捉えて、それから秋人へと移動する。
そして、フードに手をかけて、その顔を露にした。
「俺は、理恵の兄だ」
感情の見えない瞳で、男はそう言った。
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