三章九話 『現れた手がかり』

 そのフィギュアは簡単に忘れられる物ではなかった。

 初見でのインパクトもさる事ながら、狐と象という良く分からない組み合わせと、つけられた名前が印象に残っていたからだ。


 モチーフも分からないし、何の意図があって誰を対象にして製造されたのかすら分からない。

 良く言えば個性的、悪く言えば気持ち悪い、だ。


 そんな物が落ちていてれば気付くし、秋人がここを訪れた時には落ちていなかった。

 なので、普通に考えれば少女が落としたという結論に至るのは当然の事だろう。


「あ、はい、私のです。うっかり落としちゃったみたいですね」


 少女は一瞬目を見開いて反応するが、直ぐに表情を整えてそのフィギュアを受け取った。

 しかし、秋人は一瞬の表情の変化を見逃さなかった。最近多発している面倒事に自ら首を突っ込んでいるからなのか、今の秋人には些細な事ですら違和感として捉えてしまっていた。


「もしかして上之薗の知り合い?」


「そうですけど……真弓のお友達ですか?」


「友達って言うか……そうだな、友達だと俺は思ってる」


「へぇ、真弓の友達……」


 少女が言葉を発した瞬間、秋人の全身に悪寒が駆け巡る。

 声の質が変わり、ねっとりとした悦びに近いものが少女の周囲で蠢いていた。少女は口許を緩ませ、


「そうなんですが、真弓に友達が出来たんですね。あぁ、良かった」


「……上之薗なら家には居ないぞ」


「知ってますよ。今日は荷物を取りに来たんです」


「荷物?」


「はい、真弓はもうここに戻って来ませんから」


 慎重に言葉を選ぶ秋人とは対象的に、少女は曖昧模糊な笑みで唇を動かしている。

 何がそんなに楽しいのか分からないが、幸福の感情を持つ笑顔ではないと本能が告げていた。


「どういう意味だ。アイツに何かあったのか?」


「何もないですよ。そうですね、ただ……」


 そこで言葉が途切れた。そして、電源が切れたように少女の顔から感情が消え、


「真弓は神様になるんですよ」


 冗談でも何でもなく、笑顔で少女はそう言い切った。

 言葉の意味は理解出来た。しかし、理解した上で秋人は首を傾げて怪訝な顔付きで少女を睨み付ける。

 神様や幽霊なんてオカルトチックなものを信じていない秋人にとって、少女の笑顔は恐怖すら抱くものだった。


 真弓は人間とは違う生き物だが、神様なんてぶっ飛んだ存在ではない。いや、どこかで人外種を神として崇めている集団が居るという噂を聞いた事はあったが、目の前の少女はそういった類いのものではないだろう。


「訳分かんねぇ事言ってんな。アイツに会わせろ」


「ダメですよ。真弓は私の大事な友達なんですから。貴方みたいな偽物とは違って」


「……お前、何なんだよ」


 秋人は自分の目を疑った。先ほどまで楽しくて仕方ないと言いたげな表情で笑っていたのにも関わらず、今度はその赤い瞳から涙を溢していた。


「だって、やっと会えたんだもん。ずっとずっと会いたくて、やっと会えて。あの人も良かったねって言ってくれたの。うん、凄く嬉しかった。友達って良いよね、離れてても繋がってるって分かる。そう、そうなの、私と真弓は友達なの。昔は色々あったけど、真弓だって許してくれてる。これからはずっと一緒に居られる。そうだよ、全部全部あの人のおかげなんだ」


「お、おい、落ち着けって!」


 ボソボソと喋っていたかと思えば、段々と感情の突起が激しくなり、最後には高笑いをしながら自分の頭をかきむしり始めた。

 情緒不安定という言葉があるが、今の少女は正にそれだ。

 喜び、涙し、そしてまた喜び。誰に向けられた言葉なのか分からない。けれど、秋人に向けられたものではない。


 慌てて少女の手を掴んで止めようとするが、腕に触れた瞬間に悲鳴を上げて振り払われる。

 ふと、自分の手に目をやると、血が滴り落ちていた。

 初めは爪が触れたのかと思った秋人だったが、少女の手を見て違うのだと理解した。


「……鱗……?」


 少女の手の甲が赤紫に変色し、何かの鱗のような模様が入っている。次第にそれは広がり、少女の肘の辺りまでが鱗で多い尽くされた。

 その様子を見て、驚きを隠せないまま口を開く。


「お前……竜なのか」


 竜、ドラゴン。一般的には神話や昔話に登場する火を吹く巨大なトカゲのような生物だ。

 目の前の少女は、竜の人外種だった。

 ゾンビほど珍しくはないが、パラダイスの中でもその稀少性は五本の指に入るものだろう。


 大きな特徴を上げるとすれば、鉄よりも硬い鱗と感情の高ぶりによって変化する赤い瞳。

 花子から何度か耳にした事はあったが、実際に目にするのは初めての事だ。


「……そうだよ? 良いでしょ? 一緒なんだ。私も一緒になれたの。やっと、やっと同じに!」


 秋人の言葉に反応するように少女が叫ぶ。両腕の肘から下は鱗にまみれ、既に人間の物ではなくなっている。

 そして、それを見て、秋人はある事に気が付いた。

 ステージとは混ざった血の生物にどれだけ近づいているか、それを指す言葉だという事に。


「まさか……お前、あの薬を」


 突拍子もないと言われればそれまでだろう。けれど、秋人はその考えに辿り着くだけの材料を昨日と今日で手に入れている。

 彼女は、ステージを強制的に上げる薬を摂取しているのではないかーーその結論に辿り着くだけの。


「状況が変わった。わりぃけど一緒に来てもらうぞ」


「どこに? ダメ、ダメだよ。私も真弓もどこにも行かない。もうどこにも行かないの。ずっと一緒に居るの。これからずっとずっとずっとずっとずっとずっと死ぬまで一緒に居るの!」


