三章十話 『何も出来ない』

 


 全力ダッシュでアパートを離れた秋人が訪れたのは、花子が居る研究施設だった。

 昨日の事もあり、若干の気まずさはあったのだが、現状で打てる最善策を実行するのにはここに来ざる終えなかったのだ。


 顔パスで入り口を通過し、そのまま花子の部屋を目指す。

 その際に手にしているスーパー秋人君を見られ、明らかにバカにしたような笑いを叩き付けられたので、無理矢理ポケットにねじ込んだ。


 花子の研究室の前に辿り着くと、一旦呼吸を整える。

 意を決してノックしようとするが、


『すまないな、いきなり押し掛けてしまって』


『いえいえ、私もいくつか報告したい事があったので好都合です』


 部屋の中から誰かの話声が聞こえて来た。

 声からして、恐らく花子と佐奈だろうと推測。

 女子風呂を覗くような気分になりながら、秋人は扉に耳をくっつけて話を聞く事にしたのだった。


『前に言っていた別件の事で助言を貰いに来たのだが……まぁいい、話があるならそちらを先にしてくれ』


『ではでは遠慮なく。坂本孝太の遺体を解剖して分かった事があります。極微量ですが、ヒューマガイトという細胞が検出されました』


『ヒューマガイト? すまない、私はそちらの分野は疎いんだ』


『知らなくて当然です。少し前に発見された物ですからね。人外種の体内にのみ存在する細胞ですよ』


『そうなのか……。だが、それが何か問題なのか? 坂本孝太は人外種なのだ、検出されて当然だろう』


 専門用語が激しく飛び交い、秋人は頭から煙を上げながらショート寸前まで追い込まれる。

 別の世界の話をしているようで全く理解出来ないのだが、必死に食らい付く。


『問題しかないです。極微量ですよ? 本来ならもっと多く検出されてもおかしくない、というか多く検出されないとダメなものです』


『確かに、それは気になるな。貴様の事だ、何か分かったのだろう?』


『仮説ですけどね。恐らく、ステージ上昇の薬とはヒューマガイトと融合して活動を著しく活発化させる何かです。そして、時間の経過と共にその何かはヒューマガイトごと死滅する』


『だから薬の成分もほとんど検出されず、ヒューマガイトも極僅かだったと』


『そしてもう一つ。ヒューマガイトが体内から死滅した人外種はーー死にます』


 聞き耳をたてながら、秋人は自分の心臓が締め付けられるのを感じていた。

 死という単語を耳にして、忘れようとしていた恐怖が甦ったからだ。

 しかし、それと同時に沸き上がる怒りの感情も自覚していた。何故なら、花子が何を言いたいか分かったから。


『待て……それでは……』


『はい、ステージ上昇の薬を使用した人外種は必ず命を落とします。坂本孝太の死因は刺し傷によるものではなかった……犯人は、その事を隠すためにわざわざ死んでいる坂本孝太の体を滅多刺しにしたんです』


