三章十一話 『簡単な事』

「座って下さい。立っていても時間は早く進みませんよ」


 花子はそう言いながら、白いカップにコーヒーを注いでいた。

 言われるままに力が抜けたように椅子に座り、虚ろな瞳でパソコンに映る赤い光を眺める。


 創秋人は何も出来ていない訳ではない。

 実際、秋人が気転をきかせて発信器を忍ばせていなければ場所は分からなかったし、こうして監理局が動く事も出来なかっただろう。

 それこそ、本当に手遅れになっていたかもしれない。


 けれど、そんな事はさほど重要ではない。

 今この瞬間、真弓が辛い思いをしているかもしれないのに、ただ待つ事しか出来ない自分が嫌になっていたのだ。


(……無力だな。こんな時こそ、不死身の俺が体張るべきなのに……)


 いくら弱音を吐いたところで、状況は都合良く変わったりはしない。

 うつ向いたまま自己嫌悪に陥っていると察したのか、コーヒーカップを手にした花子が隣に座り、


「ここが引き際です。今までも色々な事をお願いして来ましたが、それはあくまでも高校生創秋人が出来る範囲の事です。これはそれを大きく上回ってますよ」


 そのままコーヒーを口に含むが、想像以上に苦かったらしく舌を出して眉間にシワを寄せている。

 何時もおしるこしか飲んでいない花子にとって、ブラックのコーヒーは相当に苦いのだろう。


「やはり慣れない事はするもんじゃないですね。舌がピリピリします」


 そんな花子を横目で見ようとした時、ポケットに無理矢理ねじ込まれたソレが目に入った。

 ポケットから頭だけを覗かせている、謎のフィギュアが。


 いつ見てもその造形は、主に悪い意味で目を引くものがある。真弓はこれを見て呪いがかけられていると言っていたが、それも当然の感想だろう。


(……あぁ、クソ……そうだよな)


 不意に、その顔が秋人の頭を過った。

 そうなってしまってはもうダメだった。

 真弓の浮かべた笑顔が、鮮明に見えてしまったから。


 きちんと話した期間は一週間という短い期間だったのかもしれない。けれど、たったそれだけでも、上之薗真弓という人物を理解するには十分だった。

 無愛想に見えて実はコロコロと表情が変わり、極度の負けず嫌いで下らない冗談にも付き合ってくれる。


 大した事はない。どこにでも居る高校生でしかないのだ。

 人外種だからといって、その事は変わらない。

 一人の少女が、友達が危ない目にあっているかもしれない。だったら、


「悪い花子……やっぱ無理だわ。お前が場所を教えてくれないなら、俺は監理局に乗り込んででも居場所を聞き出す」


 握り締めた拳を開き、秋人は立ち上がった。

 花子は相変わらずブラックコーヒーに勝負を挑み、その度に舌を出して完敗している。


「……乗り込んだところで教えてもらえるとは思えませんよ」


「だったらパラダイス内を全部走り回ってでも見つけてやるさ」


「聞き分けのない人はあまり好きではありません。死ぬかもしれないんですよ? 不死身だと思っていた創さんからすれば、それは相当な恐怖の筈です」


「あぁ、めちゃくちゃ怖いよ。死ぬって意識するとこんなに怖かったんだな」


「今まで絶対にあり得ないと思っていたからこそ、死という現実は一度意識してしまえば逃れる事は出来ない。不死身ならば余計にです。絶対に死なないという安心感はない。なのに、何故立ち上がるんですか?」


 カップを握り締めながら、ユラユラと揺れるコーヒーを眺める花子。秋人の表情を伺う事はせず、ただ言葉だけを待っている。

 死は生きている者には必ず訪れるもので、それは花子だって同じだ。

 彼女がそれを意識しているのかは分からないが、人間である花子は人外種よりも寿命が短い。

 そういう意味で言うのなら、花子は秋人よりも死に近いのかもしれない。


 だからこそ、こうして秋人が行くのを止めているのだろう。

 人外種オタクである彼女だから、秋人の苦しみを知る数少ない人間の一人だから、彼女はどうしても行かせる事が出来ないのかもしれない。


 だが、秋人は花子を見る事をしなかった。

 自分の進む道はそこにしかないと言いたげに、真っ直ぐに前だけを見つめて、



「んなの、友達だからに決まってんだろ」



 それは、どうしようもなく簡単な事だった。

 悩む事すら無意味で、その時間は無駄でしかなかった。


 確かに、ここで座っているだけで、佐奈に全てを任せてしまえば全てが解決するのかもしれない。

 けれど、あの笑顔が、友達の存在が消えてなくなってしまう。

 それを考えると、もう何もしないというのは無理だった。


 それは自分の死なんかよりもよほど恐怖で、耐え難い苦痛でしかない。

 明日になれば、彼女に会えないかもしれない。

 秋人だけではなく、その事実は秋人の一番大切な人を傷つける事になるから。


「最初から悩むだけ無駄だったんだ。アイツが危ない目にあってるかもしれなくて、俺はそれを知っている。だったら、見ない振りなんて出来る訳ねぇだろ」


 恐怖とは人の行動を、思考を狂わせる。

 一度とりつかれてしまえば逃げ出す事は安易ではなく、立ち上がる事すら困難だろう。

 目を閉じて耳を塞ぎ、見ない振りをして恐怖に屈するのが一番簡単な事なのかもしれない。けれど、


「佐奈さんに任せれば大丈夫だからって、それは俺が何もしない理由にはならないだろ。初めから難しく考える事なんてなかったんだよ……助けたいから助ける、それだけで良かったんだ」


