二章七話 『恐怖の原点』

 病室にてひとしきり会話を済ませ、時刻は六時を回ろうとしていた。

 夏休みに何をするのか会議した結果、夏の行事は全て参加する事になってしまった。花火大会やプール、後は小さな祭りといったものまで。


 花火大会は夕方から夜にかけて行われるものなので、日光対策する必要はないが、いかんせんプールが手強い。

 日焼け止めなんて通用しないし、日傘を持って行こうものなら、鬼の少女に問答無用で奪われてしまうだろう。


 とはいえ、三対一で勝てる訳もなく、結局は参加という事で落ち着いたのだった。

 そして、時間も時間なので帰り仕度を始めたお見舞い組の三人。


「また明日来るからね! 待っててね」


「うん、毎日ありがとね。理恵が来ると元気になるよ」


「私も私も!」


 奏の言葉が相当嬉しかったのか、理恵は照れ笑いを浮かべながら抱き付いた。

 微笑ましい光景に秋人と将兵は呆れながらも顔を合わせて微笑む。

 満足がいくまで抱擁をかわした後、奏の視線は男二人に向けられた。


「二人もありがと。一人だと暇になっちゃうから、話し相手が居ると凄く助かる」


「俺で良ければ何時だって話し相手になっちゃうぜ? 奏ちゃんが呼ぶならどこへでも!」


「うん、期待しとく。アキもちゃんと来てよ?」


「暇だったらな」


 心にも無い事を言って気持ちを誤魔化す秋人。

 暇じゃなくてもここ最近は毎日来ているのだが、ヘタレゾンビには素直に言う事が出来ないらしい。

 奏もどことなくそれに気付き、口に手を当てながら素直じゃない秋人に対して笑みを向けた。


「な、なんだよ」


「何でもなーい。気を付けて帰るんだよ」


 全てを見透かされたような気分に陥り、とりあえず『あはは』と渇いた声で微笑んでみる。

 二人の間、というか秋人だけが一方的に微妙な空気を感じていると、ベッドから飛び降りた理恵が手を上げ、


「じゃーね! また明日来るから」


「またな奏ちゃん」


「きっちり休んで治せよ。無理して傷開いても知らねぇかんな」


「またね、待ってるから」


 全員で別れの挨拶を済ませ、名残惜しさを感じながらも病室を後にした。



 病院を出ると、多少は暗くなっていたが夏という事もあり、まだ辺りには太陽の光が溢れていた。この程度の日差しならば走り回る事くらいは可能だが、それでも眠気に襲われて目を細める秋人。


 横に立つ理恵は、今から奏と遊ぶのが楽しみなのか、鼻を鳴らし拳を握り締めて上下に振っている。余程暇だったのだろう。

 秋人が知る範囲でも、理恵は奏以外の誰かと親しくしている所は見た事がない。


 彼女の性格上、友達が少ないという訳ではないと思うが、面倒見の良い母性本能を奏から感じとり、この人と居れば安心と分かっての行動なのだろう。


「んじゃ、俺バイトあるからここで」


 駅までの道を歩いていると、将兵が反対側の道を指差してそう言った。

 パラダイスには十八歳になったら必ず職につかなければいけないという決まりがあり、それまではある程度の援助を受けられる。だが、生活が苦しく将兵のようにバイトをしている人外種も珍しくはない。


