二章六話 『上下関係』



「奏のお見舞い行こ!」


 重い腰を上げて鞄を手に持つと、理恵が秋人の机に手をバン!と音を立てて置いた。

 多少驚いたものの、その言葉に秋人は、


「お前毎日行ってんじゃねぇか」


「だって奏が心配なんだもん」


 そういう秋人も理恵に付き合って奏の病室を訪れている。照れくさいので素直に口には出さないが、理恵に誘われなくてもそうしていただろう。


「お? それ、俺も行って良いか?」


 秋人と理恵のやり取りを見ていたのか、将兵が机の上に広げた教科書を急いで鞄に詰め込んで寄って来た。

 一応、奏が入院している事は伝えていたが、病室までは教えていなかったので、行きたくても行けなかったのだろう。


「怪我人に変な事言うなよ」


「言うなよー」


「言わねーよ。俺はレディに優しくする男だ」


 何をしでかすか知れたもんじゃないので一応釘を刺す秋人と理恵。

 将兵はばつの悪そうに苦笑いをした後に、人差し指を突き立てて謎のアピール。

 いまいち信用にかけるが、人数は多い方が奏が喜ぶと思い了承。


 今朝の写真の事もあり、秋人の将兵に対する信用のパラメーターが大きく減少しているが、とにもかくにもという事で三人で病院に行く事になった。


 三人で談笑しながら病院に向かい、病室にたどり着いた。

 着いた途端に理恵は奏のベッドに飛び乗り、


「奏、だいじょーぶ?」


「もう大丈夫だよ。それより、今日は佐藤君も一緒なんだね」


「おうよ、奏ちゃんが心配で心配で来ちまったんだ!」


 親指を突き立て、キラリと歯を光らせてキメポーズ。

 恐らく奏に対して向けられたものなのだが、当の本人は笑みを浮かべて芸術的なスルーで無視。

 流石にこれは可愛そうになり、秋人が将兵の肩に手を置いて『ドンマイ』と呟いた。


 奏の容態はどうやら心配なさそうだ。

 来る度に元気になっているらしく、来週に退院が決まっているから食べ物も普通にとれているようだ。


「それより、プールはどうだったの?」


 意気消沈している将兵を横目に、思い出したように奏が理恵に問い掛ける。


「うん! 凄く楽しかったよ。流れるプールとか、うぉーたーすらいだーとか!」


「良かったね。アキは?」


 当然の事ながら、プールの話題は一緒に行った秋人に振られる。

 理恵の話を聞き、自分の事のように楽しそうにしている奏を見て、秋人は一瞬だけ口をつぐむ。それから、言葉を選ぶように、


「あーうん、すげー楽しかったよ」


「本当に? 何か変だよ。もしかして、えっちな事ばっか考えてたんでしょ」


「ちげーよ。めちゃくちゃ泳ぎまくったつまての」


 知らない女の人のビキニを見て鼻の下を伸ばしていたなんて言える訳ないし、佐奈の胸にタッチしたなんて言える訳がないので、上手い事誤魔化すように嘘をついた。


 横にいる将兵は出来事を知っているのでニヤニヤしているが、空気は読めるようで口には出していない。

 今回ばかりは感謝の気持ちでホッと胸を撫で下ろすが、一番警戒すべきは他に居た。


「秋人が佐奈のおっぱい触ってたよ!」


 ピキ、と空気が氷つく音を確かに聞いた。

 絶対零度なんて比べ物にならない程の温度に部屋が包まれ、秋人と将兵は頬をピクピクと痙攣しながら顔面が血の気が引くの感知。


 一方、凍てつかせた本人は、ただ語っているだけなので、満面の笑みで胸を揉む仕草をしている。


「い、いやぁ、何か今日涼しいっすなぁ。ねぇ、将兵君」


「そ、そうだね秋人君。地球温暖化は改善されたんだろうね」


「うん、そうだね。これで地球は安心だね。良かった良かった」


「「あハハハハハ」」


 この状況でもしらを切るつもりなのか、男子二人は訳の分からない会話のキャッチボールを始めた。

 勿論、そんな話題転換が効く筈がなく、


