二章十五話 『ゾンビの戦い方』



「その人は不死身ですよ」


 言葉の直後に、礼二の頭が激しく揺れた。

 横から突然現れた衝撃を正確に理解する隙もなく、その体は大きく横に吹っ飛ばされた。

 体を激しくコンクリートに叩きつけられ、礼二は改めて自分が殴られたのだと把握した。


「……なん、だ」


 殴られた事により口の中が割け、上手く言葉が発せられなくなっていた。

 理恵の拳を受けても顔色を変えずにいたのに、今の一撃に耐える事が出来なかった。

 理恵は自分が押さえつけていた。それを見ていた金髪の少女は全くの脅威ではない。


 ならば、自分を殴ったのは誰だ。

 礼二の頭の中はその疑問で満たされた。

 礼二の人生の中で、こうして殴られてダウンしたのは父親以来だった。

 血の塊を吐き出し、膝をついて体を起こす。

 そして、ようやく自分を殴った存在を理解した。


 頭を砕いた筈のゾンビの男が、そこには立っていた。


「大丈夫か? わりぃな、再生するのに時間がかかっちまった」


 その少年は礼二に目もくれず、倒れている理恵へと手を伸ばした。

 理恵は死んだ筈の少年が生きている事に驚いたのか、目を見開いて口をパクパクとしている。

 それでも、生きているという喜びが不安を勝ったらしく、差し伸べられた手を握って立ち上がった。


「あきひと? 何で生きてるの!」


「いや何でって、そりゃ不死身だからに決まってんだろ」


「だって頭ぐちゃって! ぺちゃんこのべちゃくちゃになってたよ!」


「知りなくねぇから言わんで良い。つか、この程度で死ねたら苦労してねぇよ」


 理恵の言葉で自分の頭が相当グロテスクな事になっていた事を理解したのか、ゾンビの少年はあからさまに嫌な顔をして舌を出す。

 会話をする二人の間には先ほどまでの殺伐とした空気はどこへやら、普通の高校生のような雰囲気が漂っていた。


 そんな二人を見て礼二は顔をしかめた。

 そん事がある筈がないと、口から言葉が滑り落ちる。


「ありえない……」


「あ? 何がだよ」


「俺がお前の拳で膝をつく事なんて、絶対にありえない」


「残念だったな。間違いなくお前を殴ったのは俺だよ」


 礼二の言葉を、ゾンビの少年は簡単に否定した。

 しかし、それでも納得する事は出来なかった。

 酸素を絶ち、首の骨を折り、終いには頭を砕いても生きている事に対して多少の驚きはあったが、それはあくまでも不死身だからだ。


 目の前の男の警戒すべき点はただそれだけの筈。いや、礼二にとっては不死身という特異体質も、さほど危惧する事ではない。

 そんなものでは埋まらない差が、確かに礼二と秋人にはあったから。

 しかし、礼二はここである事に気付いた。


(腕が……壊れている……?)


