一章五話 『放課後は屋上にて』
次の日、ゾンビの少年は朝日に照らされながら学校へと通学路を歩いていた。
日光を直接浴びないように、出来るだけ袖のある服を着る事を心掛けているのだが、衣替えの時期には袖を引きちぎりたくなってしまう。
「恨むべし地球温暖化……」
地球を恨んでも体質が治らない限り、太陽に対して弱いという事は何も変わらない。
小さい頃から夏は苦手だなぁ、という感覚はあったものの、それが年々歳をとるにつれて数段と増している気がしていた。
「おっと……危ねぇ」
乾物の気持ちになりかけていた時、横を過ぎたトラックによって、どこかへと去りかけていた意識が引き戻された。
ゾンビ少年名物、トラックに吹っ飛ばされるはどうやら回避できたらしい。
また引かれれば再び生活費が削られてしまう。そんな恐怖から、秋人の体は震え上がった。
恐怖を抱く箇所が常人とはかけ離れている事を自覚しつつ、学校へと足を進めた。
茹だる熱気に心底呆れながら、そしてまたまだ夏本番ではないという絶望にうちひしがれながら歩く事数分、背後から呑気な声と共に肩を叩かれた。
「おはよ。元気……じゃないね」
一旦足を止め、ギギギと電池が切れかけの人形のように首だけを動かし、肩を叩いた人物と目があった。
自分の顔を見た途端に苦笑いされた事に対して不機嫌になりながら目を細め、
「奏か……元気じゃねぇよ。こりゃ今年は早めに日傘の出番がやって来るな」
「お肌が気になるのかな?」
「ちげーよ、朝はそういう冗談に付き合う気力すらねぇかんな」
去年の事を思い出し、明後日に目を向ける秋人に、冗談を交えて笑いかける奏。
そんな奏を他所に、一刻でも早く日陰へと飛び込みたい秋人は歩き出す。
「今日は引かれてないみたいだね」
秋人に続いて奏も足を動かす。
「何時も引かれてるみたいな言い方すんなし」
「だって引かれてるじゃん。アキは気付いてないかもだけど、何て言うか……飛んでく姿が綺麗なんだよ?」
眉間に手を当てて考えた後、適切な言葉を見つけた事に歓喜しながら口を開く。
引かれる姿が綺麗と噂の秋人は、初めて言われた事に何と言えば良いのか分からず、何とも言えない顔で奏の顔を見つめてしまった。
褒められても全く嬉しくない箇所を褒められ、秋人の心中は『嬉しくねぇ』の一言で満たされた。
だが、それを口には出さずに、空気を切り替えるためにわざとらしく咳をして、
「んな事は良いんだよ。それより、友達は大丈夫なんか?」
「昨日、あの後に家行ったよ。思ったより元気そうだった。でも……まだ家から出るのは怖いって」
「……そっか」
秋人はその友達を知らない。
ただ、『あれ』と向き合ったから秋人だからこそ、襲われた奏の友達がどれだけの恐怖を感じ、何故今も自宅から出る事が出来ずに怯えて過ごしているのか理解出来てしまった。
底なしの正真正銘の殺意だった。
向き合って、そして殺されたからこそ分かる。
あの男は間違いなく自分を殺すために行動していたと。
しかし、秋人は不死身という安心感が、その恐怖を中和している。
「絶対に掴まえようね。土下座させて一発ビンタしてやるんだから」
手を開いて空中で腕をスイングする奏。
明らかにビンタの領域を飛び出してしまっている風を切る音に、血の気が引くのをを感じながら秋人は口を開く。
「程々にしろよ。監理局に渡す時になんて言われるか分かったもんじゃねぇし」
あくまでも秋人達の目的は通り魔の拘束、そして友達への謝罪。
それ以降の事に関わるつもりは無いし、そんな事になる前に掴まるのが理想的だ。
「分かってるよ。そんなに酷い事するつもりはない……けど、それなりに後悔はさせる」
「目が怖い」
ひどく嘲笑的な目付きで語る奏に、秋人は至って冷静に突っ込みを入れる。
自分が冷徹な目をしている事に気づけば、慌てて手を振りながら被せるように笑顔を作った。
今の一連の流れで、奏がその友達の事をどんなに思っているのか秋人は理解した。
それと同時に、彼女の中にも秋人と同様に何か得体の知れないものが住み着いている事にも。
だが、ここでそれを追及するような無粋なまねはしない。
秋人や奏に限らず、このパラダイスに住む人外種は何かしらのものを抱えて生きている。
彼等は、外の住人からすれば化け物であると同時に、研究すべき対象なのだから。
「あ、そういえば宿題やった?」
「……ん? なにそれ?」
