三章七話 『受け入れがたい事実』

 


 人は信じられない事態に直面した時、どんな反応を示すのだろうか。

 言葉を失う、叫びを上げる、それとも他の何かなのか。

 どれも人それぞれなので一概には言えないが、唯一絶対だと言える事が一つある。


 その真実を拒むという事だ。


 直面した事態を嘘だと突き放し、受け入れる事を拒否する。

 しかし、結局はどうしようもない事実なのだと理解する事になる。その上で、人はそれぞれの反応を示すのではないだろうか。


「先日、坂本孝太が死体で発見された」


 その事実を秋人は拒んだ。

 一つ一つの言葉が正確に頭の中へ流れ込み、佐奈の口にした文章が組上がる。

 けれど、受け入れる事なんて出来やしやかった。


「……え、あ……なんで……」


「全身を刃物で滅多刺しにされ、路地裏に横たわっている所を発見された」


「それって……誰かに殺されたって事ですか?」


「断言は出来ないが……恐らくな。監理局もその線で捜査している」


 佐奈は依然として表情を崩さず、事実だけを口にしている。秋人が聞くと言ったのだから、佐奈はちゃんと伝える事を全うしているのだ。

 正座していた足を楽にすると、へたりこむように両手で体を支えた。


「アイツは……ただの人殺しです。んな事は俺も分かってる。けど……大事な人に会いたいって気持ちだけは、間違いじゃないって思います……」


「そうだな、坂本孝太はやり方を間違えた。しかし、だからと言って殺して良い理由にはならない」


「あの、坂本孝太の奥さんと子供には連絡とか行くんですか?」


「……伝えられる事はないだろうな。パラダイスに入った時点で、坂本孝太は外の世界との繋がりを断っている。死体は今預けている研究施設で保存され、妻と子供は……彼の死を知らないまま一生を過ごして行く事になる……」