『……外道が』


『作った人間がそれを把握していたのかは不明ですが……いや、知っていたんでしょうね。知らなければこんな物は作れない。本当に、ここまで腹立たしいのは久しぶりですよ』


 バン!と机を叩く激しい音が響いた。

 それをやったのがどちらかは分からないが、声を聞く限りどちらがやっていたとしてもおかしくはない。


『作った人間は効果を確かめるためにひょっとこの仮面に薬を渡し、それを使った坂本孝太は死んだ。しかし、薬が明るみに出る事を避けて刺し殺した』


『今ある情報を結び合わせるとそうなりますね。こんな物に興味を持っていた自分が嫌になりますよ』


『……それで、目星はついているのか?』


『いえ、ヒューマガイトについて研究している施設はいくらか心当たりがありますが、断定するには情報が少な過ぎます』


『そうか……もし、その薬が他に存在し、今も私達の知らない所で人外種が使っているとすれば……』


『これからも死人が出るでしょうね。全ての使用者を滅多刺しにする訳にはいかないので、不審死が増えると思います』


 そこで、秋人は限界を迎えた。

 そもそも、命を粗末にする人間に対して過剰に反応するゾンビの少年が、こんな話を聞いて耐えれる訳がなかったのだ。

 怒りを蓋していた物が壊れ、秋人は勢い良く扉を開いた。


 突然開かれた扉に驚いたのか、中で話をしていた二人の肩が震える。更に、そこに立っているのが秋人だと気付けば、花子は額に手を当てて『あちゃぁ』と声を漏らした。


「創秋人……! 貴様、何故ここに居る」


「んな事はどうでも良いでしょ。それより、今の話って本当なんすか?」


「嫌な予感はしていたんですが……つくづく悪運の強い方ですね」


 花子は全てを聞かれていたと分かればため息をつき、近くのパソコンに目をやった。

 カタカタと何かを打ち込んだと思えば、秋人へと視線を移動し


「創さん。発信器はどこにあります?」


「分からねぇ。けど、多分その薬を作った奴の所に向かってる筈だ」


「な……に。 どういう事だ!」


 状況を把握していないのは佐奈一人だけらしく、驚いたように声を張り上げた。

 花子は手招きをして佐奈を呼び込むと、パソコンの画面を見せる。そこには、地図の上を移動する赤い点が映っていた。


「これは?」


「私が創さんに渡した発信器ですよ。ただ、今は他の方が持っているようですけどね」


 そう、秋人は少女との別れ際にタックルした時、花子から渡された発信器をパーカーのポケットに入れておいたのだ。

 運が良かったとしか言えないが、鞄から飛び出した発信器は下まで落ちていて、たまたまそれが目の前に転がっていた。


 取り押さえるのが無理だと早々に判断し、居場所を突き止めた上で叩くという作戦に切り替えた結果がこれだ。

 たまたまにたまたまが重なり、こうして秋人の悪運の強さを証明して見せた。


「その発信器が止まった場所にソイツが居るかもしれねぇ。それに、上之薗もそこに居る」


「上之薗さん? 何故あの方の名前が出て来るんですか?」


「俺だって分からねぇよ。けど、さっき会ったんだ、薬を使ってるかもしれねぇ奴に」


 秋人はさきほどの出来事を全て洗いざらい話した。

 真弓が家に居なかった事、それには友達と名乗る少女が関係している事、そしてその少女は薬を使用している可能性があるという事。


 全てを黙って聞いた上で、初めに切り出したのは佐奈だった。


「なるほど、事情は把握した。違法の薬、そして誘拐、この二つだけで監理局を動かすには十分だ。元々監理局も血眼になって解決を急いでいた一件だ、今すぐにでも動けるだろう」


「だったら俺もーー」


「ダメだ、一般人である貴様を巻き込む訳にはいかない。いや、それ以上に今回は危険過ぎる」


 秋人の言葉を予知したのか、最後まで喋り終える前に口を挟む佐奈。

 佐奈の言っている事は最もだった。

 相手が人外種を確実に殺せる術を持っている可能性がある以上、相性が悪いなんてレベルの話ではない。


 それはゾンビと言えども、人外種であるからにはヒューマガイトが体内に存在する。不死身だからといって、死んでしまう可能性はゼロではないのだ。

 そんな事は分かっている。

 だが、分かっていたとしても、


「友達が危ない目にあってるかもしれないんですよ! 何もしないなんて無理です」


 あの少女が言っていた『真弓は神様になる』という言葉。

 もし、その真意が真弓に対してステージ上昇の薬を使用するという意味だとしたら。

 そうなのだとしたら、黙って待っているなんて出来る筈がなかった。

 しかし、佐奈は意見を聞く様子などなく、


「その気持ちは私も理解出来る。だが、だからといって許可する訳にはいかない」


「何でですか……危ないって意味じゃ佐奈さんも同じでしょ! 人外種なんだから死ぬ可能性だってある」


「そうだな……だがな、これが私の仕事なんだ。たとえ危険だとしても、ルールを破った奴を放ってはおけない。どれだけ危険だろうが、それが監理局に勤めている私の役目なんだ」


「俺は……無理だって言われても行きますよ」


「そうか、ならば奏を呼ぼう。こうなった貴様を止められるのは奏しか居ないからな」


「テメェ……!」


 今奏を呼ぶという行為は、この危険な状況に巻き込むという事だ。

 勿論、奏だって真弓に危機が迫っていると分かればどんな手を使ってでも助けに行くだろう。

 それが分かっているから、汚い手だと思いながらも反論する事が出来なかった。


「奏は私にとっても友人だ。出来ればこんな事には巻き込みたくない。だが、それは貴様も同じなんだ。貴様が奏の友人である以上、こういった危ない事には首を突っ込んでほしくはない」


「でも……」


「心配するな。上之薗真弓という少女は必ず助ける。そして例の薬を作っている奴も捕らえる。私に任せろ、貴様には学生という本業があるだろ」


 佐奈が強いという事は秋人だって知っている。

 前に一度ボコボコにされた事を思い出しても、秋人の知る中で最強と呼べるだろう。

 それは赤鬼である礼二や、さきほどの竜の少女と比べてもだ。


 けれど、それでも引き下がれない。

 そう言おうとした時、隣に立つ花子が口を開いた。


「創さん、昨日も言いましたよね? この件には関わらないで下さいと。創さんのような素人が行くよりも、真田さんや監理局の方々に任せるのが今は最善です」


 予想していたとはいえ、花子は秋人の隣には立ってくれなかった。

 こちらに関しても秋人は何も言う事が出来なかった。

 何時もの花子とは違い、友人として頼むと言われたのだから。


 拳を握る力が強くなり、掌から赤い滴が落ちる。

 弱い事が、何も出来ない事がこんなに悔しいとは思っていなかった。

 ただ待つ事が、こんなにも辛いとは思っていなかった。


「私は監理局に戻る。上に掛け合って直ぐにでも動いてもらうようにするさ」


「お願いします。何の目的で上之薗さんを連れ去ったのかは分かりませんが、良い事ではないのは間違いないです。出来るだけ迅速に」


「あぁ、任せろ。私の携帯に位置情報を送っといてくれ」


 そう言って、佐奈は駆け足で部屋を飛び出して行ってしまった。

 静寂の中、秋人は佇んでいる事しか出来なかった。


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