「あぁ……何かバイトしてるって言ってたな」


「最近家賃が辛くてよ。援助だけじゃやってけねぇんだ」


「何に金使ってんだよ」


「そりゃお前、秘密だよ」


 謎のウインクからの親指を突き立ててキメポーズ。格好つけるタイミングでもないし、男が男に向かってやったとしても効果は薄い。

 勿論、秋人にはそっちのけがある訳でもないので、無理矢理親指を沈めてスルー。

 理恵は二人の様子を見て、


「奏のお祝いのためにお金貯めてるんだよね!」


「お、おうよ! 全部俺に任せとけい!」


 何やら都合の良い勘違いをしているのか、将兵に対して羨望の眼差しを向けた。そんなものを向けられれば、男にとして答えねばと本能が叫び、勢いに任せて胸を叩いた。

 しかし、その言葉を待っていましたと秋人が素早く反応。


「今言ったな? 俺も理恵もちゃんと聞いたからな。奏の退院祝いは全部お前持ちな」


「え、いや、今のはその場の勢いってやつで……」


 秋人に言われ、将兵は慌ただしく発言の撤回をしようとするが、すかさず勘違いロリ少女が有難い援護射撃を開始。


「将兵かっこいい! 秋人と違ってイケメン!」


「お、おう! 俺はイケメン!」


「じゃあお金払ってね!」


「任せんしゃい!」


 何時もならば理恵の言葉に反論して食ってかかる所なのだが、今はその気持ちをグッと堪える。

 理恵が持っている天然の魅力を最大限に発揮し、無邪気な笑顔を向けられた将兵は意図も簡単に落とされてしまった。

 そして、今この瞬間に財布役が決定したのだった。


「あ、やべっ。俺行くから、また明日な」


 めでたく財布役に任命されたところで、将兵が腕時計で時間を確認し、シフトの時間が差し迫っている事に気付き走り出して行った。

 軽く手を振りながらそれを見送ると、二人は改めて駅に向けて歩き出した。


 最近はこうして理恵と共に行動する事が多い秋人だったが、やはり気になるのは昨日の事だ。

 本人から兄が居るという話しは聞いた事がなく、理恵からそんな話しを切り出す事もなかった。

 もし、男の話が真実だとして兄妹ならば、関係はあまり上手くいっていないのだろう。


(どーっすかなぁ。家族に会える機会なんてほぼねぇから、言った方が良いんだろうけど)


