二章閉話 『赤鬼の少女』



「いや、あの、本当にごめんなさい」


 病室へと戻った秋人は、全身全霊をかけて額を地面に擦っていた。

 現在の必死さと礼二との喧嘩の際の必死さを比べれば、間違いなく今が勝るだろう。



 勝利の余韻に浸りながら帰った秋人だったが、そこには怒り心頭の奏が待ち受けていた。

 患者が一人脱走した事に病院中もパニックになり、どうやらその始末を奏が全て一人でやっていたらしい。


 それに加え、逃げ出したのが友達となれば奏の不安は更に掻き立てられたのだろう。

 秋人の元に向かったという事は分かっていたようだが、居場所も分からずに結局は病院に止まる事になり、戻って来たと思えばボロボロになっていた。

 その他諸々を含め、秋人は全力の謝罪を披露している。


「そんなにボロボロになって。また凄く無茶したんでしょ」


「い、いや、凄くって言う程でもないかなぁって思います」


「嘘。アキって嘘つくの下手だよね」


 秋人の目の前で腕を組んで仁王立ちをする奏。

 今にでも踵落としをしかねないが、そんな物理的な痛みで済ませるような人物ではない事は分かっている。


「花子ちゃん」


「はい、すごぉぉぉく無茶してましたよ。そりゃもうビックリなくらいに」


「あ、テメェ! 裏切ったな!」


 奏の呼び掛けに花子は体を震わせ、一切の躊躇いもなくチクった。

 予想外の裏切りに頭を上げて猛抗議しようとするが、奏の恐ろしい眼光にやられて大人しく土下座を継続。

 花子は秋人の斜め後ろにおり、正座こそしていないが反省の色を込めて眼鏡と白衣を外している。


「今回は私も焚き付けたらそこまで怒らないけど、やっぱりアキを一人で行かせるのはダメだね」


「いや結構怒ってる気が……」

「一人じゃなくて私も居たんですけど……」


「なに、言いたい事があるならハッキリ言って」


「「何でもございません」」


 もごもごと口を動かす秋人と花子だったが、静かなトーンから放たれる威圧感に敗北。口を揃えて素直に謝罪をし、再び頭を下げた。

 こうなってしまえば奏の怒りが収まるまでひたすら謝り続けるしかない。

 恐怖を押し殺して無心を貫こうとした時、秋人はとある事に気付いた。


(理恵のヤロウ、まさかこうなるのが嫌で残ったのか。クソ、戻って来たらアイアンクロー決めてやる)


 本来ならば一番お叱りを受けるべき脱走者ーー相良理恵はここに居ない。

 兄を運ぶという名目を得て、どうやら上手く説教をかわしたらしい。

 とてつもない被害妄想なのだが、理恵ならばやりかねないので仕方ない。


 とはいえ、逃げ切れる可能性は低いだろう。

 結局は戻ってくるはめになるし、そうなった場合は今よりも何倍もの怒りを受けるだろう。

 理恵の怒られる姿を想像し、怪しい笑みを浮かべる秋人だったが、


「アキ、もしかしてふざけてる?」


「創さんはふざけてますね。顔も体もふざけてますよ」


「おうコラ変態。それはただの悪口だ」


 怒りの矛先を移動させるべく花子がペラペラとりゅうちょうに援護射撃を開始。

 語彙力の欠片もない言葉に思わず反論してしまうが、


「二人とも、私は今真面目な話をしてるんだよ」


「「はい」」


 本格的な言い合いに発展する前に釘を叩き込まれ、肩を竦めてシュンとする二人。

 その後も奏のありがたいお叱りが数分間続き、足の痺れが限界に達しかけた頃、奏は組んでいた腕をほどいて盛大にため息をついた。


「あのね、さっきも言ったけど、今回は私も焚き付けたから責任はあると思う。でも、だからってやり過ぎるのはアキの悪い癖だよ」


「う……目の前の事に精一杯だったんだよ。本気で理恵を助けようと思ったらアレくらいやらねぇと……」


「それは私分かってる。けど、それを見て不安になったり心配になる人も居るんだよ。理恵に言われなかった?」


「……言われました」


 涙を溢しながら、理恵に言われた言葉を秋人は思い出していた。

 自分は不死身で、どれだけ怪我をしても治る。だから傷つくのは一人で良いと思っていたし、今でもその考えは変わらない。


 しかし、その考えは少しだけズレているという事にも気付けた。

 自分が傷つく事で周りも傷つく、その事実は秋人にとって重要であり、今回の件でほんの少しだけやり方を改めようとも思っている。


 そして、そこら辺を奏は分かっているらしく、理恵がそれを言った事を当てたのがその証拠だ。

 やはり奏には敵わないと思いつつ、秋人は素直に事実を受け止めた。


「以後は出来るだけ気を付けます。そりゃ、直ぐに変えるってのは無理かもしんないけど」


「うん、それが分かってるなら良いよ。私も少し言い過ぎちゃったから、ごめんね」


「何でお前が謝るんだよ」


「そうですよ、登坂さんは悪くありません。主悪の根元は創さんです……ですが、過度な行動を止めるべきだったのかもしれませんね」


 反省しているのかしていないのか分からない花子。いや、恐らく後者なのだろうが、珍しく自分の行動を反省するような言葉に、秋人と奏は目を揃えて言葉を失った。


 そんな二人を見た花子は、これまた珍しく照れたように顔を逸らし、ボソボソと要領を得ない口調で話を続ける。


「私だって反省くらいはしますよ。創さんが不死身という事は誰よりも分かっていますが、だからと言って自損覚悟のやり方を見過ごすのはちょっと……と思いました。今回の反省点ですね」


