一章七話 『油断の結果』
ーーその異変に気付いたのは、秋人達だけだった。
異変に気付かず買い物を楽しむ人々は、何も変わらない日々を過ごしている。
この野菜は新鮮か?この肉はもう少し値引き出来ないのか?明日は何が安いのか?
そんな会話を楽しみながら。
意図せずとも、自分が非日常に足を一歩踏み入れている事にも気付かずに。
「ーーーー」
時間が止まったように、静寂が三人の頬を掠める。
視線の先に立っている人物は、獲物を見つけた獣のように三人を睨み付けている。
いや、正確には真ん中に立つ秋人を、だ
ただ、秋人はそれが通り魔だと認識するのに時間がかかった。
今回はフードをしておらず、声だけで判断したのだ。
そう、通り魔だと判断出来る箇所がそれだけだったから。
いや、もしあの時フードを被っていなかったとしても、秋人は目の前人物を通り魔だと一目で見抜く事は難しかっただろう。
ーー左目が、無くなっていた。
顔面は歪な形に変貌しており、体の至る所から鋭利な針と見られる物が飛び出している。
しかし、それが放つ殺気だけは、先日感じたものと紛れもなく同じだった。
「……通り魔」
始めに口を開いたのは奏だった。
それが通り魔だと理解するのに数秒の時間をゆうしたが、こちらも秋人と同様の理由で相手が通り魔だという結論にたどり着いた。
「ミツケタミツケタミツケタミツケタ」
「何言って……んだ」
執拗に何度も同じ言葉を繰り返す通り魔。
その意味が分からず、秋人は警戒心を更に引き上げる。
こないだは『帰る』、そして今回は『ミツケタ』。
その関連性は分からなかったが、ただひとつ。
その言葉は秋人一人に向けられているものだというのは分かった。
通り魔は秋人を探していたのだろう。
その理由は皆目見当がつかないーーという訳でもなく、恐らく顔を見られたと思って秋人を探していたのだろう。
脳内であらゆる可能性を模索、そして整理する。
(多分、狙いは俺だ。甘かった……顔見られたら口封じとか、ドラマとかでも良くあるじゃねぇか)
最悪の想定が目の前で実際におきている。
警戒していればどうにかなったとはいえないが、それでも、この状況はあまりにも突然すぎる。
「秋人……あれ、凄く危ないよ」
何時もは相手が誰であれ物怖じしない理枝が、多少なりとも恐怖を感じているらしく一歩後退る。
「分かってる。俺が合図したら走って全力で逃げろ」
「絶対にだめ。アキが不死身でも」
緊迫感が胸を締め付け、呼吸が荒くなる。
選択肢は二つ。
このまま逃げるか、向き合って取り押さえるか。
しかし、逃げた場合、この男は素直について来るだろうか?
否、推測が当たっているとしたら、男はこの場で暴れだしかねない。
それだけはだめだと、秋人は拳を握り締めた。
身を呈してでも押さえ込むーーこれが最善だと覚悟を決めた。
「ウゥ……ミツケタ」
ゼンマイ仕掛けの人形のように首を傾け、ケラケラと笑った。
そして、狙いを定めるように秋人へと掌を向けーー地面を蹴って走り出した。
「ーーッ!」
迎え撃つように数秒遅れて秋人が飛び出す。
今、引くという選択肢はない。
一撃を受け止め、身体中に毒が回って意識が途切れる前に何としても押さえ込む。
通り魔と激突すまでの数秒間、頭の中で何度もイメージを重ねた。
そしてーー激突。
男の伸ばした手を直前で頭を横に倒して往なす。
そのまま懐に飛び込み、硬く握り締めた拳で通り魔の顎を跳ね上げた。
綺麗に顎をとらえた秋人の鉄拳は、通り魔の動きを止めるには十分だったようで、大きく顔を仰け反らせながら一瞬の隙が生まれた。
「ダァァラァァァ!」
雄叫びを上げて恐怖に呑まれそうになる自分を一喝。
そのまま腰に抱きつくように飛び掛かると、相手の上着の腰らへんを引っ張って倒した。
続けざまに相手の上にまたがり、押さえ込もうとしたが、
「ァァァァァア!」
奇声のような甲高い声の後、肩から伸びる毒針が迫るのを視界に捉えた。
避けられないと悟り、奥歯を噛み締めて来たる激痛に備える。
しかし、その毒針が刺さる事はなく、鼻先を掠めた。
