二章十六話 『頑張れ』
喧嘩は終わった。
互いに死力をつくし、持てる全てを出し尽くしたと言っていいだろう。
片方は意識が途切れコンクリートの地面に横たわり、片方は腕の骨が折れて筋肉が千切れている。
秋人の方は見た目だけて言えばさほど大事ではないが、受けた傷を加味するのなら何度死んだか知れたものじゃない。
しかし、それでも勝ったのは秋人だ。
「……俺の勝ちだな。理恵はここに居る」
聞こえているのかどうなのか、礼二は横たわったまま返事がない。
全ての顛末を見届け、日本目のおしるこを飲み干した花子が礼二に近付いて行く。
そして、何を思ったのか指先で頭をツンツンとつつき、
「完全に伸びてますね。創さんのビクトリーです。いやぁ、一時はどうなるかと思いましたけど、何時見てもイカれた行動としか言えませんね」
花子は秋人の砕けた腕を見て、ため息混じりに呟いた。
痛みが腕の内側から激しく暴れ、立っている事すらままならないが、地に腰を下ろさずに口を開く。
「この位やんなきゃ勝てる訳ねぇだろ。それにどうせ治るんだ、今だけ我慢すりゃどうにかなる」
「その発言を登坂さんが聞いたらどうなるのやら。ま、今回はナイショにしといてあげます。貸しですよ、貸しですからね、貸しですよ」
俳句の五七五のリズムで見返りを要求する花子。
言い返したい気持ちはあるものの、実際に奏に知れたらこっぴどく怒られてしまうだろう。なので、今回は大人しく黙る事に徹する。
ともあれ、勝ちは勝ちだ。
礼二との約束がある限り、理恵はこのパラダイスに居続ける事になる。
秋人は自分の勝ち取った物に満足しながら息を漏らした。が、
「ばーか! 何でそんなに無茶してるの!」
横からロケットのような勢いで飛んできた理恵の頭突きが、秋人の横腹に突き刺さる。
完全なる不意打ちに加え、度重なるダメージに思わず地面に倒れ込む。
「いッてぇなお前! 今の見てただろ!? 俺スゲェ重症なの、もっと丁重に扱えよ!」
「見てたよ! 見てたから怒ってるんだもん! 無茶し過ぎだよ」
「この位大丈夫だっての。つか、止めろ! 頭を揺さぶるな!」
満身創痍であるゾンビ君には既に自力で立ち上がる体力はすらない。しかし、理恵は構わずに秋人の胸ぐらを掴み、グワングワンと激しく揺さぶる。
三半規管が崩壊するの拒み、必死に抵抗するが勿論片腕で敵う腕力ではない。
「良くないもん! 秋人が死んだら嫌だもん!」
「だから死なないっての! 俺不死身! めっちゃ丈夫なの!」
「そうじゃないよ! 死ななければ良い訳じゃないの!」
「奏見たいな事言いやがって。だから、俺は大丈夫だって……お前、泣いてんの?」
そろそろ意識が天へと飛び立とうかという頃合いに、秋人は理恵の頬に流れる涙を見た。
理恵自身も怪我をしているし、鬼だからと言って痛みを感じない訳ではない。
そんな状態にありながら、理恵は死にかけていた秋人を心配して涙を流していた。
「泣いてるよ! 私のせいで誰かが死ぬのはもう嫌なの。だから、無茶しないで……」
胸ぐらを掴んでいた力が弱まり、理恵は力が抜けたようにその場にへたりこんだ。
瞳に目一杯の涙を溜め、死力を尽くした少年を労うでもなく、ただその命がある事を喜ぶように。
そんな目をされれば、秋人は大きな罪悪感にかられてしまう。
今までだって何度も無茶をして奏に口煩く言われて来たが、自分の無茶に対して涙を流す人物を見るのは初めてだったからだ。
「あきひと……死んじゃ嫌だよ」
「……大丈夫だ。俺は死なねぇよ。あと、心配かけて悪かったな」
うつ向く理恵の頭に手を乗せ、秋人は静かに言葉を紡いだ。
もしかしら、奏だって泣きたいくらいに心配していたのかもしれない。