「クソ! どうにかならないのかよ!」


 思わず秋人は怒鳴っていた。握った拳を床に叩きつけ、無意識に感情を吐き出していた。

 だが、直ぐに自分やった事を後悔し、


「す、すいません……。佐奈さんに怒鳴っても仕方ないっすよね」


「いや、良いんだ。私も何も出来ない自分の不甲斐なさに心底腹が立っている」


 表情こそ変わらないけれど、佐奈の瞳にも悔しさが滲み出ていた。

 真田佐奈という女性は、監理局の中でこそある程度の権限を持っている。しかし、外との接触に関しては統括局が監理しているのだ。


 監理局とはあくまでもパラダイス内での犯罪を取り締まる組織で、パラダイス外には一切の関わりを持つ事が出来ない。

 そして、彼女も人外種である。

 秋人の気持ちが、坂本孝太の気持ちが少なからず理解出来てしまったのだろう。


「犯人の手掛かりとかあるんですか?」


「何も無い。現場には凶器らしき物も残されておらず、体にも衣類にも指紋は付着していなかった。よほど気を使ったんだろうな」


「……て事は、坂本孝太を狙った犯行って事っすか?」


「滅多刺しにする時点でよほどの恨みがあるのか……はたまた愉快犯なのか。どちらにせよ、あれだけの事をしている奴を野放しには出来ない」


 机の上に置かれた佐奈の拳が、より一層強く握り締められる。

 あれだけ知りたかった情報を耳にしたが、秋人はその事を後悔していた。

 だが、その事実から逃げる事はしてあってはならない。真正面から感情をぶつけあった秋人だからこそ分かる事がある。


 たとえどれほど理不尽で受け入れがたい事だとしても、創秋人にはそれと向き合う義務があるのだから。

 静かに空気を吸い込み、行き場のない怒りを静める。


「ありがとうございます。わざわざ知らせに来てくれて」


「貴様には知る権利がある、当然の事だ。それより、知った事を後悔していないか?」


「してない……って言ったら嘘になります。けど、知れて良かったです。ずっと知らないまま毎日を過ごすよりか、俺は知れて良かったって、そう思います」


「そうか……いきなり押し掛けてすまなかったな」


 そう言って、一通りの話を終えた佐奈は立ち上がる。本当に、ただそれだけを伝えに来たようだ。

 秋人も見送るために立ち上がろうとするが、佐奈が何かを思い出したように手を叩き、僅かに声を高くして、


「変な事に首を突っ込んだらダメだよ。……と、奏が言っていたぞ」


「……え、あ、ういっす」


 突然の物真似に驚き、間の抜けた返事をしてしまう秋人。普段の固さが剥がれ、年相応の可愛らしさが見え隠れした事に、秋人は一瞬だけ心を奪われてしまった。

 やった本人は少し恥ずかしそうに顔を逸らしている。


 恥ずかしいならやらなければ良いのに、という突っ込みが喉まで出掛けるが、それを言ったらありがたい拳骨が降り注ぐだろう。

 なので、気にしてませんよアピールでそよ風のような口笛を吹く。


「貴様の事は奏から聞いているから分かってる。だが、この件には関わるな。私達監理局が必ず犯人を捕まえる」


「分かってますよ。前の時は成り行きであぁなっちゃいましたけど、俺だって面倒事はごめんですから」


「そうか、それならば良い。私は忠告したからな」


 それだけ言い残すと、佐奈は一度頭を下げて秋人の部屋を後にした。

 一人残された部屋で、秋人は手に入った情報を纏めていた。ほんの少しの情報かも知れないが、次の一歩を踏み出すには十分だった。


「ごめん佐奈さん。やっぱ無理だ」


 服を着替え、秋人は更なる情報を得るために部屋を飛び出した。




 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




 とある研究施設の一室、秋人はそこに訪れていた。

 一直線に伸びる廊下の一番奥にある部屋、そこに目的の人物が居るからだ。

 その部屋をノックし、中に誰か居ないかを確認する。すると、


「はいはーい、今出ますよ。……て、創さんでしたか」


「よ。入るぞ」


「どーぞどーぞ。創さんから訪ねて来るなんて珍しいですね。あ、もしかして解剖される気になったんですか? もぉ、そうならそうと連絡して下されば迎えに行ったのにぃ」


 猫なで声で一人だけ違う世界に立っている花子。しかし、秋人はそれを全部無視して中に入り、研究室の中を一通り伺う。

 それから花子へと向き直り、


「今回はそういうおふざけは無しだ。聞きたい事がある」


「……何時になく真剣ですね。まぁ良いです、立ち話もアレなんで座って下さい」


 秋人の顔を見て何かを察したのか、花子も一旦ふざけるのを止め、ソファに二人で腰を下ろした。

 花子は隣に座る秋人から口を開くのを待っており、二本の足をパタパタと遊ばせている。


 何から聞くべきなのか、秋人はそれで悩んでいた。色々悩んだ挙げ句、秋人は考えていた事を一旦全部捨てた。