「お前って反省とかすんだな」


「失礼な、科学者とは常に反省する生き物なんですよ。前の失敗を次に生かすためには重要な事ですからね」


 秋人が関心していると都合よく解釈したらしく、花子の態度が一変し突然のドヤ顔。

 言っている事は一理あるが、付属のドヤ顔が気に入らないのでとりあえず秋人は無視。


 針積めた空気が和んで来た事を感じると、秋人はプルプルと震える足をほどいた。

 奏も一応は落ち着いたのか、行動に文句をつける事なく見守り、自分の緊張を解くかのように表情を崩した。


 完全に何時もの雰囲気へと戻りかけ、互いに笑いながら談笑を始めようとした時、タイミングを見はからったように鬼の少女が登場した。


「ただいま!」


「ただいま、じゃねーよこのヤロウ。お前のせいで……て、あれ? 兄貴はどうした?」


 ニコニコと楽しそうに笑顔を浮かべ、手を振りながら現れた理恵だったが、何故か背負われていた筈の相良礼二の姿が見えない。

 逃げられた、という言葉が頭を過るが、その割に理恵は気にしている様子がない。


 秋人と花子は目を見合せ、事情を知らない奏は首を傾げる。

 全員の様子を一通り見た後、理恵がコホンと可愛らしく咳をして、


「お兄ちゃん帰るって。このくらいの傷なら心配ない、って言ってたよ」


 礼二の真似をして声のトーンを低くして喋る理恵。

 けれど、そもそもの雰囲気が違うので全く似ていない。しかし、本人は渾身の物真似が成功したと思っているらしくご満悦だ。


「まぁ別に良いけどよ。お前はそれで良かったのか?」


「うん。久しぶりにお兄ちゃんといっぱい話せたし、私はここに残るってちゃんと伝えたから」


 理恵は晴れやかな笑顔でそう言った。

 秋人という第三者の目には異様な雰囲気の兄妹として写っていたが、理恵の態度を見るにそれは多少なりとも改善されたのだろう。

 兄と妹との関係について深く聞くつもりはないし、あれだけやって微塵も変わらないのなら無理なのだろうと納得し、多くを聞く事を秋人は止める。


 全員が揃い、改めて勝ち取ったものの大きさを感じていると、横切った理恵が奏の前に立った。

 そして、勢い良く頭を下げ、


「勝手に抜け出してごめんなさい!」


「えっ?」


「いっぱいいっぱい心配かけてごめんなさい!」


 いきなり頭を下げられるとは思っていなかったのか、奏が慌てた様子でオロオロと態度を乱す。が、腰を曲げている理恵の背中からは、秋人でも分かるくらいの反省の色が滲み出ていた。


 勿論、それを一身に受けている奏が感じない筈もなく、乱れた態度を直ぐに正し、理恵の頭に優しく手を乗せ、


「うん。すごーく心配したんだから。これからはちゃんと一言言ってから抜け出してね」


 言えば抜け出して良いのかという突っ込みは野暮なのだろう。

 僅かに肩を震わせていた理恵だったが、自分の頭に触れる優しく手に安堵の息を漏らし、


「うん! 今度からはちゃんと言うね!」


「ううん、今度からは私も一緒に行くよ。一人で無茶はダメだよ?」


「約束する!」


 タックルのような勢いで理恵が抱き付いた。

 しかし、一瞬も怯む事なく理恵の背中に手を回した奏。その姿は、心底安心するようにその暖かさを実感しているようだった。


「うらやましいですか?」


「何言ってんだお前」


「だって創さんが変な顔でニヤニヤしてたので」


「ちげーよ。これはそんなんじゃねぇ」


 そんな二人を見守っていると、横から声を抑えた花子がニヤニヤと怪しい笑みを浮かべながら接近。

 確かにうらやましいとは思っていたが、今の秋人の中にはそれよりも大きな感情が沸き上がっていた。


「良かった……って思っただけだよ」


 安心、秋人の中にあるのはそれだった。

 あれだけ散々痛い思いをして、一人の少女の居場所を守る事が出来た。

 その結果が、今目の前に繰り広げられている光景だ。


 全員が笑顔でこの場に集まれている。

 たったそれだけ、ありふれた日常の一ページでしかない。

 それでも、この価値に比べればあの程度の痛みなどかすり傷にしかならないのだ。


「ここが、俺達の居場所なんだよな」



 赤鬼の少女は、自ら楽園へと足を踏み入れた。

 自分を包んでいた地獄から抜け出すために、自分の産まれた意味を確かめるために。

 その意味を知る事が出来たのかは、秋人には分からない。


 けれど、その笑顔は、その存在は、兄の生きる意味になっていた。

 その笑顔は、誰かに笑顔を与える存在となっていた。


 自分もその一人なんだと感じながら、ゾンビの少年は微笑むのだった。


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