だとしたら、こんな無茶はするべきではないと、秋人は微かに自らの行いを後悔した。
「絶対だよ?」
「おう、絶対だ」
「絶対の絶対だからね?」
「絶対の絶対だ」
「うん。分かった。アイス奢って」
「何でだよ。繋がりが全く見えねぇわ」
秋人の言葉に満足したのか、突然食料の要求をする理恵。
それに対し条件反射によって突っ込んでしまう秋人。
二人の間に何時もの雰囲気が戻った所で、どちらともなく表情を和らげて微笑んだ。
そのままひとしきり笑い合い、秋人の腕が完全に再生した頃、理恵は『あっ』と声を上げて何かを思い出したように手を叩き、
「奏に何も言わずに出て来ちゃった」
「は? そういや何でここに居るんだよ。もしかして脱走したの?」
「うん、窓から飛び降りた。入り口から出たら奏に会っちゃうから」
つまり、奏は現在一人で病院に居るという事になる。勝手に飛び出した病人と、服がボロボロの少年。
それを見た奏がどんな反応を示すのか。
その答えは極簡単。なので、秋人と理恵は同時に表情を曇らせた。
「まぁ、あれだ。二人揃って仲良く怒られようぜ」
「やだよ! 奏怒ると怖いもん。怒られるなら秋人一人にしてよ」
「ふっざけんな! 脱走したお前も同罪だかんな」
「秋人のせいって言うもん!」
どちらが怒られるのかで言い合いが始まりかけた時、蚊帳の外で不満そうに頬を膨らませていた花子がわざとらしく咳払いをした。
「和気藹々とした雰囲気は良いですけど、この方はどうするんですか?」
秋人と理恵の視線は花子の指先に集中。
その先には勿論、完全に意識を失って倒れている礼二が居た。
「赤鬼は珍しいので私の研究室に持ち帰るのも良いですが、流石に私はそこまで空気の読めない女じゃありませんよ! あ、ちなみに私は三ヶ島花子と言います。相良理恵さんですよね? 今度解剖させて下さい」
後半の発言は空気を読まない処か自己紹介と謎の提案をしている。本人は平常運転なので気にしておらず、理恵に至ってはそもそも何を言っているのか分かっていないようだ。
「花子? よろしくね」
「はいはいよろしくです。実は同じクラスなんですよ」
「そうなの? 見た事ないや」
「私引きこもりなので学校にはほとんど行ってませんからね」
バカとバカが科学反応を起こし、話の流れが完全に脱線。
喧嘩をしていた相手とはいえ、流石にこのまま放置というのはあまりにも可哀想過ぎる。
秋人はため息をついて嫌々ながらも、
「どうせ病院に戻るんだ、ソイツも一緒に連れてくよ。流石に負けたのに連れ戻すなんて言わねぇだろ。……言わないよね?」
「分かんない。お兄ちゃんしつこいから」
しつこさは嫌という程理解しているので、願わくば止めてくれと天に祈る秋人。
グッタリと伸びているという事もあり、体重が倍増しているが何とか背負う。
自分で殴った相手を背負うというのはかなり違和感があるのだが、ここまで来れば仕方ないと納得。
早く休みたいので歩き出そうとするが、
「ねぇねぇ秋人」
「あ? どっか痛むのか?」
「ううん、違うよ。あのね、お兄ちゃんは私が運ぶ」
「……別に構わねぇけど……良いのか?」
とりあえず勝負はついたので礼二を許してはいるが、理恵はどうなのか分からない。
知らない過去に何かがあったという事は察したが、それがどれ程のものなのかは知らない。
なので、理恵は許せているのかーー秋人が気にしているのはそれだ。
しかし、当の本人は全く気にする素振りを見せず、秋人に背負われている礼二へと手を伸ばした。
「大丈夫だよ。お兄ちゃんに言いたい事もあるから、先に行ってて」
「……分かった。病院で待ってる」