「アキ、どういう事?」


 奏の笑みによって、部屋の空気は更に冷たく、真冬の吹雪を全裸で受けているような感覚に陥った。

 その瞳からは感情の光が見られず、微笑んでいるのに喜の要素が一切含まれていない。


 怖いとかそういう次元をどこかへ吹っ飛ばし、もはやそれは無の領域に突入している。

 そんな笑顔を向けられればおしまいだ。

 ゾンビの少年は大人しく地にひれ伏し、


「誠に申し訳ございませんでした」


 最高レベルの謝罪ーー土下座を披露した。

 誰もが見惚れる程の土下座に、頭を地面に何度も擦る。


「別に私は気にしてないから良いよ? ただ、佐奈さんにちゃんと謝ったの?」


「いや、それはまだなんだけど、今度会ったらちゃんと謝るつもりです」


「そうなんだ。生きてたらまた会おうね」


「いやいやいや、やめてよその死亡フラグ。今生の別れみたいになってるから」


「え? だって……」


「だって何さ。その先を聞きたいけど聞いたら絶対に後悔するから止めてね」


 頭を上げて、どうにかこうにか場を和まそうとするが、全く部屋の温度が上がらない。

 こうなったら、本気の本気で切腹くらいしなければと考えていたところ、


「もう、別に大丈夫だよ。でも、女の子の胸を触るなんて絶対にだめだからね」


 針積めた空気を元の温度に戻したのは、作り出した張本人である奏だった。

 その瞳には光が戻っており、何時も通りの周りに元気を与える事の出来る奏の笑顔だ。


 しかし、油断した所に再びーーという事もあるのでは、と謎の深読みをしてしまい、秋人は依然として床にひれ伏している。

 そんな秋人に同情し、空気を何とか変えようと将兵が背中に触れ、


「それよか、奏ちゃんの退院祝いしようと思ってんだけど、何か欲しい物とか行きたい所とかある?」


「退院祝い? そんなの良いよ。私が勝手に怪我しただけなんだし」


「だーめ。祝うの!」


 何やら大事になっているのを察知し、奏が遠慮がちに手を振る。

 それでも譲らんとしている理恵だったが、それに助太刀するように秋人が口を挟んだ。

 復活するタイミングを見つけたのだろう。


「お前が怪我したのは俺のせいだろ。それに、俺達が勝手に祝うって言ってんだから、大人しく受け入れろ」


「でも……皆に気を使わせるのは悪いし……」


「秋人の言う通りだぜ? 貰える物は貰っときな」


「そうだよ! アイスいっぱい食べれるんだよ!」


 一人だけアイス確定になっているが、これに構うと更に爆弾発言を投下しそうなので放置。

 どうあっても祝うのを拒む奏だったが、流石に三対一では勝てないと思ったのか、根負けしたように頷いた。


 元々、秋人達は断られても強硬するつもりだった。

 なので、奏の反応は正直どうでも良かったのだ。それでも彼女の了承を得ようとしたのは、心の底から楽しんでもらいたかったからだ。


「それで、何かあるか?」


 秋人の問い掛けに、考えるように奏が腕を組んで『うーん』と悩む仕草をとる。


「今は無いかな。考えとくから、決まったらちゃんと報告するねっ」


「絶対だよ! 凄く頑張るから楽しみにしててね!」


 特に思いつかなかったのか、一旦保留という形をとる奏。それに対して理恵は少し不満そうに頬を膨らましたが、奏の言葉を信じる事で納得したようだ。

 ただ、奏の場合、気を使ってそのまま無かった事にしたする可能性があるので、


「お前が忘れる毎に理恵が口うるさく言うかんな」


「う、うん。忘れないよ。そんなに記憶力弱くないから」


「記憶力の問題を言ってるんじゃねーっての」


 脅迫に近い形で釘を刺しておいた。

 これには奏も本意を見抜かれて驚き、ベッドの上でゴロゴロとする理恵の頭を撫でる事で誤魔化そうする。

 そんな様子を訝しむ目で見ながら、秋人はため息をついた。