 そう、殴った筈の秋人の腕がボロボロに壊れていたのだ。

 人差し指と中指は変な方向へ曲がり、拳は内出血によって色が変色し、手首から上も僅かに青くなっていた。


 最初はその様子に戸惑ったものの、礼二は直ぐにその正体にたどり着いた。


「そうか、そういうことか。不死身の特性を利用し、本来なら耐える事の出来ないレベルの不可を腕にかけた。その結果がそれだ」


「あぁ、これか。別に難しい話じゃねぇよ。ゾンビパワーだ」


 礼二の問いかけに秋人は冗談ぽく壊れた右腕を上げ、痛みに苦しむ様子を笑顔で消して見せた。

 恐らく、秋人は自分の肉体が壊れる事もいとわず、一切の手加減を省いて殴ったのだろう。


 ただ、礼二には分からなかった。

 何故、目の前少年はそこまでして理恵を助けようとするのかが。

 あれだけボロボロになって、二度の死を経験し、今も肉体を投げ売ってでも理恵を守ったその理由が。


「……いや、どうでも良い。まだ勝負がついてないというなら、今度こそお前を殺すだけだ。そうすれば、お前も止まるだろう」


 自分の頭を埋め尽くした疑問を振り払い、解決策を瞬時に見いだす。

 簡単だ。目の前の男を殺してしまえばいい。

 難しい事ではなく、たったそれだけで全てが終わるのだから。

 拳を締め、今度こそ不死身の少年の命を奪うべく意思を固める。

 倒すべき敵は目の前にいる。

 それを排除してしまえば、全てが丸く収まるのだから。


 己の内に溜め込んで来た殺意を振り絞り、今まで学んで来たありとあらゆる技を使い命を絶つ。

 そのためだけに、相良礼二の肉体は今存在している。


 しかし、ゾンビの少年はそんな脅威を見ても怯まず、治りかけている拳を礼二に向け、ほんの少しだけ頬を緩ませ、


「ここからが本番だ。俺を止めたきゃ殺してみろ」


 そう言って、戦う意思を証明して見せた。




 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




 実際、礼二の言っている事は的を射ていた。

 秋人のやった事といえば、ただ全力で殴っただけだ。

 手加減も躊躇いもなく、それこそ腕が千切れても構わないという意思をもって拳を振るった。


 その結果、限度を超えた酷使に耐えきれなくなり腕は骨折した。

 全力で殴るというのは言葉にしてみれば簡単だが、実際にコンクリートを思い切り殴れと言われ、やるとなれば別だろう。


 間違いなく躊躇はうまれるだろうし、チャレンジしたとしても脳がそれを拒否してしまう。何故なら、壊れる事が分かりきっているからだ。

 しかし、創秋人はそれをやってのけた。

 自ら痛みに飛び込むというのは、それ相応の覚悟を必要とし、頭で分かっていても行動に移すとなれば意味が変わってくる。


 それでも、たとえ苦痛にまみれる事になろうとも、秋人は理恵を助けると決めたのだ。


「「理恵は必ずーー」」


 二人が同時に咆哮を上げた。

 これから始まるのは、死力をつくした戦い。

 そもそも、人を殺そうとしているのだから喧嘩なんて小さい話では纏める事は出来ない。

 だが、そんな事はどうでもいい。

 そんな次元はとっくに過ぎているから。

 今はーー、


「守るーー!」

「連れ戻すーー!」


 目の前の壁を乗り越える、そのためだけに全力を尽くすべきだから。


 同時に飛びだした二人の拳が交差。お互いの拳がお互いの顔面に突き刺さり、両者同時に顔が弾かれる。

 その瞬間、骨が砕ける鈍い音が二人の鼓膜を叩いた。

 砕けたのは秋人の腕だ。


 治った直後に再び右腕を使用し、先ほどと同じように手加減無しの一撃を叩き込んだ。勿論、その結末として腕は粉砕。

 しかし、その一撃は礼二の脳を揺さぶる一撃となった。


「ゴフ……!」


 僅かに膝が折れ、フラフラと後ずさる。

 秋人も同じように意識が飛びかけるが、腕を伝って体の中で暴れまわる痛みがそれを引き戻した。

 左の拳を礼二の腹へと打ち込む。

 こちらも腕が粉砕し、秋人は両腕を失った。

 だが、


「まだ、終わってねぇぞーー!」


 体を巡る激痛はアドレナリンなんかで誤魔化せる度合いは既に越えている。だから、足りない部分は根性と気合いでどうにかした。

 再生途中の壊れた腕を使い、まともに握る事すら出来ないまま礼二の顔面に向かって叩き付ける。


 まともに直撃したその拳は、礼二の体を後方へと大きく弾き飛ばした。

 しかし、倒れる直前に体をひねり体勢を無理やり整えると、再び秋人に向かって突撃を開始。


「邪魔だ! 何一つ知らないくせに、何でお前は俺の邪魔をするんだ!」


「何か知らなくちゃ誰も助けられないのかよ! 困ってたから、泣いてたから、それだけで助ける理由なんて十分だろ!」


 礼二のしょうていを顔を逸らしてギリギリで回避。そのまま頭突きを叩き込こむ。

 首が折れたらまた再生まで時間がかかるので、こちらは通常通りの一撃。

 だが、今の礼二にはその一撃でさえダメージとしては十分だった。


「お前のやってる事は俺達一族を滅ぼす事になるんだよ! お前は、こんな小さな世界で満足なのか!」


「満足に決まってんだろうが! 友達が居て、皆と笑ってられる。それだけで十分だろ!」


 礼二の拳が秋人の腹部を撃ち抜く。