 既に秋人の言葉は少女には届いていない。この反応も、秋人が坂本孝太と対面した時と同じものだ。

 彼女の言っている事は何一つとして理解する事は出来ない。


 しかし、もし薬に関係があるとすれば、多少の力業を使ってでも捕らえるべきだ。

 そう考え、秋人は緩んだ頭のネジをしめ直す。


「そっか、そうなんだね。貴方もアイツらの仲間なんだ。また私達の仲を邪魔するんだ。友達だって嘘ついて! そんな事させないよ! 友達だもん、私が真弓を守るんだから!」


「何言ってんのかサッパリ分かんねぇけど、やるってんなら手加減は出来ねぇぞ」


「あの人が言ってたよ。邪魔なものは全部退けちゃえば良いって。そうすれば、自分の望む場所にたどり着けるって。だから……貴方は邪魔なものだから、退けちゃえば良いんだよね」


 瞬間、ベキベキと何か妙な音が秋人の鼓膜を叩いた。それが鱗の擦れる音だと頭が理解する間もなく、少女は秋人に向けて拳を叩き付けた。


 咄嗟の判断で腕を前に突き出してガード。しかし、少女の拳が秋人の腕に触れた瞬間、衝撃によって腕の骨が砕けた。

 威力だけで言えば礼二のものより劣るが、硬さを備えた拳は十分に驚異になりえた。


「ーーッ!」


 痛みから逃れるように後ろへ飛んで少しでも衝撃を減らそうとするが、足を滑らせて転倒。背負っていた鞄が投げ出され、中身が散乱する。


「やったよ、やっぱり凄いね竜って!」


 笑顔と共に放たれた蹴りを転がりながら回避。落ちているプリントを乱暴に拾い上げると、そのまま少女に向かって投げつけた。

 視界を塞がれた事によって一瞬だけよろめく少女。

 一気に距離をつめながらタックルをして押さえ込もうとするが、


「ぜんッぜん効かないよ!」


 タックルを受け止められ、そのまま腰を掴まれて横へとぶん投げられた秋人。

 通路を柵を破壊しながら下へと落下し、背中を地面に打ち付けた。


「クソが……パワーは理恵と変わんねぇじゃんか」


 文句を言う暇もなく、秋人を追うように二階から飛び降りた少女は難なく着地。

 追撃に備えて体を起こそうとした時、何故か少女は歩みを止めた。瞳孔が開ききった瞳で地面に落ちている柵の破片や秋人の鞄の中身を見て、段々とその顔に驚愕の色が広がり、


「アァごめんなさい。こんな事してる場合じゃないのに、ちゃんと言い付けを守らないといけないのに」


 オロオロとした様子で誰かに向かって頭を下げ始めた。

 一変した感情に毒気が抜けそうになる秋人。だが、逃してはいけないと頭を切り替え、目の前に落ちているソレを握りしめて再び少女に向かってタックルを繰り出す。


「もう、しつこいなァ!」


 しかし、捕らえる事は出来ずに振り払われた。

 少女の戦意は完全に喪失しているのか、倒れている秋人には目もくれない。それどころか、自分が破壊した柵の破片を拾い集め、隅の方に寄せて置いている。


 少女の中では、既に先ほどまでの戦闘は無かった事になっているのだろう。

 あらかたの破片を拾い終えると、満足感に浸るように息を漏らし、


「これで大丈夫だよね。後で謝れば許してくれるよ」


 秋人の頭の中は、異常という一言で満たされた。

 坂本孝太だって、ここまでは狂ってはいなかった。最終的に妻と子供の事を思い出して意識を取り戻したとはいえ、今の少女は意識をハッキリと持ちながら行動している。


 破片を拾い集めているのだって、壊してしまったという罪悪感があるからこそだ。

 同じ薬を摂取していても、少女と坂本孝太では似て非なるものでしかない。


「お前……マジでおかしいぞ……」


「おかしい? どこが? そんな事ないよ」


「自覚ねぇのかよ。マインドコントロールってやつか……」


 それはある種、洗脳に近いものなのかもしれない。

 度々出るあの人という単語が、彼女の意思であり行動の基準となっているように見える。


「もう良いよね? 貴方と会話してても時間の無駄だもの。早く帰って真弓とお話しなくちゃ。そろそろ起きてる頃だと思うしね」


「お前が帰る場所に上之薗は居るんだな?」


「そうだよ、だって一緒に暮らすんだから」


「そうかよ、だったら早く行っちまえ」


「……? うん、じゃあね」


 秋人の対応に疑問を持ったのか、少女は不思議そうに頭を傾けた。しかし、それを異常だと判断するだけの思考能力は無いらしく、直ぐに踵を返してどこかへ行ってしまった。


 突然訪れた静けさに秋人は力が抜けて大の字で寝転んだ。が、これだけの騒音で誰も駆けつけない筈がなく、住民が次々と扉を開けて顔を出している。


「やべ、ここで捕まったら計画が台無しになるっての!」


 これをやったのが自分だとバレれば、器物破損は免れないだろう。


 慌てて立ち上がり、散乱している持ち物を拾う暇すらなかったが、身近にあったスーパー秋人君だけを握りしめてその場を後にした。

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