素直に了解というか迷ったが、険悪な関係といっても家族に会える機会はそうそうない。
少し悩んだ挙げ句、理恵を信じる事に決め、花子に声をかけて先に廃工場を後にしたのだった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
秋人達が去ってから三十分程経過した頃、礼二は重い瞼を持ち上げた。
骨が軋み、頬には言葉にし難い痛みが熱として現在も蠢いている。
天井を見上げ、混乱している記憶を探ろうとするが、その答えは直ぐに分かった。
「起きた?」
自分の頭の真上、つまり目の前に妹の顔があった。
礼二は今がどういう状況なのか考る。寝転んでいる筈なのに後頭部に柔らかい何かがあるので、どうやら膝枕をされているらしい。
体を起こそうとするも、身体から痛みという悲鳴が上がりそれを拒む。
そして、礼二は何故自分がこんな無様な様子になっているのかを思い出した。
「そうか、俺はあの男に負けたのか」
「うん、そうだよ。秋人の勝ちだよ」
ボロボロに負けた兄を前にして、理恵はその喜びを隠さずに笑顔と共に伝えた。
礼二にとって、理恵のそんな笑顔を見るのは初めてだった。いや、幼い頃、初めて会った時に見せた笑顔に似ているが、それとはまた別のものだった。
悔しさと虚しさ、そして何か別の感情が心中で渦巻き、礼二は理恵から顔を逸らした。
思えば、こんなに妹の顔を近くで見たのは今日が初めてだったかもしれない。
礼二はそんな考えが頭に浮かび、ますますこの状況が苦痛になっていた。
しかし、理恵は全く気にする様子もないまま口を開いた。
「あのね、私はお兄ちゃんの事大好きだよ。いっぱいぶたてれ嫌な思いも沢山したけど、お兄ちゃんの事嫌いになった事なんてないよ」
その言葉を聞いて、礼二は眉間にシワを寄せる。
今の礼二にとってその言葉は慰めになんかならず、余計にプライドを傷つけるだけだった。
「そんなお世辞はいらない。俺はお前に対してやった事を後悔なんかしていないぞ。謝罪だってするつもりはない」
「別に良いよ。謝って欲しい訳じゃないから」
「だったら何故そんな事を言う」
「うーんとね……分かんない」
理恵は頬に指を当てて悩むが、結局答えが出なかったらしく、それを隠す事もせずに言葉にした。
それから目を伏せ、笑顔の消えた顔で続ける。
「お兄ちゃんだけじゃないよ。お父さんもお母さんも大好き。今は会えないけど、また会いたいって思ってるよ」
「無理だな。この腐った世界じゃそんな些細な願いさえ叶わない。だから、だから俺は決めたんだ。この世界を変えると、そのためにお前を鬼の長にすると」
「ごめんね。それは無理だよ。私は長っていうのにはなれない」
言葉こそ謝っているが、理恵の顔には罪悪感などなかった。
そもそも言葉の意味を理解していないという事もあるが、明確にハッキリと、なれないと口にした。
礼二にとって、理恵を一族の長にする事が全てだった。
自分は長にはなれないと告げられた日からずっと、理恵を強くする事だけに全てを捧げて来た。
やり方こそ間違っていたかもしれないが、礼二なりに一族の事、そして理恵の事を考えての行動だったのだ。
しかし、それは叶わない事となった。
なにも知らない部外者によって、礼二が今まで積み重ねて来た事が全て壊されたのだ。
「俺にはお前が分からない。何故お前は我慢出来る? こんな世界で、小さな世界に閉じ込められて、何故そんなに笑っていられるんだ」
この世界は窮屈な物だった。
生まれた時から役目を与えられ、人間のように気軽に散歩する事すら許されない世界。
自由も尊厳もなくて、窮屈でつまらない世界。
そんな世界で何故笑っていられるのか、礼二はどうしてもそれが分からなかった。