日光の浴びすぎで昨日の授業は後半になるに連れて記憶薄れていた。
そこへ追い討ちをかける宿題という呪われた一言。秋人は自分の口角がピクピクと痙攣するのを感じた。
「何でもなーい」
「お願いしますノート見せて下さい」
先程までの雰囲気はどこへやら、本来の職業である学生らしい会話への戻った。
そう、人外種にだって外で暮らす人間と同じように、ありふれた当たり前の日常がある。
「いーや。宿題は自分の手でやるものだよ? アキだって自分が努力してやってるのに、他の人が楽してたら嫌でしょ?」
「う……それを言われると辛いです」
「うむ、よろしい。ノートを丸写しするのな許さないけど、少しくらいなら手伝ってあげる」
子供をしかりつけるように優しく諭す奏。
真面目の中にも冗談が通じる奏に感謝の気持ちしか出てこない。
泣きつくように手を握り、何度も上下にシェイクした。
「それじゃあ、急ごっか。三時限目の授業に間に合うには朝やらないとね」
その俺を満足そうに受け取ると、今度は満面の笑みを浮かべた。
「走る感じのやつ?」
「うん。量が多いからね。間に合わないと怒られちゃうぞー」
通り魔確保という大きな目標の前に立ちはだかるのは、宿題という名の恐ろしい怪物。
退治するには相応の覚悟と体力、そして集中力を必要とする。
だが、そんな事よりも、太陽の下を全力ダッシュする方が秋人にとっては遥か地獄なのだ。
「さ、行こう行こう!」
奏に手を引かれ、今にも水分不足でミイラにでもなってしまいそうなゾンビの少年は、学生へ向けて走り出した。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
その日の放課後、三人は屋上で集まっていた。
秋人達が通う学校は、パラダイスの中でもほんの少し特殊な学校だ。
他の学校に比べ、希少種が多く集められている。
勿論、先生の中にも人外種はおり、それに伴うように特殊生物監理局のメンバーも監視役として多く紛れ混んでいる。
それが生徒なのか教師なのか、はたまた清掃のおじさんなのか、生徒には伝えられていない。
とはいえ、学校生活に支障をきたすものではないし、気にしている生徒はほとんどいない。
「やっぱ放課後サイコー」
日光が弱まり、朝よりも動きやすくなった事に歓喜するように呟く。
屋上の網状のフェンスに手をかけ、グラウンドで部活動に勤しむ生徒を見下ろしながら、秋人は黄昏ていた。
「奏、秋人が格好つけてるよ」
「そうだね、ちょっと痛いよね」
「止めて凄く胸が締め付けられるから」
俺ってちょっと格好いいんじゃね?とか思い上がっていたのを二人の女子に見透かされ、オブラートに包まれていない鋭利な言葉が突き刺さった。
昨日の別れ際に相談した通り、秋人、奏、理枝の三人は屋上に集まっていた。
理恵は購買で買ったと思われるアイスを頬張りっている。
このロリ少女は今から大事な話をするという自覚があるのだろうか。
「……まぁいいや、話始めようぜ」
アイスをムシャムシャとかじる理枝に何か言ってやろうと思ったが、面倒な事になりそうなので堪える。
フェンスを離れ、近くのベンチへと移動した。
放課後という事もあり、屋上には秋人達以外の姿は見えない。
大体の生徒は部活動に行くか、さっささと家に帰るかだ。
わざわざ放課後に屋上へ足を運ぶ変わり者もおらず、助かったと内心胸を撫で下ろした。
「でも、話すって言ってもどうしよっか。通り魔を探すって目標は変わらないけど……今日も適当にブラブラ歩くの?」
「昨日はただ運が良かっただけだ。同じ場所には現れないだろうし、もしかしたらこの地区に居ない可能性だってある」
通り魔と遭遇した事を運が良いと言い切る秋人に、奏は思わず苦笑した。
だが、そんな事は気にせず秋人は続ける。
「そもそも、通り魔の目的が分からない。狙われた人の共通点は無し、時間帯もバラバラ。そうなると、普通に探したって見つかりゃしないだろ」
昨日の事を思い出し、頭の中の情報を一つ一つ整理する。
通り魔と対面した際、何の躊躇いもなく秋人を刺した。
その事を踏まえて考えると、恐らく決まった狙いは無いのだろう。見られたから襲ったーーという考え方も出来るが、あの時点では誰も襲われていなかった。
明確な殺意を纏って突っ込んで来たから戦闘になったものの、何もしなければ少し怪しい人で済んでいた。
たまたま遭遇した秋人を襲撃したーーそう考えるのが普通だ。