 友達だから、助けたいから。

 ただそれだけで良かった。

 ただそれだけで、創秋人は立ち上がる事が出来るのだから。


 秋人の言葉を最後まで聞き、花子はコーヒーを一気に飲み干して『苦い』と小さく呟いた。

 それからカップを机の上に置くと白衣を整え、


「そうですか、では行きましょう」


「おう、行くぞ! …………って、え? 行くの?」


 予想外の反応を見せる花子に、秋人の勢い良く振り上げた拳は行き場を失う。

 最悪の場合、力強くで花子を押さえてでも行くつもりだったので、あまりにも簡単な返答にお手本のようなズッコケを秋人は見せた。


 しかし、そんな事を全く気にしない様子の花子は、白衣のポケットからおしるこを取りだし、


「行きますよ、当たり前でしょ。創さんがぐじぐじしてるのでちょっと苛々してた所です」


「いやいや、だってお前めっちゃ脅して来たじゃん」


「心配なのは本当ですよ? 創さんが死んだらそりゃもう泣いて泣いて泣きまくります。けどーーあんな事で創さんは止まらないでしょう?」


 おしるこを握る手とは反対の手で目を擦り泣き真似をする花子。それから曇りのない瞳で、揺らぐ事のない信頼を宿した瞳で秋人を見てそう言った。

 あまりにも真っ直ぐに信頼をぶつけられ、秋人は一瞬固まる。が、直ぐに照れたように笑い、


「ったりめーだ。死んでもねぇのに止まれるかよ」


「はい、それでこそ私の大好きな創さんですっ」


 屈託のない笑顔で、恥ずかしげもなくハッキリと言いきった。

 そこで止めていれば秋人の中で好感度が急上昇し、ちょっとだけなら解剖させてやっても良いかなぁという考えが浮かびかけていたのに、


「死にまくって脳細胞が減ってるんですから、熟考なんて無駄な体力の浪費はしない方が良いですよ。後先考えずに自分の信じた道だけを進む、その方が創さんらしいです」


「最後上手くまとめた感じでドヤ顔だけど完全にバカにしてるよな?」


「そんな事ないですよ。辛辣な言葉も愛情として受け取って下さい。あ、もしかして愛情だけでなく身も心も欲しいんですか? しょうがないですねぇ、一回の解剖につき一回だけお触りを許可しましょう」


「いらねぇよ、どんなサービスだっての。こっちは腹かっさばいてんのに見返りが少なすぎんだろ」


 もじもじと体をよじらせ上目遣いをする花子に、微塵のときめきすらない感じない秋人はチョップして制裁を下す。

 その後、戦いという名のじゃれ合いを済ませると、


「真田さんは一つ勘違いしてましたね。こうなった創さんは、たとえ登坂さんが諭しても止まらない。いやむしろ、最後には背中を押して送り出す未来まで見えますよ」


 秋人と奏をよく知る花子だからこそ分かる事があるのだろう。

 創秋人は、一度走り出したら死ぬまで止まらないという事を。


 やるべき事は決まった、覚悟も決まった。

 ならば、後はそれを実行に移すだけだ。

 先ほどから気になっていたパソコンの画面に目をやり、改めて乗り込む場所を確認する。

 現在、赤い点は止まる事なく住宅街らしき場所を移動している。


「ここら辺って何か研究施設とかあんのか?」


「二つか三つありますね。どれも小規模なものですが、一つだけ、周辺の研究施設でヒューマガイトについて研究している場所があります」


 横から覗き込むように花子が顔を出す。

 チカチカと光る赤い点を二人で凝視し、それが止まるのを待つ。

 その先には真弓が居て、坂本孝太を殺した犯人が居るかもしれない。ただ画面を見ているだけだが、嫌な緊張感が体を支配する。


 やがて、その点は止まった。


「なるほど、ここですが」


「知ってんのか?」


「少しですが。確かヒューマガイトを専門にして研究している施設です。代表者の名前は確か……乗本成史(ノリモトシゲフミ)、あまり良い噂は聞かない研究者ですね」


「お前がそう言うって事は相当なんだろうな」


 パラダイスに居る研究者は、誰もが花子のようではない。

 花子の良し悪しについては置いておくとして、私利私欲のために人外種を捕らえ、物のように扱っている人間も少なくはないのだ。


 敵の本拠地が分かったところで、秋人は直ぐにでも出れるように準備を始める。準備と言っても、特に纏めるべき荷物もないでとりあえず屈伸。

 戦闘になる事は目に見えてるのてま、準備運動は重要なのだ。

 そんな秋人を見て、


「あ、ちなみに私も行きますからね。今回ばかりは腸が煮えくり返ってグツグツしてますから、一言文句を言ってやらないと気が済みません」


「危なくなったら逃げろよ」


「そこは創さんが助けてくれるのでモーマンタイです。戦闘力は皆無なので、プリティな私を守って下さいね」


「プリティならもっと色気とか出して誘惑でもしてろ」


 こんな状況に居ても、花子の減らず口は健在らしい。

 前にもこんな事があったなぁ、と廃工場の事を思い出しながら部屋を出ようした時、秋人はとある事に気付く。


「何か最近お前とばっか居る気がすんな」


「愛ですね、愛でしょう、えぇ愛ですとも。私と創さんは巡り会う運命なのですよ。なので、解剖させて下さい」


「はいはい、全部終わったら考えてやるよ」


 どこまでもマイロードを突っ走る花子を頼もしいと思いながら、二人は決戦の地へと足を運ぶのだった。

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ゾンビ少年と楽園生活 山田太郎 @Yamadatarou4649

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