 思考を重ねた所で良い言葉は浮かんで来ないし、そもそも今さら気を使うような関係でもない。

 だから、秋人は視線を前にある机に落とし、


「お前、坂本孝太について何か知ってんだろ?」


 単刀直入に、そう疑問をぶつけた。

 言葉の駆け引きをしたところで、秋人は花子には敵わないだろう。だったら、そんな慣れない事はする必要ない。

 花子は秋人の横顔を見て、僅かに考えるようにうつ向く。


「何故、そう思ったんですか?」


「さっき佐奈さんから坂本孝太が死んだ事を聞いた。そん時、佐奈さんはお前のお墨付きだって言ってた。て事は、二人で坂本孝太について何か話したんじゃねぇのか?」


「なるほど、確かにそうですね。ですが、だからと言って私が何か知っている事にはなりませんよ? 真田さんから一方的に話を聞かされただけかもしれませんし」


「かもな、でも……」


 秋人はそこで一旦言葉を区切った。

 花子の様子を見るに、恐らく誰かしらから口止めをされているのだろう。

 だが、ここまで来て何も得ずに帰るなんて選択肢はない。

 体の向きを花子へと変え、


「アイツの死体は……どっかの研究施設に預けられてるって言ってた。それって、ここの事じゃねぇのか?」


「可能性はありますね。けれど、それだけでは点と点は結べません」


「いや、絶対ここだよ。ステージの上がる薬にあれだけ興味を持ってたお前が手放す訳がねぇ。……それに、理屈がどうのこうのじゃねぇんだ、お前はそういう人間だろ」


 元々、秋人には花子を言いくるめるだけの言葉を持ち合わせていない。

 だが、長い付き合いがある秋人だからこそ分かる事がある。

 三ヶ島花子という研究者は、一度興味を持った対象にはしつこく付きまとうという事を。決して妥協をしないという事を。


「ふむ、察しの良い方は好きですが、今回に関してはあまり嬉しくはありませんね」


「……それは答えって事で良いのか」


「白状しますよ。坂本孝太の死体は私が預かってます。司法解剖も済ませましたし、その他の調べも終わっています」


 これ以上隠し通す事は出来ないと判断したのか、花子は観念したように口を開いた。

 それからソファの背もたれに体を預け、言葉を続ける。


「彼の体を調べた結果、少しですが普通の人外種とは異なる点を発見しました」


 秋人は大人しく聞く事に徹している。専門的な単語を出されたところで、それを理解するだけの知識は持っていないからだ。

 なので、秋人に出来る事は理解出来る部分を聞き逃さないように集中し、分からない事は後で改めて訪ねる事なのだ。


「そこで、私はある仮説を立てました。一つ目は、ステージの上昇はあくまでも一時的なものでしかない。二つ目は、犯人、もしくは他の誰かが坂本孝太の体からステージの上がる成分だけを抜き取った」


「そんな事出来んのか?」


「無理でしょうね。全身から血液を全て抜き取るならまだしも、狙った成分だけを限定的に抜き取るのは難しいと思います」


「なら、ステージの上昇は一時的って事か」


「私の仮説が正しいのなら。恐らく、ステージ上昇の薬はまだ未完成なのでしょう。作った誰かが実験としてひょっとこの仮面に渡し、それを使った結果があの事件へと発展した」


 秋人はひょっとこの仮面との会話を思い出していた。あれ以来、ひょっとこを見るだけで怒りがこみ上げて来るのだが、あの人物は『彼に報告したらきっと喜ぶね』と、そう言っていたのだ。

 という事は、恐らく花子の仮説は正しいのだろう。


「……だったら、あのひょっとこに聞けば全部分かるって事だよな」


 家に帰ろうと立ち上がる。何故なら、秋人はひょっとこの仮面との関わりを持っているからだ。

 あの時受け取った赤いスマートフォン。あれ以来使う事なく放置していたが、それを使えば連絡をとる事が出来る。


 ならば、自分がやるべき事は一刻も早く連絡をとる事だと秋人は判断したのだ。この際、ムカつくだのなんだのとは言っていられない。

 現状でうてる最善の手が目の前にあるのなら、それを使わない手はないのだから。

 しかし、花子は立ち上がった秋人の腕を掴み、


「創さん。私は基本的に創さんのやる事には何も言わずに見守る所存です。しかし、今回に関してはハッキリと言いましょう。この件には関わらないで下さい」


「止めんな。俺は無理にでも首を突っ込むからな」


「ダメです。今回は許容出来ません」


 珍しく頑なに譲る気配のない花子に、秋人は一旦ソファに座る。腕を握る手は依然として掴まれており、逃がす気は毛頭ないようだ。


「……理由を言えよ。お前がそんだけ止めるって事は、何かしらの理由があんだろ」



「理由ですか……強いて言うならーー創さん、貴方死にますよ?」



 本日二度目、秋人は受け入れがたい事実に直面したのだった。


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