 秋人としても、奏に対してお礼はしたいと思っている。お礼なんて仰々しい理由がなくても側に居たいのだが、そんな事を真っ直ぐに口に出す度胸はない。

 なので、もっともらしい理由を作り、彼女の笑顔を見るという作戦だ。


「それより、三人は夏休みの予定とかあるの?」


 このままだとお祝いについてしつこく追及されると思ったのか、奏が話題を変える。秋人はそれに気付き、すかさず逃げ場を無くそうとするが、そんな楽しい話題にをロリ少女が見逃す筈もなく、


「お祭りとプールに行こ!」


「うん、皆で行こうね」


 意図も簡単に話題転換を成功させた。理恵はとりあえず楽しそうな事に食いつくので、それを利用したのだろう。

 とはいえ、男子高校生である秋人としても、夏休みといえば外せない青春の一ページだ。

 主に浴衣姿の奏、水着姿の奏を目に焼き付けたいという理由なのだが。


「八月の最初の週におっきな祭りがあったよね? 花火もいっぱい上がるやつ」


「そういやそんなのあったな。夏休みは家に引きこもってるから、一回も行った事ねぇけど」


「もう、今年はダメだからね」


 秋人のだらけた生活に奏が人差し指を突き立てて異議を唱える。

 太陽に弱いゾンビの少年にとって、夏休みというのは一ヶ月間太陽を浴びずに済む期間なのだ。それは秋人とって安らぎであり悦楽でもある。

 日光を受けないという事は、ゾンビにとっては死活問題なのである。


「わーってるよ。昼間は無理でも夜は外出してやる」


「昼にこもってたら意味ないでしょ」


「そーだそーだ! プールは昼に行くもんだぞ!」


 結局、昼間は外に出ないという結論に対して、奏の理恵からのバッシング。二人は日光に弱い事を知っていながら誘うあたり、それほど秋人と遊びたいのだろう。

 日差しの危険性について力説し始める秋人だったが、ここへ追撃の一言を将兵が投げ掛けた。


「俺も秋人君と遊びたいなぁ」


「……んだよいきなり。君付けとかキモいぞ」


「ひでぇな。まぁまぁ、皆でいっぱい写真! を撮ろうぜ」


 写真という言葉を強調し、将兵はポケットから一枚の写真を取り出した。奏と理恵からは見えないように気を使っているのだが、秋人にはバッチリ写真の絵が見えた。

 自分が佐奈の胸にタッチしている写真が。


 先ほど静まったばかりの事なのに、この男は更に掘り起こそうとしている。

 何故その写真を持っているという疑問もあるが、撮った人間なのだから複製していて当たり前だろう。その写真の用途は分からないが、将兵が写真を持っている事実が問題なのだ。

 瞬時に女子二人組の視線を遮るように将兵に接近し、


「お前なんでそれ持ってんだよ」


「なんでって、こんなレア物をお前一人にあげる訳ないだろ」


「この野郎……」


「落ち着きたまえよ。別にネットにばらまこうってんじゃねぇんだ。……皆で遊ぼうぜ?」


「……分かったよ」


「そんな顔すんなって。この夏は人生で一度しか来ないんだぜ? 楽しんどいて損はねぇだろ」


 完全なる上下関係がここに誕生。

 眉をピクピクと痙攣させながら、秋人はしぶしぶ了承した。一瞬の隙をついて写真をぶんだくる事に成功したが、今度は胸ポケットから写真が参上。

 どうやら、この様子だと一枚や二枚のレベルではないのだろう。


「どうしたの?」


「面白い事?」


 まさか胸をタッチしている写真を取り合っているなど知らず、奏と理恵が首を傾げて怪訝な様子だ。

 勿論、悟られる訳にも正直に白状する訳にもいかない秋人は、


「い、いや、何でもねーよ? 皆で青春を楽しもうぜ」


 ぎこちなく口角を上げ、唇と喉を激しく揺らし、演歌歌手もビックリなビブラートと共にそう言ったのだった。


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