三章 裏切りの竜

三章一話 『夏の始まり』



 夏休みと言えば、学生ならば誰もが心踊るイベントだ。

 楽しみ方は人それぞれだが、海へ行ったり花火を見上げたり、川原でバーベキューをしたりと、一年の中でも盛り上がるイベントが目白押しだ。


 勿論、外出をせずに家にこもっている人間も居るだろう。

 ゲームをするも良し、DVD観賞をするのも良し、勉強するのも良し。

 千差万別の楽しみ方の中で自分にあった過ごし方を見つけるのも、夏休みの楽しみの一つなのではないだろうか。


 そして、ゾンビの少年もその一人だ。

 勿論、ゾンビの少年は家から一歩も出ずに、一ヶ月という時間を引きこもりに費やすタイプだ。

 自らの体を痛め付ける太陽という外敵と合わずに済む貴重な一ヶ月。


 太陽に対して過剰な弱さを誇るゾンビにとって、夏休みというのは貴重かつ癒しの一ヶ月なのだ。

 生活費を極限まで減らし、今流行りのゲームを購入。それからお菓子も大量に購入して準備完了。


 僅か一ヶ月という短い期間だが、これから始まるのは引きこもりパラダイス。

 食っちゃ寝をひたすら繰り返す……筈だったのだがーー、



「あちぃよ、マジであちぃ。洒落になんねぇからコレ」



 ゾンビの少年ーー創秋人が今居るのは、室内ではあるが自宅ではない。

 クーラーなんて宝物はなく、窓の外から照りつける日差しが室内の温度を激しく高めている。


 そんな中、机に体を預けて文句を言う秋人。

 そう、秋人が居るのは家ではなく、学校の自分の教室だ。


 本来ならば、夏休みを満喫する予定だった。

 しかし、前回のテストの点数がかなり低く、加えて最近のサボり。以上の事を踏まえ、秋人は一週間の特別補習に招待されているのだ。


 たかが一週間と言う人間も居るだろうが、学生にとって夏休みの一週間を無駄に過ごすというのは死活問題に匹敵する。

 太陽が苦手なゾンビともなれば、その問題は普通の人外種よりも大きく左右するだろう。


 決まったものは仕方ないと潔く諦めて来たのだが、その事を絶讚後悔中だ。

 ワイシャツをパタパタと靡かせ風を取り込んでいると、隣に座る一人の少女が口を開いた。


「うるさいわよ。アンタが暑い暑い言ってるとこっちまで暑くなるじゃない」


 肩にかかるくらいのミディアムカットの少女ーー上之薗真弓だ。

 同じクラスとい点以外はほとんど接点がなく、こうして二人で喋るのも初めてに近い。だが、そんな事は暑さに比べれば些細な事でしかない。


 先程から暑いという言葉を執拗に呟く秋人に苛立ちを隠せないのか、額に汗を滲ませながら目を細めて呟く。

 何時もなら三十人居る教室には、現在この二人しか居ない。

 そう、上之薗真弓も特別補修に呼ばれたはえある一人なのだ。


「だってあちぃじゃんか。大事な夏休みの一週間をこんな暑い所で過ごすとか……考えただけでもため息が止まらねぇよ」


「それはアンタが悪いでしょ。学校にちゃんと来てテストも良い点数取ってれば、こんな事にはならなかったんだし」


「それお前もな。つーか、何か意外だわ。授業とか真面目に聞いてそうなのに」


 秋人が彼女に抱いている印象は、真面目で何時も一人でいる、ただそれだけだ。

 真弓が誰かと談笑している所など見た事がないし、お昼もいつの間にか消えていつの間にか戻って来ている。


 大変失礼なのだが、そんな彼女は勉強が出来ると勝手に思っていた。

 秋人がだらしなく机に突っ伏している間も、真弓は真面目にノートに記入してる。

 ふと、何を書いているのか気になり、チラリと覗き込む。


「うわ……何かお経みたいだな」


「え? ちょ、勝手に見ないでよ!」


 恥ずかしそうに頬を染めながら、勢い良くノートを閉じる真弓。

 書いてあった事は授業に関する事なのだが、一切の改行も色ペンも使われておらず、隅から隅まで真っ黒な文字で埋め尽くされていた。


「別にそんくらい良いだろ。それより、ノートちゃんととってんじゃん」


「当たり前でしょ。それくらい普通よ。勉強しに来てるんだから、ノートをちゃんと書くくらい普通よ」


「なのに特別補修に呼ばれている、と」


 真弓の顔を見て、それから大事そうに抱き抱えているノートへと視線を移動。それから秋人は考える。

 真面目に授業を聞いていて、尚且つノートも逃さず記している。そこから導き出される答えは、


「なるほど、真面目なのに勉強出来ない感じの子か」


「う、うっさいわよ! あと、その可哀想な奴を見る目を止めなさいっ」


 真面目なのに勉強が出来ない奴が居るんだなぁ、などと感心する秋人。そもそも、ここに呼ばれている時点で彼自身もさほど変わらないのだが、そこについては気にしていないようだ。