 込み上げる嘔吐感を歯を食い縛る事で止め、直ぐ様反撃の一撃を拳を放つ。

 激しい殴り合いの中で、秋人は坂本孝太を思い出していた。


 彼もこの小さい世界が納得出来なくて、たった一つの家族に会う事を望んでいた。

 人外種は管理され実験材料として扱われている。

 秋人だってそんな事は納得出来る筈はなかった。

 けど、そんな事は気にならない程に、秋人の周りには大事なものが沢山あった。


「お前がやってんのは理恵の世界をぶっ壊す事なんだよ! お前達の一族がどうかなんて知ったこっちゃねぇ。でもな、兄貴だったら、誰よりも妹の幸せを願ってやれよ!」


「これがアイツの幸せなんだ! 俺と共に来る事が、一族のために一生を終える事が! もっと大きな世界を救い、変える事になる!」


「それはお前の幸せだろ! 理恵の事なんか何一つ考えずに、これが一番だって押し付けてるだけじゃねぇか!」


 伸ばした腕を掴まれ、懐に潜り込んだ礼二の拳が顎を跳ね上げた。

 そのまま無防備になった顔面へフックが横から撃ち抜き、ぐにゃりと視界が歪む。

 しかし、秋人は倒れない。


「……アイツの幸せはアイツが決める。お前は黙ってそれを見守る事も出来ねぇのかよ。アァ?」


「何度も言わせるな。これは赤鬼として生まれたアイツの義務だ」


 膝をついて礼二の顔を見上げる。顔面が痣だらけになり、瞼の下が避けて血が垂れていた。

 一方、秋人は殴られた直後から再生が始まり、所々に傷はあるもののそこまでの重症ではない。


 しかし、治るのは怪我だけであり体力は元には戻らない。

 肩を揺らしながら呼吸を整え、尚も秋人は言葉を投げる。


「その義務ってのにどんだけの意味がある。そんなのはお前達が勝手に決めた事だろうが。理恵が望んで引き受けたものじゃない」


「そうだな。だから何だ? そんなのは理由にならないんだよ。理恵は俺の妹として生まれた。だからアイツなんだ。たまたまだろうが運だろうが、それが現実だ」


「んな事は分かってるよ……だから俺が戦ってんだろ。その下らねぇ運命をぶっ壊すために」


 今の秋人は、坂本孝太に似ているのかもしれない。

 誰かの幸せを踏みにじってでも自分の意思を貫こうとしている。

 その誰かの幸せというのは礼二達赤鬼の一族で、大きい目で見ればその方が正解なのだろう。


 だが、そんな事はどうでもよかった。

 誰かにとっては不正解だとしても、創秋人という少年にとってはこれが正解なのだ。

 礼二の幸せを踏みにじって理恵の幸せを勝ち取る。

 これが間違っているとしても、秋人が助けたいと思ったのは理恵だから。


「俺はお前の意思を叩き壊すぞ。正解不正解なんてどうだっていい。これが、俺のやりたい事だから!」


「あぁ、それでいい。弱い奴が強い奴に従う、それが俺達鬼だ!」


 言葉の直後、秋人が勢いよく立ち上がる。

 そのまま腹の横で作った握り拳を全力で放った。

 礼二もその拳に自分の拳をぶつけ、骨と骨が砕ける音が工場の中に響き渡った。

 だが、どちらも顔色一つ変えずにもう片方の腕を振り上げる。


「「オォォォォーー!」」


 咆哮、雄叫び。

 文字通り、全身全霊の一撃を死力をつくして叩き込む。

 バチン!とゴムが切れたような音と共に、秋人と礼二の体は激しく後ろへと吹き飛んだ。


 コンクリートに体を擦り、ゴロゴロと何回転もしてようやく止まる。

 お互いに意識は混濁し、戦うべき相手を正確に認識する事も出来ていないだろう。

 しかし、秋人は立ち上がる。


 何故なら、これがゾンビの戦い方だからだ。

 何度も打ちのめされでも立ち上がり、たった一つの勝機を信じて戦う。

 不死身の少年はそうして今日まで生きて来たのだ。

 だからーー、


「ゾンビを舐めんじゃねぇ!」


「弱い奴は黙っていろ!」


 その求めていた勝利が、今目の前にある。

 だから駆け出した。満身創痍なんてのは既に通り越し、何度死んだかは分からない。

 けれど、今こうして立っているのだから、やらなければいけない事は分かっているのだから。

 だから走る。


「な、にーー!」


 相良礼二は不死身ではない。

 度重なるダメージは、たとえ鬼と言えど耐えれるものではなかったのだ。

 理恵が打ち込んだ蹴り。それが今こうして、礼二の動きを鈍らせる事になった。


 そして、


「これで、終いだァァァーー!」


 秋人は全体重を右の拳に乗せ、礼二の顔面へと叩き込んだ。真っ直ぐに伸びたそれは、的確に頬に激突。

 ベキベキと骨が折れ、筋繊維が千切れる音が耳に入る。

 しかし、この一撃だけは、たとえ腕が消し飛んだとしても振り抜く。


「秋人、頑張れぇ!」


「ッたりめぇだーー!」


 理恵の声が聞こえた。たったそれだけで、秋人は痛みを忘れる事が出来た。

 だから、その拳を振り抜いた。


 礼二の体は衝撃によって壁まで飛び、激しく背中を強打。

 そのまま地面に倒れ込み、ピクリとも動かなくなった。


 泥仕合も良いところだが、こうしてゾンビと鬼との喧嘩は終演を迎えた。


 ーーゾンビの少年は、赤鬼の少女の楽園を守ったのだ。


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