たが、理恵は、
「小さくないよ」
自由もない世界は小さくないと、そう言ったのだ。
礼二は目を見開いて固まる。
しかし、理恵は尚も言葉を続けた。
「美味しい物はいっぱいあるし、まだまだ楽しい事だっていっぱいあるの。私にとっては全然小さくなんてないよ」
「そんなのはまやかしだ! 与えられた物でしかない」
人外種に与えられるのは、小さなパラダイスという都市で一生を終える権利だけだ。
見てくれこそ外の世界と変わらないが、その本質は全く異なる。
管理され支配され、そこに自由なんて存在しない。
そんな世界を礼二は変えたかった。
その考えは恐らく間違ってはいないのだろう。
秋人にしろ奏にしろ、人外種は少なくともその日を夢見て今日という一日を生きている。
だが、理恵は違った。
「小さくても大きくても、自由がなくてもあっても、そんなの関係ないよ。皆が居る所が私の世界なの。私はね……皆が居ればそれだけで良いんだよ」
「そんな偽物、お前は見なくて良いんだ。本当の自由を求めてれば良いんだよ」
「いらない。そんなのいらないよ」
相良礼二は、何度も理恵の笑顔を奪った。
それは礼二なりに考えたが末の行動であり、そこに後悔なんてない。
ただ一つ、心残りがあるとすれば、外の世界を妹に見せてやる事が出来なかった事だ。
父親や母親、そして自分の時代には自由なんてなかった。
でも、だから、産まれてくる妹には、広くて綺麗な世界を見せてやりたかった。
そのためなら何でもすると決め、妹を傷つける事さえやってのけた。
だけど、そんな物はいらないと、理恵はそう言った。
理恵は礼二の本心なんて知らないだろうし、礼二だってそれを誰かに言うつもりはない。
それを口に出していれば何かが変わったのか?
礼二はそんな事を考えて、直ぐに邪念を捨てた。
そんな筈はないと、いや、自分の行動は間違ってなかったと、そう思いたかったのだ。
「俺はーー」
「お兄ちゃん」
弱音を吐きかけた時、理恵は礼二の言葉を遮った。
妹は兄の目を見つめ、無邪気な笑顔を浮かべてこう言った。
「お兄ちゃんが本当に自由な世界を作ったら、私は皆とその世界に行くよ。だからーー頑張ってね」
「ーーーー」
「お兄ちゃんなら出来るよ! だって凄くつよいもん。あ、でも佐奈の方が強いのかな?」
どこまででも自分勝手だと、礼二はそう思った。
それと同時に、理恵には敵わないと思ってしまっていた。
自らの役目を投げ出し、他人にそれを押し付けた。
それなのに、頑張れと。
でも、礼二の心の中は不思議と晴れていた。
その言葉は、礼二が妹から送られた初めての応援だったから。
自分のやり方は間違っていたのかもしれないけど、妹は否定せずにそれを貫けと言った。
そこまで深い事を考えての発言ではないかもしれないが、その言葉が礼二の心の底に染みて行くのを感じていた。
「後ね、お兄ちゃんと秋人は仲良く出来ると思うの。しつこい所とか似てるし!」
「俺がアイツと? ……ありえないな。絶対に」
相良礼二は、相良理恵の笑顔を奪った。
そして、その笑顔を再び与えたのは、あのゾンビの少年なのだろう。
自分とは違う強さをもった少年。
その少年が妹に与えた物は、自由な世界なんか比べ物にならない宝物だったのだ。
「ーーあぁ、本当に笑わせてくれる」
その時、礼二は自分の頬が緩むのを感じていた。
その顔は次第に和らぎ、笑顔と呼べるものに変わった。
妹を傷つけ、その度に傷つく心を表情と共に押さえつけていた兄は、この時初めて微笑んで見せたのだった。
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