「いやだって……俺みたいにサボってるんならまだしも、ちゃんと来てる奴が……」


「わ、笑わないでよ! アンタだってそんなに変わらないでしょーが」


「俺はやれば出来る子だし。本気出せば全然普通に点取れるし」


「前回のテストの順位、アンタと私はそんなに変わらないわよ。つまり、アンタは私と同じで低レベルなの……」


 自らの低レベルという発言が心にグサリと刺さったのか、数秒後後悔したように肩を落とした。

 秋人に関しても、明日から本気出すという典型的なダメ人間の言葉なのだが、真弓に勝っていると思い込んでいる。


「気にすんな。低レベルでも楽しけりゃ良いんだよ」


 抱き締めていたノートを机に置き、何とか見られないように腕でガードしながら真弓は反論する。


「何かその慰め方凄く腹立つ。ていうか、私は低レベルじゃないわよ。アンタよりも勉強出来るし」


「またまたぁ、強がっちゃって。低レベル同士仲良くしよーぜ」


「嫌よ。私は友達は作らないし欲しくもないの」


「勉強出来る奴が周りに居ると辛いもんなぁ。お前の気持ち分かるよ、うん」


 鞄から取り出したノートをうちわにして仰ぐ秋人。

 勝手に理解したように頷き、再び可哀想な子を見る目を真弓に向けた。


「勝手に解釈しないでよ。それより、無駄口叩いてる暇があったら課題やりなさい。終わるまで帰さないって先生言ってたわよ」


「え、マジで? 早く帰ってゲームしなくちゃいけねぇのに」


「やりたかったら早く終わらせて帰ることね。ま、私は協力しないけど」


 非常に低い場所での戦いが繰り広げられていたが、一刻も早く帰ってゲームがしたい秋人は机の中に入れた課題を引っ張り出した。

 課題その物は普通で、プリント数枚と点数の悪かったテストをノートに写すという物だ。


 ただ、その量が尋常ではなかった。

 秋人の取った赤点は五教科で、どれも二十五点とかなり低いものだった。

 今回の課題は、テストの問題をノートに写し、写した回数一回に付き一点加算されるという仕組みなのだ。


 つまり、秋人はこれから少なくとも二十五回は問題をノートに記入しなければならない。

 そんな絶望を改めて突き付けられ、入りかけたやる気スイッチが再びオフ。


「やっぱ無理。終わる気がしねぇ」


「じゃあ勝手にサボってなさい。私は早く終わらせて帰るから」


「薄情者」


「私は薄情ですよ。集中するから黙ってて」


 面倒な奴を避けるように突き放された秋人。

 先程からやらないと豪語しているが、結局は課題を終わらせないと帰れないので嫌々ながらも取り組む事にした。


 自ら進んでならまだしも、他人に強要されてやる勉強ほど辛いものはない。なので、一行終わる毎にため息を漏らしていると、それを見かねた真弓が衝撃の一言を言った。


「やる気がないのは良いけど、特別補修の最後の日にテストやるのよ? それに合格しなかったら、また七日間補習。本当に夏休み潰したいの?」


「は? そんなの聞いてねーぞ」


「先生が最初に言ってたでしょ。何も聞いてなかったのね」


 額に手を当て、ダメダメなゾンビに対してあからさまな呆れ顔でため息を吐く真弓。

 今朝の記憶を何とか探るが、日に当てられてクラクラとしていたので、ほとんど記憶がない。