背後から襟首を引かれ、強制的に後ろへと移動させられたのだ。
そして、それをやった奏が斜め後ろで立っていた。
「ばか! 一人で行かないでよ!」
「しょーがねぇだろ! 当たったらそれで終わりなんだ。不死身の俺が先陣切って行くのが当たり前だろ」
「何度も言ってるでしょ! 死なないからって痛い目にあうのを見てるのは嫌なの!」
そのまま言い合いが始まろうかという時、通り魔が立ち上がり、掌と肩から生えた毒針を二人に向かって伸ばした。
責めて奏だけでも、と盾になるように前に飛び出す。
「あぶなぁい!」
再び背後から声がするのと同時に、何かが頭上を越えて前に飛び出ると、毒針を蹴り飛ばして弾く。
そして、毒針を弾いた誰かーー理枝が目の前に着地した。
その間実に十数秒。
学生同士の喧嘩かと思い、何も言わずに見守っていた周りの人間の様子が明らかに変わっていた。
三人組の男女、それと向かい合っているのは酷く歪な見た目をした何か。
ざわざわとそこかしこから声が上がり、ただ事ではないと判断した一人の主婦が、スマートフォンを取り出した。
恐らく、監理局に通報するのだろうと予測した秋人は、ほんの少しだけ気を抜いてしまった。
それは、殺意にまみれた空間ではしてはいけない行為だった。
「……なッ」
ドン!と横から肩を押され、バランスを崩した秋人は横へ倒れた。
突然の衝撃に驚きながらも、直ぐに体を起こして自分を突き飛ばした誰かへと目を向けた。
視界に写った光景に息を飲んだ。
何故なら、通り魔の伸ばした手から突き出ている毒針が、奏の腹部を貫いていたから。
そして、次の瞬間には貫いた毒針を乱暴に抜いていた。
針を抜かれ、塞きが無くなった奏の腹部から鮮血が飛び散った。
それと同時に、力が抜けたように少女の体がゆっくりと地面に向けて落ちていく。
頭が現状を理解するよりも早く、少女の体へと飛び付いていた。
「か、奏……!」
寸前のところで奏の体を支え、抱き締めるように受け止めた。
ダラリと力なく手の中に収まった少女の顔を見る。
「だ……だいじょぶ?」
秋人を心配事させまいと、生気を無くしたように青ざめた表情でぎこちなく微笑んで見せた。
自分がどれだけ危険な状況に陥っているのか、誰よりも奏自身が分かっている筈なのに、奏の意識は秋人の安否のみに集中していた。
その瞬間、秋人の頭の中はどうすれば奏を助けられるかーーこの一点に思考を奪われた。
未だおさまらない狂気を振り撒く通り魔も、驚愕の色を浮かべて戸惑う理枝も、絶叫を上げて恐怖に呑まれている周りの人間も、秋人の頭の中からは消え失せた。
「ヤッタヤッタヤッタヤッタヤッタヤッタ」
喜んでいるのか、通り魔は自分の行動を絶賛するように首をカタカタと動かしている。
「誰かァァァァ!」
「監理局、監理局の人を呼んで!」
通り魔の言葉を遮るように、一人の主婦が絶叫を上げた。
それを期に蓋が外れたようで、一連の流れを見ていた周りの人間が次々に助けを求める声を上げ始めた。
それを見た通り魔は、先程までとは売って代わり、正常な反応を見せる。
「ア、ア、オレハ……」
自分の掌から伸びる針にまとわりついた血。
目の前で死んだように横たわる一人の少女。
その少女に付き添う少年。
それを見た瞬間に、通り魔はバランスを崩しながらも、逃げるように走り出した。
ただ、パニックが伝染してしまったこの状況で、それを追い掛ける者は誰一人としていなかった。
そして、通り魔が逃げ出した事すら、今の秋人の目には入っていない。
どうする、どうすればいい。
衝撃を与えないように、静かに奏を地面に寝かせ、何度も自問自答を繰り返す。
この場で秋人だけが知っている事ーーこの毒は、人の命を簡単に奪えてしまうものだという事だ。
(救急車を呼ぶか? いや、だめだ。そんなんじゃ間に合わねぇ。早くしないと奏が死んじまう。花子の話だと……)
何度も何度も思考を重ね、一つの考えにたどり着いた。
秋人の知人の中で、人外種についての知識が一番ある人物。
人外種オタクの少女の顔が脳裏を過った。