そして、相手は人を殺す事になんの迷いもない。
秋人を刺した後で直ぐにその場をさったのも、恐らく目的を果たしたと判断したからだ。
ふと、昨日の事を思い出していると、一つの言葉にたどり着いた。
「……帰るーー確かそんな事言ってたよな」
通り魔が執拗に呟いていた言葉。
その意味は分からないが、帰るという言葉と襲う事になにかしらの関連があるのだろう。
「どこかに帰るために人を襲ってる……?」
「かもな。つっても、帰るってどこにだ? 家なら普通に帰れば良いのに」
「帰れない理由があるとか?」
「うーん、私も家に帰れないよ? だってーー外にあるもん」
アイスを食べ終えて会話に参加した理枝の言葉が耳に入った瞬間、脳裏に電撃が走った。
本人は何の気なしにした発言だったのだが、この状況を打破するきっかけとなった。
「そうだ、そうだよ。外だ、あの通り魔は自分の家に帰れないんだよ」
「待って、もし、通り魔の目的が本土の家に帰る事だとして、それと一連の事件がどう繋がるの?」
この海上都市パラダイスは、人外種の保護と監視を目的に作られた都市だ。
世界中で発見された人外種を強制的に連行し、この中に閉じ込め、牢屋のような役割を担っている。
たとえ外に家庭があろうが、仕事があろうが、恋人がいようが、友達がいようが、人外種だと判明した時点で連れてこられてしまう。
そして、中に入ったが最後、二度と外には出られない。
例外はあるが、ほとんどの人外種はこの中で一生を終える。
それは即ちーー家に帰れないという事だ。
もし、そうなのだとしたら。
「外に出るために人を襲ってる……か」
「あり得ないよ。そんな事しても絶対に出られる筈ない。外に出るには監理局に入って出世するのが唯一の方法でしょ?」
「正攻法ならな。たまにニュースになってんだろ? 勝手に出て捕まって、直ぐに中に連れ戻されたとか」
外の世界と同様に、パラダイス内でも犯罪はある。
パラダイスのみに適用される特殊な法律も存在し、独自の法律で統一されている。
そして、パラダイスの中で最も多発している事件ーーそれは脱走だ。
本来、パラダイスから出るには各国のトップの特別な許可が必要だ。それは入る時も同じように。
しかし、その許可は簡単に貰えるようなものではない。秋人も詳しい事は知らないが、特殊生物監理局の上層部のみがその権利を持つという噂だけは聞いた事があった。
「俺だって詳しい事は知らねぇけど、違法なやり方で出るって選択肢もある。通り魔がそれを知ってるとしたら、そしてそれが人を襲うって事だとしたら」
ようやく尻尾を掴めたと、安堵の息を吐き出す。
奏は全て納得したようでは無いが、あり得る可能性の一つとして受け入れた。
「……どんどん話がおっきくなってるね」
「まだ可能性の話だよ。確定って訳じゃない」
「人を襲ってまで出たいって……通り魔はそう思ってるのかな」
「人には人の事情がある。俺だって出れるなら出て両親に会いてぇよ。だからって人を傷つけて良い理由にはならない」
秋人は既に十年間両親と離ればなれになっている。
出たいという気持ちはあるし、それが可能なら行動に移すだろう。
「……絶対に捕まえないとね。理由がどうあれ、これからも人を襲うって事なら、絶対に止めないと」
決意を新たに奏が小さな手を硬く握り締める。
多分、許せないのだろう。
自分のために人を傷つけるという行為そのものが。
だから、秋人も腹をくくった。
誰しもが同じ筈だ。出たくて仕方がない。
それでも堪えて、何時か人外種と人間が共存出来る日を夢見て耐えている。
それをズルして、しかも人を傷つけてだと?
そんな事、絶対に許せる訳がない。
「あぁ、絶対に捕まえようぜ」
「うん、捕まえよう!」
話の流れを全く理解していないながらも、行くべき道の方向は決まった事を察知したのか、理枝が元気よく手を上げた。
理枝のおかげでこの考えにたどり着いた事を、本人は全く気付いていない。
そんな理枝を見て、秋人と奏は顔を合わせて笑いあった。
何のこっちゃ分からない理枝も、とりあえず二人に合わせて微笑む。
そして、秋人がゆっくりと口を開いた。
「結局どこに居るのか分かってなくね?」
そう、肝心な事は何一つ解決していないのだった。
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