 ただ、その言葉を喉で止めているのはあの男の放っていた雰囲気だ。妹に対して向けるものではなかったし、怒りなんて簡単な言葉でかたずけれるものでもなかった。

 だからこそ、こんなにも悩み考えているのだ。

 しかし、そんな事を知らない理恵は、難しい顔でうなり声を上げている秋人に気付き、


「どしたの? お腹痛いの?」


「ちげーよ。お前と違ってアイスばっか食ってる訳じゃねぇんだから」


「アイスばっかじゃないもん。お肉も食べてるもん」


「肉とアイスの組み合わせって、すげぇ食べ合わせ悪そうだな」


 謎の食生活が明らかになったところで、秋人は胸に留めていた事を話す決意をする。

 もし兄ではないならそれでいいし、兄ならばきちんと話しを聞くべきだ。そう思って口を開いた。


「なぁ、理恵って……あれ?」


 声をかけた筈の横には、理恵の姿がなかった。考えるのに夢中で歩く速度が早くなってしまい、理恵は少し後ろで立ち止まっていた。

 しかし、そこで秋人は異変に気付いた。

 何時ものようになあっけらかんとした様が、理恵の表情からは消え失せている。


「おい、どうしたんだよ」


 独特の食生活で腹を痛めたのかと思い近づいて声をかけるが返事はない。

 目を見開いて秋人の後ろを見つめている。

 この時、秋人はまた食べ物屋に目を奪われているのだろうと思っていた。

 だが、理恵の視線の先を見る事で、そんな呑気な考えは一瞬にして吹き飛んだ。


「久しぶりだな。理恵」


「お兄……ちゃん」


 理恵の兄と名乗っていた男が、そこには立っていた。




 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




 時間が停止したように、理恵の視線は目の前の男から離せなくなっていた。

 呼吸すら止まり、先程までの会話の内容すら思い出せない。

 何故なら、目の前の男はここに居る筈のない人物だから。


「お兄……ちゃん」


 理恵は自分の口から出た言葉によって、目の前の人物が誰なのか改めて理解した。

 忘れたくても忘れられない男。相良理恵という少女の中で、この男の存在だけは消しても消えない存在だったから。


「お兄ちゃんて……やっぱお前、本物の兄貴だったのかよ」


 理恵の言葉を聞き、それから目の前の男へと視線を送った秋人が目を細める。

 男は一瞬だけ理恵に目を向けたが、直ぐに秋人へと移す。


「兄だと言っただろ。俺が嘘をつく理由がない」


「そんな目で見てたら疑いたくもなんだろ」


「そんな目? 何の事だ」


「とぼけてんなよ。分かってんだろ、お前の目は妹に向けるような目じゃねぇ」


 そう言われて、男は自分の瞼に軽く触れてからニヤリと口元を歪めた。

 隠すつもりのない怒りがその瞬間に溢れ出し、秋人は理恵を庇うように目の前に立った。

 そして、ようやくそこで理恵の脳が正常に動き出し、現状を飲み込むべく回り始めた。


「秋人……お兄ちゃんの事知ってるの?」


「知ってるっつーか、プールに行った日に会ったんだよ。ほら、お前がバスで寝てる時」


「そうなんだ……」


 プールに行った日の事を思い出すが、やはり記憶にはない。秋人の言う通りに、バスで寝ている時に会ったのだろう。

 そして、少しだけ目を覚ました時に感じた秋人への違和感、その正体を理恵は今この瞬間に理解した。


「理恵、時間切れだ。俺と一緒に来い」


 前に立つ秋人など気にせずに、男は理恵に向けて言葉を放った。視線こそ秋人に向けられているものの、興味等は一切感じられない。

 あくまでも、男の目的は理恵だけにあるのだろう。


 ただ、理恵は何も答えない。

 秋人に対しては普通に言葉を紡げたのに、何故か兄に対しては言葉が上手く出てきてくれなかったのだ。

 それは恐怖であり、僅かに理恵の手が震えていた。


「……事情は良く分かんねぇけど、嫌だって事だろ」


 秋人が理恵の震えに気付いたのか、男を睨み付ける。何時もは誰に対しても怯む事のない理恵の手が震えているーーそれだけで、ただ事ではないと理解するには十分だったのだろう。


「お前には関係のない事だろう、部外者は黙っておけ。これは家族の問題だ」


「部外者だけど友達だ。家族だろうがなんだろうが、こんなに震えてる奴を黙って見てられる訳ねぇだろ」


「友達か……。下らないな、お前みたいな奴と親しくしている時間はない。その女には役目があるんだ」


 淡々と言葉を繋ぐ男に、秋人は鋭い目付きで続ける。部外者である秋人に、言葉の意味は全く分かっていない。それでも、部外者だと言われ、妹を女と言って他人のように突き放す姿が許せなかったのだ。


 理恵にだって創秋人という少年が、そういうのを許せない性格だという事は知っていた。

 何時もならば、秋人に便乗してお気楽に『そーだそーだ』と身振り手振りで言っているところなのだが、そんな余裕は微塵もない。

 今の理恵を支配しているのは、純粋な恐怖だから。


「とにかく、今のお前に理恵は渡せねぇ」


「渡すか……その女は俺達一族の所有物だ。元々お前の物ではない」


「テメェ、ふざけてんのか? 妹を所有物なんて言うんじゃねぇよ!」


 メキメキ、と拳を握りしめる音が理恵の耳に入った。声を荒げ、それだけは許せないといった様子の秋人が怒りの感情を露にする。

 しかし、男の態度は変わらない。それどころか、秋人の怒りを受けて笑みを浮かべた。


「そうか、なら……」


 小さな呟きの後、男の体が僅かに沈んだ。

 その瞬間、理恵はこの後に何が起きるかを理解し、秋人に手を伸ばした。

 だが、その行為が間に合う事はなかった。


 一瞬で距離を積めた男の爪先がこめかみに突き刺さり、バットで殴られたかのような音を響かせ、秋人の体は近くの看板に叩きつけられた。

 理恵は、その光景をただ見ている事しか出来なかった。

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