もし、この状況を脱する事が出来るとしたら、彼女しかいないと。
「理枝! 直ぐに救急車を呼んでくれ」
「う、うん」
秋人の言葉で放心状態から解放されたのか、理枝が慌ててスマートフォンを取り出し、番号を打ち込み始める。
その横で、秋人はポケットから白い判子のような機械を取り出す。
先端のスイッチのようなボタンを押すと、ピーピーと電子音が響き、能天気な少女の声が聞こえてきた。
『あ、創さんですか? いやー良かったです。私の方も有力な情報を得たところでしたので、直前で会って話したいと思ってたんですよ。あれ、もしかしてもう捕まえーー』
「奏が毒針で刺された! どうすりゃ助かる!」
花子の話を強制的に中断し、こちらの情報を短く伝えた。
秋人の焦った声を聞き、緊急を要する事態だと理解したのか、しばし沈黙をつらぬき、
「登坂さんは『吸血鬼』です。他人の血を摂取すれば体の機能が著しく上昇します。それは分かりやすい腕力でもあれば、体内の白血球や赤血球と言った細胞も同じです。なので、血を取り込めば免疫もより強固なものにーー」
花子が最後まで喋り終える前に、背負っていた鞄を乱暴に地面に叩き付け、筆箱を取り出した。
その中からシャーペンを取り出すとーー何の躊躇いもなく自らの腕へと突き刺した。
「うぐーー!」
皮膚を破り肉へとペン先が到達すると、痛みと共に汗が全身から吹き出す。
痛みも何もかもを気合いでねじ伏せ、ペンを引き抜くと、血が滴り落ちる腕を奏の口元へと移動させた。
突然自分の言葉を遮られ、あまつさえ返事が無くなった事から、秋人が何をする人物なのか良く知っている花子は楽しそうに、
『決断の早い人は好きですよ』
そんな花子の囁きを無視し、奏の口内に数滴の血を垂らした。
そして、
「……う、アキ」
横たわっている奏の瞳が僅かに開かれた。
その様子に理解が安心して声をもらし、通信機の向こうから花子の口笛が耳に入った。
しかし、まだ油断は許さないとばかりに奏の顔を覗き込むと、
「アキの血……まずい」
苦痛に顔を歪めながら、震える唇で言葉を繋ぎ、血液の感想を口にした。
「……はぁ……うるせ」
とりあえずは安心して良いと判断し、緊張の糸をほどいた。
その瞬間に肩にのし掛かっていた『死』という文字がなくなり、思わず笑いが込み上げる。
となりで心配そうにしている理枝も、安堵の表情で微笑んだ。
更に加勢するように遠くの方から救急車のサイレンの音が響き、大事を乗り越えたと察した花子が、通信機越し秋人に語りかける。
『落ち着いたら病院の場所を教えて下さい。一応、古い友人のピンチですからね』
花子の言葉を最後に、一旦、商店街での出来事は区切りがついた。
そして数分後、駆け付けた救急車に事情を説明している主婦を横目に、秋人は唇を噛みしめていた。
付き添いとして理枝が行く事になり、秋人は後から来る監理局に事の顛末を話すという名目でこの場に残る事になったのだ。
(俺がもっと気を張ってれば……)
嫌な予感はしていたのに、気を緩めてしまった。
一番守りたい女の子が傷ついたのは自分のせいだという事実が、秋人の胸を強く締め付ける。
『……じゃあ助けてね、男の子』
奏の言葉が何度も頭を過り、その度に自分の無力さを痛感してしまう。
もっと警戒していればこんな事にならなかった。
もっと自分が強ければこんな事にならなかった。
自分の認識が甘かった。
あの時、一瞬でも油断した自分が許せず、噛み締めた唇が切れて出血した。
腕の傷も、唇の傷も、少し時間が立てば何もなかったかのように消えてしまう。
しかし、奏を守れなかった事による心の傷は消えてくれない。
あの時、よそ見をせずに自分が盾になっていれば、奏は傷つかずに済んだかもしれないのに。
それは結果論だと分かっていながら、秋人は自分を攻める事を止めれずにいた。
そんな事を考えつつ、秋人は走る救急車を見送った。
自らの内側で、燃え盛る炎のように揺れる怒りを必死に抑えながら。
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