 補習というのは足りないものを埋めるものであって、簡単に逃げられるものではないのだ。

 ダメ人間まっしぐらの秋人だったが、何を思ったのかこんな事を口にした。


「ま、俺ってばやれば出来る子だし、テストとか楽勝だろ。お前と違って」


 本人は何の気なしに出た発言だが、それを耳にした瞬間に真弓の眉毛がピクリと反応を示す。

 シャーペンを静かにノートの上に倒し、秋人へと視線を送り、


「流石にアンタには負けないわよ。ダラダラしてだらしなくてアホっぽい顔してるアンタにはね」


 真弓の方は完全に敵意をむき出しにし、秋人を挑発するように無理矢理笑顔を作り上げた。

 分かりやすい挑発なので、これに乗るのは子供くらいだろう。しかし、ゾンビの少年は子供なので、


「んだと? ノート書いてんのに点数低い奴には負けませんよぉ。あれ? ごっめーん、これ言っちゃダメだったっけ?」


「……べ、別に気にしてないから良いわよ? 高校生にもなって何でもかんでも嫌だ嫌だって言ってる子供には負けないから」


「だ、誰が子供だ。あれ? もしかして上之薗さんはこんな安い挑発に乗っちゃってます?」


「乗ってないけど? てゆーか、今の挑発だったんだ。アホっぽ過ぎて全然分からなかったわ」


「……なんだよやる気か?」


「……何よ、文句あるの?」


 小学生でももっとマシな言い合いをすると思うが、やっている二人は精一杯の挑発のつもりなのだ。

 挙げ句の果てには、バチバチと火花を散らせて互いに一発触発の雰囲気。


 何時もならば止めにはいる登坂奏というレフェリーが居るのだが、残念ながら今回は不在。退院はしているものの、勉強も出来て運動も出来る彼女に補習なんてものは無縁だ。


「よーし、そこまで言うならやってやろつじゃんか!」


「やるって、何を?」


 机に両の掌を叩きつけ、バン!と音を鳴らしながら体を起こす秋人。

 真弓はその音に驚きながら体を震わしたが、誤魔化すように首を傾げる。


「しょーぶだよ勝負。最後のテストで点数勝負しよーぜ。そうだな……負けた奴が勝った奴の言う事を一つ聞くとかどうだ?」


「……エロい事考えてんじゃないでしょうね」


「ば、ばか野郎! んな事考える訳ねーだろ」


 訝しむ目を向けられれば慌ててそれを否定。挙動不審な様子からはいかにも考えてましたという雰囲気が丸出しなのだが、悟られないように話の軌道を無理矢理変える。


「なんだなんだ、ビビってんのか?」


「はァ? ビビってる訳ないでしょ! アンタなんか余裕よ余裕。ケチョンケチョンにしてあげるわ」


「ケチョンケチョンて……。約束だかんな、負けたら言う事聞けよ」


「良いわよ! やってやろーじゃないの。アンタこそ、負けた後に言い訳すんじゃなあわよ」


 と、意図も簡単に秋人の策略に乗っけられた真弓は勝負に同意。

 鼻を鳴らしてやる気まんまんな真弓に、秋人も負けじと腕を組んで対抗している。


 こうして真夏の補習テスト大決戦が始まったのだった。


 ちなみに、無駄な会話をした事で時間を失い、それについて真弓から抗議を受けたのは言うまでもないだろう。


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